- Amazon.co.jp ・本 (381ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309709581
作品紹介・あらすじ
『庭、灰』-少年に多くの謎を残し、アウシュヴィッツで消息を絶った父。甘やかな幼年時代が戦争によってもぎとられ、逃避行を余儀なくされる一家の悲劇を、抒情とアイロニーに満ちた筆致で描く自伝的長篇。初邦訳。『見えない都市』-ヴェネツィア生まれのマルコ・ポーロが皇帝フビライ汗に報告する諸都市の情景。女性の名を有する55の都市を、記憶、欲望、精緻、眼差というテーマで分類し、見えない秩序を探る驚異の物語。
感想・レビュー・書評
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「庭、灰」子供の頃の記憶は真珠に似てる。硬くて尖った小石を腹の中に飲み込んで、痛くても吐き出すことも出来ずに何年もかけて柔らかい膜で舐めて丸めてくるんでくるんで、出来上がった美しい宝石。第二次大戦下の東欧、ユダヤ人の父の不在、厳しい暮らしが核だけれど、なぜかやさしい輝きにつつまれているのです。
「見えない都市」マルコ・ポーロがフビライ汗に語る都市の物語。それらの都市が実在するかとか、そんなのはどうでも良くて、語ることそのものが全て。架空の都市は私達の世界の寓意。とても面白かった。何度か読み返しそう。 -
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220929*読了
「庭、灰」は今まで読んできた世界文学全集の中で、一番苦戦したかもしれない。
想像と現実が混ざり合っていて、ユダヤ人の虐殺が悲惨なはずなのに、どこか夢を見ているようで。
読んでいて感じたのは、曇ったガラスの向こうを見ているような、靄がかかったような光景。暗すぎず、明るくもなく。
少年にとっての父親が、いろんな姿で立ち現れる。そして、少年自身の成長。
なんとも不思議な小説でした。
「見えない都市」も今までにあまり読んだことのないタイプの小説。
マルコ・ポーロがフビライ汗に、架空の都市をいくつもいくつも語って聞かせる。
その一つひとつはとても短いのだけれど、その中に、死や記憶、都市そのものなど思想が織り交ぜられていて、幻想的でもあり、現実的でもあり。
間に挟まれる、マルコ・ポーロとフビライ汗のやりとりはまた違った印象で、その差もおもしろい。
好きなタイプの小説でした。
でも、2作ともストーリーの作り方が独特なので、すんなりとは頭に入ってこなくて。
これが文学ってやつか…と洗礼を受けたような気持ちです。 -
物語るとはどういうことだろう、と思った。2つの小説は似ても似つかない代物だが、しかし片や父親や自身の甘美な「記憶を語る」。もう片方はあたかも現前するかのように都市の「記憶を語る」。人生も都市も、私たちの頭の中に思い浮かべる思念が形となって結実するものであり、しかも一朝一夕では成らないものである。いわば人間の実存が色濃く刻み込まれた構築物/建築物として現れる。だというのであればキシュが繊細に、そしてカルヴィーノが上品に語り尽くす実存とはなんと美しいことか。それを日本語に移し替えた訳者の偉業もまた見過ごせない
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久しぶりに文学的な作品に出会った。
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【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/15 -
文学
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キシュの作品和訳久しぶり?
カルヴィーノは既読だけど次回帰省で必ず買う! -
じわじわと積み重ねた物語をすこしずつ剥がしていくとぼんやりと浮かび上がる家族の歴史
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斜光の小説。
希い満ちている。それが美しく感じたのだろうか?(記憶が曖昧)
キシュは近々「若き日の哀しみ」が東京創元社...
希い満ちている。それが美しく感じたのだろうか?(記憶が曖昧)
キシュは近々「若き日の哀しみ」が東京創元社から文庫になって復刊されるので、心して読みたいと思う。
「語ることそのものが全て」
カルヴィーノは、寓意に満ちた話やホラ話でも判るように、語るコト第一とした書き手ですね。。。
「見えない都市」は、アイロニカルなタイトル通りで、見ようと言うか思い浮べようとするとイメージに逃げられてしまう。そして何故か東欧やバルカン作家に近い語り口で、それが光の乏しさを生んでいるような気がします。
何を美しく感じたのか、私も記憶が薄れてきました(笑)
ちょっと忘れることでソフトフォーカスがかかって、美しく見える...
何を美しく感じたのか、私も記憶が薄れてきました(笑)
ちょっと忘れることでソフトフォーカスがかかって、美しく見えるってことだったのかもしれません。
カルヴィーノは何冊か積読があるのでした!早く読まなきゃ!