存在の耐えられない軽さ (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-3)

制作 : 西永 良成 
  • 河出書房新社
4.08
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本棚登録 : 549
レビュー : 63
  • Amazon.co.jp ・本 (390ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309709437

作品紹介・あらすじ

優秀な外科医トマーシュは女性にもてもて。しかし最初の妻と別れて以来、女性に対して恐怖と欲望という相反する感情を抱いている。彼は二つの感情と折り合いをつけ、複数の愛人とうまく付き合うための方法を編み出し、愛人たちとの関係をエロス的友情と呼んで楽しんでいた。そんな彼のもとにある日、たまたま田舎町で知り合った娘テレザが訪ねてくる。『アンナ・カレーニナ』の分厚い本を手にして。その時から彼は、人生の大きな選択を迫られることとなる-「プラハの春」賛同者への残忍な粛正、追放、迫害、「正常化」という名の大弾圧の時代を背景にした4人の男女の愛と受難の物語は、フランス亡命中に発表されるや全世界に大きな衝撃を与えた。今回の翻訳は、クンデラ自身が徹底的に手を入れ改訳を加えて、真正テクストと認めるフランス語版からの新訳決定版である。

感想・レビュー・書評

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  • 75/100人生は(物の数にも入らない)1回きりで、どの決心が正しくて、どの決心が間違っているのか知ることはできないなら、自分が望むように行動しているという確信を持てれば、上出来なのかもしれない。

  • 新訳で再読。生の不条理、愛の不確かさについてこれ程までに向き合いながら、なぜクンデラは正気でいられたのだろう。人間が本当に耐えられないのは軽さや重さそのものではなく、全ての決断の裏に潜む可能性の存在だ。プラハの春とその挫折という歴史は政治の持つ不条理さを暴き出し、それは恋愛の不条理さと呼応する。安易な人間らしさ=キッチュなものに対して抵抗しようとする生き方は苦痛と困難を伴うものであるが、だからこそ最後には至福の感動に辿り着く。例えそれが喪われる事を前提とした、手の平程の小さな幸福だとしても。圧倒的大傑作。

  •  作者のキッチュ観…多くの人を取り込もうとして受けの良い、わかりやすい要素で固めてしまうこと。逆は、わかりにくくても自分なりに一つ一つ事実と思考で行動すること、かな。私としても安易にキッチュ的なものに取り込まれず、後者の姿勢でやっていきたいものだ。
     作中の人物ではトマーシュに興味を惹かれた。自分の行動原理を逐一説明できるような理知的なタイプだがセックスが趣味。テレザとの恋愛は彼にとってイレギュラーパターン。なだけに恋愛はどういうことか、が描かれていると思う。
    テレザのほうは、行動原理が現状の環境に不満で変えたい、というかんじであまり感情移入できず(断然サビナが格好良いと思える)。やはり現状の暮らしに満足していると誰かの家に駆け込むということは無いだろうな。
    最終的にペットの犬との気持ちの通い合いのほうが男女のそれより信頼できる、という風に読めてしまったがどうなんだろう。

  • 1日1章1時間、7日かけて読み終わった。なんでも音楽畑の出のクンデラは、シンフォニーの構成を小説に取り入れて7章構成にするのがこだわりらしい。

    各章でさまざまな角度から語られて、と言うよりもはや論じられて、と言った方がいいくらいに説明を尽くされていたのは人生というテーマ。人生は一度きりであるがゆえに重要でもあり無意味でもあるということを大きな枠組みとして、この紙一重の両面性を登場人物達の孤独や愛や幸せに落とし込んでいく物語だったと言える。

    東洋人の私はやはり「行く河の流れは絶えずして...」の思想が根底にあるからだろうか、「人生は大事だけど取るに足らないですよ」と言われた段階では、そりゃそうだと早合点してしまった。
    しかしさすがは「我思うゆえに我あり」の文化だからなのか、それを個人の愛や幸せに敷衍していった過程にこの本の感動があった。倦怠の中にこそ愛はあり、悲しみの中にこそ幸せがある...。第7章でこの境地に至るために、それまでの文章は人生の孤独や齟齬を語ることに費やされていたのだと知る、そんな構成だった。


