アブサロム、アブサロム! (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-9)

  • 河出書房新社
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レビュー : 25
  • Amazon.co.jp ・本 (476ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309709499

感想・レビュー・書評

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  • 恥ずかしながら初フォークナー。どれを読むべきかわからずテキトーに取ったんだが、フォークナーの長編は彼の作った架空の群の架空の町が舞台となっているということでこれ一冊では終われない感じだ。

    複数の人物の独白から形作られるトマス・サトペンという人物を通して、南部の歴史や一族の因習が浮かび上がる。
    初めに語り始めるのは、サトペンの妻エレンの妹のローザで、サトペンを悪魔と憎みながらも、寄る辺ない田舎娘の憧れと執着を覗かせる。
    ローズが語る相手はクエンティン・コンプソン。祖父がサトペンと交流があった大学生。
    話の構造はなかなか入り組んでいて、ローザがクエンティンに話したことと、クエンティンの父がクエンティンの祖父から聞いたことをクエンティンに話し、さらにクエンティンは学友シュリーブに話しながら分析する、という感じ。
    複数の人物がそれぞれの目線から語るので、起きた事件が先に語られ(誰かの死とか)、その詳細が後で語られ、そのさらに後でその人物たちの心情を考えていく、という仕立てはミステリーっぽくもある。
    題名や登場人物の名前はギリシア古典や旧約聖書から来ていて、悲劇を予想させるものだが、登場人物像やそれぞれの執着したものがはっきりしていて、それが崩壊するさまが激しくも滑稽でもある。

    • yamaitsuさん
      淳水堂さん、こんにちは。
      遅ればせながらご挨拶にあがりました。
      ラテンアメリカ文学を中心に、好きなジャンルが被っていたり、被っていない部...
      淳水堂さん、こんにちは。
      遅ればせながらご挨拶にあがりました。
      ラテンアメリカ文学を中心に、好きなジャンルが被っていたり、被っていない部分は新しい発見があり、たくさんレビュー読ませていただきました!

      これからもよろしくお願いします。

      あ、ギンレイホール、もう10年越えの会員なのです(笑)どこかですれ違っているかもしれませんね。
      2015/05/11
    • マヤさん
      こんにちは!
      「喪女拗らせた」に笑ってしまいました。たしかに!
      差し入れの食べ物をいただきながら皿も洗わずに返すというのもすごい厚かまし...
      こんにちは!
      「喪女拗らせた」に笑ってしまいました。たしかに!
      差し入れの食べ物をいただきながら皿も洗わずに返すというのもすごい厚かましさで、あんたサトペンとお似合いだよ…と思ったり(^_^;)
      女性陣は、厳しい現実世界とそれを離れた自分の空想の世界との両方を生きていたのでしょうね。クライティだけは現実的な印象ですが。
      屋敷の中に誰がいるのか、サトペンはなぜ最初の妻を離縁したのかなど、気になる要素が終盤まで明らかにされず、最後まで飽きずに読めました。
      2017/10/12
  • 去年読んだ『八月の光』に続き、二作目のフォークナー。この本もまたあらすじだけでは到底味わえない凄みを持っていて、いや〜すごい読書体験をしてしまった。
    中心はトマス・サトペンという男。義妹(のち妻)や他の語り手に食人鬼だの悪魔だのとボロクソに言われ、血も涙もない男のように語られるが、私がこの物語の中で一番行動原理がはっきりしていて実在に近いと感じた人間はこのトマス・サトペンだ。世継ぎの男の子にこだわるところとか、昔の日本にもこういう父親いっぱいいたよね。悪事に手を染めるのはいかんけれども、反骨精神というか、自分の力で成り上がってやるぜ!という気概は買いだと思う。
    それに比べて女たちのなんと空想的というかフワフワしたつかみどころのないことか。『八月の光』のリーナも、一体なんでそんなに逞しいのよ、とその逞しさの源がいまいちよくわからなくて不気味だったのだけど、この『アブサロム!アブサロム!』に登場する女性たちもたいそう個性的な方々で…。エレンもローザもジューディスも、透き通った幽霊のようで、でもこの時代のこの社会では女性の生き方なんてほとんど決められていて、その中で彼女らが何をどう考えていたところで、世界を動かせるはずもなく…。女性目線で読むと途方も無い無力感を味合わされる作品。しかし、サトペンもまた自分の理想を実現できなかったのだからある意味女たちの復讐は成ったと言えるのかも。
    最初のローザの語りが執念深く偏見に満ち満ちていてこれを読むのが一苦労だったが、後半はわりとスラスラ読めた。クウェンティンがまた気になる存在なので、『響きと怒り』も読みたい。

