犬の記憶 (河出文庫)

著者 :
  • 河出書房新社
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本棚登録 : 311
レビュー : 28
  • Amazon.co.jp ・本 (283ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309474144

感想・レビュー・書評

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  • こんなにも時間や記憶、過去についての考え方が一致する人がこの世に存在するんだ!と感動すると同時に、つまりそれはそこら中の人が考えている普通の平凡な考え方なのである、ということに気づいて大いに落胆した。

    大道さんも、みんなにシェアされやすい考え方を持っていたから、みんなに愛される大物写真家になったのである。「何を考えているか」だけじゃなくて、「それをどう表現するか」なんだなぁ。

    それにしても、意外と考えていることや言っていることが難しくなく、自分を肯定するために他人の作品やらを一生懸命否定していた若い頃の辺りなど、とても親近感がわいてきた。このおじさんはたぶん正直なんだと思った。

  • 「思想家としての森山大道」が垣間見える著作だった。こんなウィットな文章を書かれるなんて! 自らの記憶をたどるという作業、都市に埋め込まれた記憶が現在=自分の中で想起され、内在化していくというプロセス。写真家としてはドラスティックなストーリーだけど、アイデンティティの出自に苦しみ、写真を撮ることに悩み抜いた人の自伝。彼の「目のつけどころ」は真似のできるものじゃない。

  •  驚いた。名文というか迷文というか、表現力含め非常に感性豊かな文章を書く人なんだと改めてビックリ。

     以前読んだのは、口述筆記のような著作だった(『路上スナップのススメ』光文社新書)。 大家の飽くなき探求心や、凡人には理解できない感性、執念のようなものに恐れおののいたもの。

    「ほとんどの人は日常しか撮ってないでしょう。つまり、基本的に異界に入り込んでいない。でも、街はいたるところが異界だからさ。街をスナップするってことは、その異界を撮るっていうことなんだよ。」(『路上スナップのススメ』より)

     日常に潜む異界の入り口に気づく感性ってどんなだ?!と思うが、本書を読んだところで理解できるものではない。ただ、本書のなかで過去を辿る旅路の中、著者が刻んだ人生の襞に、なんらかのヒントが見え隠れしているようには思えた。

     旅と記憶。 どちらも「なぜ?」やそれは「なに?」という答を容易に見つけることを許さない、試行錯誤とあくなき追究を終生余儀なくされる命題であると思うが、この大作家の感性をしても曖昧模糊とした捉えどころのないものであるということが判り、いち凡人としては、ほのかな共感を得られたと少し安心したりもするのだった。

    「もしかしたら僕の経験の底に沈みこんだまま、目ざめを待っているいくつかの記憶の断片があって、それらが、ふと新しい記憶を呼び醒まそうとしているのではないかと思うことがあるからだ。」

     この感慨は、村上春樹著『使いみちのない風景』(中公文庫)の中でも似たようなのがあった。

    「それじたいには使いみちはないかもしれない。でもその風景は別の何かの風景に―おそらく我々の精神の奥底にじっと潜んでいる原初的な風景に―結びついているのだ。 そしてその結果、それらの風景は僕らの意識を押し広げ、拡大する。僕らの意識の深層にあるものを覚醒させ、揺り動かそうとする。」

     曖昧な記憶、既視感なのか未知なものかもわからない「虚空に頼りなく浮かんだ蜃気楼のよう」な心象風景。それは使いみちがあろうとなかろうと自分を導き、未体験の”異界”への扉となるような予感はある。両方の大家は期せず同じことを言っているように感じた。

     そんな体験をしたくて、人は旅を続けるものなのか。

    「僕が記憶を媒介としてつづけている旅そのものも、追憶や感傷をも一緒に引きずりながら、覚醒を待って用意されている時間に出会うためなのかもしれない。」

     何か、遠くの方に仄かな灯りが見えてきそうな、そんな予感を感じさせてくれた。その遠くは、未来でなく、過去の時間の中にあるのかもしれない。

  • 記憶は内部にあるものではない、という彼の視点は、脳の外にあるものは情報・中にあるものは記憶、とでもいうような認知論を扱う心理学や神経科学のそれとは全く異なる。(クロノスとカイロス、精神の時間論と物理の時間論のようなものだろう)
    個の私にある記憶は、世界の記憶から覚醒されて拝借しているにすぎないかもしれない。

  • 何気ないスナップが、妙に惹きつける。淡々とした文章も、心に迫るものを感じる。

  • すごいセンチメンタリズムだ。しかしこのセンチメンタリズムを否む人がいたとしたら、その人はきっと嘘つきだ。「僕が現実かと思って見ている記憶、記憶かと思って感じている現実。その谷間のどこかに、僕がひたすら見たいと思いつづけている風景が溶け込んでいるように思える」「いったん逃げた風景のかずかずは、僕の内部でもうひとつの風景となってある日とつぜん立ち現れてくる。それはまったく時空を超えた視覚のなかと脈絡を絶った意識のなかに、ふと再生されてくるのである」彼の文章と狭間に差し込まれる写真とのハレーションが目に染みる。

  • [ 内容 ]
    <犬の記憶>
    「いったん逃げた風景のかずかずは、僕の内部でもうひとつの風景となってある日とつぜん立ち現われてくる。
    それは、まったく時空を超えた視覚のなかと脈絡を絶った意識のなかに、ふと再生されてくるのである」。
    写真は現在と記憶とが交差する時点に生ずる思考と衝動によるもの、という作者の、自伝的写真論。
    巻末に横尾忠則による森山大道論を付す。

    <犬の記憶 終章>
    時代の流れを12の地名に託して描く。
    写真家たちとの熱い出会いを通して描く半自伝的エッセイ。
    60余点の作品も収録。

    [ 目次 ]
    <犬の記憶>
    1 犬の記憶(陽の当たる場所;壊死した時間;路上にて;地図;夜がまた来る ほか)
    2 僕の写真記(写真よこんにちは;有楽町で逢いましょう;街を駆けぬけて;写真よさようなら;そして光と影)

    <犬の記憶 終章>
    パリ
    大阪
    神戸
    ヨーロッパ
    新宿
    横須賀
    逗子
    青山
    武川村
    札幌
    国道
    四谷

    [ 問題提起 ]


    [ 結論 ]


    [ コメント ]


    [ 読了した日 ]

  • いい写真家は、得てして、いい言葉を紡ぐ。その法則は、この人にも、勿論、当てはまる。(13/9/7)

  • 写真家森山大道氏がアサヒカメラに連載した写真・文章をまとめた自伝的エッセイ「犬の記憶」と、写真家になるきっかけから、写真家としての活動を振り返る「僕の写真記」。
    コントラストの強い、荒れ・ブレありの60~70年代の日本を撮った写真はノスタルジック。

  • 文章がとっても読み辛い。。。

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著者プロフィール

写真家。1938年大阪府池田市生まれ。デザイナーから転身し、岩宮武二、細江英公の助手を経て、1964年にフリーの写真家として活動を始める。1967年『カメラ毎日』に掲載した「にっぽん劇場」などのシリーズで日本写真批評家協会新人賞を受賞。近年では、テートモダン(ロンドン)で行われたウィリアム・クラインとの合同展(2012~13年)他、国内外で大規模な展覧会が開催され、国際写真センター(ニューヨーク)Infinity Award功労賞を受賞(2012年)するなど、世界的に高い評価を受けている。

「2017年 『写真集 あゝ、荒野』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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