戦国の日本語: 五百年前の読む・書く・話す (河出ブックス 79)
- 河出書房新社 (2015年2月13日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (254ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309624792
感想・レビュー・書評
-
小学生の頃に学研の百科事典を買ってもらったのだが、それにおまけとしてついてきたのが『国盗り!稲葉城』(1973年)だった。「学研まんが 歴史シリーズ(戦国)」全5冊の第1冊で、主人公は美濃の斉藤道三である。その終盤に有名な織田信長との会見シーンが描かれている。道三の稲葉(山)城を訪れた信長は柱にもたれて座り、遅れて現れた道三を紹介されると「であるか」と応じるのだ。子ども心にこの「であるか」に痺れた。
ところでこの「であるか」は、信長についての第一級史料である太田牛一『信長公記』の描写に基づいている。
「暫く候て、屏風を推しのけて道三出でられ候。又是も知らぬかほにて御座候を、堀田道空さしより、是ぞ山城殿にて御座候と申す時、であるかと仰せられ候て、敷居より内へ御入り候て、道三に御礼あり」
当時としてもよほど印象的な一言だったのであろう、口語のまま「であるか」と記されており、そしてそれは現代語と何ら変わらない。一体、戦国時代にはどのような日本語が話されていたのだろうか。
本書では、平安時代までを古代語、江戸時代からを近代語、その間を中世語と区分し、鎌倉時代を前期中世語、室町時代を後期中世語と呼ぶ。前期中世語は「古代語」から「近代語」への移行過程、後期中世語は「近代語」の確立過程であり、その意味で「『戦国の日本語』とは、現代日本語のスタート地点でもあることになる」という。
副題に「五百年前の読む・書く・話す」とある通り、本書の射程は口語だけでなく文語を含む日本語全体の様相である。著者は、三条西実隆の日記『実隆公記』(漢文)、室町時代の辞書『節用集』、切支丹文献(ローマ字本・国字本)と『日葡辞書』、豊臣秀吉の手紙類を材料として、戦国時代の日本語を多角的に明らかにしていく。
戦国時代とはいえ常に戦乱に塗れていたわけではない。戦国大名たちは連歌師や茶人を招いて歌会や連歌、茶会を開くなど、文化的にも極めて「濃密な時代」であり、「日本文化の始発」でもあった。日本語においても、漢語と和語の結びつき、口語の表記方法などの試行錯誤が重ねられ、まさに「近代語」揺籃の時代であったと言えよう。
なお、中世語の口語研究には能楽、特に狂言も重要であると思うが、本書では紙幅の関係かほとんど触れられていない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
戦国期の武将たちが教養を持った文芸活動をしていたことや、当時の日本語が現在の発生とは異なっていたことなどを論じる書籍。日葡辞書から読み解く発音の違いなどは、大変興味深い。
-
<目次>
はじめに
序章 五百年前の日本語を概観する
第1章 漢文で書かれていた公家の日記
第2章 『節用集』から見えてくる室町時代
第3章 宣教師の時代
第4章 豊臣秀吉のリテラシー
終章 室町時代を環状彷徨する
あとがき
<内容>
純粋な国語学の論文。思ったような、室町時代の日本語を復元してみた、という感じではなかった。序章は予想通りの始まりだったし、第1,2章はまずまず…。第3章で「えっ⁉」となり、第4章はそんなものか…。しかし、国語学者は聊か浮世離れしているかな? -
戦国時代の日本では、どのような日本語が使われていたのか? 話し言葉、書き言葉はどんなものだったのかな?という安易な考えで、本書を手に取ったが、そのような安易な考えで読む本ではなかった。
様々な文献資料から、多面的かつ詳細に武家・公家・禅林 で使用された言語を分析している。
本書の知識を利用し、より古典の深みにはまる興味がある方以外は、なかなか本書の内容にのめり込むことはできないかもしれない。 -
激動の戦国時代、いかなる日本語が話され、書かれ、読まれていたのか。武士の連歌、公家の日記、辞書『節用集』、キリシタン版、秀吉の書状……古代語から近代語への過渡期を多面的に描く。