- Amazon.co.jp ・本 (232ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309631035
作品紹介・あらすじ
「歴史」が足りないと、
言葉は安っぽくなり、行動は独りよがりになり、
前例を知らないので何でも新しいと錯覚し、
思考が厚みを持たないので場当たり的になり、
刹那の変化に溺れて、忍耐も我慢も欠いて、とんでもなく間違える……
歴史に学べと言うが、先行きの見えない時代の中で、
それはいったいどういうことなのか――?
この国を滅ぼさないためのほんとうの教養とは――?
博覧強記の思想史家が説く、これからの「温故知新」のすすめ。
【歴史を学び生かすヒントが満載!】
「歴史」が足りない人は野蛮である
歴史とは、子泣き爺である
人には守りたいものがある
昔に戻ればいい、はずがない
「懐かしさ」はびっくりするほど役立たない
今だけで済むわけではない
歴史は繰り返す、と思ったらアウト
歴史の道は似たものさがし
歴史小説は愛しても信じてはいけない
「偉人」を主語にしてはいけない
ものさし変えれば意味変わる
歴史を語る汝が何者であるかを知れ
歴史は「炭坑のカナリア」である……
感想・レビュー・書評
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「温故知新」という言葉を手掛かりに、「歴史」が私たちにとっていかに重要かということを問いかける。
といってしまうと一言で終わってしまうのだが、本書はこの「温故知新」という言葉と「歴史」という言葉の定義にほぼ1冊を費やす。
われわれは歴史という偶然のなかで投げ捨てられた存在でありながら、だからこそ誰にも支配されず実践する自由を有するという。「歴史から学んで今あるひとりのわたくしが、歴史を認識し判断したうえで、歴史の知恵に従って、賭ける」(p.222)ことが重要だとする。
ただ、やっぱり本書でいう「歴史」って何なんだろうな、と思う。過去すべてを知ることはできないから、「その不可能性」を引き受けて「拾うだけ拾う」。そして「歴史を眺めるセンス」によって歴史を活物にするんだという。「脈絡」や「筋書」だともいう。(p.43)
だとすると、本書のいう「歴史」は、誰かの手になる「歴史像」を受け取るだけ(=拾う)なのか?
あるいは、その「脈絡」や「筋書」は「歴史像」と言い換えていいだろうか。だとするとその「歴史像」にいたる史料や史料解釈は本書のいう「歴史」にどういう風に含まれているのか。
そんなことが気になったのだった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
文字通り、歴史という教養について語った一冊。
内容以前に、言いたいことがよく分からない感じだった。 -
温故知新という概念の刷新
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なぜ歴史教育が必要なのか。ただの歴史的事実を知ることが歴史教育ではない。歴史は繰り返す、という史観のもと過去を学ぶ姿勢を否定している。その背景に見え隠れしている思想を理解することで過去を背負い、新しい歴史を歩んでいくために我々は歴史を学ばなければならない。ということに気付かされた本。実際に今まで世界史上で登場した様々な史観、思想を丁寧に解説し、筆者自身が新たに定義した温故知新主義を説く
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最近ちょくちょく荻生徂徠に出くわす。やっぱり勉強しないといけないのか、徂徠。
memo
第五章 歴史と付き合うための六つのヒント
①歴史の道は似たものさがし
②歴史小説は愛しても信じない
③「偉人」を主語にしてはいけない
④ものさし変えれば意味変わる
⑤歴史を語る汝が何者であるかを知れ
⑥歴史は「炭坑のカナリア」である -
最初にざっと読もうとしたときは、面白いのは序章だけかな〜なんて思ったけど、本腰入れて読もうとするとためになる。
・「アウシュヴィッツ以後、詩作は野蛮である」
テオドール・アドルノの箴言
・アウシュヴィッツは究極の合理主義だった。それはソ連にとってのシベリア的なるものであり、強制労働空間だった。
映画でも強制労働させられてるシーンをわりと見ていたはずなのに、テキスト化されてようやく理解できた…。
・ルイ・オーギュスト・ブランキ
19世紀のフランスの革命家。フランソワ・バブーフの影響を強く受けた。共産主義の始祖とも呼ばれる。
1830年はシャルル10世を倒した七月革命にブランキあり。1839年には「四季の会」クーデター未遂事件にブランキあり。1848年にはルイ=フィリップを倒した二月革命にブランキあり。投獄を繰り返される。
共産主義の革命の理屈はマルクス、戦術はブランキ。
のべ30年以上も牢獄に入っていた結果反復主義者に。
「反復主義」とは、疲労して感覚の摩滅した人間の堕ちる「近代の地獄」なのではないか。この地獄とはニヒリズムの地獄。
・ポピュリズムの政治家は民衆の人気を取るために政治内容を想像し、支持を失えば平気で手のひら返しをする。
筋の通った個人の思想の実体はない。ポピュラーによって作り上げられるのがポピュリズム政治家。独裁者とはまるで違う。逆に民衆によって操られているともいえる。 -
独特の文体、途中で断念
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片山節が大変面白く勉強になりました
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日本社会は、長いものにまかれろ、勝ち馬に乗れ、的な「勢い」史観で動いているんだろうなぁ、とがっかりすると同時に反論できない説得力をもって、感じさせられた。歴史とか教養というと、日常生活とは一歩離れたところにありそうな印象がある。でも本書を読むと、そうではないと思う。勢いとか、流れにあらがいにくいからこそ、一歩踏みとどまって、そこから先に進んでもいいか?と考えるだけの知性は必要だ。そのとき、決して予言にはならないにしても、考えるための手がかりになってくれるのが、歴史とか教養なんだろうね。ちょっと難しかったけど、深みを感じさせる内容を、詩のようなリズムのある文章でわかりやすく観させてくれたと思う。内容をきちんと自分のものにするには、もう二、三回読まないといけないだろうな、なんて思うところはあったけど(苦笑)。
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実存主義と田辺元、歴史と偶然性の尊重を感じた。