- Amazon.co.jp ・本 (373ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309461472
作品紹介・あらすじ
惑乱、私の妹、百頭女。エルンストの夢幻世界、コラージュ・ロマンの集大成。今世紀最大の奇書、待望の文庫化。
感想・レビュー・書評
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『QJKJQ』の表紙を見ていたら無性に観たくなったので図書館でいそいそと借りました。
本を読む時間が最近取れていないので、これなら見やすいしな、と思っていたらじっくりと考察しながら観てしまい支障をきたしました。
コラージュの元祖と言っても良いのではないかと言う位に切り貼りがお上手!(陳腐な言葉しか出てこない所が悲しい)
百頭女が結局何者なのかは分かりようも無いので、シュールレアリズムを肌で感じ取って五感で楽しみました。
台風の日はこういう作品で異世界トリップするのがオツですね。
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古い本の木版画などを切り抜いたコラージュで綴られた絵物語。
一枚の作品ごとにキャプションが付されていて、
ページを繰っていると、
奇態なカリカチュアの連続による
奇っ怪なパラパラ漫画のごときものを読んでいる気分になる。
タイトルの「百頭女」とは、それ故に数多の顔を持つかと思えば、
同時にアイデンティティの希薄な、
誰でもない女性を指してもいるのだが、
イメージの根幹にあるのは妹への愛情らしい。
第2の章での「ゲームのつづき」「つづき」「つづき」……がツボ(笑) -
エルンストの幻想世界、それが私たちに示したかったものとは?_____それは、現実世界の"意味"への反発、そして乖離であるだろう。果たしてこの本に描かれるデタラメな世界と現実世界にはどれほどの大きな差があるだろうか。私はどちらも意味のないものだと思う。私たちが意味のあるものだと思っていることには本当に価値があるのか?世間の風潮に流されてはいないか。そもそも本当の意味での意味なのでものは存在しないのかもしれない。シュルレアリズムとはつまり、無意識の運動をこの世に提示して全てのものに意味はないのでは?という新たなる視点・思想で生と死を問う、現代社会に対する"無意味の提示"すなわちアンチテーゼだったに他ならないのかも知れない。
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雑コラの元祖(?)
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再読。この本でデペイズマンという概念を学んだっけ。技法としてはコラージュの一種なのだけれど、そこに新しい概念を持ち込むあたりがシュールレアリスム。
デザインの学校に行ってた頃に現代美術の授業があり、「オブジェを作るので、柔らかい物と固い物を持ってきてください」と言われたことがありました。例えば台所スポンジ(柔らかい物)に釘(固い物)を刺す。どちらも本来の用途ではない使い方をされることで、意味を剥ぎ取られ単なる物体と化す、それが「オブジェ」だと。なんかこの本読むといつもその授業を思い出します。
まあ小難しい屁理屈を抜きにして眺めているだけでも楽しい。間違いさがしのようでもあるし、シュールなギャグみたいなのもあるけど(笑)、もともとの物語を離れ意味を剥ぎ取られて貼り合わされたイラストから新しい物語が構築されてゆくのはちょっとしたマジックのようで不思議な面白さがある。 -
理解しようとすることが無意味。
イメージの沸き立つままに、疑問や驚きも解決せずにそのまま放り出し、ただページを繰っていくのが楽しい。
ほんとうに愉快で、大好きです。
もっと大きい図版で見れたらなぁ…
「天才バカボン」を読んだ時の感じと似ている、と思った。 -
弟くんに何の説明もないまま「まあ、持ってけ。」と持たされた本。
どうしろ、と。
分ッかんないわー…。
数ページ読んで、フライングでウィッキーくんに聞いてみたけど。
やっぱり、分ッかんないわー…。
最初はとにかく、解釈することに躍起になってムキーッ!てなったけど。
絵として素直に見ることにしたら、面白くなってきた。
あれだね、『狂骨の夢』の「あなたの夢はユングのそれより無意味な夢だ。見たままです。解釈する必要はない。」(文庫版p801)ッて言葉を思い出すねえ。
シチュエーション全然違うけど。
そう、解釈する必要は、ない。
宗教的。に見えるが…自信はナイ。
特に自分のキリスト教の知識に。
あでもこれはちょっと笑った。
「どの門も似たり寄ったりだ。」(p273)
あとそう、ダリと同じレベルで家に飾ると神経を疑われそうな感じよね。
ジェルミナル、私の妹、百頭女。
惑乱、私の妹、百頭女。
ロプロプ…。 -
ただ綺麗で意味深な文章と綺麗で意味深な絵
それを見て想像に耽るだけでも読む価値があると思います
シュルレアリスムの雰囲気に浸りたいので内容などはあまり考察しないようにして読み終えた -
シュルレアリストのマックス・エルンストが、1929年に出版したコラージュ作品とキャプションを組み合わせた物語。当時の雑誌やカタログに載っていた版画から、切り抜き貼り合わせて全く新しい図画を創り出す。図画一枚一枚に添えられたキャプションも謎めいていて、読んでいると面白い。アンドレ・ブルトンの緒言、百頭女のためにと題された、瀧口修造、澁澤龍彦、赤瀬川原平、窪田般彌、加藤郁乎、埴谷雄高、巖谷國士のエッセイ&オマージュも豪華。
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『体のない体がその体と平行に位置を占め、幽霊のない幽霊のように、ある特殊な唾液を用いて、郵便切手づくりに役立つ子宮を私たちに示す』(第7の章より)
(唯一「なんかイイな」ってなった文でした。)
大型版を読みましたが感想はこちらで。いずれにせよ「意味わからん」のには変わらないでしょう。まず『百頭女』の読み方すら、まだよく分かってないんですから。(でも訳者が「ひゃくとうおんな」と言っていたらしいので、恐らくそう読むのでしょう。)
1929年に発表された当時は「今世紀最大の奇書」とまで言われ、その内容はクセの強い短文とコラージュで構成されています。
基本、どんな本を読んでも読書記録を残す私ですが、こればっかりは本当に感想の述べようがない(笑)。「結局なんだったの?」となるのは無論のことで、問題なのは、7割くらい読んで、トイレに行って戻ってきてまた読み始めたら、「あれ? さっき読んでた時と印象が違うぞ?」となったこと。これじゃあ本当に評価のしょうがない(笑)。その時の気分や場所、時間によって感じ方が変わってきそうです。ほんとうに不思議だけど魅力的なコラージュ・ロマンでした。