賜物 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集2)

  • 河出書房新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (622ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309709628

作品紹介・あらすじ

1984年、ベルリンに暮らす20代半ばの亡命ロシア青年フョードルは、最初の詩集を刊行したばかり。世界的な鱗翅類学者の父は1916年に中央アジアへの探検旅行に出かけたまま行方不明となり、美しき母と姉はパリに暮らす。彼自身の生活は貧窮を極めるが、プーシキンやゴーゴリといった偉大なロシア文学への献身が揺らぐことはない。父とともに蝶を追った別荘の思い出、亡命ロシア人サークルにおける文学談義、運命の女性との夜ごとのベルリン彷徨…。やがて彼は、芸術を二次的なものと考える進歩的思想家チェルヌィシェフスキーの評伝執筆に全力を傾けるようになる。

感想・レビュー・書評

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  • 221014*読了
    いろいろあって、この本を読み終わるのには長い時間がかかってしまった。

    「巨匠とマルガリータ」にしろ、ロシア文学って奇抜な作品が多いのか?と思わせられました。
    主人公フョードルの妄想なのか、現実なのか分からない場面は出てくるし、日本人にはなかなか分かり得ないロシアの詩とその呼称(四脚ヤンプなど)が出てくるし。韻を踏んでいるところも、日本語にしてしまうと分からないから、ルビを振ることで伝えてくれていて、本当に翻訳者さんは大変だったろうなと思います。

    亡くなったと思われる鱗翅類を求めて探検をしていた父の立場になっての想像と、第四章を丸々使ったフョードル作の小説と…本当に独特。
    つまらないわけでは全くなく、おもしろいんだけれども理解が追いつかないというか。
    とにかく個性がたっぷりでした。
    また、この小説はナボコフさん自身と関連づいてる面もいくつかあるらしい。

    そして、「ロリータ」はいつか読んでみたいなぁ。

  • 沼野充義氏によるロシア語版を底本とする新訳である。初訳は大津栄一郎氏訳による白水社版(1967年)だが、英語版からの翻訳であったことや、当時ナボコフ研究が今ほど進んでいなかったこともあって、この作品の持つ複雑な構成や背景をあますところなく日本語に置き換えたとまでは言えず、新訳が望まれていた。沼野訳は、懇切丁寧な訳注を多用した労作で、ナボコフならではの手の込んだ仕掛けや言語遊戯が格段によく分かるようになった。

    『賜物』は、ナボコフがロシア語で書いた最後の長編小説である。舞台になっているのは1920年代のベルリン。主人公のフョードルは、文学を志す青年である。彼の父は有名な学者であり探検家でもあったが蝶の採集旅行中に中央アジアで消息を絶った。母と姉を亡命先のパリに残し、青年は一人ベルリンで、文学修行中である。小説は、フョードルの文学的成長と一人の女性との恋愛をからませながら、やがて彼が書くことになる一編の小説を暗示して終わる。

    主人公の視点で描かれる、当時のベルリン市街の情景が、ドイツ嫌いであるにもかかわらず、青年らしい瑞々しい筆致で浮かび上がり、読者はまるで現実の二十世紀初頭のベルリンの街に入りこんでしまったように感じさせられる。それでいて、いつの間にかグリューネヴァルトの森は青年の故郷ペテルブルグにある領地レシノの記憶に置き換えられている事に読者は気づくことになる。フョ-ドルは紅茶もマドレーヌもなしに、絶えず回想の光景の中に入りこんでしまう。

    故郷喪失者として、フョードルは、いつもロシアから離れられない。それと、父が一緒にいた幼い頃の記憶が、彼の文学の通奏低音となる。第一章は、フョードルの詩を主題にしているが、その中に「失われたボール」と「見出されたボール」という詩句が登場する。プルースト的主題の暗示であろう。第二章では、遺された父に関する資料をもとに、父の愛したプーシキンを意識しながら、中央アジア探検の旅を描き出そうと試みる。天山山脈やゴビ沙獏を行く父の探検旅行には、いつしか「ぼく」の分身が紛れ込む。主人公の眼で描かれる中国辺境の地の光景は異国趣味的発想の強いもので、ナボコフの創作と思いがちだが、訳註によれば当時刊行されていた複数の探検記録に基づいて書かれたものらしい。

    ナボコフは、作家志望の青年を主人公に据えることで、ロシア文学という副主題を持ち込むことに成功している。主人公が出入りする亡命ロシア人文学サロンの仲間との対話を通じて、あるいは、フョードルの独白や作品に、プーシキンやゴーゴリと言ったロシアを代表する文学者の主題を自在に展開している。そればかりではない。何と、フョードルが書いた作品として第四章まるまるを、チェルヌイシェフスキー(ロシアの評論家、革命家)の評伝にあてている。丸谷才一が、この手法を愛で、自作に採り入れたのが『輝く日の宮』である。所謂小説内小説という形式だが、レーニンもその著作を愛読したという歴史的人物が戯画的手法により徹底して矮小化されており、最初の出版ではこの部分は削除されるという憂き目を見る。

