- 本 ・本 (480ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309624501
感想・レビュー・書評
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小熊英二は「歴史というには近すぎる」という意見に対して、岩波新書の「昭和史」という先例があると云う。戦争の終わりという大きな出来事を経て、作られた「必要性のある」歴史であった。そういう意味では、東日本大震災とフクイチの事故を経て必要性は高まっていることを私も認める。
しかし、これは果たして平成史の任を全うしたことになったのか。私は懐疑的だ。小熊英二のパートは若干時代を俯瞰し次の展望を持とうという「姿勢」だけはあるが、他の著者に至っては、過ぎた時代を分析してみただけだ。批判的視点を垣間見ることは遂にはなかった。出てきた多くの表やグラフは有用であり、私はevernoteに取り込んだ。
小熊英二にしても、分析したあとの「解釈」はあるが、展望はない。長い長い文章で「課題の先延ばしと漏れ落ちた人びとが発生した」「外交方針は構想不足だった」ということが述べられただけなのである。その証拠に2012年の夏ごろに脱稿したと思われるが、自民党政権の誕生については、一言も可能性さえも述べられていない。
思うに、未来を生きるためには、「知識」があるだけではダメなのだ。フクイチの事故があれば、「知識」に方向性を持たせる「教養」と、断固として原発ゼロを決意する「意思」が必要なのである。
2012年12月26日読了詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
通読してみて考えたことは、要はサザエさんの時代が忘れられないってことか。1975年前後に確立した高度成長の成功と繁栄の基礎になった社会の仕組みを時代や世界が変わっても変えたくない。変えたくないがために地方と都市、雇用、教育、社会保障、安全保障の綻びを誤魔化してきた歴史だったというわけだ。
平成史とは、一言でいえばサザエさんの時代が忘れられず、時の構造変化に目をつぶって金と先送りでごまかしてきた歴史である。
しかしやたらと長い。
分野ごとに課題のポイントと時代変化の分析はあるしデータも豊富だが、では未来に向けてどうすればいいのか?という提案はない。そもそも平成の時代はまだ続いている。終わったわけではない。そういう意味では完結途中の歴史書で現在の課題解決のための参考資料として価値がある本かもしれない。 -
東2法経図・6F開架:210.77A/O26h//K
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歴史
社会 -
小熊英二編ほか著『平成史』河出書房、読了。歴史は代表する何かによって描かれるが、70年代以降「『代表が成立しない』という状況を生んでいる」。本書は「社会構造と社会意識の変遷史として描くしか、『平成史』の記述はありえない」認識のもと、失われた何もないとされる近い過去を描きだす。
本書は、政治、経済、教育と社会保障、そして外交とナショナリズムが腑分けする。戦後日本社会の疾走はポスト工業化時代の到来と共に失速する。上手く対応できなかった現実を前提に、今後はどこに向かうのか。過去を踏まえ明日を展望する意欲的試みだ。
「何の歴史を語れば平成という時代を語ったことになるのか」。自由の象徴としての「フリーター」の喧伝は、自己責任とワンセットの悲哀に反転する平成の時代。語るべきものは何もないのではない。絶望に気づいていなかっただけかも知れない。 http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309624501/ -
大変勉強になりますた。社会保障と教育の分野は特に勉強になった。
あとはやはり情報化。情報社会論の文脈で必ずや出てくる電子的公共圏の成立云々の議論は、まさに後発近代社会においては、公共圏そのものが1つの達せられるべきプロジェクトなのだから、やはりというか当然のごとく「夢」になるんでしょうかね・・・(学部/修士の論文発表の際に、もう耳にたこができるほど、手を替え品を替えこの議論が延々とされていた。そしてそれは中国からの留学生も同じだった)。 -
年の瀬に今年を振り返り、来る年を思う。そういえば平成も四半世紀。ベルリンの壁崩壊が平成元年。みなさんが生まれた頃、世界や日本で何が起きて今に至るのか、読んで確かめてみませんか。
I can't believe that quarter of a century has already passed since Heisei period started! -
最後の小熊先生の安全保障平成史は大変勉強になった。沖縄のいびつさと共に、これからの舵取りの難しさが際立つ。金が市中に出回る今、どんな産業を起こしていく必要があるのだろうか?どんな仕事を創り、何を価値にして生きていけばいいのだろうか?
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高校の日本史の授業は大学入試シーズンと重なるため戦後史が省かれがち、と言われたことがありますが今はどうなんでしょう?そうでなくても近すぎる歴史は歴史として感じられないような気がします。そんな中での「平成史」、考えてみればもう平成で四半世紀。十分に歴史としての時間は積み重ねているのかもしれず。でもヘイセイという言葉が平静というイメージを引き寄せるからか、大きな物語の終焉の時代からか、昭和のダイナミックとは違うスタティックな時の流れと思ってしまいます。しかし、変化は激しく起こっていることを本書は語ります。しかも、その変化はどこに向かうのか見えないままで。ポスト工業化社会に直面しながら問題の「先延ばし」に努力と補助金を費やし、「漏れ落ちた人々」を作り続けた歴史。今、この段階での「平成史」は「昭和史」の終わりのもがきの歴史でした。東日本大震災と原発事故を歴史の句読点とするのか、起点とするのか、傷みと向き合う読書でした。
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