アメリカの鳥 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集2)

  • 河出書房新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (449ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309709567

作品紹介・あらすじ

アメリカ人青年ピーターは、鳥や植物を愛す、ちょっと内気な19歳。パリ留学を前に母とふたり、ニューイングランドの小さな町を訪れる。4年前、母と暮らしたその地は、アメリカのよき伝統が残る、緑あふれる土地だった。しかし4年の間に自然は失われ、町はすっかり観光地化していた。母は怒り狂い、よきアメリカを取り戻すべくひとり闘う。そんな母と、アナキストだった父に育てられたピーターは、敬愛するカントの哲学に従い、「人を手段として利用してはならない」を行動原理として異国に旅立ってゆく。時代は北爆開始にはじまるベトナム戦争の拡大期。パリやローマで、ピーターは自身の反米主義に思い悩み、またイタリア系ユダヤ人を父にもつ自分のユダヤ性に常にこだわりながら、母国とヨーロッパの狭間で精神の成長を遂げてゆく。ベストセラー『グループ』をしのぐ名著、待望の新訳決定版。

感想・レビュー・書評

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  • 2011年12月8日読み始め 2011年12月12日読了
    中産階級のマザコン少年がアメリカから大学進学と徴兵逃れのためにフランスに渡って青春するお話です。時代背景が現代とは随分違うので、同世代人ぐらいしかピンとこない部分も多いかもしれません。
    主人公はリベラルだと自分で思ってますが、日本人から見ると、かなり階級社会にとらわれてるんだなと感じます。
    「公民権運動は余裕のある白人の余暇」みたいなことを主人公は言ってますが、どこの国でも同じなんだなとも思いました。
    普通この手の青春小説にはヒロインが出てくるものですが、ほとんど出てこないし、付き合うところまでもいかないのはびっくりしました。

  • 220909*読了
    タイトルが秀逸。
    少年期の母親への感情(執着)を抱く時期から、母と離れてフランスで暮らす時期へと。
    この時期を描く文学って多いのだな、と世界文学全集を読みまくっていて思います。

    ピーターが哲学を語る場面がたくさんあり、それをなるほど、とは理解できなかったのだけれど、そしてピーターの行動にも、おいおい…と思う部分が多かったのだけれど(笑)
    第二次世界大戦が終わり、ベトナム戦争の最中。
    自分が生まれる前(作者が亡くなったのは私が生まれた年)の出来事は、物語を読むことで当時の空気感、人々の思いを知ることになる。
    日本から見たベトナム戦争と、アメリカ、フランスから見たベトナム戦争は違うと思うし、そういった視点の違いも海外文学を読む醍醐味と言えますね。

    印象的な場面はいくつかあって、母親とアメリカの伝統的な料理を作るシーン、フランスに留学する列車でのアメリカ人女性教師3人組に捕まるシーン、フランスでの感謝祭の晩餐、ローマでの観光など。
    3カ国にまたがる物語で、それぞれの国の特色も知れたのがまたよかったです。

  • アメリカーヨーロッパ
    アメリカからヨーロッパへ渡る19歳の青年の教養小説? カントの「他人を道具として使ってはならない」という格律を指針にしているというアメリカ人らしいこの青年がいかなる道を歩むのか。最初の場面は、アメリカワシミミズクという鳥が死んでいるということを告げられる場面。ここでも老婆にそのことだけを聞く為に立ち寄ったことで「道具利用か?」と思い悩み、「(行く予定だったけど父の反対でやめた)ミシシッピの公民権運動に行かなくてよかった」などと思う。この青年ピーターはそんなふうに内省的なところがなんとなく自分には親近感を感じる。では、ここはどうか。
    ピーターはそんなふうに、自分を一人の人間というより、率先してことを始めるために召集された人間の集まりとして考えるのが好きだった。
    (p11)
    多重人格というより、ここでメタファされている軍隊のように匿名の集団なのだろう。不思議な感覚だが、その始める「こと」は彼らにはまだ知らされていないのだろう。そしてこれからも。
    メアリー・マッカーシーは1912年シアトル生まれ。再婚相手はこっちは3回目のエドマンド・ウィルソン。この高名な文学評論家との結婚生活でメアリーにとっては一人息子を得る。結婚自体は暴力沙汰の喧嘩が多く離婚となったけれど。この一人息子が先のピーターのモデルの一人となっている。
    (2018 07/08)

