平成史 (河出ブックス)

  • 河出書房新社
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レビュー : 14
  • Amazon.co.jp ・本 (476ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309624501

作品紹介・あらすじ

「平成」の世も四半世紀。「ポスト冷戦」と軌を一にし、バブル崩壊と長きにわたる経済停滞を含みこむこの期間、日本の社会構造と社会意識はいかなる変遷をとげてきたのか、それまでの時代といったい何が異なるのか-。政治、地方・中央関係、社会保障、教育、情報化、国際環境とナショナリズム…気鋭の論者たちが集い、白熱の議論を経て描く、新たなる現代史のすがた。

感想・レビュー・書評

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  • 東2法経図・6F開架:210.77A/O26h//K

  • 歴史
    社会

  • 通読してみて考えたことは、要はサザエさんの時代が忘れられないってことか。1975年前後に確立した高度成長の成功と繁栄の基礎になった社会の仕組みを時代や世界が変わっても変えたくない。変えたくないがために地方と都市、雇用、教育、社会保障、安全保障の綻びを誤魔化してきた歴史だったというわけだ。

    平成史とは、一言でいえばサザエさんの時代が忘れられず、時の構造変化に目をつぶって金と先送りでごまかしてきた歴史である。

    しかしやたらと長い。
    分野ごとに課題のポイントと時代変化の分析はあるしデータも豊富だが、では未来に向けてどうすればいいのか?という提案はない。そもそも平成の時代はまだ続いている。終わったわけではない。そういう意味では完結途中の歴史書で現在の課題解決のための参考資料として価値がある本かもしれない。

  • 小熊英二編ほか著『平成史』河出書房、読了。歴史は代表する何かによって描かれるが、70年代以降「『代表が成立しない』という状況を生んでいる」。本書は「社会構造と社会意識の変遷史として描くしか、『平成史』の記述はありえない」認識のもと、失われた何もないとされる近い過去を描きだす。

    本書は、政治、経済、教育と社会保障、そして外交とナショナリズムが腑分けする。戦後日本社会の疾走はポスト工業化時代の到来と共に失速する。上手く対応できなかった現実を前提に、今後はどこに向かうのか。過去を踏まえ明日を展望する意欲的試みだ。

    「何の歴史を語れば平成という時代を語ったことになるのか」。自由の象徴としての「フリーター」の喧伝は、自己責任とワンセットの悲哀に反転する平成の時代。語るべきものは何もないのではない。絶望に気づいていなかっただけかも知れない。 http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309624501/

  • 大変勉強になりますた。社会保障と教育の分野は特に勉強になった。
    あとはやはり情報化。情報社会論の文脈で必ずや出てくる電子的公共圏の成立云々の議論は、まさに後発近代社会においては、公共圏そのものが1つの達せられるべきプロジェクトなのだから、やはりというか当然のごとく「夢」になるんでしょうかね・・・(学部/修士の論文発表の際に、もう耳にたこができるほど、手を替え品を替えこの議論が延々とされていた。そしてそれは中国からの留学生も同じだった)。

  • 年の瀬に今年を振り返り、来る年を思う。そういえば平成も四半世紀。ベルリンの壁崩壊が平成元年。みなさんが生まれた頃、世界や日本で何が起きて今に至るのか、読んで確かめてみませんか。

    I can't believe that quarter of a century has already passed since Heisei period started!

  • 最後の小熊先生の安全保障平成史は大変勉強になった。沖縄のいびつさと共に、これからの舵取りの難しさが際立つ。金が市中に出回る今、どんな産業を起こしていく必要があるのだろうか?どんな仕事を創り、何を価値にして生きていけばいいのだろうか?