    運命に操られた男女がすれちがいを繰り返しながらも、最後に出会うというモチーフは、ナボコフ偏愛のものらしく『ディフェンス』にも用いられていたが、ここでも、フョードルと下宿の娘ジーナとの出会いは、運命ならぬ作者ナボコフの手によって、何度もすれちがいを演じさせられている。読者は、最終章の二人の会話から、それまで何度も彼らが、出会うチャンスを逸してきたことを知らされ呆気にとられる。よく読んでみれば、初読の際にはまず読み過ごすであろうというさり気ない叙述の仕方でヒントを与えられていたのだ。ナボコフのほくそ笑むのが見えるようだ。

    「気がつかずに通り過ぎてしまいそうな細部が、別の場所で再現反復されたり、他の細部と照応したりする」手法はここでも健在で、下宿の黄色の地にチューリップを描いた壁紙が、女性の服地になったり、第一章で知人の息子の自殺現場に居合わせたセッター犬を連れた建築家が、最終章で、フョードルが日光浴している同じグリューネヴァルトの森に律儀にも顔を見せたりしている。

    その森に向かう途上、主人公の目を通して、読者は興味深い少女の姿を見ることになる。「この娘には、彼が多くの女性たちに見出しているある種の魅力の―それは明確なものであると同時に、無意識的なものでもあった―ひとかけらが含まれていたのだ(中略)そして今擦れ違った少女の方を振り返って、ずっと前からお馴染みの、束の間しか姿をとどめない黄金の線を捕えると、それはすぐさま永遠に飛び去った。このとき彼は、一瞬、絶望的な欲望がこみ上げてくるのを感じた。それは満たすことができないがゆえに、魅惑的でもあり、豊かでもある―そんな欲望だった。低俗な悦楽をつかさどる陳腐な悪魔よ、「好みの種類(タイプ)」などというひどい決まり文句でぼくを誘惑しないでくれ。いやそんなものではない、それを超えた何かなのだ。」

    この口吻にハンバート・ハンバートの息づかいを感じるのは評者だけだろうか。主人公のフョードルは、蝶と詩作を好み、チェス・プロブレム好き、ベルリンにいたのも同時代ということで、主人公と作者を同一視しないよう、「英語版への序文」で作者ナボコフはわざわざ注意している。とすれば、後年、アメリカに渡ってから描かれることになる『ロリータ』の主人公、あのハンバートはヨーロッパ時代、こんなところにひっそりと隠れ住んでいたのである

  • 沼野先生の訳ではあるが、数多の文学的な技巧や趣向を散りばめた小説だとは思うが、メタよりもベタ、軽みよりも重さが好きな僕には合わなかった。
    最初、100ページほど読んで、長く積読状態にしておいた。
    もはや、何が書いてあったのかもほとんど忘れていたので、シーシュポスのごとく、粛々と振り出しへと戻った。
    集中力に乏しく、興味が拡散していってしまう僕にはありがちなことだが、ひょっとしたら、物語の方もいささか駆動力を欠いていたのかも知れない。
    (と、自らの無能を他人の所為にする、全く悪い癖だ!)

    巻末の沼野先生の本書の面白さを全て語り尽くさんとする「熱い」解説を読むと、自らの不明を恥じるのみだ。/


    【いささか長々しい要約になったが(略)、これを読んだだけでは『賜物』という小説の手ごたえはまったく想像できないだろう。そもそも小説をあらすじに還元することは、他ならぬナボコフ自身が軽蔑したことだが、それをあえてここでしてみたのは、『賜物』にいかに多くの要素が詰め込まれているか示すことにより、これがそもそもあらすじに還元できる作品ではないことを再確認したかったからである。】(解説)

    と解説で沼野先生も書いておられるので、せっかくなのであらすじは省略させていただく。生来の怠け者である僕には、その方がずっと楽なので。/


    【キッチンでは早口の、腹を立て興奮した会話が始まった。南方方言やモスクワ訛りの人にはよくあることだが、この母と娘も二人の間ではいつも決まって、まるで喧嘩でもしているような口調で話すのだった。※1

