ピエール・リヴィエール---殺人・狂気・エクリチュール (河出文庫)

  • 河出書房新社
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レビュー : 14
  • Amazon.co.jp ・本 (502ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309463391

作品紹介・あらすじ

犯罪と精神医学との関係をめぐる研究の過程で、十九世紀フランスの小さな農村に住む一人の青年が母、妹、弟を殺害した事件に出会ったフーコーらは、この殺人犯が残した手記の美しさに驚嘆し、手記を含む訴訟資料の一式および事件に関する論考を一冊にまとめた。フーコーにおける権力と知の分析にとっての記念碑的労作であると同時に希有の強度にみちた名著を、最新の研究成果をふまえて新訳。

感想・レビュー・書評

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  • 19世紀のフランスで起きた殺人事件の資料と、それについての論考。実の母、妹、弟の3人を殺したピエールは、狂人なのかそうじゃないのか。様々な証言や、ピエール自身が残した手記を巡り、様々な考察がなされる。

  • ピエール・リヴィエール---殺人・狂気・エクリチュール。ミシェル・フーコー先生の著書。19世紀のフランスで発生した親族間の殺人事件の研究成果をまとめた一冊。現代日本は個人主義や利己主義が新党しているけれど、その一方で少子高齢化で家族間の過干渉や親離れ、子離れができない家庭も増えています。そうすると親族間トラブルや親族間事件もどんどん増えていきそうに思います。

  • 少年ピエール・リヴィエールが自分の母親と弟と妹を殺した事件に関わる全資料(調書、新聞記事、裁判記録、リヴィエールによる手記等)と、フーコーを中心としたゼミの人たちによるコメントの記録。

    リヴィエールは、妄想を見ているような発言をしたり、実際に狂気的犯行に及んでしまう等の狂気的側面を持っているが、同時にその過程を手記として書き記したり、幼いころから読書に没頭することがあったりと理性的側面も持っている。このことが彼に対するさまざまな判断や解釈にゆらぎを与え、その判断に対する解釈に対する解釈も複数可能になっていると言える。それがこのリヴィエールに関する事件と、それについての多様な言説の面白さである。

    中心的な事柄を時間系列で並べると以下のようになる。
    1835年6月3日、事件発生
    同年7月5日、ピエール逮捕
    同年7月9日、最初の尋問:この尋問の中でピエールは、神の命を受けた者とそうした役を演じる者の二者の人格を使い分けている。また、このときに手記を書き提出することを約束する。
    同年7月10日、手記を書き始める。
    同年10月18日、提出された手記をもとに二度目の尋問。
    同年7月21日、手記を書き終える。また、ブシャール博士による診断がある。彼に疾患は認められないという内容。
    同年10月25日、ヴァステル博士による診断。幼いころから狂気にあるという内容。
    同年11月11日、死刑判決
    同年11月15日、弁護士・聴罪司祭・父親の説得のもとでピエールが上訴に署名したことが報じられる。
    同年11月22日、ピエールが自殺を試みたことが報じられる。
    1836年1月16日、上訴棄却。
    同年2月10日、恩赦受理により、減刑。終身禁錮刑に。
    1840年10月20日、ピエール自殺。

    1.動物、狂人、死(ジャン=ピエール・ペテール、ジャンヌ・ファブレ)
    手記を見る限りピエールは正常であるということ。また、ピエールの行いは暴君に対する正義の執行であり、それは彼を狂人と判断することと同型であるということ。
    2.物語られる殺人(ミシェル・フーコー)
    リヴィエールはこの事件のauteur(作者=犯人)であり、また、この事件があることでこの物語は語られることが可能になった。そのとき、その物語へと働く力は真理・世論・科学の三種類であったということ。