  • 高校の日本史の授業は大学入試シーズンと重なるため戦後史が省かれがち、と言われたことがありますが今はどうなんでしょう?そうでなくても近すぎる歴史は歴史として感じられないような気がします。そんな中での「平成史」、考えてみればもう平成で四半世紀。十分に歴史としての時間は積み重ねているのかもしれず。でもヘイセイという言葉が平静というイメージを引き寄せるからか、大きな物語の終焉の時代からか、昭和のダイナミックとは違うスタティックな時の流れと思ってしまいます。しかし、変化は激しく起こっていることを本書は語ります。しかも、その変化はどこに向かうのか見えないままで。ポスト工業化社会に直面しながら問題の「先延ばし」に努力と補助金を費やし、「漏れ落ちた人々」を作り続けた歴史。今、この段階での「平成史」は「昭和史」の終わりのもがきの歴史でした。東日本大震災と原発事故を歴史の句読点とするのか、起点とするのか、傷みと向き合う読書でした。

  • 「江戸時代」のように「明治」「大正」までは「○○時代」と呼ばれます。でも「昭和時代」や「平成時代」という呼び方をすると、どこか違和感がある。それは「昭和」も「平成」も、多くの人にとって「時代」をつけて歴史語りの対象にするのには、まだ近すぎる過去・記憶だからなのかもしれません。

     この平成を敢えて歴史と して論じようとしたのが本書『平成史』です。
     さて、平成を歴史として捉えるといわれても、いまいちピンときません。上述のように、今この瞬間も続いている平成の社会を歴史化するのは「近すぎる」、つまり時期尚早なのではないか。そんな疑問が、まず湧いてきます。
     そもそも、ひとことで平成といっても、政治や経済、文化、ひいては事件・事故や催事など、その内実は極めて広範です。ゆえに、その何を描けば歴史記述として成立するのかもよく分からない。こうした疑問が、すぐに湧いてくるからです。
     おそらく『平成史』という題名を聞いた多くの人が抱くであろう上段の疑問に答えるところから、本書の議論はスタートします。さらにいえば、この「(1)近すぎる」と「(2)何を描くのか?」という2つの疑問へ答えることは、以下で示す本書の問題意識とそれへ接近する手法の宣言という側面を帯びてもいます。
     まず前者の「(1)近すぎる」には、かつて日本が太平洋戦争に敗れてから10年後にあたる1955年に『昭和史』が書かれていたことを指摘します。この『昭和史』には、日本にとって未曾有の経験となった太平洋戦争を歴史的な過程の中に位置づける意義がありました。これと同様に、平成を歴史として論じる試みは、「失われた20年」が続くなか、東日本大震災と原発事故という経験をしたまさに今こそ、行われて然るべきだというわけです。
     次いで、後者の「何を描くのか?」について。これは極めて難しい問題です。歴史記述とは、古代や中世における王朝の変遷史を典型とするように、対象社会を代表するものを記述する性質を帯びています。しかし、平成という時代には「これが代表だ」と誰もが納得できるものがない。だとするならば、「代表のない時代」が創出された平成日本はどのような社会だったのか、そしてそのなかで生きる人々の多くはどのようなことを考えがちだったのか。この2つを描くことが、平成史において唯一かつ最善の手段でもあると筆者は述べます。

     上記(かなり端折ってますが…)の視座のもとで、「平成とはいかなる時代だったのか」という問いが、「政治」「地方と中央」「社会保障」「教育」「情報化」「国際環境とナショナリズム」の6つの領域、そしてそれらを束ねながらより俯瞰的に記述される「総説」の1つを加えた全7章の構成によって議論されていきます。
     結果、各章での議論を通じて浮き彫りにされるのは、状況認識や価値観の転換に目をつぶって問題を「先延ばし」にする、自国が最盛期だった時代を忘れられず冷戦期で時間を止めてきた時代としての平成の姿です。

     各章それぞれ興味深いので、その概要は後回しにして、まず本全体の感想から。
     本書においては、「昭和が占めるウェイトの重さ」が1つの特徴だと思います。1989年1月7日に始まった平成。そこで何が変わり、何が変わらなかったのかを理解するためには、先行する時代である昭和(厳密に言えば戦後)が論じられなくてはならないからです。ここから、内容的には平成と同等、あるいはそれ以上に昭和という時代に記述が割かれることになるわけです。ゆえに、『平成史』という題名を意識しすぎると、この昭和の顕在感に少なからず戸惑うかもしれません。
     一方で、そうした昭和のウェイトを考えると、本書は「最新版の『昭和史』」として読むべきものなのかもしれません。数年前のバブル懐古なり、最近の昭和30~40年代へのノスタルジックな憧れなり、ともすれば平成と比較して「古き良き時代だったあの頃」としての昭和は、いかにして今日という帰結をもたらしたのか。虚構化や憧憬の対象としての「あの頃」が再生産されがちな今だからこそ、本書はそうした認識とは一線を画すものとして価値があると思います。