    ボルヘスがカフカを教えてくれ、カフカからこのクンデラに辿り着いた。この作家が、次に誰のもとへ連れて行ってくれるのか楽しみだ。

  • 自分の好みからすると語り手が解説しすぎなのが興ざめだったけれど(もっと長くなっていいから全部登場人物のふるまいから伝えてほしい)、それでも4人と1匹がとても生き生きしていて、ページをめくるたびに引き込まれた。とはいえこの本の発しているメッセージにはどうしても賛同できない。だって完璧を求め過ぎじゃないですかね? それなりに傷がついて今後大どんでん返しがくるはずもなく、あとはゆるゆると撤退戦を戦うだけの後半生を送る者としては、「一度きりの人生なんてないも同じ」みたいな考え方はどうもね。だって完璧じゃなくてもそれなりに幸せだし幸せ感と実際の状況は完全にリンクしないから(でも動物の愛についてのくだりはそうかもって思った)。

    テレザについて。最終的にずっと一緒にいてくれた人に対して「自分は足手まといになってしまった」って結論付けるのって、もはや傲慢なのではないのかと感じたけれど、でもそういう風に考えちゃうようにできている人もいるのだ。そして別な具合に奇妙にねじれた思考法を自分もしているのかもしれず、でもそれがねじれているなんて一生わからない。だから、なんだってあまり断言なんてするものじゃないなって思う。死ぬまで棚上げにして、自分の生をただ眺めているくらいがいいかもなって。

  • はじめはタイトルが気になって読み始めた。
    不思議なタイトルだと思っていたけれど、読み終わって納得。
    「軽さ」を求めるサビナの心理は自分にも近いものがあると感じた。
    一つの土地に定住できなくて引っ越しを繰り返してしまう遊牧民的気質の人が読むと、通じるものがあるかも。
    地縁血縁に縛られる昔ながらの日本の社会では、「存在の耐えられない軽さ」なんてありえなかったんじゃないかな、と思う。

  • <blockquote cite=\"http://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2008/11/2008-5e16.html\" title=\"わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: この本がスゴい2008\"><P> <B>物語の体裁をした長い長いクンデラの独白</B>。「プラハの春」を歴史背景に、愛し合う男と女を鮮烈にエロチックに描いている。新訳で10年ぶりに再読できた。物語を読んでいるのに、「人生の一回性について」という哲学の問題を考えさせられる。未来からの重みを感じれば、一回きりしかない人生はとてつもなく重要に思えてくるだろう。しかし、わたしたちはそれを確かめるすべを持たないのではないか? 著者クンデラは物語の合間合間に、そんな疑問をナマで問い合わせてくる。</P>

    <P>人生が一度きりなら、そして予め確かめるどんな可能性もないのなら、人は、みずからの感情に従うのが正しいのか、間違いなのかけっして知ることがない。それでも彼・彼女はよく考えたり感情的になったりして、かなり重要な決定を下す(あるいは下さない)。結果が偶然なのか必然なのかは、わからない(著者は指し示すだけ)。</P>

    <P> 肝心なのは、その「決定」だ。結果によって「決定」が運命になったり偶然に扱われたりするのなら、未来によって選択の軽重が決まってくる。結果は重いかもしれないが、決定は(決断すら思い及ばず偶然の連鎖も含めて)下されるそのとき分からない</P>

    <P> 読み手はぐるぐる回りながらも、この問い合わせに応えることができない。そんな読者をよそに物語は転んでゆく。塞翁が馬と片付けられればいいのだが、それはそれ、男と女の物語なのだからそうはいかない。</P></blockquote>

  • 文学

  • 哲学的。人生一回きり。ひとつひとつの選択はどうしようもなく軽くなってしまう。

  • 共産主義に生きる男女4人の哲学的恋愛小説? ジャンル付けするのがナンセンス。
    外科医のトマーシュ、田舎娘のテレザ、芸術家のサビナ、大学教員のフランツとその周辺(犬のカレーニン、フランツの妻のマリー=クロードなど)を「私」の視点も含めて語っていく。

    エネルギー取られる本

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著者プロフィール

1929年、チェコ生まれ。「プラハの春」以降、国内で発禁となり、75年フランスに亡命。主な著書に『冗談』『笑いと忘却の書』『不滅』他。

「2015年 『無意味の祝祭』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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