    ※1 :ペテルブルク出身のナボコフがモスクワ発音に対して抱いていた個人的な「偏見」が多少入っているようだが、一般的に、ペテルブルクの話し方のほうが丁寧で、モスクワのほうが荒っぽい感じがするとはしばしば言われる。モスクワ出身の言語学者ロマン・ヤコブソンがハーヴァード大学における講義で『オネーギン』を朗読したとき、それを聞いたナボコフは客席で「ひどい!」とぶつぶつ呟いていたという、おそらくヤコブソンの「モスクワ訛り」がナボコフには耐えがたかったのだろう。】(第3章)


    兎にも角にも、ナボコフはヤコブソンの講義を聞いていたのだ。
    ロシア・フォルマリズムとナボコフが繋がった。/


    【発明の才に恵まれたチェルヌィシェフスキーが穿き古したズボンをどうやってかがろうか、頭をひねっている姿を私たちは目の当たりにすることになる。黒い糸が見当たらなかったので、彼はそこにあった糸を何でも構わずインクに浸すことにした。そのすぐ脇にはドイツの詩集が置かれていて、『ヴィルヘルム・テル』の冒頭が開かれていた。彼が糸を振ったため(乾かそうと思ったのだ)、そのページにインクが数滴掛かってしまった。しかし、その本は人から借りたものだった。窓の外の紙袋にレモンを見つけた彼は、インクの染みをそれで抜こうとしたが、結局、レモンで染みを黒ずませ、おまけにこのたちの悪い糸を置いた窓敷居も汚しただけのことだった。すると彼はナイフの助けを借りることにし、染みを削り取ろうとした(穴のあいた詩を収めたこの本は、ライプチヒ大学の図書館に所蔵されている。(以下略)】(第4章)


    ここを読むと、なんだか自分自身の姿を見ているようで、笑いが止まらなくなるのだ。そう言えば、買ってきた照明を子供部屋の天井に取り付けようとして、引掛シーリングを壊してしまって業者を呼ぶこととなり、家族の大顰蹙を買ったことがあったっけ。/


    【チェルヌィシェフスキーはそこで一番いい家に入居させてもらった。そしてヴィリュイスクで一番いい家というのは、要するに監獄だった。彼の湿っぽい独房のドアには黒い防水布が張られ、二つの窓は、ただでさえ棒をびっしり組んで作った柵に直面しているのに格子がはめられていた。他に流刑囚がまったくいないため、彼は完全な孤独に陥った。絶望、無力感、だまされたという意識、深淵のように口を開ける不公平感、極地の生活の醜悪な欠陥ーーこんなことばかりで、彼はほとんど気が変になりそうだった。】(同上)


    この部分を読むと、病院の閉ざされた部屋で、一日中寝てばかりいる老母のことを思い出してしまう。/

    衰えし 母一人さえ 救えざる 「無能の人」なり 心底我は/


    先生には申し訳ないが、僕にはむしろ解説の方が興味深かった。
    ここ数年気になっていたナボコフとロシア・フォルマリズムとの関係に関しても、実に貴重な情報を得ることができた。


    第4章は、丸ごと主人公フョードルの手になるチェルヌィシェフスキーの伝記となっている。

    【ナボコフがここで行っているのは、それまで常識であった伝記の書き方ーーつまり、伝記とは人物の生涯に関する事実を微に入り細を穿つように調べ上げ、集積することだという考え方ーーに対する挑戦であり、それは同時代を見ると、ソ連国内のいわゆるロシア・フォルマリストの理論と実践に近いものだったと言える(ナボコフ自身は例によって他人の影響に関しては否定的だったが)。新しいアプローチによってトルストイの伝記を書いたエイヘンバウムや、やはりトルストイの『戦争と平和』において歴史的素材がいかに芸術的手法によって変形、再構成されているかを分析したシクロフスキーなどの立場が、チェルヌィシェフスキー伝を書いたフョードル=ナボコフに近いことは否定できないだろう。】(解説)


    【『賜物』には、じつはナボコフ自身が「付録」と仮に名付けた作品が二つある。

    ー中略ー

    第一付録は、一九三四年に書かれた「環」という作品である(邦訳は『ナボコフ短篇全集Ⅱ』に所載)。これはナボコフ自身の説明によれば、『賜物』に取り組んでいる最中に、言わば『賜物』という本体から離れ、「衛星」のようにその周りを回転し始めた短篇だった。

    ー中略ー

    第ニ付録とは、現在「父の蝶」と呼ばれているもので、一九三九年の初頭に書かれたものと思われるが、未完無題の草稿のまま残り、生前は出版されることがなかった。

    ー中略ー

    これは『賜物』のフョードルが父の伝記を書くために準備した材料と見なせるもので、フョードルが蝶に熱中し、蝶に関する父の著作を読み耽った子供時代の回想と、蝶の分類法、種の概念、進化、擬態などに関して父が残した抽象的で哲学的な論考が含まれている。】(同上)