    ――各論――
    ■「総説」
     昭和から平成にかけての変化が俯瞰的に語られます。まず昭和から平成で何が変わったのか。同時に、その変化があったにも拘わらず、人々にはそこまで「社会が変わった」との実感が無いのは何故なのか。つまり「昭和から平成にかけての社会変化と社会意識のズレ」が論じられるというわけです。
     社会問題の認知が遅れて逆効果の政策がなされる過程を、社会の中核と周辺の問題認知のタイムラグに端を喫する構造的問題として説明している部分が、極めて興味深く読めました。また、サスキア・サッセンの労働力移動に関する知見が紹介されているのですが、移民に関する一般的な理解とは逆説的な見解で、これ(恥ずかしながら知らなかった…)を知れたことも個人的に大きな収穫でした。原典をまだ確認できていないので何とも言えないですが、サッセンのアイデアはもっと様々なところで紹介されても良いように思います。

    ■「政治」
     昭和後期以降の日本では、「政治改革」などのキャッチフレーズのもと、意思決定をスムーズにするために多くの制度改革がなされてきました。一方で、今日でも「決められない政治」という言葉が流布しているように、改革はむしろ一層の混乱を政治に生じさせ、重要な政策が先延ばしにされる状況が続いているとされます。こうした平成の政治の構造を、「政党と政治家」「有権者とメディア」「制度改革と政策」という3つの視点から分析しています。
     平成の政治における有権者の政治意識と行動の影響力の高さに触れ、いわゆる「風が吹く」ことによって首相または政権の交代が起こり続けてしまうメカニズムを論じています。そして、これが惹起する長期的な政治停滞を止めるにはどうするべきかについて、単純なリーダーシップ論とは異なる提言がなされています。

    ■「地方と中央」
     明示以来、日本の社会問題には裏テーマとして常にあった「表日本と裏日本」。つまり中央と地方、あるいは地方都市間に生じる国内南北問題が中心的に論じられます。
     中央と地方との格差はもちろんのこと、より重要なのは地方都市間での格差です。すなわち平成に入った時、財政破綻に陥った夕張のような事例がある一方で、新潟の高柳や大分の湯布院のように、独自のまちづくり施策を成功させた自治体もあるわけです。では、その違いはどこからきたのか。
     論文前半では、日本の国土や開発の施策の変遷を概観し、そのなかで平成に入ってからの明暗は、自治体が「開発依存」に陥ったのか、それとも「目先を変えるフォーマットやハード」に投資できたのか、という点が分水嶺だったことが明らかになります。
     後半では、上記でみた事例をもとに、元来「変わらなければならない」と言われ続けてきた地方においてこそ、工夫ひとつで開花し得る多様な価値や可能性、さらにそれを担ってくれる人材への需要が存在していることが指摘されます。芸術家と協働する山村や90年代以降広まってきた若者のIターン、農業支援など、日本には「豊かな地域づくりの水脈」が存在しているというわけです。私事ですが、この部分は、かつて自分が就活中に知っていたら、また違う人生があったかなと思う内容でした。

    ■「社会保障」
     「安らぎをくれる昭和」と「喪失・改革の時代としての平成」という認識から離れ、個人化の進展の中で様々な認識の変化や改革が行われ、社会の再構築が目指された時代として平成が捉えられます。この平成における再構築のプロセスの中で、どのような問題が発生したのか、そしてそのなかに新たな社会創出への可能性がないのかを論じています。
     全体として、様々な統計が示されながらの極めて丁寧な論展開です。同時にそうしたデータの一つひとつにインパクトがあり、飽きずに読み進めていけます。
     一般的に小泉政権時に始まったとされる日本社会のネオリベラル化が、実は社会保障制度面においては小泉改革以前からその布石があったという点と、なぜそうした傾向が日本で支持を得やすかったのか。そのほかに「格差論」と「貧困論」の比較なども、新たな発見が多く、とても勉強になります。

