オン・ザ・ロード (河出文庫 ケ 1-3)

  • 河出書房新社
3.69
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  • Amazon.co.jp ・本 (524ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309463346

作品紹介・あらすじ

若い作家サルとその親友ディーンは、自由を求めて広大なアメリカ大陸を疾駆する。順応の50年代から叛逆の60年代へ、カウンターカルチャー花開く時代の幕開けを告げ、後のあらゆる文化に決定的な影響を与えた伝説の書。バロウズやギンズバーグ等実在モデルでも話題を呼び、ボブ・ディランに「ぼくの人生を変えた本」と言わしめた青春のバイブル『路上』が半世紀ぶりの新訳で甦る。

感想・レビュー・書評

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  • 【「また始めるの?」ぼくは声をはりあげた。
    「また始めるんだ。自分の生活に戻らなきゃならねえし。いっしょにいたいんだけどな。帰ってこいって祈っててくれ」ぼくは腹の痛いところをつかんで唸った。もう一回見上げると、力強い堂々としたディーンがいつもの壊れたトランクを持って見下ろしていた。】(p484)
     ディーンの哀しさというか存在がよくわかる。彼だけが変わることができなかった、と思う。確か、ずっと、旅人でいたい大人だった。旅をして、見知らぬ女と恋をしたり、アメリカ中につてがあったりして、自由とはこういうことだと味わい続ける。その日暮らしが永遠に続く。その日暮らしの「今」がいつまでも続いていく。今がずっと続けばいいのに、ではなく、ずっと今だったらいいのに、だろう。その、時間の残酷さ、苦しみをディーンは体現していて、それをサル・パラダイスが観察している。ディーンのモデルであるニール・キャサディがどのような人物かはわからないが、読んでいるとなんとなくつかめてくる。事務仕事のできなさそうな人、その気になれば手に職をつけることができるのに、いつまでも手に職をつけない人。夏目漱石の「それから」の代助は「焦る焦る」「ああ動く。世の中が動く」と言っていたように思うが、ニール・キャサディには「家」たるものはなく、また広大な国土と自動車という移動手段があるおかげで、「代助」でありつづけた。でも、高等遊民ではなく、酒におぼれる遊民である。

     ニートのころ、ネトゲと読書で、ずっと時間が経つのをまっていた。何かが来るのを待っていた。それがどういうものかはわからないけれども、「死」だったように思う。大事な人間が死ぬこと、もしくは別れること、絶縁すること、など。自分がいつまでも変わらないでいられるということは、まわりがいつまでも変わらないということだろう。もし、自分を変えたければ、まわりが何かしら死に絶えるか離れてさよならするしかないのだろう。

     ならば、アメリカという国土はディーンにとっては引きこもりの部屋のようにあまりに狭く、自分を変えるために何かにサヨナラすることができなかった。誰も彼に、彼のまわりと別れる方法を教えなかったし、彼自身も知りたくなかっただろう。

  • 生きることに貪欲であり続ける姿が何故これ程に寂しく感じるのか、、
    ふと知りもしないデンバーやメキシコシティの路地裏をネットで覗きながらディーンを探したり、サルと同世代の頃によく聞いたジャニスを聴いてみる。(ちょっと時代は違うのだけど)

  • 最高な表現と剽軽な若者たち。
    以下よかった表現。

    まるでアメリカが裸身を洗っているような、ムッと鼻をつくきつい匂いがした

    とうもろこしの匂いが夜露のように溢れていた

    ありとあらゆる寂しい音を聞きながら割れ目の走った高い天井

    疲れ切った朝の甘美さの中でセックスをした

  • 現状から逃げてしまいたいと思うとき、衝動的にページを開きたくなる本。それで何かが解決するわけでも、即効性のある解決策が載っているわけでも、ないのだけれど、自由に触れたいと思うとき本棚にこの本があって助かったと思うことが何度もあったように思う。大好きです、メキシコの夜の描写がとくにすき。

  • 内容はすみません、正直あまり覚えてないですが…学生の頃の夏休みに戻ったような、そんな感覚になりました。(こんな体験はしてませんけど!)
    読んでいてふと思ったのは、自分アメリカの地理知らなすぎ。
    シカゴとニューオーリンズてあんなに離れてんの?!とか、ミシシッピ川長っ、とかサンフランシスコの隣にはユタ州の砂漠があるぽいとか…
    とにかくアメリカに行ってみたくはなる本でした。

  • ジャズの即興演奏のように、走り続ける話。
    衰えを感じる瞬間もある。

    家庭はない。
    コミュニティはあるような。
    でもアソシエーションじゃない。

    時代精神のモニュメント。
    今との距離を測り合うために読む。

  • 読むタイミングが遅すぎた。
    もし30年前、アメリカ横断の旅に出る前に読んでいたら、自分にとって不滅の青春の書になっていただろう。

    人生なんと言っても今が大事。
    その今を疾走する。
    目的も何もない。
    疾走する。おしゃべりする。誰かに会いに行く。
    留まることは拘束されること。

