アヴィニョン五重奏I ムッシュー ---あるいは闇の君主 (アヴィニョン五重奏【全5巻】)
- 河出書房新社 (2012年11月7日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (344ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309623115
作品紹介・あらすじ
『ユリシーズ』に始まるモダニズム文学最後の超大作。名著『アレクサンドリア四重奏』につづく壮大な物語の迷宮がついに扉をひらく。第1巻『ムッシュー』は、語り手ブルース、精神を病むその妻シルヴィー、シルヴィーの兄でありブルースの恋人ピエールの三人を軸に、ピエールの自殺の報に接したブルースが、急遽アヴィニョンに駆けつけるところからはじまる。謎に満ちた友の死の原因を追って、舞台は南仏プロヴァンスからエジプトの小麦色の砂漠地帯と雄大なナイルへ、そして夕陽が運河に映えるヴェネツィアへと移っていく-ピエールの自殺はグノーシス主義に関係があるのか?彼の出自と、テンプル騎士団の隠された財宝との関わりは?謎が謎をよぶ物語が宿命の土地で幕を開ける。
感想・レビュー・書評
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むう。また読んでる間は非常に幸せに世界に浸っていたのに、読み終わって感想となると、難しい本だな。友人の死から始まる。単なる友人でなく、その妹と結婚していて、家族ぐるみで過ごしたというより、もっとディープな感じに思えるが、書き方がそうなっているのか、読み手がそう捉えるのか、どうなのか。全五巻の始まりだから、こういう雰囲気なのか、もう全く何を書いていいのかわからない。しかし何だかこう、作者の世界観に包まれる幸せをしみじみと味わえたのだよ。私には珍しく次もすぐに読むぞ(何故か二巻だけ既読)
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兄妹+妹の夫との三角関係(同性愛含む)や同性愛により破綻した夫婦、などの性愛関係は想定内として、グノーシス主義にテンプル騎士団かー。ミイラにヘビの儀式は、生き生きと描写されてはいるが、それ自体はウーンと思った。
冒頭で「ブルースとはブルースではないのか?」という違和感をもたらした語り手は誰か問題もあり、アレキサンドリア四重奏のように、ここから思いもよらぬ展開を見せるのだろうという期待はある。 -
「アレクサンドリア四重奏」に比べて、プロットが複雑で内容も高度になっていて読むのが大変。グノーシス主義とかテンプル騎士団と云われてもすぐにはわからんもんね、
登場人物が魅力的で楽しみ。 -
五つの小説はいつも誰かの死を告げる知らせからはじまるのだろうか。本作では、友人ピエールの死を知らされたブルースが思い出の地アヴィニョンに向 かう。ピエール・ド・ノガレは、ブルース・ドレクセルの無二の親友にして、妻のシルヴィーはピエールの妹であった。三人は古い城館ヴェルフイユに籠り、世 間から隔絶した愛の三角関係を生きようとしていたのだ。
またしても、というか、こちらの方が先に書かれているのだから、こちらがオリジナルと言いたいところだが、小説の最後で、この三人は作家ブラ ンフォードの創作した人物ということが知れるので、ややこしいのだが、兄妹と兄の親友による三角関係という主題はここにはじまっていた。
ピエール・ド・ノガレは、フィリップ端麗王の命を受け、テンプル騎士団に異端の汚名を着せた張本人ギヨーム・ド・ノガレの末裔に当たる。文書保管室に残された資料をもとにテンプル騎士団についての論文を書くため、ヴェルフイユには三人の友人トビーが度々訪れてもいた。
小説は、グノーシス主義を奉じたピエールの遺言により、名家の跡取りの葬儀とも思えぬ簡素な埋葬の儀式に違和感を覚えるブルースの目を通して 描かれる。その侘びしげな葬列と対比して描かれるのは、かつてのクリスマス、城館の主人と客、そして使用人たちが一堂に会した晩餐の情景だ。南仏プロヴァ ンスの地味豊かな食材を生かした料理と酒のもてなし。紀行文にも才筆を振るったダレルの情景描写の冴えが見られるところだ。
