- Amazon.co.jp ・本 (537ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309464176
感想・レビュー・書評
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性と老い、そして不死をキーワードに、現在と遺伝子コピーされたクローンが生きる破滅を迎えた世界を描いた、SFというかディストピアの向こう側のような作品。
セックスから男と女の話、そして文明と広がる話の中で、男と女がそれぞれが求めるものをつきつめると、結局一夫多妻が正解だったのかもしれないと感じ、そして文明が崩壊していく中で、人生に居心地の悪さを感じた人々は、最終的にはイスラム的な共和国の建設を願うようになるの部分は、後のウェルベックのベストセラー「服従」につながるように思った。
むしろ「服従」につながると思わせながらも、設定としては「服従」後の作品といえるようなのが面白い。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
人生の成功者による快楽の追求。その果ての絶望を描いた傑作である。人は誰も老いには勝てない。描写は情け容赦なく、描かれた性への渇望はグロテスクである。主人公のダニエル1の若い女性に対する執着心、特に最後の無様な姿は見苦しく醜悪だが、それは単なる性欲を超えた一人の人間としての絶望の叫びだ。愛と性に対して彼はとにかく誠実で、故に、彼の絶望は痛いほどに理解できる。若者と老人は対等ではない。未来に対する絶対量が違う。性的な意味での需要の無さや性的不能がそのまま人間としての価値に直結し、それはカネではどうにもならない。若さの価値を理解していればいるほどに、この物語は悲しく映る。だからこそある島に可能性を求めたわけだが、性やユーモアから解放されても、ネオヒューマンは幸せとは言えず、ネオヒューマンであるダニエル25の目を通して見た未来は理想郷とはほど遠い。文明を失い、野生や獣性をむき出しにした野人の姿は物悲しく、築き上げた文明が失われてしまった喪失感に苛まれる。また現代と遠い未来のダニエルが両者ともにペットを失うくだりも悲しく、現代では底辺ブルーカラーに、未来では野人にと、下の階層のものに奪われるという符号が中々に皮肉的で、階層の違う人間の断絶を表すのが非常に上手いと思った。人間の問題やシステム的な欠点を取り除いた未来になっても、そこに幸せはなく愛は存在しない。ただ、全てが失われてしまった後の空虚や絶望の中でも、生だけはひっそりと息づいている。
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ウェルベックはすでに何冊か読んでいるが、この作品でようやくウェルベックの愛に対する執着の凄さが分かってきた。思い返してみると、いままで読んだ作品にも愛への執着は十分あったと思うのだが、それよりもペシミスティックさの方ばかりに注意が行っていた。これを読んだ後では作者の印象が少し変わった。単なる先鋭なペシミストではなく、自由主義的な現代の風潮を否定するその態度の根底には、愛こそが唯一求めるべき価値のあるものであるという熱烈な価値観があるのではないか、というふうに思えてきた。ペシミストが愛を熱烈に肯定する。面白いではないか。しかもその愛は、精神面よりも肉体面を強調した愛である。実に挑発的だ。それでいて、現代人の不幸を冷静に分析して得られた妥当な結論という趣もある。さらにそこから未来予想が大胆に展開されるとなれば、興味を掻き立てられないはずがないという感じである。
さて、その未来予想であるが、最後に複雑な気持ちになってしまった。ネオ・ヒューマンの生活は、私からすればほとんど理想である。歓びを代償にしたにしても、せっかくあらゆる社会的束縛と多くの精神的束縛、肉体的束縛からも解放されたのに、それなのに……。けれども一方で、融合・自己消滅への欲求が人類の最も根源的な欲求なのだろうという想いもある。意識を持ってしまったことの宿命なのかもしれない。その欲求を第一にどうにかしないと結局は幸福になれず、人は、そして種は、自ら滅んでいくということなのだろう。それはそれでとても納得できるのである。
結局のところ、どちらも自己消滅への欲求なのであり、束縛からの解放よりも愛への欲求の方が、人間の根源的欲求としてより高次にあるということなのだと思う。ウェルベックの自由や個人主義への批判は、そういう観点から来ているのかもしれない。以下本文より。
「愛は個人の自由や、自立の中には存在しない。あるとすれば虚構である。思いつくかぎり最も見え透いた虚構のひとつだ。愛は、無への、融合への、自己消滅への欲求の中にしかない。」 -
おおまかな主張は理解できたけれど、文章がまどろっこしく難しくて、読むのにぐったり疲れた。
腑に落ちる解釈を求めて、インターネットで感想やら書評やらを調べてみると、性唯説がどうのとか人間のあり方がどうのとか訳知り顏の気持ち悪い感想が並ぶ。
