言説の領界 (河出文庫)

  • 河出書房新社
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感想 : 10
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  • Amazon.co.jp ・本 (200ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309464046

感想・レビュー・書評

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  • 本書はミシェル・フーコーによるコレージュ・ド・フランス開講講演(1970年12月2日)を収録したものである。
    フーコーにとっては彼の関心が1960年代の「知の考古学」から1970年代の「権力分析」へ転換の画期となった講演であるという。
    この講演記録はそれほど長くないので割とすぐに読めるのだが、フーコーの説明がちょっと難しいのと切れ目なく次の議論に入って行ったりしているので多少分かりづらい部分もあるのだが、懇切丁寧な解説があるので読者にとって理解しやすいものとなっている。

    人が話す言葉(フーコーは「言説」という)についてフーコーはある仮説を立てる。
    「あらゆる社会において、言説の産出は、いくつかの手続きによって、すなわち、言説の力と危険を払いのけ、言説の偶然的な出来事を統御し、言説の重々しく恐るべき物質性を巧みにかわすことをその役割とするいくつかの手続きによって、管理され、選別され、組織化され、再配分されるのだ」
    つまりわれわれが発する言葉は全く自由に話されているわけではなく、「いくつかの手続きによって、管理され、選別され、組織化され、再配分され」ているということである。
    そして、西洋社会では「排除」「制限」「占有」の三つの手続きが言説の産出を管理しているという。

    「排除」では、言説を禁止する「禁忌」があり、また理性と狂気を区別した上で「狂気」を排除する「分割と廃棄」があり、さらに知への意志に基づき真と偽を分割する「真理への意思」があるという。この中でフーコーは歴史的に形作られ、制度的に支えられ継続し言説に対し圧力を加えている「真理への意志」を最も注目し今後の研究対象になっていく。
    「排除」が外的手続きであるのに対し、内的手続きとしての「制限」では、「注釈」「作者」「研究分野」の原理が言説の産出を抑え矮小化し拘束する機能を果たしているという。
    「注釈」の原理は言説にレヴェルの差を設定し一方を他方の反復とみなし語られる内容の新しさを制御するといい、「作者」の原理は「作者」とそれ以外を設定することで意味や統一性や整合性の起源を問うものとして区別しているという。「研究分野」の原理は先の二者とは対立するもので、他者には開かれているものだがその研究分野の要請には従わない言説は許容されず打ち捨てられるため、やはり言説の産出の限界を定めるものだという。
    「占有」では、語る主体が所持すべき資格、その言説に伴うべき身振りを定める「儀式」のシステム、それから言説の産出を自分たちの秘密として保持したまま行う「言説結社」のシステム、また、語る主体をある種のタイプの言説に従属させ他のタイプの言説を禁じるとともに特定のグループに従属させることで属する人々と他を区別するという「二重の従属化」を行う「教説」のシステム、さらに教育が「占有」を維持し変更を加えるシステムとなっていて、これらが互いに結びつき絡まっているという。

    そしてフーコーは、これら「排除」「制限」「占有」は西洋哲学思考である「創設的主体」や「根源的経験」や「普遍的媒介」を通じ強化してきたのではないかという疑念を表明する。
    現実性における暴力的で非連続的で好戦的で無秩序な言説を恐れを抱き、取り除くために哲学が一定の役割を果たしてきたのではとしている。
    このような言説に対する恐れを、「その条件、その作用、その諸効果に関して」分析することが今後の彼の研究テーマだと彼は宣言するのである。

    この分析における彼の取組みとして次の4つの原則が示されている。
    まず第一は「逆転」の原則で一見ポジティヴに見える役割であっても排除や制限などネガティヴな作用を認めること、第二は「非連続性」の原則で連続的なものの中で沈黙した潜在的言説を非連続的な系列のもとに探すことを禁じること、第三は「種別性」の原則で言説を世界のあらかじめの意味の中に解消せずに自らに固有の規則性を持つ種別的な出来事として扱うこと、第四は「外在性」の原則で言説から内部の隠された核に向かうのではなく言説の外的な可能性の条件に向かうこととする、という4つの原則である。
    そしてこの4つの原則に従うということは、伝統的な思想史とは対立するもので、現代の歴史学と共鳴するものであるとしている。
    「思想史のなかに生じさせようとしているほんのわずかなずれのうちに、すなわち、言説の背後にあるかもしれなぬ表象を扱うのではなく、言説の出来事の規則的で非連続的な系列として扱うことのうちに、小さな(そしておそらく耐え難い)一つの仕掛けのようなものが認められはしまいかと私は考えています。すなわち、偶然性、非連続なもの、物質性を、思考の根底そのものに導入することを可能にする一つの仕掛けのようなものが、そこに認められはしまいか、と。」

    最後にフーコーは今後の分析について二つの総体に従って配置されるという。
    「批判的」総体では逆転の原則に従い、排除、制限、占有といった言説の産出を管理するシステムを分析することとし、とりわけ真理への意思を当面のテーマにするとしている。
    「系譜学的」総体では言説を管理する手続きがどのように形成されたのかを明らかにすることとし、とりわけセクシュアリティや遺伝などにかかわる言説を扱うとしている。
    そしてこの二者は互いに支えあい補うものであるとし、言説の産出というポジティヴな効果と言説に対して及ぼされるネガティヴな作用とを、互いに不可分のものとして明るみにだすことが今後の仕事であるとしている。