あるいは、第二章「マカブル」。グノーシス主義オフィス派の祭司アッカドによって導かれるアレクサンドリア近郊のオアシス、マカブルにおける 秘密の儀式の情景。砂漠のオアシスに建てられたモスク内での秘儀参入の儀式に招かれた三人は、ひそかに投じられた麻薬のせいかオフィス派の守護神である大 蛇に巻きつかれるという幻覚を見る。医師でもあり、懐疑的なブルースとはちがってピエールは、グノーシスに執心していた。実はテンプル騎士団の異端の汚名 はグノーシス由来のものであったらしいことが分かっていたのだ。
この宇宙が偽の神によって創られた悪の世界であり、真の宇宙に到達するためには、現実世界を否認しなければならないという根本的に反世界的な 教義を持つグノーシス主義の発生は古い。北部とは異なり、地中海に向かって開けた南仏にはもともと異教的な信仰が根深く残っていた。裏切り者の末裔として 生まれた出自ゆえに、ピエールは反宇宙的二元論の思想を有するグノーシスに惹かれた。その行き着いたところが自らの生の放棄であった。
砂漠のオアシスに一夜だけ開かれる祭めあてのバザールの喧騒。それと対比される人気のない海岸に打ち寄せる波で水浴びをし、導師アッカドによ る解義を受ける静謐な時間。『アレクサンドリア四重奏』を思い出させるエジプトの風景描写に見られるロレンス・ダレルの卓越した文章技術。本を読む、とい うことが単にストーリーを追うのではなく、本来はその文章を味わうことであったことを再確認させてくれる。
小説の最後は、ブランフォードの視点でつづられている。長年の友人である老公爵夫人に草稿を読ませる約束を果たすため、輿にのって向 かう先はヴェネツィアにあるクアルティーラの地下室。トゥと呼ばれる公爵夫人は、『アヴィニョン五重奏Ⅱリヴィア』に登場するコンスタンスその人であるこ とが、ここで明らかにされる。このように、あらためて二冊を読み比べることで、ブランフォードにD老人と呼ばれる作家ダレルの目論見が少し分かる。それぞ れ異名の登場人物を持つ複数の小説群が、全く別のものというわけではなく、尻尾をかみ合うウロボロスの蛇のように、ⅠはⅡに最後尾で接続されている。
それだけではない。ブランフォードはD老人の被造物であり、ロブ・サトクリフはブランフォードの被造物。さらにはブロッシュフォードなるロ ブ・サトクリフの被造物までが登場する。すべて作家自身の複数の鏡像である。万華鏡の中に封じ込められたセルロイドの色板が、全く同じものであるjのに少 し回転を加えると全く異なる図像を生じさせるのに似たロレンス・ダレルの詐術的文学技法。少しずつずれを含んだ繰り返しのもつボレロ効果。ピエールの死は 自殺なのか他殺なのか。手を下したのは誰か、といったミステリ要素にテンプル騎士団、グノーシス主義といったオカルティズムの要素が塗され、謎解き興味も 存分に味わうことができる。シェイクスピアや聖書をはじめとする文学的引用もふんだんに用意され、中には『ヴェニスに死す』のモデル「コルヴォー男爵」の 名前まで見られるという文学好きには堪えられない出来となっている。 -
ロレンスダレル「アヴィニヨン五重奏I ムッシュー」読んだ。 http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309623115/ … アレクサンドリア四重奏のおぼろげな記憶がこれも必ずや引き込まれ面白いに違いないとわたしに思わせ手に取ったのだが。。。これ1冊読んでも何のことやらさっぱり判らん(つづく
人物がどんどん出てくるのだけど読んでいるだけじゃ関係どころか性別も判らないので何度も表紙見返しで確認しながら読む。物語が輻輳して読みづらくても最後の1パラグラフで全て帳消しになるような本もあるけど、これは最後まで「???」がいっぱい。ただグノーシス主義の部分はおもしろい(つづく
並走を試みるわたしを無視して勝手に進む物語に取り残された感じで読み終えた。ま、最後の1パラはこの場合は、最終巻の1パラかもしれない、本はどう化けるか最後まで判らないからな。あと4冊。。。やっぱり全巻出てからとおして一気に読んだほうがよかったかなあ。続きを読みたい(おわり