なぜ古典を読むのか (河出文庫)

制作 : 須賀 敦子 
  • 河出書房新社
3.75
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本棚登録 : 281
レビュー : 17
  • Amazon.co.jp ・本 (401ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309463728

作品紹介・あらすじ

卓越した文学案内人カルヴィーノによる最高の世界文学ガイド。ホメロス、スタンダール、ディケンズ、トルストイ、ヘミングウェイ、ボルヘス等の古典的名作を斬新な切り口で紹介。須賀敦子の名訳で。

感想・レビュー・書評

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  • 実は、表題作の英訳版を持っていて、ちまちま読んでいました。そこへ「邦訳が文庫に!」という情報で、渡りに船と飛びついた弱虫は私です(笑)。

    イタロ・カルヴィーノによる、古典と呼ばれる文学作品についての書評…というより、解説文をまとめたもの。ラインナップについては、「ヨーロッパの真髄」を自負するイタリアの作家だからこそピックアップされたであろう作品がそこそこあるので、カルヴィーノの語るすべてにキャッチアップできて、かつこれを「面白い」と言える碩学の人間というのは、日本国内ではとても限られてしまうだろう。私はもちろん門外漢の、ただの乱読家であるから論外。しかもラテン語とイタリア語、それらで書かれた詩の基礎知識が必要な部分もままある。訳者・須賀敦子さんの高雅な訳に乗ってしまえば、そこを読み飛ばすことはできるんだけど、そういうものではなくて、この文章は本来、そこがわかっている層のために書かれているんだろうというのが明らか。アウェイ感にいたたまれなければ、最初の20ページ強の表題作だけ読むというのもアリだと思う。平易な言葉で、古典とは何か、それを読むというのはどんなものかというのを、穏やかに押しつけがましくなく教えてくれるような気がする。そこを読み、まだ読みたいと思ったら、丁寧で明晰な訳者あとがきと文庫版解説に飛び、しかるのちに本編に挑む!という攻めかたも有効ではないかと、読んでしまってから思った…って、おせーよ、私。

    ドットーレ・カルヴィーノの圧倒的な博識さと語彙の豊富さに置いていかれつつ、よたよたと読了。カルヴィーノは卓越した作家で、卓越した編集者でもあったという。彼に担当された作家はこのうえなく幸福だったと思うけど、なんだか、鉄壁のゴールキーパーと1対1になったフォワードのように、ものすごい緊張感もあったんではないだろうかと、読みながら何度も思った。

    紹介された作品については、自分が追いつけないものも多いので、上のような漠然とした感想しか思い浮かばないのだけれど、これらの作品が残っているというのは、天災や焚書を免れ続けたり、あふれるように出版される文芸作品に埋もれなかったという、まぐれに近い幸運が重なったことと、これらの作品のよさを後世に伝える人々が続いたことにそのほとんどを負うのだと思う。なんだかそのうちの後者、伝える力の強さを味わったと思った本でした。☆5つつけたいんだけれど…うーん、私の不勉強分を引いて、この☆で。ほんのちょっとだけ、ごめんなさい。

    • Pipo@ひねもす縁側さん
      花鳥風月さん:

      お先に失礼いたします…って、最後のほうは早く終わりたい一心でラッシュをかけました(笑)。
      バルザックの項、面白く読みました...
      花鳥風月さん:

      お先に失礼いたします…って、最後のほうは早く終わりたい一心でラッシュをかけました(笑)。
      バルザックの項、面白く読みました。ほかには、パステルナークとコンラッドの項も気に入っています。

      語彙の豊かさと、評する作品に対する語彙の選択がもう百戦錬磨というかなんというか…これだけ書ければ気持ちいいだろうな、と寝ぼけた感想しか書けない自分と比べてしまいます(涙)。

      途中で力尽きそうになったら、ためらわずに後ろほうに飛んだほうがいいと思います…老婆心ながら。
      2012/06/21
    • usalexさん
      サッカーとカルヴィーノ……
      ゴールキーパー姿が頭に浮かんで、楽しい!
      サッカーとカルヴィーノ……
      ゴールキーパー姿が頭に浮かんで、楽しい!
      2012/07/04
    • Pipo@ひねもす縁側さん
      usalexさん:

      ドリブルから持ち込んでのシュートだったら、勢いで得点を決められるかもしれませんが、PKだったら、どこへ蹴っても止められ...
      usalexさん:

      ドリブルから持ち込んでのシュートだったら、勢いで得点を決められるかもしれませんが、PKだったら、どこへ蹴っても止められそうな気がしますね!
      2012/07/04
  • ここで紹介されている作品や解説は日本人には馴染みが薄いと思う。が、それ自体は問題ではない。
    最新作のレビューではなくなぜ古典なのか、古典というものをどう捕らえるかが問題なのだ。
    たしかに理解しづらくはあるが、カルヴィーノの古典に対する精神に触れられることは、日本においても素晴らしい特権である。
    彼の気質をなぞりながら読書したいと願ってしまう。

    池澤夏樹氏の善きおせっかいなカルヴィーノ擁護論。
    それぞれ別個の古典作品が、読み手の中でつながって、あらたな物語を紡ぐ。
    これぞ、古典多読の醍醐味!
    「なっちゃん、よくぞ言ってくれました!」の拍手喝采である。

