神曲 地獄篇 (河出文庫 タ 2-1)

著者 :
制作 : 平川 祐弘 
  • 河出書房新社
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本棚登録 : 866
レビュー : 82
  • Amazon.co.jp ・本 (509ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309463117

作品紹介・あらすじ

一三〇〇年春、人生の道の半ば、三十五歳のダンテは古代ローマの大詩人ウェルギリウスの導きをえて、生き身のまま地獄・煉獄・天国をめぐる旅に出る。地獄の門をくぐり、永劫の呵責をうける亡者たちと出会いながら二人は地獄の谷を降りて行く。最高の名訳で贈る、世界文学の最高傑作。第一部地獄篇。

感想・レビュー・書評

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  • なんとなく読み始めたら、面白くてついつい読み切ってしまった。想像力をかき立てる描写もすごいけど、何より凄いのは人々を一元的に断罪するキリスト者の狂気だと思う。まだキリスト教が宗教としての意義を持っていた時代の、だからこそ垣間見せる狂気には現代の新宗教と共通するものがある。

  • 2009年1月16日~17日。
     右のほほを打たれたら相手の左のほほを殴り返せ!
     というキリスト教の教えの本(キリストはそんなことはもちろん説いていないが)。
     自意識過剰男ダンテ(作者が作中の登場人物)が自分の気に入らない人間を地獄に落として呵責に苦しませている。
     そんな感じ。
     つまらなかったか?
     いやいや、物凄く面白かった。
     詩的な文章はそれこそ「文学!」って感じがするし、なによりもダンテ(作者としても、登場人物としても)が人間臭くて。

     それにしても、キリスト教ってのも自己中心的な教えだなぁとも感じた。
     洗礼を受けなかっただけで地獄(ま、辺獄ではあるが)に落ちてしまうんだから。
    「信じる者は救われる」=「信じない者は救わないもんね」

     西洋、特にキリスト教圏の国々の人たちはまた違った見方をするんだろうな。
     イスラム教圏の国々では「悪魔の書」と言われているらしい。
     なにしろマホメット(ムハンマド)を地獄に落として真っ二つにしちゃってるんだから。

     翻訳、および解説を書いておられる平川氏の「ダンテは良心的な詩人か」も良かった。
     この解説は西洋人には書けないものかも知れない。

  • 「人生の道半ばで
    正道を踏みはずした私が
    目を覚ましたときは暗い森にいた」
    ずばり核心に切り込んだ見事な書き出しに思わず唸ります。

    物語の設定は1300年春、復活祭。35歳のダンテは峻厳な森の中で迷い果て、行く手を野獣に阻まれていたところを、詩人ウエルギリウス(亡者)に救われます。ダンテは、敬愛してやまないウエルギリウスを前にしばし呆然とし、彼に導かれるまま生き身で地獄、煉獄(れんごく)の遍歴をはじめることになります。

    ようこそ「地獄」へお越しくださいました。
    この本の冒頭には、ミケランジェロの「最後の審判」の一部がカラーで紹介されています。地獄に落とされた人々の阿鼻叫喚が今にも聞こえてきそうな迫力です。アケロン川(三途の川)の渡し守カロンが櫂を振りかざして罪人を追い立てている恐ろしい形相も描かれています。
    また、ボッティチェリの描いたダンテの地獄の見取り図も紹介されています。ダンテは、後のルネサンスを開花させた先駆者でもあるのですよね。

    それにしても、ダンテの思い描く地獄は想像を絶しています。
    ボッティチェリの製図によれば、そうですね……大きな漏斗(ろうと)のような形をしています。上部から漏斗の壁を伝うようにぐるぐると螺旋状に降りていく構造になっていて、下に向かうにつれて傾斜もきつく狭くなっていきます。最下層はすべてが凍りつく暗黒の世界。
    そこで、むしゃむしゃと罪人らが喰われています。誰に?