    前菜の安楽死…
    家で少しずつ読んでる「アメリカの鳥」より。
    時は1964年頃。急激に変わりつつあった日常生活に対して、古い料理の仕方を通そうとするピーターの母親と周囲との「戦い」が戯画化して描かれる。でもこの母親って、作者が一部入ってるんだよなあ。前菜もこの頃からアメリカ家庭から消えつつあったという。
    (2018 07/27)

    拘置所上の花火
    「アメリカの鳥」は「ロッキー・ボートの戦い」最後まで。パレードの際の警官とのいざこざで拘置所に入れられたピーター親子。拘置所屋上で見る花火が「アメリカ編」のラストシーンらしい。
    (2018 07/29)

    パリのアメリカ人
    「アメリカの鳥」はフランス編。船でル・アーブルに渡り、そこから列車で。パリではチップに悩まされる。アメリカ人でも迷うのか…彼にはそれに例のカントまで絡むからなあ…もっといろいろ書きたかったような気もするけど忘れた…
    (2018 08/12)

    ピーター混乱の時
    「アメリカの鳥」は「嵐を予告するウミツバメからの手紙」、というわけで、母宛てのピーターの手紙。署名は「気狂いピエロ」と書いているけれど、ゴダールかい、と思わせて、この手紙は1964年、映画公開の前年というから、これも仕掛け?
    それはともかく、カント仕立てのアメリカ青年は、ここパリに来て混乱の時期を迎えているようだ。彫像の顔を切り落としたフランス革命についての評価の揺らぎに見られるように。
     ところが僕の頭は今どうにも混乱していて、まるで、澄んでいるように見えた池が、底を棒でかきまわしたら濁ってきたような感じです。
    (p183)
    そんな彼の生み出した説を。
     平等は一種の毒薬だと思うんです。人体の血のなかに入りこんだら最後、誰もそれを取り除くことができない。そのまま血中にとどまって、われわれを蝕んできた。
    (p184)
     平等が議題にのぼってくると、とたんにそれは何か有害なもののようによそへ運ばれていったのです。
    (p185)
    フランスからアメリカへ、そして西部へと。地球上にフロンティアというものがなくなった現代では、どこへ?
    (その現れが「貧困大国アメリカ」だったりして)
    混乱ついでに、彼は自分の場所を見失いそうになっている。
     僕は母さんたちの共同史の付随現象にすぎませんーさまよえる脚注です。
    (p189)
    まだ半分強残っている。
    (2018 08/13)

    円卓の騎士とパースネット
    木・金に読んでいた「アメリカの鳥」から。「円卓を囲んで、乙女パースネットとともに」は、感謝祭でのアメリカ軍人家庭が周りのフランス人を含めた人たちを招いたホームパーティ。ピーターはそこでベジタリアン?のロバータが気になっている御様子。
    この章(まだ途中だけれど)から二つ引用。
     人は意外に自分の最良の部分を「弱さ」と見なして、恥ずかしいと思ったりするものだ。
    (p245)
    そうかなあ。自分の場合、それはどこだろうか。全部「弱い」と思っているのだけれど。
     以前、授業中に熱弁をふるったときもそうだったが、遠くから聞こえてくる自分の言葉が、巻き貝を耳にあてると聞こえる潮騒のようにピーターの耳のなかで鳴り響いていた。しばらくすると、周囲に飛び交う言葉の断片が少しずつ聞こえるようになった。
    (p255)
    ここなど映画化でいい効果出そうな感じ。というか、映画というものがなければこういう表現は生まれなかったのかも。
    それは言い過ぎか。
    昔の方が知覚とそれに対する注意は鋭敏だったと思うし。
    (2018 08/19)