    • 淳水堂さん
      こんばんは(^_^)

      >最初のローザの語りが執念深く偏見に満ち満ちていて

      ローザは今でいうと「喪女拗らせた」「オタク拗らせた」な...
      こんばんは(^_^)

      >最初のローザの語りが執念深く偏見に満ち満ちていて

      ローザは今でいうと「喪女拗らせた」「オタク拗らせた」な感じがしてしまう(笑)

      あの男嫌い!でもちょっと素敵で姉さん羨ましい!でもやっぱり嫌い!嫌い過ぎてあの家で何が起こってるか分かっちゃの!って(笑)

      よその家の作物盗んで生き延びて平気でいられるのは、そういう場所で時代だったんだろうなと。
      2017/10/11
  • 「フォークナーは手強い」と、池澤夏樹が書いていたが、その言葉にうそはない。はじめて読んだときは最初の数ページで本を置き、あとが続かなかった。まだ、準備ができていなかったのだ。池澤は言う。「普通の小説を読むことはちょっとした小旅行に似ている。読者は数日だけ自分の家を離れて他の地に行く。他人の人生を生きてすぐに戻ってくる。(中略)しかし、フォークナーを読むことはそのままヨクナパトーファ郡に移住することである」と。

    ヨクナパトーファ郡とは、南部にある架空の地である。フォークナーのすべての作品は、そこを舞台としている。そればかりではない。一つの作品に登場する人物は、同じ人格を備えたままで、別の作品に登場したり、同じ事件が別の角度から語られたりもする。まるで、実在の土地があり、そこに暮らす人々を、そこに暮らす作家が長い時間をかけて取材し、それらの人々の人生を物語っているかのようだ。フォークナーの小説世界というのは、すべての作品が寄り集まってとてつもなく大きな一つの作品を構成していると言える。ヨクナパトーファ・サーガと呼ばれる所以である。

    それだけに、一つの作品を一度読んで、ああ面白かったというわけにはいかない。もちろん、一つの作品は一つの作品で独立した作品として成立している。しかし、この作品の後半に突然語り手の対話の相手としてシュリーブというカナダ人が闖入してくる。ヨクナパトーファ郡に長く住んでいる読者にとっては顔見知りなのかもしれないが、行きずりの読者にとって唐突な感は否めない。しかし、裏を返せば移住期間が長くなればなるほど、顔なじみもでき、住み心地もよくなる仕掛けになっている。

    『アブサロム、アブサロム!』で描かれるのは、トマス・サトペンという男の一代記である。生まれ育ちのよくない男が幼い頃に受けた屈辱的な仕打ちに発奮し、世間を見返すために豪邸を建て家族を作ろうとする。上流の家から妻をめとり、一男一女をもうけるが、妻は若くして死に、娘は結婚を前にして未来の夫に死なれ、息子は家を出て行方不明となる。男はそれでも懲りずに自分の子孫を残そうとするのだが…。親と子の葛藤、男女の愛憎に加えて、兄妹愛、人種問題、奴隷制、よくもまあこれだけ詰め込んだものだと思うほどのどろどろの人間模様。それらが行き着く先は因果応報といえばいいのか、宿命的な悲劇といえばいいのか。

    あらすじだけを書けば近頃流行りの昼メロのようで、なんとも通俗的に思えるかもしれないが、なかなかどうしてそんなものではない。まず、サトペンという人物が尋常でない。よく言えば神話的、悪く言えば怪物的な人物として造型されている。この小説では、多くの人物の口を借りてサトペンの行状が語られるが、語り手は自分の眼が捕らえたサトペンの姿を語るだけで、それらをどう重ねてみてもくっきりとした人物像は浮かび上がってこない。サトペンという謎を追いかけて読者は最後まで引きずられていかざるを得ない。

    最後に、題名の「アブサロム、アブサロム!」だが、これは旧約聖書の『サムエル記』にあるダビデ王の言葉だそうだ。ダビデの数ある息子の一人、アムノンは妹のタマルを愛するようになる。近親相姦の禁忌を怒って同じく息子のアブサロムがアムノンを殺す。しかし、アブサロムは王の部下によって殺されてしまう。愛する息子を失ったダビデ王の嘆きが題名の由来である。

