大司教に死来る (須賀敦子の本棚 池澤夏樹=監修)

  • 河出書房新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309619927

感想・レビュー・書評

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  • 19世紀、北米大陸で布教活動を行う司教の物語。
    西部の開拓地の自然描写と主人公ラトゥール神父とヴァイヨン神父の姿がすごくいい。
    ラトゥール神父(司教、のちに大司教)がインディアンやアメリカ領になった土地に住むメキシコ人に対して布教を進めていく様子、カトリックの教えを守らない司教たちに対してどう思ったか、ヴァイヨン神父をどのくらい頼りにしていたか、というようなことが書いてある「だけ」なのだが、読み進めてしまう。好きだなあ。

  • 奇蹟は、なにか手にとって愛することのできるものだ。

    字が読めないのは偶然にすぎず、本を追いこして、印刷機のついて行けぬところまで行くのだった。

    彼は絶対に驚かない。それがどんなものであったにせよ、彼は遭遇すべき如何なる境遇にも処しうるようしつけられていた。

    老人には古い習慣が必要なのでございます。若い者は、時代とともにどうにかなりますでしょう。

    桜はもう散り、林檎が花ざかりだった。あたたかい春風に、空気と土がまざり合っていた。土は日光にあふれ、日光は赤い埃にあふれていた。吸う空気にも土の香りがしみこんでいて、足下の草には、青い空が映っていた。

    どんな人間社会におとされようとも、彼はそこに光沢をあたえた。

    胸に痛みを感じるのは早朝だった。

    あの風には代えられなかった。

    ---

    それぞれの心の中にある書店が微妙に違っているのを、若い私たちは無視して、いちずに前進しようとした。その相違が、人間のだれもが、究極においては生きなければならない孤独と隣りあわせで、人それぞれ自分自身の孤独を確立しないかぎり、人生は始まらないということを、少なくとも私は、ながいこと理解できないでいた。若い日に思い描いたコルシア・ディ・セルヴィ書店を徐々に失うことによって、私たちは少しずつ、孤独が、かつて私たちを恐れさせたような荒野でないことを知ったように思う。

    って書く40年前の、今から70年前の22歳に、日本語を教わる。

著者プロフィール

1873~1947。アメリカ、ヴァージニア州生まれ。20世紀米文学を代表する作家。1923年『我らの仲間』でピュリツァー賞受賞。『マイ・アントニーア』『おお開拓者よ!』『迷える夫人』など。

「2018年 『大司教に死来る』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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