    この眩しすぎる自由が、今ひとつ自分の心に響かない。

    読むタイミングだけではない、今の生活を長く続けてきた弊害の一つかもしれない。

  • 止まれない若者たちがヒッチハイクやマイカーでアメリカ大陸を横断する。

    ジャックケアルックが2週間で書き上げたという疾走感溢れるノンフィクション。

    彼らの旅が表面的で中身がないという批判もあるが、味わい尽くす旅でなく、生き急ぐだけの旅というのも確かに時代をリードした文学としての風格がある。ディーンの口癖、いいね、いいね、いいねが頭から離れない。

  • 本書は60年代に広く読まれ、主に当時の若者世代に神聖視され別格の文学的評価を与えられています。邦訳出版元でもある河出書房新社刊『世界文学全集』の第1回配本にも選ばれているほどです。本書はそのシリーズの文庫版で新訳です。
    カウンターカルチャー自体が時代の徒花的に理解される向きもありますが、アメリカは自由主義の国であるが保守主義もまた強く根付いています。50年代にはまだ徹底した人種差別社会で、女性は経済的に独立しておらず、離婚率は極めて低い水準で、創作物からは道徳や宗教を軽視する内容が徹底的に除外されていたました。そうした時代にあって、ニューヨークを飛び出してデンヴァー、サンフランシスコ、メキシコへと縦横無尽にヒッチハイクで移動する若者たちの放浪生活を肯定的に描いた本作は恭順の50年代から反逆の60年代をブリッジする作品と言えます。登場する人物はいずれも若く、未熟で、新しい物好き。彼らの動物的な美的感覚が会話の中で示されて行きます。スピードや移動、スリルや快楽と言うものは肯定され、とどまることや定住する事、規律や法律は否定的に描かれます。また、無機質な道路の旅の随所にハッとするような美しい表現が挿入されます。それはかつて大陸の移動を阻んだ、広大なアメリカ大陸がもはや道路と自動車で制圧された事実と、人間を威圧する大自然が若者の感傷の領域に収まる矮小な存在と化したことを表しています(例えば、スタインベックの『怒りの葡萄』における大陸横断は死と苦痛に彩られた過酷なものでした。アメリカ全土が高速道路でくまなく連結されるのはアイゼンハワー大統領の時代を待たなければなりません)。
    登場人物のサル・パラダイスはケルアック自身をモデルにしたとされますが、ドラッグに耽り、ジャズに酩酊し、セックスを愉しむ外交的なサルに対し実際のケルアックはひどく内向的でした。ケルアックは生涯そのギャップに苦しむこととなり、晩年はほとんど家の中に閉じこもるものであったと言われています。『路上』は1951年にわずか三週間で書き上げられたとされています。ケルアックにとっては『田舎者と都会』に次ぐ第2作目の長編小説でした。しかし処女作を出版したハーコート・ブレイス社が出版に難色を示しました。当時の編集者はケルアックに向かって「この作品はドストエフスキーに匹敵する名作だが、今この作品を世に出せる自信が全くない」と言って拒否したとされています。以降6年間『路上』は日の目を見ず、また初稿はタイプライターの長大なスクロールであったことから、出版に際してリライトを命じられ、再構成された原稿も今度は登場人物が実在の人物であること理由にリライトを命じられました。疾走感のある内容とは裏腹に、幾度ものリライトで構想から数えると10年以上の月日を刊行までに要してしまいました。この時の経験からケルアックは晩年まで原稿のリライトを嫌い、初稿こそが完成形で他者の意見はおろか自らでも手を加えてはならないと考えていたとされています。
    1957年にヴァイキング社での出版がかないますが、上梓に際してはケルアックの友人で詩人のアレン・ギンズバーグ(彼もまたこの小説の登場人物のモデルの一人です)の売り込みが功を奏し『ニューヨーク・タイムズ』紙で「これがビートジェネレーションだ」と言う刺激的な見出しで紹介されて絶賛されました。これによりケルアックは一躍有名作家になりました。
    『路上』はビートジェネレーションによって書かれた小説群の中でも最高傑作とみなされています。ビートジェネレーションとは戦後アメリカの様々な価値観や信念に特別な意味を与えて肯定する役割を担いました。しかしケルアック自身が回想するようにこの本が出版された時点でオリジナルの意味でのビートは消失していました。しかし彼が打ち上げたビートの思想はElvis Presleyなどのrock 'n' rollやJames Deanなどの映画に引き継がれていきました。ける悪が最初に用いた頃の人には貧乏な落ちぶれた打ちのめされた浮浪者と言う意味が込められていましたが路上が出版された時点では地下鉄で寝たりしなくても新しい身振りや態度を取る人もこの言葉を用いました。そしてビートはいわばアメリカの風俗に起こった革命で、精神的な新しい多数派として振る舞うようになります。

  • 凄まじい重量感。

    物語に大きな起伏があるわけでなく、ただの紀行文とも言える作品だが、その言葉選びのセンスと全編を包む疾走感が読後の満足感を引き立てる。

    どうしようか。今日はどこかに行こうかな。そう思える不思議な小説。

    映画、音楽共にビート文学から影響を受けた作品が大大好きなので読めて嬉しい。

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著者プロフィール

1922年マサチューセッツ生まれ。大学中退後、アメリカ大陸を縦横無尽に車で移動する旅を始める。著書に不滅の青春のバイブル『オン・ザ・ロード』や、『地下街の人びと』など。

「2013年 『トリステッサ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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