    以下気になった点を二つ。
    1.原文を確認しなければ何とも言えないが、事件当日の様子に関する記述に対して、母と祖母が混同される場合が散見される。それは、目撃証言のなかでピエールが祖母を指して「母」と呼んでいることがあること。手記の中ではそれを「祖母」と認識していること。さらに、最後に取り上げられているチラシの中で、リヴィエールの事件当日の会話の相手が祖母ではなく母とされていること。この取り違いは興味深い。
    2.リヴィエールの父親が、上訴をするようにリヴィエールに訴えていること。リヴィエールは、父親が可愛がっていた弟を殺す理由として、父と自分の関係を完全に切り離すためと言っている。つまり、この犯行の後に父親に愛されてしまってはこの犯行の目的は達成されないはずである。しかし、結局父親は、リヴィエールに対して愛情を見えることになっている。これはリヴィエールにとっては、目的の不達成であり、それゆえ彼を苦しめる原因となっているように思われる。おそらく、彼は父親が自分を恐れていないと知った時、同時に父親は彼を惜しんでいることを知ったのである。しかし彼はもう父親のもとに行くことができず、父親が抱える空白を埋めることができない。さらに、自分が弟を殺したことは結果的に、父親の空白を広げる結果になったのであり、そしてそれは自分の行為が原因となっているのである。それはたぶん、リヴィエールにとってはつらいことだろう。彼が父親のために行った行為が、結果的には父親を苦しめてしまっているのだから。

  • 尊属殺の犯人による自伝。だれもが愚かだと思っていた人間の書いた美しい自伝は、当時発達しつつあった精神医学と従来の司法権力とのあいだに大きな問題を投げかけた。彼に狂気(責任無能力)を認めるか。彼に情状酌量を認めるべきか。

    そして事件から100年以上のち、この自伝執筆を含めた犯行から処罰までの一連の過程に注目して、そこに働く法・医学・政治・社会といった権力関係に注目したのがフーコーとその門下生たちです。リヴィエールはどのように語り、どのように語られたのか。

    自伝それ自体が物語としてもとても面白いですし、それに関する権力をめぐる考察も比較的読みやすいと思います。

  • フーコーの名前によって読み始めましたが、読み進めるほど怪奇小説風味になってくる。史実だということを忘れる。

  • 手記が面白い。

  • 3人の家族を殺したピエール・リヴィエールは、法廷に立たされる。彼の向かうべき場所は障害者隔離施設なのか、監獄なのか、それとも死刑台なのか、そんな岐路に彼はいるはずだった。しかし、実際にその岐路に立たされたのは殺人を犯した彼ではなく彼を裁く司法の人間たちであり、彼を診た医師たちだった。ここにリヴィエールのかけた罠がある。知(精神医学)と権力(司法)が互いに領域の侵犯・拡大を狙う中で、この狂気を帯びた若者はそこに混沌を招き、闘争を巻き起こす。各々の言説がこの狂気に対し異なる見解を示しており、知と権力の交通・対立の総体が描き出される。ここにピエール・リヴィエールの手記の「強度」が証明される。狂気とはいったい何なのか、社会はその狂気をどのように区別し、扱おうとするのか、その(狂気に対する知と権力の)動態を追跡できる。

  • 興味がもてなかった。

  • ミシェル・フーコーだ!ということで。
    ただ、本人は主題となった殺人事件を扱ったゼミナールを開催し、論文を一つ寄稿しただけで、本自体は彼の著書ではない。とはいっても、「狂気」とか、「処罰」とかのテーマを扱っており、複数の人が書いた後半の論考でもフーコーの思想が濃く反映されていたと思う。

    前半は元となった事件の経緯を、犯人の手記も含めて当時の資料で紹介。農夫の青年による母親・兄弟殺し、という犯罪そのものより、司法や民衆がそれらをどう解釈し、どんな意図でどのような処罰を与えようとしたかを後世の学者がこれらの資料から見極めようとしているのが興味深い。