多分世界が違う。その世界を絶対的な真理として押し付けてくる。家族とか子供を愛する気持ちをバカにするような、鬱な自分が大好きな、そんな人達が好んで高く評価するような作品なんだろう。
壮大な舞台を用意して、つまらない主張をする。そんな話だと思う。 -
はじめてのウエルベック。順番としては『素粒子』から読んだほうがいいのかなと思ったけれど、ざっとあらすじ見たときに、こっちのほうがとっつきやすそうな印象だったので。結果、想像していたほど難解ではなかったので500頁越えもそれほど苦じゃなかったし、近未来ディストピア小説としても楽しく読めたので良かった。少なくとも退屈はしなかった。
現在のダニエル1(オリジナル)の手記と、未来のダニエル24→25(ネオ・ヒューマンと呼ばれるクローン)の章が交互に書かれ、その中でダニエル1の葛藤と、なぜそんな未来が訪れたかが読者に解き明かされていく構成。
クローン技術による不死をうたう科学的な新興宗教、老いてなお若い娘とのセックスに対する執着から逃れられない男。無機質なディストピアに生きる未来のダニエルのコピーたちに比べて、あまりにもオリジナルのダニエルは人間くさい哀愁が漂う。
どちらが素敵と言われれば、正直、ダニエルオリジナルのような人生の終わり方はいやだなあと思ってしまう。しかしそれでも、人間は「愛」という抽象的な概念から逃れられないのか。何千年たっても結局人間はプラトンの「饗宴」から進歩しないのだろうな。意外にもわかりやすい希望のあるラストに驚きました。 -
フランス人の作家「ミシェル・ウエルベック」の長篇SF作品『ある島の可能性(原題:La possibilite d'une ile)』を読みました。
「モーリス・ルブラン」、「オーギュスト・ル・ブルトン」、「ジュール・グラッセ」、「ジョルジュ・シムノン」、「レイラ・スリマニ」に続き、フランス作家の作品です。
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辛口コメディアンの「ダニエル」はカルト教団に遺伝子を託す。
二千年後ユーモアや性愛の失われた世界で生き続けるネオ・ヒューマンたち。
現代と未来が交互に語られるSF的長篇。
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2005年(平成17年)に刊行された「ミシェル・ウエルベック」の長篇第3作… 著者自ら「自分の最高傑作」と豪語したSF的な構想に挑戦した作品で、ベストセラーになったようですね。
■第一部 ダニエル24の注釈
■第二部 ダニエル25の注釈
■第三部 最後の注釈、エピローグ
■訳者あとがき
■文庫版訳者あとがき
舞台は今から2千年後の未来、喜びも、恐れも、快楽も失った人類は、ネオ・ヒューマンと呼ばれる永遠に生まれ変われる肉体を得た… 過去への手がかりは祖先たちが残した人生記、、、
ここに一人の男のそれがある… 成功を手にしながら、老いに震え、女たちのなかに仔犬のように身をすくめ、愛を求めつづけた「ダニエル」。
その心の軌跡を、彼の末裔たち… 未来人(ネオ・ヒューマン)の「ダニエル24」、「ダニエル25」は辿り、夢見る、、、
あらたな未来の到来を… 命が解き放たれる日を。
斬新で衝撃的な作品でしたが… 作品の世界観が頭の中に描き切れず、お笑いタレントや映画監督として社会的には成功したものの愛に対して苦悩し続ける「ダニエル」の行動にあまり共感できなかったので、500ページを超えるボリュームは、ちょっと辛かったですね、、、
作品の中で描かれる、肉体的な愛、性行為に対する欲求は、人間の正直な心理なのでしょうが… 卑猥な表現が多かったので抵抗感も大きかったなぁ、「結局のところ、人はひとりで生まれ、ひとりで生き、ひとりで死ぬ」という言葉には納得感がありましたけどね。 -
22.11.12〜12.19
快と不快のバランスがゼツミョーだった。ウエルベックの作品はいつもそうかもしれないけど。
Back2Backな構成だから形式は『素粒子』に似ているけど、この小説は構造として『人生記』があるから、全体的にカッチリしてる印象を受けた。
アイデアとしての人生記の面白さと、書き手であるダニエル1たちが定義する彼の人生の滑稽さと悲しいまでの正直さ。人生記には書かれなかったダニエル1の顛末、ままならなすぎる。
ネオヒューマンは自分自身のことが分かりすぎていてやけにサッパリしているから、その孤独な生き方に滑稽さも含まれているような感じがした。
読んでいてウエルベックは正直な人だなと思った。 -
①文体★★★☆☆
②読後余韻★★★★★ -
やっと読了。読み終わってみると、とても面白かった。なるほど名作。
読み終えないと、話の構造が見えなかったので、読んでる間はずっと「なんだこれ、私は何を読んでいるんだ」って感じ。物語の大部分に出てくるダニエル①のキャラが、不快指数高くてキツい。オススメはできない。