    出自や家系、血のつながりというものに強いこだわりを見せるのは、作者が南部の出身であるからか。フォークナーは戦後来日した際、自分も敗戦国の人間ですと自己紹介したという。栄華を誇ったいくつもの有力な家系が、南北戦争の敗北を境にして、没落、頽廃してゆく、作家の目はそれを見てきた。フォークナーの小説が、人間の業のようなものを深くえぐり出してみせるのは、決してそれと無縁ではないだろう。

  •  聖書のダビデ王の子息のエピソードにちなんだ話である。トマス・サトペンという男(ダビデの立場)の生き様を縦糸にとりながら、宿命を避けようとした男がより大きな宿命の渦に取り込まれる様を描いた。

  • 難解。
    トマス・サトペンとその一族について 、当時を知る人たちの話は常に不確かだが、それを聞き伝えられたクウェンティンが思い描くそれらの情景が南部を浮き彫りにする。

    貧しさから侮辱された過去を持つサトペンの気持ちには優しさすら感じるところもあるが、それはあくまでも白人に対してであり、黒人は決して同じ人間として認識されていない。
    それを考えると、ボンが長年待ち望んできたことが起こるはずもなく、そんなボンの宿命が不憫で受け止められない気持ちになった。

    終盤の邸に向かうあたりからの盛り上りが凄まじい。

  • やっと読了。
    まあ間に他の本をいろいろ読んでいたこともあるが、なかなか終わらなかった。しかし、中断して戻ってきても大丈夫な内容で楽しめた。
    我が愛する『百年の孤独』の元ネタだという話を目にして、これは読まねばなるまいと思ったわけだが、架空の広大な土地の架空の一族の壮大な物語、という意味ではマルケスのほうが数段上だなと思った。
    こっちは結局、老トマス、トマス・サトペンがあちこちに作った子どもがうろうろする話だもの100年間、とはいえこの1作だけでそう言ってはいけないのであって、フォークナーの他の作品がヨクナパトーファを舞台に繰り広げられているとか、こういうの好きだなあ。
    巻末に年表があって人間関係を把握するのにとても役立った。

  • フォークナーは手ごわいと、選者の池澤夏樹が書いているが、自分はこのような作品が好きだ。少なくと欧州の文学と米国の文学との違いを最も感じさせる作品の一つではないかと思う。バルザックを思わせるような長く綿密な描写だが、フランス文学の持つような歴史の重みのようなものではなく、土の臭いのする土地とそこに生きる人生のようなものを感じる。
    マルケスなどにも大きな影響を与えたと云われている。確かに百年の孤独の民話語りのような雰囲気は似ていると思うが、本作では登場人物の語りだけではなく、神の視点からの心理描写も多用れているし、物語がスパイラルに展開される。百年の孤独にはそのような手法は殆ど見られないと思う。どちらかというと意識の流れ派へ与えた影響のほうが強いのではないだろうか。

  • 難解。

  • 100年の間閉ざされていた部屋の湿度と匂いが感じられる。

    まずおかしいのが「カッコ、が終わらないんです。
    」が出てこない。「なんたらかんたら「なんたらかんたら、と永遠に話が続く。芥川の「藪の中」と同じで全て誰かの視点から語られているから何が真実かわからない。何重ものレイヤーで思い出が浮かび上がり、そのシーンが近づいたり遠のいたりする。匂いを感じる文体。そして土の感触。血の強さ。蜃気楼。

    書いている時点で話に含まれている人が全員死んでいる。というもの絶対におかしい。

    ベラスケスの「ラス・メニーナス」に対峙している時と同じ感覚になる。

    こちらが入っていける空間になっている。でも入っていった世界はほんとは全員死んでる。こっちが物語を見ているはずが作者がこちらを見ている。永遠ループ。

  • こりゃまたビッシリ独白が続いたもんだ。凄くシンプルな事実を、遠巻きながらに延々と語られるグッタリ感たるや、まるで諸行無常の響きのようでありました。読んだなあという手ごたえ感たっぷりでした。
    ところで、冒頭の文章でこの本は9月のまだ暑い時期に読むべきだと思って読み始めたけど、読み終わった今となっては冬の時期に読んだほうがよかったかも。次に読むときは冬、そう覚えておこう。

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