4.33/98
『自分にとって「灯台のような存在」と言い、「ユダヤ人が教会のそとにあるかぎり、じぶんはカトリック教徒にはならない」という言葉に「息もできないほど感動」した須賀。不滅の輝きを放つ名作。』(「河出書房新社」サイトより)
内容(「BOOK」データベースより)
『重力と恩寵』と双璧をなす主要作品。半世紀ぶりの新訳、空前絶後の決定版。
目次
手紙(洗礼を前にしたためらい/(承前)/出発について)/別れの手紙(精神的自叙伝/知的な召命/最後に考えていたこと)/論考(神への愛のために学業を善用することについての省察/神への愛と不幸/神への暗々裏の愛の諸形態/「主の祈り」について/ノアの三人の息子と地中海文明の歴史)
原書名:『Attente de Dieu』(英語版『Waiting for God』)
著者:シモーヌ・ヴェイユ (Simone Weil)
訳者:今村純子
出版社 : 河出書房新社
単行本 : 512ページ
メモ:
・アッシジの聖フランチェスコ
・「世界をよこにつなげる思想」須賀敦子
ー抜粋ー
『一つの思想が人間の役に立つものであるためには、それは普遍的でなければならない。ある種の人々を排除して残りだけを救うという欺瞞に陥ってはならない。ヴェイユの洗礼の場合、ある種の人々とはユダヤ人である。須賀敦子は「ユダヤ人が教会のそとにいるかぎり、じぶんはキリスト教徒にはならない」という、ヴェイユの信条に、息もできないほど感動していた時代があった」と振り返って言っている。」p483(解説…池澤夏樹)
『なぜ「神を待ちのぞむ」なのか。
「精神的自叙伝」でヴェイユは手紙の相手であるペラン神父に、あなたは私とキリスト教を媒介はしなかったと言う。それは人間にできることではない。自分は「キリスト教の息吹のうちに生まれ、育ち、つねに留まっていた」けれど、「神を探し求めたことは一度もない」。自ら求めるものではなく、誰かに仲介されるものでもないとすれば、あとは召命を待つしかない。』p485(解説…池澤夏樹)