    「父の蝶」は、この全集が出た2010年にはまだ邦訳されていなかったが、今では沼野・小西訳の『ナボコフ・コレクション 賜物 父の蝶』(新潮社)が出ている。

  • hitomi
    『ロリータ』で容易く挫折して以来の苦手意識を抱えたまま(『カメラオブスクーラ』『絶望』のウォーミングアップを挟み)儘よ!と読み始めた大作『賜物』は案の定苦戦を強いられ第1章すら読み切る自信がなかった。ところがいつしか忍耐が陶酔に変わり、人物描写のユニークさに引き込まれ、幻夢の如く蝶が飛び交い光刺す美しい自然の風景やベルリンの都市の不穏なざわめきに心震え、何より文学への熱い想いが私の胸を刺す。ナボコフ特有の言葉の仕掛けを見落とそうと、文学史の素養がなかろうと十分に文学の醍醐味を味わうことができた。素晴らしかった!

  • 言葉遊びにみちている。

  • 難解だけれども、とても壮大で美しい小説。

    この小説は、時間、あるいは記憶が主題となっている。
    ロシア革命でドイツに亡命し、小説家、詩人として自らの作品を世に問いつつあるロシア人青年フョードルが主人公。

    フョードルが詩人としてはじめて出版した詩集に描かれている幼年時代の記憶。
    フョードルの知人である夫妻のひとり息子で、自らベルリンの公園の森で命を絶ったヤーシャの記憶。
    探検家であり昆虫学者であるフョードルの父の記憶を題材にした未完の小説と、そのなかに描かれる異国の蝶の美しさ (ナボコフ自身、蝶類の学者だそうだ!)。
    世界そのものの真の美しさに目を向けようとせず、抽象的な理論に終始する19世紀ロシアの唯物論者チェルヌィシェフスキー批判の小説。(こういう時代背景があってドストエフスキー「罪と罰」も生まれたんだなぁ。)

    主人公は、時間にしばられた有限な存在としての人間の記憶に、あらたに言葉の音楽を吹き込んで作品とすることで、円環としての人間の営みを超越することを願望する。
    「このすべてがそんな風に閉ざされ、魂の物置の片隅で失われてしまっていいものか、そんな風にはさせたくない、このすべてを自分に、自分の永遠と自分の真実に適用し、それが新たに成長するのを助けたいという、居ても立ってもいられないような狂おしい願望に彼はとらわれた。方法はあるーーただ一つの方法が。」
    「そして非対称性や不平等に向かおうとする衝動から、ぼくには本当の自由を求める叫びが聞こえる、それは円環から脱出したいという願望であって…」

    そして時間のかなたへと飛翔するのだ。
    「さらば、本よ!」

  • 面白かった。
    ジーナかわいいよジーナ

    しかし私が学生のとき読んだ『賜物』はこんな話じゃなかった

    ・主人公は文学青年
    ・国境を越えて旅に出る
    ・そのまま生死不明
    ・まあバッドエンド

    こんな感じだった
    じゃあこの記憶は別の小説のものなのか! どういうことなの!

  • ナボコフの大長編。しかし大長編というようなおおきなドラマはない。もしろ作家はディテールの、ミニマムな言葉のアクロバットに熱中しており、ちょうど泉鏡花にそっくりだ。
    このような作品を十分に味わうには、余暇と忍耐強さが必要だろう。
    自分も後年のひねった、珍奇さのある小説のほうが楽しいのだが、これはこれで実に濃厚な、ナボコフならではの文学になっていると思う。

  • [ 内容 ]
    1984年、ベルリンに暮らす20代半ばの亡命ロシア青年フョードルは、最初の詩集を刊行したばかり。
    世界的な鱗翅類学者の父は1916年に中央アジアへの探検旅行に出かけたまま行方不明となり、美しき母と姉はパリに暮らす。
    彼自身の生活は貧窮を極めるが、プーシキンやゴーゴリといった偉大なロシア文学への献身が揺らぐことはない。
    父とともに蝶を追った別荘の思い出、亡命ロシア人サークルにおける文学談義、運命の女性との夜ごとのベルリン彷徨…。
    やがて彼は、芸術を二次的なものと考える進歩的思想家チェルヌィシェフスキーの評伝執筆に全力を傾けるようになる。

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著者プロフィール

1899年ペテルブルク生まれ。ベルリン亡命後、1940年アメリカに移住し、英語による執筆を始める。55年『ロリータ』が世界的ベストセラー。ほかに『賜物』(52)、『アーダ』(69)など。77年没。。

「2022年 『ディフェンス』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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