    ■教育
     日本型雇用システムについては、その組織で「何をするか(内容)」よりも「いるかどうか(所属)」を重視する特徴があることが指摘されてきました。これは、濱口桂一郎によって「メンバーシップ契約」と名付けられ、広く知られています。
     論者は、これと同様の特徴が、雇用システムだけでなく、子供・若者が社会的存在となるあらゆるプロセスに偏在してきたとします。本論ではこの「メンバーシップ」をキーワードに、戦後日本の教育が読み解かれていきます。
     「メンバーシップ主義」を中心とする昭和期の「学校と企業が成功しすぎた社会」は、非正規雇用の増大が象徴するように90年代以降、崩壊の一途を辿ってきました。結果、日本社会は「誰もが漏れ落ちる社会」になっています。
     しかし、その状況下での施策をみていくと、構造的原因の解消というよりは、不登校や引きこもり、ニート・フリーターなど、問題を過度に単純化し、自己責任を強調する若者バッシングばかり。こうして平成の日本では、本来「弱者」とされるべき人が「敗者」とされ、経済的にもアイデンティティ的にも剥奪が起こる「社会的排除」が日本で常態化することになったとされます。
     論者は、こうした平成に至るまでの教育施策を省察したうえで、子供や若者と社会のつながりが断絶しないために重要なことは何かを導き出していきます。そうした結論部のほかには、「フリーター経験が社会的にはゼロでなくマイナス」になることについてや「PISAと学力低下」および「個性」など、俗に言う「ゆとり世代」が当事者として投げかけられてきた問題に対して、通説とは若干異なった見解が示されている点などを興味深く読みました。

    ■情報化 
     日本の情報化がいかに「スカ」だったか。これが平成の情報化過程を通じてみえてきます。
     まず、ITをテーマにするときには、それをどう論じるのかが、極めて重要な問題となります。これについて、筆者は「インフラ層」と「アプリケーション層」の2つに切り分けて概観していくという、極めてシンプルかつ有用な視座を採用しています。
     日本社会は、インフラ層だけみれば、世界でも類をみないほど情報化に成功しました。しかしながら、アプリ層についての評価は対称的です。デフレ経済とマッチしたことで普及はしていったものの、その多くは既存のマス媒体のコンテンツをより安価に置換してきたに過ぎません。こうした状況が、平成以降の人口や経済の成長が停滞していった日本社会において何をもたらすのか。「タイムマシン経営」や「創造経済」といったところから、日本の情報化がポスト工業化社会への移行としては失敗だった理由が述べられます。
     また、日本のものづくりではなぜ半導体や高機能液晶のような「部品」はつくれても、iPodやiPhoneのような「製品」はつくれなかったのか。この問題を、何を売って収益をあげるかという「ビジネスモデル(と日本の企業風土)」と開発段階での「モジュール度」という2つの観点から説明していく部分も極めて説得的です。
     総じて、日本の情報化空間は、デフレ消費の促進と失望した人たちの為の鬱憤発散の場としてではなく、経済や政治の世界で「生産」を興せる存在になっていかなくてはいけないという警鐘となっています。

    ■国際環境とナショナリズム
     外交・安全保障・ナショナリズムに関する平成史。この領域をみるときに重要なのは、冷戦崩壊と55年体制の終焉という国内外政治環境の変化と、昭和から平成への転換がちょうど重なっているということです。それゆえこのテーマは、昭和と平成で何が変わったのか(or変わらなかったのか)を論じる本書の象徴といっても過言ではないでしょう。
     論者は、これらのテーマにおける問題の構図も、他の内政における問題のそれと大枠は同じだとします。すなわち、外交・安全保障に関して明確な構想を欠いたまま、国際環境が変わっても冷戦期の構造をなんとしてでも維持しようとし、無理が出れば補助金を使って取り繕うというものです。これはやはり、「ある国が、自国が最盛期だった時代を忘れられず、その時代の構造からの変化に目をつぶってきた歴史」の象徴のように思われました。
     またナショナリズムや右傾化は、昨今のヴィヴィッドなテーマとしてよく耳にすると同時に、世界の先進各国で共通して見られる現象でもあります。では、そのなかで日本における右派ポピュリズムの台頭は、どのような特徴を有しているのか。これを論じながら、維新系政党の高い支持率を獲得するメカニズムや「沖縄ナショナリズム」というべき現象の構造が説明されていくのですが、この部分も説得的で読みやすかったです。