    それでは、地獄のメニューをご紹介します。
    どうやら彼の地では、緻密に分類処遇されているようです。

    地獄の門を通過すると……
    第1のたに (辺獄=リンボ。ラテン語でへりという意味) 洗礼を受けていない者
    第2のたに 肉欲の罪を犯した者
    第3のたに 大食らいの罪を犯した者
    第4のたに 金を溜め込んだ者、費消しすぎた者
    第5のたに 怒り狂った者
    第6のたに 異端の者
    第7のたに 暴力を振るった者    
          そのうち第1円 他人に対して
              第2円 自分に対して
              第3円 神と自然に対して
    第8のたに 欺瞞を働いた者
    第9のたに 裏切りを働いた者    
          そのうち第1円 肉親を裏切った者
              第2円 祖国を裏切った者
              第3円 客人を裏切った者
              第4円 恩人を裏切った者
    最下層 凍てつく暗黒世界に悪魔大王

    父のように厳しくも優しく見守りながらダンテを導いていく屈指の賢人は、古代ローマ最大の詩人ウェルギリウス。彼は地獄の中でも辺獄(リンボ)という場所にいます。
    なぜ彼のような賢人が地獄にいるのでしょう? 
    キリスト神学において、リンボは死後永遠の罰を受けませんが、しかし救済もされない霊魂が住む場所のようで、ダンテは、そこで、ソクラテス、プラトン、アリストテレス、ホメロス、ホラティウス……といったそうそうたる歴史上の賢人らに出会うことになります。

    師匠ウエルギリウス曰く。
    「彼らは罪を犯したのはではない。徳のある人かもしれぬ。
    だがそれでは不足なのだ。洗礼を受けていないからだ。
    洗礼はおまえが信じている信仰に入る門だ。
    キリスト教以前の人として、
    崇めるべき神を崇めなかったのだが、
    じつは私もそのひとりだ。
    こうした落ち度のために、他に罪はないのだが、
    私たちは破滅した。ただこのために憂き目にあい、
    (天に昇る)見込みはないが、その願いは持って、いきている」

    なんとも切ない師匠の吐露。リンボにいる賢者たちの多くは、キリスト教誕生以前の人々で、その信仰に触れる機会はなく、洗礼を受けたくてもそれがかなわないまま冥界の人となったのです。
    そんな罪のない彼らの魂が、なぜ永劫に救われない? 
    敬虔なキリスト教徒であった作者ダンテの悩みは、以後の「天国編」で、大鷲をして切々と語られることになります。ダンテは、この「地獄編」で絶妙な伏線を張ったものと思われます。

    賢人は、おののくダンテを道連れに峻厳な地獄を旅していきます。歴史上有名な人物も、そうではない人々も、悪魔のみならず、ギリシャ神話の中の怪物やらヨハネ黙示録の中の奇獣のようなものも? とにかく沢山出てきます。しかもどれも度し難いほど自己主張の激しい強烈な個性の持ち主。驚愕しながら目の前の在り様を見聞きしていくダンテ。淡々と描かれた様々な罪と責め苦は圧巻です。
    糞尿の海に漬けられ溺れる人、雨のように降り注ぐ火の玉に焼かれる人、煮えたぎるセキレイ(タール)の池に落とされた人……熱地獄から逃れようとひとたび浮き上がれば、たちまち悪魔が面白可笑しく鋭い鍵で釣り上げて喰ってしまいます。無数の大蛇に咬まれ締められる人、上下逆さまに、まるで杭のように差し込まれ、地上に出た足を焼かれている人……

    ですが、そんな凄惨な場景にもユーモラスなやり取りはあって、悲劇と喜劇は表裏一体。「神曲」のオリジナルタイトルが「喜劇」というだけあり、憐れな人間存在の哀しみと可笑しさが絶妙にミックスされた仕上がりになっています。

    ダンテの「神曲」は、キリスト神学とギリシャ・ローマ文学の知識が少々必要でして、決して易しい本ではないと思うのですが、平川氏の訳と訳注が秀逸なので、あまり細かいことにこだわらなければ、どんどん読み進めていけると思います。宗教教義やダンテの恨み節はさておき、とにかくこの冒険がわくわくして単純に面白いとしか言いようがないのです!

    手に汗握りながら、主人公ダンテとウエルギリウスが塗炭の苦しみを抜け出すと、思わず「あぁぁ~~~」とホッと一息ついてにんまりするのは、多分私だけではないと思います。でもでもダンテには、次なる煉獄の峻険な峰々と試練が待ちかまえているのです……わくわく笑

  • ご存知でしたか?
    これは詩なんです。

    一応ダンテが実体験したことになっていますが、生きたまま地獄を巡るわけです。
    当時はキリスト教が法王派と教皇派に分かれて争い、法王派であったダンテは政争に敗れて追放されていました。
    そんな失意のダンテの前に、古代ローマの詩人ウェルギリウスが現われ、神が創りたもうたこの世界を見て、この世の人たちに正しく伝えるように言うのです。
    で、まず地獄から。