  • イタリアの作家イタロ・カルヴィーノが、文学について雑誌などに書いた文章が死後まとめられたもの。須賀敦子が訳している。須賀敦子が訳している小説ではない本を読んでみたかったのが、この本を読んだ理由の一つなのだけど、もともとのイタリア語の文章がそうだったのだろうけど、須賀敦子自身があとがきで書いているように、ごつごつして読みにくい文章も多かった。

    表題作の「なぜ古典を読むのか」に始まり、取り上げられているのは、オデュッセイア、アナバシス、オウィディウス、スタンダール、バルザック、ディケンズ、フロベール、パステルナーク、トルストイ、マーク・トウェイン、ボルヘス、パヴェーゼと多岐に渡る。カルヴィーノの読書量には驚かされる。ものすごい。例えば、プリニウスの「博物誌」について書かれた「天、人間、ゾウ」の章を読むと、カルヴィーノは「博物誌」37巻全部を読んだことがわかる。私は、(プリニウスによると)「人間にもっとも近いのはゾウだからこれを精神的な手本にすればいいという。」などと書かれたこの章をおもしろく感じた。

    その他では、「オウィデウスと普遍的なつながり」の章の「イアソンとメデアの物語は、そのまま『マクベス』に用いられる」という部分、「ホルヘ・ルイス・ボルヘス」の章で、ボルヘスが「私たちにとってもっとも大切なテクスト」であるダンテについてボルヘスが情熱をもって研究しつづけたことに(イタリア人として)感謝を表明したいと述べた部分などが印象に残った。

    「なぜ古典を読むのか」の中で、カルヴィーノは古典を読むいろんな理由を述べているが、私の印象に一番残ったのは次の文章である。

    「古典がなんの役に立つかといえば、私たちがどういう人間たちであるのか、どこまで来ているのかを知るためなので、そのためには[イタリア人にとっては]イタリアの文学を読むことが必要になる。自分たちを外国の人々とくらべてみるために。また、外国人[の著作]が必要なのは、これをイタリア[のもの]と比べるためだ。」

  • これに挙げられている未読を読まねば!

  • 文学
    読書
    本の本

  • なぜ読むのか、と言われてもそもそもなかなか手が伸びにくいものではある。あまりにも膨大で変なところに手をつければ崩れて埋もれてしまうんじゃないかと腰が引けてしまう。

    そんなことはカルヴィーノも分かっている、ただ古典のほうから呼びかけ続けるものだから手をとるより仕方がない。ここで紹介される様々な古典はしたがって、書物のそれぞれの気候と眺望から描かれる。

    彼の「見えない都市」と同じような手触りで、読めるようで読めないが、非常に楽しませてくれる。ぐいぐい手を引っ張りながらそれぞれの書物を訪問させてくれる。

    訳者あとがきで述べられてるようにごつごつとわかりにくいところも多いけれども、また、古典の入門書でもまったくないが、読むことの愉しみがしっかりと詰め込まれている。

    っていうか、訳者が須賀さんなのはわかってたけど、その上に池澤氏まででてきちゃうんだから、はぁ、僕のこの文章はそのうえのお節介なんてことになってしまうじゃないか。

  • 表題作とパルムの僧院が白眉かな。須賀敦子さんの訳者あとがきにじんわりきた。

  • 4/15 読了。

  • 古典、ほとんど読んでいない…
    ホメロス、ディケンズ、ヘミングウェイ、ボルヘスくらいかな。
    でも読みたくなりました。
    最後の池澤夏樹の解説を読んで納得。
    ほんと、それが古典を読む意味ですよね。

  • 『薔薇の名前』でイタリア文学に遭遇し、『冬の夜、ひとりの旅人が』でカルヴィーノに出会った。視覚の帝国としてイタリアを偶像化していた当時の僕も、彼の訥々とした語り口には洗練されたダンディズムを感じ、以来暫くイタリア文学に凝って読書を進めていた時期を思い出す。
    さて、本書はそんなカルヴィーノによる古典文学案内である。まず冒頭の一章、古典の定義を、そのイメージの箱庭を彷徨うように模索しながら次々と提示してゆく鮮やかな筆致に舌を巻く。
    古典という観念に対して躊躇いがちに、それでいて焦燥を匂わせながら続けざまに言葉を紡いでゆくこの仕方、語り方はそのまま彼の古典への、ひいては読書への態度を表明しているようにも思える。

    それに続く各作品への個別的な言及は、内容自体に差こそあれ、導かれるのは一つの全体として作用する、精巧なキネオラマを思わせる相互的な読みである。

    "古典倶楽部"の人間なら読みながら溜飲が下る箇所も多いだろう。また、古典の森の入り口に佇む人間にとっては暗がりを拓く暖かなランプにもなりうる良書である。

    最良の読者は、あらゆる読書を古典として経験する読者なのかもしれない。

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著者プロフィール

1923年キューバ生まれ。両親とともにイタリアに戻り、トリノ大学農学部に入学。43年、反ファシズム運動に参加、パルチザンとなる。47年、その体験を元に長篇『くもの巣の小道』を発表、ネオ・リアリズモ文学の傑作と称される。その前後から雑誌・機関誌に短篇を執筆し、49年短篇集『最後に鴉がやってくる』を刊行。エイナウディ社で編集に携わりつつ作品を発表、一作ごとに主題と方法を変えながら現代イタリア文学の最前線に立ち続ける。主な長篇に『まっぷたつの子爵』(52年)『木のぼり男爵』(57年)『不在の騎士』(59年)『見えない都市』(72年)『冬の夜ひとりの旅人が』(79年)などがある。85年没。

「2018年 『最後に鴉がやってくる』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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