    ローマのアメリカ人
    「アメリカの鳥」から
    絵になるようなものにはいつだって気をつけなくちゃな。臭うんだよ
    (p289)
    アルトゥーロの言葉。この時代、1960年代にはアメリカ的物質文明はまださほど西ヨーロッパにも押し寄せてなくて、イタリア人アルトゥーロにアメリカの機械文明を伝えるのにクック船長のような心持ちになった、と冗談めかして書いてある。こういう微妙な時代背景と感覚はなかなか気づかないところ。一方、アメリカではピーターの母親がこうした「文明化」に対して戦っている。
    …というピーターとアルトゥーロの散歩途中に古い絵看板があるのを見つけて、ピーターが喜んだのに対してアルトゥーロが言った言葉が先の言葉。
    続いてクリスマス休暇にピーターはローマへ。
    曇り空やたまの小雨については達観していた。その合間の太陽の輝く日がとてもありがたく思えた。そういう日には、空が青い絹のテントのように、重力に挑む柱型や、塔や頂塔、空飛ぶ彫像などでにぎわうサーカスの上を覆った。
    (p325~326)
    ピーターはパリに比べローマをとても気に入っているのだが(父親はイタリア系の設定)、これは作者マッカーシーの体験と重なっているのかどうか。
    次はシスティーナ礼拝堂で、ピーターとばったり会った指導教官のスモール先生の場面から。どうやらピーターはこの指導教官とそりが合わないらしいのだが、作者マッカーシーは、どちらにも肩入れはせずさらりと書き続けていくように思える。これはこの作品通して言えること。引用部分はそれとはあまり関係ない箇所(笑)
    ごった返す人々のたえまない流れと、いろいろな言語による混成曲は、飛行機の便の半分が遅れたときの空港ターミナルを思い出させた。預言者や巫女たちは、さまざまな部族や民族の、エジプト脱出のような大移動や最後の審判のような騒ぎを見下ろしていた。
    (p347)
    さっきのp325の文章と共通する俯瞰した描写、ピーターのユダヤ人出自、それにトカルチュク「逃亡派」に通じる移動というテーマ。これらが重なり合う箇所。
    (2018 08/26)

    とりあえず読み終わり。
    引用は(p420)とラストのカント。どちらも「自然の死」についての箇所。ラストのカントはそのまま小説冒頭のアメリカワシミミズクの死につながっていくことへの言及をお忘れなく…

    「自然の死」、そして
    「アメリカの鳥」最終コーナー…
    ある朝、目が覚めたら、もう木や草花が美しいとは思えなくなっていたということがあるのだろうか。そうなったら、道徳もおしまいだろう。今、そうなりはじめているのかもしれない。
    (p420)
    1965年2月7日。その翌日に友人のシリーに歯医者でばったり会う何気ないところから始まって、前夜クロシャール(パリの浮浪者)の女をピーターの部屋で寝させてあげた、その日はアメリカの北ベトナム爆撃開始の日。ピーターの心の中での最後の自分の国に対する支えが崩れ落ちた日。そして「戦争には行かない」ことを決意したピーターは、「黒い白鳥」に手を突かれる。

    それから一週間…一旦は学生生活に戻ったが、ペニシリンアレルギーで倒れて、アメリカンホスピタルの病床に寝ている。起きた時いろんな登場人物がたくさん見舞いに来ていた、というシチュエーションは、なんか「罪と罰」とか思い出してしまう。というわけでさりげなく終わっていく小説なのだろうと思っていたのだけれど、意外に?大団円な仕上がりで楽しい。で、これら母親始め登場人物達が退いたあと一人ピーターの寝床に現れるのが、この小説のキーマンというか影の主役というかのカント。ケーニヒスベルクから特別に(?)駆けつけたカントはピーターに向かって…
    もう見当はついているのかもしれないね。自然は死んだんだよ、マイン・キント(わが子よ)
    (p430)
    そして、この結末に呼応するように、小説冒頭のアメリカワシミミズクの死が立ち現れる。
    そしてこの今、自然は死に絶え完了という感じがひしひしとしている。

