- Amazon.co.jp ・本 (235ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309462448
感想・レビュー・書評
-
別におもしろくはないが、ずいぶん技巧的というか複雑なつくりの作品だな。
数年かけて文学古典・有名作を読んだり再読したりするつもり。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
マゾの語源にもなった、ザッヘル=マゾッホの代表作。
妖しくも物悲しくもある物語。物語としても面白かった。
女性の存在や肉体を神聖なものだと感じる、という部分はすごく共感できる。この世界に女性のカラダほど美しいものはないと思う。
主人公のセヴェリーンの持つ願望はかなりヤバい。精神的SMであり、かなり大がかりなロールプレイを展開している。
意外と直接的な性描写はなかった。『O嬢の物語』の方が100倍くらい激しい。ドラッグも出てこなかった。
The Velvet Undergroundの名曲「Venus in Furs」はこの小説が元になっている。「セヴェリ~ン♪ セヴィリ~ン♪」ってルー・リードが囁いています。 -
いや、なんというか、異常。おかしい。というのがおもしろかった。世の中に、こんな価値観で生きている人がいたのかと。奔放、大胆、自由。女の美しさと強さを賛美するがあまりに、踏みつけられたいという欲望を持つ男。美しい女性賛美の価値観は、ギリシャ彫刻あたりまでさかのぼる。相当な長い歴史を持つ価値観なのであろう。..
こういう価値観は、日本とかアジアにはないよなーと。
この女性は観音菩薩のように美しい。ゆえに、結婚して我がものとしたい。それが叶わないなら、徹底的に虐待され裏切られたい。とか、ありえないもんなー。
以下、something interesting:
・ワンダ
「私が私かぎりであって、来世を生き続けないつもりなら、何をくよくよして欲望を諦めることがありましょう?かつて一度」
・懊悩:なやみもだえること。
・私の方は日ごとに懊悩を増していき―彼女はと言えば、ただそれを眺めて微笑んでいるだけである
・グレゴール
「そういう女だって、その自己中心的なすさまじさの点で理想です。愛の幸福を心行くまで味わえないのなら、愛の苦痛、愛の苦悩を最後の行って期までンこらず飲み尽くしたいのです。自分の愛する女に虐待され、裏切られたいのです。それも残酷であればあるほど素敵なのです。それだって快楽なのですから!」
「ご主人さま!私はあなたの奴隷なのです!」
私はすこしばかり疲れているだけだ。それなのに体中が恍惚として彼女の残酷さに満たされている。・・・彼女の奴隷であることの、なんという幸福。
・グレゴールの幼少時の恍惚+戦慄
「殉教者たちは獄屋につながれて呻吟し、火あぶり気にかけられて拷問され、矢に射貫かれ、グラグラと煮えたぎる瀝青の中に放り込まれ、野獣どもをけしかれられ、十字架に釘付けにされ、しかもこの恐ろしい苦痛を一種の喜びとともに味わっていたのでした。」 -
有名な「マゾ」の語源の人。
毛皮フェチ、NTR、奴隷、放置、、、今なら別の用語で表現できそうな、「私」の性癖。幾度の警告にもめげず、ついに彼の願望は高まっていき……
結局、鞭で打たれても無視されても、愛がほしいだけじゃないかという。性的恍惚が!という感じではなく、精神的な喜びなのね。 -
いわずと知れたマゾヒズム文学の代表。むしろ、マゾヒズムへの関心を抜きにして誰が読むのか、といった作品。その内容の異常さ故か、とても読みづらい。
≪毛皮を着たヴィーナス≫に対する主人公には、≪ヴィーナス≫への忠誠や被虐嗜好だけではなく、独占欲や憤怒、悲しみといった種々様々な感情が渦巻いている。それらの独白はこの主人公の本心というものがどこにあるのか疑わしくさせ、二人を駆り立てているものが何なのか、私にはわからなくなってしまった。
マゾヒズムが他人から打たれて喜ぶ性癖だ、とだけ思っているなら、話から取り残されてしまう。 -
マゾヒズムの語源として有名なマゾッホの小説。マゾヒズム的傾向について考えるいいきっかけになる。描かれているようなマゾと現代のマゾ精神的な意味でのマゾにはかなり隔たりがあるように思うけれど、たとえば従うということの中にある種の恍惚としたもの自己主張の激しい世の中において想像されにくくなってきているけれどたしかにあるであろう感情がここにはあるようで面白かった。
-
マゾヒズムの語源になったという小説。
内容はなかなか倒錯しています。
ご興味ある方は、どうぞ。 -
映画「毛皮のヴィーナス」を見たのをきっかけに購入しました。あの有名な!「マゾ」という言葉の語源になった作者の代表作です。マゾッホは他にも歴史の本とか書いてるそうですが、あまりいまでは知られてないのだとか。
内容はもう変態すぎてちょっと笑ってしまうところもありましたが、わりと様々なMプレイを網羅してるのではないでしょうか。フェミニズム的視点に立った映画(元は舞台)の「毛皮のヴィーナス」ですが、原作からして男女の立ち位置の違いに言及していて面白いです。 -
サドから生まれたサディズムとマゾッホから生まれたマゾヒズムとは相互補完的な様で実は決して相容れないんじゃないか、というのが読了直後の感想。前者が快楽の追求の為に哲学的に内省し、その体系によって他者を物化するのに対し、後者は快楽の為に己を物化しながらも、他者を自己の願望を達成するための奉仕者へと創り変え、奴隷こそが従者たろうとする反転した支配欲と関係欲求がその源泉にあるからだ。文章も表現描写も予想以上に滑らかな本作は束縛と献身が交差する物語であり、想像以上にバカップル感のある二人には驚くばかりであった。