差異と反復〈下〉 (河出文庫)

  • 河出書房新社
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本棚登録 : 230
レビュー : 5
  • Amazon.co.jp ・本 (436ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309462974

作品紹介・あらすじ

自ら「哲学すること」を試みた最初の書物と語る、ドゥルーズ哲学のすべての起点となった名著。下巻では"理念"、そして強度、潜在性などの核心的主題があきらかにされるとともに、差異の極限における「すべては等しい」「すべては還帰する」の声が鳴り響く。それまでの思考/哲学を根底から転換させる未来の哲学がここにはじまる。

感想・レビュー・書評

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  • まったく意味わかんなかった! 読んでる間、ただただ苦痛! 苦行!
    でも、これで終わったら負けやと思って、山森『ジル・ドゥルーズの哲学』を読んでみたところ、この本の見通しがついた気がしたので、再読してみました。今はまだ再読の途中ですが、スイスイ進みます。もちろん、わけわからんところも山ほどありますが、初読のときの迷子感はだいぶなくなりました。おもしろいです。【2020年8月19日読了(初読)】

  • 凄く面白い。

    シンプルでありながら物凄く重い荷物を背負い込んだ本だ。
    言及範囲、取り扱い射程が長大である。ギリシャ哲学、ベルクソン、ニーチェ、カント、ヘーゲル、ハイデガー、ダーウィン、フロイト … …。万物を縦断し、横断し、掘り上げ、そして掘り下げる。
    次から次へと諸事象が繰り出される。
    それゆえに私のような凡人にはあまりに突飛な論脈だと感じる箇所もしばしばであった。

    何かと何かが違うということ。
    同じことを繰り返すということ。
    差異と反復は共存し得ない対立概念でありながら、それと同時に、両立するものでもあると汲み取った。その霊妙さが本書全体を覆っていた。

    下巻の前半、微分、積分の話題で数式が幾度も飛び出してきた。自分にとっての険しい峠であった。


    印象的な節は数知れず。
    強いということ、強度についての数的、数学的説明。物理的、物理学的解釈。
    生きるというのは墓場へ向かうことではない。
    「パラドクスが哲学におけるパトスである」、胸の内側に深く浸透してきた。
    根拠づけることは、何によって成立するのか? 何に対して行使されるのか?

    分からないことを分かるために読む。
    分かろうとしないわけではない。
    もちろん分かろうとしているがそれでも分からないことがある。
    分からないことがあるということから人は目を背けがちであるが、そこに抗ってみてはどうか? という、メッセージにもならないメッセージを勝手ながらに嗅ぎ取ったりもした。

  • 飛ばし読み

  • [ 内容 ]
    <上>
    「いつの日か、世紀はドゥルーズのものとなるだろう」とフーコーをいわしめたドゥルーズの主著にして代表作。
    ニーチェ、ベルクソン、スピノザらとともに、差異を同一性から解き放ち、反復を“理念”の力=累乗の特異性として発見する時、新たな生と思考がはじまる。
    かぎりない力をひめた怪物的な書物。

    <下>
    自ら「哲学すること」を試みた最初の書物と語る、ドゥルーズ哲学のすべての起点となった名著。
    下巻では“理念”、そして強度、潜在性などの核心的主題があきらかにされるとともに、差異の極限における「すべては等しい」「すべては還帰する」の声が鳴り響く。
    それまでの思考/哲学を根底から転換させる未来の哲学がここにはじまる。

    [ 目次 ]
    <上>
    序論 反復と差異(反復と一般性―行動の視点からする第一の区別;一般性の二つのレヴェル―類似と等しさ ほか)
    第1章 それ自身における差異(差異と暗い背景;差異を表象=再現前化するということは必要なのだろうか―表象=再現前化の四つのアスペクト(四重の根) ほか)
    第2章 それ自身へ向かう反復(反復、それは、何かが変えられること;時間の第一の総合―生ける現在 ほか)
    第3章 思考のイマージュ(哲学における前提の問題;第一の公準―普遍的本性タル“思考”の原理 ほか)

    <下>
    第4章 差異の理念的総合(問題的な審廷としての理念;未規定なもの、規定可能なもの、および規定作用―差異;微分 ほか)
    第5章 感覚されうるものの非対称的総合(差異と雑多なもの;差異と強度;差異の取り消し ほか)
    結論 差異と反復(表象=再現前化批判;有限か無限かという二者択一は無益であること;同一性、類似、対立、そして類比―それら(四つの錯覚)はどのようにして差異を裏切るのか ほか)

    [ 問題提起 ]


    [ 結論 ]


    [ コメント ]


    [ 読了した日 ]

  • p307
    或るひとつの差異がおのれをそこから抜き取るその表面的な反復に、その差異が(深さにおいて)必然的に所属している場合、そうした差異の本質はどこにあるのかを知ることが問題になる。そうした差異は縮約であるが、しかしこの縮約の本質はどこにあるのだろうか。そうした縮約はそれ自身、弛緩のすべての水準とすべての度においてそれ自体と共存する或るひとつの過去のもっとも縮約された度、もっとも緊張した水準ではないだろうか。各瞬間、過去全体が、ただし、様々な度と様々な水準において[それ自体と共存する]。現在の度と水準は、それらのうちのもっとも縮約されたもの、もっとも緊張したものでしかない。それが、ベルクソンの輝かしき仮定であった。その場合、現在の[現前する]差異はもはや、先ほどのようには、諸瞬間の表面的な反復から抜き取られて、その反復が存在するのに必要不可欠な或る深さを素描するような差異ではない。

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著者プロフィール

1925-95年。フランスの哲学者。1970年よりパリ第8大学教授。60年代以降の言語論的な転回、ポスト構造主義の思想的文脈のなかで思索を重ね、主著『差異と反復』(1968年)などを世に問う。また、ガタリとの共著『アンチ・オイディプス』(1972年)、『千のプラトー』(1980年)は、精神分析やマルクス主義の概念を援用した資本主義社会論として、大きな影響を与えた。

「2018年 『基礎づけるとは何か』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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