    というわけで読み終わったのだが、想定以上に読んでてなかなか楽しかった。具体的な描写や出来事を突き抜けて、ユーモアと批判でくるむというのは、ひょっとしたら女性作家の共通する持ち味なのかも。今年読んだ中ではスパークもそう。一方、今年読んだ男性作家、ジェイムズやパヴェーゼでは突き抜け視線を避けて緻密に閉鎖的に語っているような。ジェイムズで思い出したのだけれど、ジェイムズ短編集の「教え子」の天才少年?がピーターであった、という筋立てはいかがであろうか。イタリアそしてパリへ移るということで…パリの空の下、生死の境にある二人の青年が混ざり合い、入れ替わって…
    とか。
    (2018 08/28)

  • マッカーシー 「 アメリカの鳥 」 難しい。


    最初は青春小説、中盤以降 カント倫理学(道徳)の本。アメリカの反知性主義まで発展させるのかもしれない

    テーマは アメリカの社会道徳の崩壊 とすると 全体の筋が通る。市民革命で自由を獲得した アメリカとフランスを舞台として 道徳批判を展開したのだと思う

    「アメリカンワシミミズクは死んだ」で始まり 「自然は死んだ」で終わる小説。その暗喩は
    *アメリカンワシミミズク=アメリカの鳥=自由
    *自然は 死んだ=自由が社会道徳の崩壊へ向かっている

    最終章「幽霊の三分の二」について
    道徳に必要な3要素(自由、永世、神)のうち 2つ(永世、神)は存在しないことを示唆し、自由の国アメリカ、フランスにおいて 社会道徳は崩壊していることを意味している と解釈した

    「世界の美しいものは 人間が世界のためになるようにできている〜人間の知覚による物の認識は 人間の知覚の法則と一致している」とは 3つのイデア(真理、倫理、美)のうち 2つ(美、真理)は 理性、知性、感性により実践されている と解釈した

    カント「他者は常に究極の目的である」人を手段として利用してはならない

  • アメリカ人的教養小説。

  • アメリカの若々しさや良心や希望がたっぷりのユーモアと一緒に詰めこまれたこの本は、1971年の出版。ユダヤ・イタリアそしてアメリカと自らの多層的なルーツに惑う主人公ピーターが、思い出の地ニューイングランドや留学先のパリ、ローマでの日々を通じて自身と故国を見つめ直していく。
    どれだけ戯画化されようとも、ここに描かれる「古き佳きアメリカ」は美しい。ピーターがこよなく愛する野鳥が美しいのと同じように。そして、マザコンの坊っちゃん育ちで自ら定めた規律に振り回されてばかりのピーターも、好きにならずにいられないチャーミングな主人公。欧州で彼が行き会い苦しめられる「恥ずべき同国人たち」も可笑しくまた愛おしい。
    とにかく全篇にわたって明るいのが本当に好ましかった。池澤夏樹は月報でピーターへの深い共感を語っているが、アメリカの輝いていた頃を知る同時代人ならば一層心に響く作品なのだろう。

  • [19][130808]<k町 カントの道徳律に心が震えちゃうあたりに個人的親近感。ちょっと痛々しい感じにこまごまと誠実でありたい主人公は、好意的にではあるけれど一足分だけ離れた位置から描かれていて、それがたしかにちょうど母と息子か、もうちょっと離れて叔母と甥か、それくらいの位置関係に感じられた。たまたま直前に海外旅行をしてきたところだったので、"外国にいったアメリカ人がみんな罹る広場恐怖症"とかに笑ってしまった。

  • 政治思想家のハンナ・アーレントととも深い交流があった、著者の政治小説兼青春小説。ベトナム戦争や公民権運動などを背景にして、アメリカへの反発からヨーロッパを憧憬する青年ピーターの話。ある種の懐古主義的な作品と言えば、そうなのかもしれないが、正直、よくわからないし、読んでいてあまり面白いと感じなかった。
    というか、自分がよく理解できていないと言うのが、正直なところ。もう一度時間作ってじっくりと読み直したい。
    それとアーレントとの書簡集(『アーレント=マッカーシー書簡集』みすず書房)を読んでみたい。