    ピエール・リヴィエールは狂人だったのか、狂人を演じることのできるまともな精神の持ち主だったのか?狂人でなかったとして、かれの行為が情状酌量に値するのか否か?同じ証拠から、異なる解釈が生じるのだが、その解釈に影響を与える要素として、当時の社会情勢、農民に対するステレオタイプ、宗教、性といったものが絡んでくる。この辺が、フーコーや他の思想家(フロイトとか)の論文を読むと、後者の後付けっぽいと感じ得ずにはいられないんだけど、論理が見えてくるとそれはそれで面白い。

    リヴィエールの手記について、「読み書きのレベルが相当低いにもかかわらず理路整然と自分を弁護している」という点を示すのに、原文のまま読むことが重要なはずだけど、訳ではそれが完璧に伝わらないのが惜しい。でも、そういったことを理解したうえで読めばそれほど障壁にはならないと思う。フーコー(自身じゃないけど)の日本語訳を読んだのは初めてだったけど、分かりやすかった。

  • ミシェル・フーコーの著作目録に入ってはいるが、実際にフーコーが書いた文章は、この本のうち、ほんのわずかのページを占めるに過ぎない。
    大半は、19世紀前半のフランスで起きた尊属殺人事件の、訴訟記録等のドキュメント(その中心は、犯人ピエール・リヴィエールの手記)と、フーコーのセミネールに参加した数人がこの事件に関して各自の観点から論じた論文である。フーコーはその論文のひとつと、ごく短い序文を受け持っているだけだ。

    当時のドキュメントを読むのはなかなか面白い。
    判事や、複数の医者がまったく意見を異にし、かみあっていない点や、当時のマスコミもまったく無責任で主観的で、ピンぼけしたような報道しかできていない点などは、当時の世相というか、ディスクールの層を想像できて楽しい。
    だが重要なのは、20歳の農夫で、母と弟と妹をナタで殺害したピエールの手記。これが凄い。
    前半は、母がいかに父を苦しめた悪妻だったかを克明に描いている。実際に読んでいるとこの女、とんでもない悪妻ぶりで、いや、もはや完全に「人でなし」レベルの悪党である。こんな奴は誰から殺されようと文句は言えないだろう、くらいの気がしてくる。
    しかし、この手記前半と後半のあいだには、何やら得体の知れない断絶がある。
    ピエールは「父を救うために」母を殺すことを決意し、英雄的・神がかり的な行為としての殺人を決行するのだ。このへんがどうも狂気っぽくも見えるし、やはり何らかの異常を感じさせる。

    当時の医者のうち、エスキロール(ピネルの後継者)あたりがふりかざしていたらしい「モノマニー」概念が、私には興味深かった。ピエールの「父を救うための殺人」という想念が「モノマニー」として一種の狂気であるならば、私自身、しばしばこの「モノマニー」にとりつかれる人間だからだ(4年前のある事件以来)。
    現在ではこの語は、少なくとも病名としては用いられていないが、なかなか示唆的な概念ではある(あくまで私にとって)。

    それはともかく、ピエール・リヴィエールの手記の部分が希有なノンフィクションとしておもしろい本だった。フーコーの出番は少なかったが、他の論者(セミネールの参加者)の文章も、おもしろいものがいくつかあった。

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著者プロフィール

1926-1984。フランスのポワチエに生まれる。高等師範学校およびソルボンヌ大学で哲学と心理学を専攻。1955年からスウェーデン・ウプサラのフランス学院院長、つづいて1960年まで、ワルシャワ、ハンブルクのフランス学院院長を歴任。クレルモン=フェラン大学、チュニス大学、ヴァンセンヌ実験大学の哲学教授を経て、1970年よりコレージュ・ド・フランス「思考システムの歴史」講座教授。1970年と1978年の二度来日。1970年代後半から80年代にかけて、しばしばアメリカ滞在(特にカリフォルニア大学バークリー校で講義)。1984年6月25日、パリのサルペトリエール病院でエイズにより没。

「2020年 『精神疾患と心理学 新装版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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