    文字を読める人が少なかった中世の頃、夜、薄暗いろうそくの明かりの下で武器や農具の手入れ、織物などの手作業をしながら誰かに読んでもらって聞く地獄の様子は、それはそれは恐ろしく感じられたと思います。
    死ぬほど地獄に行きたくない→神様の教えに従って、善い人生(正しい人生)を送らなければならないと思うのは、自然な流れでしょう。
    そういう意図をもって書かれたのが、この神曲。
    だから地獄の住人たちは歴史的に有名な悪人だったり、個人的にダンテが気にくわないヤツだったりとかなり恣意的。

    もちろんキリスト教ができる以前にお亡くなりになった人は天国へ行けません。
    でも、地獄にはいますけれども罰は受けていません。善い人は。
    天国へ行くための第一歩は善い人であることではなく、洗礼を受けることなのです。

    小難しい理屈もありますが、詩なのでテンポがいいです。
    そしてダンテは、庶民に受け入れられやすいようにラテン語ではなくトスカーナ地方の方言で書いたそうなので、余計に耳から入りやすかったのではないかと思います。

    “ゲルマン人のゲーテの『ファウスト』と異なって、ラテンの人ダンテの『神曲』は非常に緻密に構成された芸術作品で前後照応する場合が多く、それが精読の興味にたえる理由の一つともなっている。”(訳者あとがき)
    ゲーテ、ディスられてる。

    目に浮かぶような描写で地獄の様子を、罰を受けている人々の様子を、延々と語ります。
    キリスト教の教義では魂は不滅です。
    生まれ変わることもありません。
    だから永久に罰を受け続けなければならないのです。
    反省したから許されるとか、水に流すなんてことは一切ないのです。

    泣いて罪を悔いても、一度やっちゃったことは取り返しがつきません。
    最後の審判の日まで、地獄に落ちた亡者は苦しみ続けます。(地獄に落ちちゃった人が最後の審判の日に救われるとは思えないのですが、そこのところはどうなんでしょう。とても気になります)
    この容赦のなさが、私には何より恐ろしかったです。
    「罪を犯したことのない人だけが罪びとに石を投げてよい」とイエスは言ったのじゃないの?
    なぜ許さん?

    一章ごとに一編の詩。
    詩の前にまず内容が書いてあって、全体像を念頭に置きながら詩を読み進めます。
    その後には詳しい訳注。
    何行目の○○について、一編につき20~30ほどの注。
    それが34章。
    あちらを読んだりこちらを確認したりと、思いのほか時間のかかる読書でした。

    ダンテが付けたタイトルは『喜劇』
    後の人たちはこれを『神聖喜劇』と呼びました。
    日本語タイトルの『神曲』は、森鷗外がつけたらしいです。
    キリスト教にほぼ初めて触れたであろう明治の文人たちは、この作品のどこに心を打たれたのでしょう。
    作品の文学的な部分なのか、信教の厳しさなのか。

    私はこの本を読んで、どうせ落ちるなら仏教の地獄に落ちたいものだと思いました。
    とりあえず蜘蛛には親切にしておきます。
    そして、糸が切れそうになっても皆を励ましながら、心をひとつにして極楽をめざそうと思います。←お釈迦さま、その際はよろしくお願いします

  • 実際を率直に言えば、これは「詩人が神の名を盾として用意した、私憤を晴らす為の公開処刑の場」である。
    そこで筆者の人格や教典の真理を云々するのは、それぞれの筋に任せれば良いのであって、「これらの天才が気狂いじみていたとも考えられないことはない。彼等を手離しで感心して好きになるためには、こちらも少し狂う必要がある。いずれにしろ、批判的であるよりは僕のように熱中した方がましだ」と云うGoghの言葉に従うのが、詩篇そのものを愉しむには一番の姿勢と思われる。
    私自身は、西洋絵画の更なる堪能の為、屡々題材に採られる処を元の形:文学にて体験しておく、という立場で進めた。確かに、剰りに自己へ都合良しな設定の中を、時に媚態さえ呈しながら先達に依存しきって巡る詩人の姿は、全き人格者のものとは言えないかも知れない。けれどそれを臆面もなく晒しつつ、既に七世紀もを人類規模でウケ続けてしまっている辺り、とても子供らしく天真爛漫と、或いはそれこそは天に近き魂のあり様のようにも思える。
    そのような詩人と、父母の両性兼ねた大詩人と共に往く、地獄の旅路。雄大なる想像力、緻密な構成力、屈強なる筆力、(私憤にも又燃えるのだろう)情熱と志とで絢爛に組み上げられた、それは詩人最大の建築物を訪ねるかの如き道程だった。もし、科学と技術との発達で心の視力は逆に衰退したのだとすれば、その渦中を眼前にまざまざと想い描いて慄くこと難しい現代に在るのは、至極残念なことに違いない。