  • ○この本を一言で表すと?
     政治を中心に平成に起こった出来事を見通した通史の本


    ○よかった点・興味深かった点
    ・昭和史の本は読んだので次は平成史・・・という軽いノリで選んだ本ですが、昭和に何があったかを前提として、それが平成ではどうなっているかが書かれていて、昭和から現代までの歴史的経緯を、この本で書かれている各分野について知ることができて良かったです。

    ・よく専門家、特に自称専門家の人たちが時代や潮流に応じて割と場当たり的に断言していたりすることを、その文献まで挙げて「時代や経緯はこうなっていたのに、この人はこんなことを主張していた」ということが書かれていて面白かったです。いろいろな意見を主張するのは悪いことだとは思いませんが、責任ある立場にある人・著名な人が自分の発言に責任を持たないのはどうかと問題意識を持っていましたので、この本のように発言後のモニタリングができるようなものが出たことはいいことだと思います。

    ・各章末の註が充実していてよかったです。

    ・最後に添付されている「平成史略年表」はこの本を読んだ後に見るとよく整理されていて平成の出来事を一望できるなと思いました。

    ・イエスタ・エスピン=アンデルセンの「福祉レジーム」の三類型(自由主義、社会民主主義、保守主義)で日本は旧来の日本型工業化社会の構成部分は保守主義レジーム(共同体重視)、ポスト工業社会への変化に対応させられている部分は自由主義レジーム(自由主義と個人責任)が該当するという筆者の考えはうまく日本の状況と適合させているなと思いました。(総説 「先延ばし」と「漏れ落ちた人々」)

    ・昭和の時代に問題がなかったのではなく、問題の認知が「周辺」において大きく遅れ、問題をどんどん「先延ばし」にして平成の時代に至り、メインストリームから「漏れ落ちた人々」が増大するというこの本全体のテーマがうまく書かれているなと思いました。(総説 「先延ばし」と「漏れ落ちた人々」)

    ・平成に入ってからの政治史は平成元年に自民党が参院過半数を獲得できなくなって連立が当たり前となり、平成五年に非自民の連立政権が誕生し、平成八年に小選挙区比例代表並立制が実施されて都市部が強くなり自民党の危機を迎え、平成十三年に小泉政権で自民党が巻き返し、平成十八年に小泉退陣から政権交代が続き、平成二十一年に民主党に政権交代、とかなり目まぐるしい動きだなと思いました。(政治 再生産される混迷と影響力を増す有権者)

    ・P.149の日本政治混迷の循環構造の図は現状をうまく表しているなと思いました。(政治 再生産される混迷と影響力を増す有権者)

    ・政策課題を先延ばしにする政治、というイメージはほとんどの有権者が持ち、だからこそ内閣も最初の威勢のいい状態では支持率がよくて、すぐに「また先延ばしか」と支持率が低下するのかなと思いました。(政治 再生産される混迷と影響力を増す有権者)

    ・支持率調査の手法はかなり恣意的なもので当てにならないのではと思っていましたが、手法を知ると、答えやすい・答えにくいのバイアスは残っているものの、自分が思っていたよりもまだ公平だなと思いました。(政治 再生産される混迷と影響力を増す有権者)

    ・地域政策の「空間ケインズ主義」「内発的発展」「都市圏立地政策」のレジーム区分は初めて知りましたが、なかなかうまく考えられた区分だなと思いました。(地方と中央 「均衡ある発展」という建前の崩壊)

    ・日本は「空間ケインズ主義」で地域間の均衡ある発展が「信じられた」中で、実態は「都市圏立地政策」だったというのは、日本らしいやり方だなと思いました。「表日本」「裏日本」という区分を名称だけは聞いたことがありましたが、人は表日本(都市圏)に集め、第一次産業や公害は裏日本(都市圏以外)に追いやると、国土政策に深くかかわった都市計画者伊藤善市が発言しているというのには率直過ぎて驚きました。(地方と中央 「均衡ある発展」という建前の崩壊)

    ・夕張市の事例は前にも話を少し聞いたことがありましたが、事実関係を並べられると、なかなかとんでもない事例だなと思いました。夕張市以降6年間、第二の夕張が出ると言われ続けて結局財政再生団体になった自治体はでていないということも、夕張市は突出した事例だったのだなと思い知らされます。ただ、夕張市程でなくても似たようなことを小規模でやっているところはたくさんあるという筆者の言うことも同意できます。(地方と中央 「均衡ある発展」という建前の崩壊)

