批評と臨床 (河出文庫 ト 6-10)

  • 河出書房新社
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レビュー : 11
  • Amazon.co.jp ・本 (324ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309463339

作品紹介・あらすじ

文学とは錯乱/一つの健康の企てであり、その役割は来たるべき民衆=人民を創造することなのだ。文学=書くことを主題に、ロレンス、ホイットマン、メルヴィル、カント、ニーチェなどをめぐりつつ「神の裁き」から生を解き放つ極限の思考。ドゥルーズの到達点をしめす生前最後の著書にして不滅の名著。

感想・レビュー・書評

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  • 明晰で分かりやすい文章を書くことは確かに物事を簡潔に把握したいと思う者達にとっては重要な指針であるかもしれない。しかしながら、哲学用語にはエクリチュールという概念がある。書くこと、書き方、文体といった意味であるが、簡単に言ってしまえば言葉の上に色彩と音響の効果を施すことである。そしてエクリチュールの実践、それは内在面における一つの生を肯定する。例えば、母国語を外国語に見立てて文章を書くこと。そうして否定的な「症例」は肯定的な「力」に変えられる。
    文中にはニーチェやルイス・キャロル、カントやメルヴィルなど、文学を学ぶ上で欠かせない先人達からの引用が散りばめられており、非常に参考になった。文脈を逸脱しては新しい文学の創造など不可能であるからだ。

  • 総括して、まだまだ理解が及んでいない。全体像を理解してからまた読むことの必要性を感じている。しかし所々で自分にはなかった文学の見方、或いはそもそも世界に対する認識の視点を得ることができたと感じている。

    中でもお気に入りは「l prefer not to」というそれ。この文章によって全てが曖昧になる様。この言葉を吐く人物の心情や世界への視座というものは、驚くべきものであった。

    「拒否しないが、受け入れもせず、彼は前に進み、この全身の動きの中で後退するのであり、言葉のかすかな後退の中でわずかに身をさらすのだ」

    すべてをその決まり文句のうちに閉じ込めてしまうことで、前進=彼がその決まり文句を使うたびに、彼は段々と後退=何もできなくなる。この前進と後退の関係に面白みを覚えた。

  • とても読めません。

  • 哲学

  • 文庫化。

  • 大きな前提をふまえて書かれている留保であったり拡張であったり別の可能性を提示する内容。なので、その前提への理解がないと正確なニュアンスを感じるのは難しい。が、その目指そうとする感じは難しいけど耳を傾けてしまう不思議な魅力がある。徐々に機会を見つけて読んでいきたい人かな。

  • [ 内容 ]
    文学とは錯乱/一つの健康の企てであり、その役割は来たるべき民衆=人民を創造することなのだ。
    文学=書くことを主題に、ロレンス、ホイットマン、メルヴィル、カント、ニーチェなどをめぐりつつ「神の裁き」から生を解き放つ極限の思考。
    ドゥルーズの到達点をしめす生前最後の著書にして不滅の名著。

    [ 目次 ]
    文学と生
    ルイス・ウルフソン、あるいは手法
    ルイス・キャロル
    最も偉大なるアイルランド映画―ベケットの『フィルム』
    カント哲学を要約してくれる四つの詩的表現について
    ニーチェと聖パウロ、ロレンスとパトモスのヨハネ
    マゾッホを再び紹介する
    ホイットマン
    子供たちが語っていること
    バートルビー、または決まり文句〔ほか〕

    [ 問題提起 ]


    [ 結論 ]


    [ コメント ]


    [ 読了した日 ]

  • 哲学者たちはしばしば物事の本質を捉え、そこに隠された前提を見抜き、それらを論理的にかつクリアに論述する能力を有すると主張し、時にはそのような能力が自らの学問領野の専売特許であるかのようにさえ振る舞う。しかしこのドゥルーズの文学エッセーのエクリチュールは論理的かもしれないけれど少なくとも私の眼には解説がほしいほどの晦冥な箇所をけっこう含んでいる。無論、難解さ、晦冥さそれ自体は全く咎ではないし、ドゥルーズを批判する気は毛頭ない。むしろ内容はとても魅力的だと思う。ただ解説が欲しいと書いたことと矛盾するかもしれないが、哲学者の文学についての言葉を平明に語り直しただけで論としての結構を整えたような言説には疑問を覚える。批評の晦渋さによって原典解釈に捧げるべき時間と労力が奪われたならば本末転倒だと思うから。哲学者、哲学史家ドゥルーズの他の学際的著作に挑む前に自戒として。

  • 2010/9/14ジュンク堂で購入

    もはや愛さず、身を捧げず、取ることもしない。そのようにして自分自身の個人的な部分を救うのだ。というのも愛は個人的な部分ではなく、それは個人の魂ではないからだ。それはむしろ個人の魂を一つの自我にしてしまうものだ。ところが、自我というのは、与えるべき、あるいは取るべき何かであり、愛したがったり、愛されたがったりするのだが、寓意であり、イメージであり、主体であって、真の関係性ではない。自我は関係ではなく、反映である、主体を作り出す微かな光、瞳に輝く勝利の光である。

  • 文庫で再読。
    改めてドゥルーズでさえラブクラフトを読んでいたのだなあと。数少ない哲学をした人の一人。

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著者プロフィール

1925-95年。フランスの哲学者。1970年よりパリ第8大学教授。60年代以降の言語論的な転回、ポスト構造主義の思想的文脈のなかで思索を重ね、主著『差異と反復』(1968年)などを世に問う。また、ガタリとの共著『アンチ・オイディプス』(1972年)、『千のプラトー』(1980年)は、精神分析やマルクス主義の概念を援用した資本主義社会論として、大きな影響を与えた。

「2018年 『基礎づけるとは何か』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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