  •  いわゆるある種のビルドゥングスロマンとも言えなくはない。題名はアメリカの鳥であるが、舞台の中心になるのはパリとローマである。選者である池澤夏樹はアメリカの鳥をビーターの母親ロザリンドの象徴としているが、自分はそうは思わなかった。

     マザコンであったピーターが激化するベトナム戦争の懲役を回避するために海外に留学するくだりが最初であるが、作者はそこでの生活を経て漆を塗られたピーターの純朴な精神、それは古き良きアメリカの良心的なものを象徴しているのであるが、ピーターはそれを海外においても首尾一貫しようとする。

     旅をするとき、あるいは今までと環境の異なる生活を始めるにおいては、旅行鞄と共に自分は何を持ってきているのかがはっきりとしない。勿論、旅をするに当たってのそれなりの見当はするのであるが、それは実際の生活、経験を通して何なのかがはっきりする。自分の物と思っていたことが、実は祖国の伝統や慣習であったり、逆にナショナリティであると思っていたことが実はインディビジュアルなものであったりする。

     その違いはそれが混在する環境では判別しにくく一つの対称性tを持っており、それが破られるのが異国での、伝統、習慣、風習、風俗、歴史を異にする状況での濾過なのだ。

     パリ、ローマでの生活を通して、ピーターは変わる。変わるが、変わるものを知ることによって変わらぬものも初めて発見するのである。それは対照実験のようなものだ。あらゆる試練、環境を通して、一貫される自分という存在。自分で有りながらも、それが独りよがりではなくて、普遍性を同じに両立させる道徳律。カントの「自己の行動原理が、普遍立法となるように行動せよ」という言葉をまさに体現しようとしたときに、ピーターは「黒鳥」に襲われる。それは白鳥が自然で普通で有り、唯一普遍のものであるということのアンチテーゼあるいは文化洗礼ともいうべき事件だった。

     しかしそれを通して、まさにピーターは他者を手段ではなく、最大の目的として扱うというカントの言葉を、ベトナム戦争への良心的徴兵拒否として具現化しようと決意するのである。その決意の後にピーターは突然の見舞客カントと語り合うのである。

  • [ 内容 ]
    アメリカ人青年ピーターは、鳥や植物を愛す、ちょっと内気な19歳。
    パリ留学を前に母とふたり、ニューイングランドの小さな町を訪れる。
    4年前、母と暮らしたその地は、アメリカのよき伝統が残る、緑あふれる土地だった。
    しかし4年の間に自然は失われ、町はすっかり観光地化していた。
    母は怒り狂い、よきアメリカを取り戻すべくひとり闘う。
    そんな母と、アナキストだった父に育てられたピーターは、敬愛するカントの哲学に従い、「人を手段として利用してはならない」を行動原理として異国に旅立ってゆく。
    時代は北爆開始にはじまるベトナム戦争の拡大期。
    パリやローマで、ピーターは自身の反米主義に思い悩み、またイタリア系ユダヤ人を父にもつ自分のユダヤ性に常にこだわりながら、母国とヨーロッパの狭間で精神の成長を遂げてゆく。
    ベストセラー『グループ』をしのぐ名著、待望の新訳決定版。

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    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • プロットだけを抜き出せば、本作は大したこともない。
    だが、主人公ピーター・リーヴァイの若者らしいまっすぐさが好ましく、ときどき強く胸を打つ。
    そして彼の存在感ゆえに、非常に魅力的な作品になっているのだ。

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著者プロフィール

1912~1989。アメリカの作家、評論家。著書に、小説『グループ』『アメリカの鳥』、評論『フィレンツェの石』ほか、『ハノイ』『ヴェトナム報告』『アーレント?マッカーシー往復書簡』など。

「2019年 『私のカトリック少女時代』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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