    ・まちづくり運動の水脈の話の事例は、地域発展の解決策を全てこのような形で解決できるかどうかと言えば無理があると思いますが、志がある人が地域再生を成し遂げた事例があるという事実は何だか勇気づけられたような気がしました。(地方と中央 「均衡ある発展」という建前の崩壊)

    ・日本の社会保障政策を生産レジーム(産業構造、労使関係、労働市場等)と再生産レジーム(家族形態、人口構造等)、ネオリベラリズム/普遍主義化、脱商品化/商品化、脱ジェンダー化/ジェンダー化、などの対立しあう概念を用いて説明されていて、どの政策にどれが当てはまるのかが俯瞰できてよかったです。(社会保障 ネオリベラル化と普遍主義化のはざまで)

    ・日本の学校と企業を「何ができるか」より「どこに所属しているか(していたか)」を優先する「メンバーシップ主義」という概念で考えているのはわかりやすくてよかったです。「学校と企業が成功しすぎた社会」という社会概念とそこからまだ抜け出せていない日本という表現も面白いなと思いました。何年か前に就職・転職を支援する会社の人と話していて、「今でも企業はスキルを持っているよりも真っ新な新人を求めている」という話を聞いたことを思い出しました。(教育 子供・若者と「社会」とのつながりの変容)

    ・情報化について取り扱ったこの章は、この本の他の章と比べて、少しトーンが違って面白い章だなと思いました。もうちょっとこの分野についてのページを割いてくれてもいいのになと思いました。(情報化 日本社会は情報化の夢を見るか)

    ・日本の情報化政策について、インフラ層とアプリケーション層に分けて考え、前者で成功し、後者で失敗しているとする著者の意見には全く賛成です。(情報化 日本社会は情報化の夢を見るか)

    ・「タイムマシン経営」の話、「昼」の領域と「夜」の領域でインターネットはいまだ「夜」の領域に留まっている話をポスト工業化社会に対応できていないことと結び付けているのはうまいなと思いました。(情報化 日本社会は情報化の夢を見るか)

    ・「ピラミッド型」に対置するものとして「ネットワーク化」ではなく「フォーマット化」としているのは面白いなと思いました。ネットワークのように繋がっているイメージではなく、アメリカの型を移植してもアメリカと繋がっているかはわからないというフォーマットの方が、実態に適合している気がします。(国際環境とナショナリズム 「フォーマット化」と疑似冷戦体制)

    ・古い考え方による兵器や人員に固執する今の防衛省の幕僚が、予算案を提出したときに「仮想敵国がどれくらいの兵器や人員を保有していると仮定しているか」を尋ねられて誰も答えられなかったという話は、確かに戦前の大本営と似たようなレベルだなと思いました。(国際環境とナショナリズム 「フォーマット化」と疑似冷戦体制)

    ・最近Yahoo!ニュースなどでよく見るネトウヨなどを含めた右派ポピュリズムについて、戦後三代目には戦争のリアリティが感じられず、「外交的配慮や現実性を欠いている」世代だとバッサリ切っているのは面白いなと思いました。(国際環境とナショナリズム 「フォーマット化」と疑似冷戦体制)


    ○つっこみどころ
    ・各章末の註が充実しているのはいいですが、註にも文献名だけではなくて各章に関わる内容が書かれていたりして、本文と註を行ったり来たりしてしまいました。個人的には註を本文の下部やページ末に載せてくれていた方がよかったです(人によっては嫌がるであろうこともわかりますが)。

    ・「社会保障」の章はこれまでの政策を俯瞰できるところは良かったのですが、結論を要約すると「弱者のために政府は金を出せ」となっていて白けました。

    ・「教育」の章の対策について書かれている内容は、「漏れ落ちた人々」はどこまでも弱者だからとにかくうまくいくまでサポートしてあげなければならない、というように書かれていて、「そういった人たちをバカにしているのかな?」と思いました。

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著者プロフィール

小熊英二(おぐま・えいじ)1962年生まれ。慶応義塾大学教授。専攻は歴史社会学。著作に『社会を変えるには』『1968』『平成史』など。

「2015年 『ゴーストタウンから死者は出ない』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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