    その後の彼の研究成果を辿ればおおむねこの宣言通りになっていると思われ、この講演からは彼の新たな船出に際しての高揚感も感じられる。
    20世紀の世界を代表する偉大なる知の巨人の決意表明を聴けたようでなかなか良かったと思う。
    またフーコーの仕事を読んでみたい。

    • mkt99さん
      いやいや、どうもありがとうございます!(^o^)/
      いやいや、どうもありがとうございます!(^o^)/
      2021/03/07
    • りまのさん
      mkt99さん
      フォローに答えて頂き、ありがとうございます!どうぞよろしくお願いいたします。
      りまの
      mkt99さん
      フォローに答えて頂き、ありがとうございます!どうぞよろしくお願いいたします。
      りまの
      2021/03/08
    • mkt99さん
      りまのさん
      こちらこそフォロー頂きありがとうございます。
      今後ともよろしくお願いいたします!
      りまのさん
      こちらこそフォロー頂きありがとうございます。
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      2021/03/10
  • この本に限っては、上記星三つの評価は本の評価では全くなく、当方の能力を超えていて理解が進まなかったため、5分の3理解できていればいいなあ、という個人の希望的評価。分かる人が読めばおそらく6つ、7つ星なのだろうと思う。コレージュ・ド・フランスの講義だから当然だが、読み手である私の能力不足がこれでもかと明らかになる読書だった。加えてやはり、ダイレクトに日本語にならない語彙が多いように見え、たとえば主題になっているdiscoursと「言説」という日本語から受ける印象と範囲が、個人的には異なっていたりして、文章を多少離れた位置から眺めつつ読み進めたという印象。
    本筋ではないが面白いと思ったのは、「算術は等しさの関係を教えるから、民主的な都市のために役立ちうる。一方で寡頭制においては、不平等の中での釣り合いを明示する幾何学だけが教えられるべきだ」というギリシアの古い原則。なるほど。
    もう一つは、前人未到の外部の空間において真なることを語ること、について。科学の世界で真なることを語っても(ここではメンデルの例が挙がっている)、当時の生物学的言説が従っていたのは、メンデルが従っていた規則ではなかった。メンデルの命題が正しいものとして現れるためには、、生物学において尺度が完全に変化し、対象のまったく新しい見取り図が展開されるようになる必要があった、という点。同時代にまったく新しい概念が理解されるためには、その時代の人びとが持ち、従う旧来の尺度の変化が必要だということだ。
    次元はまったく違うけれど、フーコーの他のディスクールをしっかり理解し、その中に身を置かねば、この本に収められたディスクールもきちんと理解するのは難しい。勉強しよう。

  • 悔しいけど、さっぱり分からんかった……。
    目が文字の上滑りを起こすの久しぶり。

  • フーコーの講義録。言いたいことはなんとなくわかる。印象としてはアドルノを読んだ時に、想起する課題に似ている。アドルノは原理的な話に徹しているので、実際の話しに適応してみせない。今ある権威を、解体的に検討する素地の例示という感じ。具体と抽象の中間的な概念で話しているが、地雷を踏まずに、宗教ドグマの再検討を促すような感じ。具体的な疑問を持つきっかけとしては面白いと思う。

  • 解題と注が親しい。また読む。

  • 学生のときに中村雄二郎訳で読んだが、あいまいな表現に煙に巻かれた読後感が印象に残っている。正直、内容を理解できたとは言えなかった。
    この新訳はずいぶん印象が異なる。明晰でやさしい。以前よくわからなかったことについて腑に落ちたところがいくらかあった。半分近くを占める解説も助けになる。

  • 非常に短い本だが、コレージュ・ド・フランス講義シリーズのしょっぱなに行われた講演の記録らしい。時期は『知の考古学』から権力をめぐる考察へと重心が移っていく時期で、「管理される言説」という、興味深いテーマで話が進められてゆく。
    フーコーによると、少なくとも西欧社会においては、人間たちの<言説>は常に社会によって制限され、抑制されている。こうした権力下の<言説>の背後にあるものは何か。言説結社とか教説のグループという面白い概念を、フーコーは持ってくる。
    その後の「権力」の分析は、あとの著作や講義録で展開されることになる。
    個人的には、社会的に(共同的に)「管理された言説」というこのテーマを、社会的に「管理された音楽」という方向に敷衍して想像してみると、面白そうな気がした。もちろん芸術「作品」とディスクールは違うのだが、少なくとも表徴的には、「芸術作品」もまた、その場その場の「体制」(国家のではなく、諸階級、グループ、派閥等のそれ)によってコントロールされ、選別され、統制されている面もあるように思えるのだ。

  • フーコーが1970年におこなった講義録。『言語表現の秩序』を没後30年を期して40年ぶりに新訳。言説分析から権力分析への転換をつげてフーコーのみならず現代思想の歴史を変えた重要な書。

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著者プロフィール

ミシェル・フーコー(Michel Foucault):1926年フランス・ポワティエ生まれ。高等師範学校で哲学を専攻、ヨーロッパ各国の病院・研究所で精神医学を研究する。1969年よりコレージュ・ド・フランス教授。1984年没。主著に『精神疾患とパーソナリティ』『狂気の歴史』『臨床医学の誕生』『言葉と物』『知の考古学』『監視と処罰』『性の歴史』がある。

「2023年 『ミシェル・フーコー講義集成 2 刑罰の理論と制度』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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