  • ダンテの代表作を3分冊にしたものの1冊目、地獄篇です。3冊まとめて購入してその厚さに驚き、げんなりしたものですが、実際に開いてみると意外と楽に読み進めることができました。
    この詩の主人公にして語り手であるダンテ(作者であるダンテが旅をしているという設定なのでしょう)が地獄、煉獄、天国の三界を廻るというあらすじはとても有名ですが、主人公と語り手が同一であるという設定はこの時代には例がない、という平川氏の指摘にはいささか驚きました。こうした物語手法は現代ではそれほど珍しくないと思いますが(さすがに作者を主人公と語り手に据えるというのは現代でも珍しい部類に入るでしょうが)、もしそれが当時斬新な手法だったとすると、あえてダンテが3つのの視点を重ねたその意図はどこにあるか。私は、理由は詩の内容にあるのだと思います。
    地獄篇では過酷な罰を受ける人物が数多登場しますが、そのほとんどが実在の人物で、ダンテの政敵であったり教皇であったりするという、なんとも狭い世界だけで物語が進んでいる感があります。世間では「世界的な傑作」という高評価が当たり前の本書も、こと地獄篇に描かれた彼らの姿からはとてもそうは思えませんでした。言ってしまえば、政争に加担して敗れたダンテが、作中の地獄に仮託して政敵たちを懲らしめているだけの話です。こんなばかばかしい話をキリスト教神学の仮面をかぶせて大仰に描き切った本書は、まさに喜劇だとしか思えません。この詩の題名に「Commedia」とだけ題したダンテ自身も、もしかしたらそう考えていたのかもしれません。しかし、もちろんこれは世代と地域とを隔てた私の感想であって、同時代・同地域の人々には、「実在するダンテがやはり実在する政治家の地獄に落とされる姿を見て回る」というこの詩に触れたときどう感じたでしょうか。そう考えるとき、私はダンテという人に底知れぬ恐ろしさすら感じてしまいます。
    とはいえ、物語という視点からこの詩をみるとやはり面白いのも事実です。展開の進め方も巧みだと思いますし、読者にその情景を想像させ、また作品世界に引き込ませる力は圧倒的ですらあります。生々しい地獄の描写などは、我が国の往生要集や日本霊異記にも劣らないでしょう。日本語訳も全く気になららず、とても読みやすいものに感じられました。平川氏による解説「ダンテは良心的な詩人か」も収められており、本編後にこれを読ませるとは見事、の一言に尽きます。平川祐弘訳。

    (2009年7月入手・2010年9月読了)

  • 時代が時代だけに生まれた名作だ。テーマは時代に強く影響しているが、それを綺麗に表現することにダンテは注力を注いだのではないかと思う。
    まるで、大聖堂のような装飾が華美が施されるような文体である。

    まだ地獄編ということで、泥臭い表現が多いが、これが天国編になると、どこまで煌びやかになるのかと期待するばかりである。

  • 訳注はあっても読み手に(西洋圏の文化と詩の)知識・教養が無いと辛い一冊。さらに、ダンテの畏れと蔑みのスイッチが目まぐるしく切り替わるため(それがちょっと面白くもあるのだけれど)、混乱は深まるばかり。他の方のレビューを見るとこれでも読み易くされているようなので(なんと!)……………出直して来ます。

  • 自分の教養の浅さでは読み進めるのはなかなか難しかったですわ。進めば進むほど凄惨地獄が展開されて、同時代人へのダンテのdisりがそこかしこにちりばめられて苦笑。現代日本人特に政治家を題材にすると面白いのでは。

  • そうした声は枝の茂みに隠れた者が
    発していると私が思ったと
    先生が思ったと私はいま思っている。

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著者プロフィール

1265年、フィレンツェ生まれ。西洋文学最大の詩人。政治活動に深くかかわり、1302年、政変に巻き込まれ祖国より永久追放され、以後、放浪の生活を送る。その間に、不滅の大古典『神曲』を完成。1321年没。著書に、『新生』『俗語論』『饗宴』 『帝政論』他。

「2018年 『神曲 地獄篇 第1歌~第17歌』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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