古事記 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集01)

著者 :
  • 河出書房新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (402ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309728711

感想・レビュー・書評

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  • まずは古事記の成り立ちについて。
    元明天皇(天智天皇の皇女)が、大朝臣安麻呂(おおのあそみやすまろ)という官僚に対して、天武天皇が稗田阿礼(ひえだのあれ)にという記憶の天才に口付から教えた正しい歴史を文字にして残せと命じたもの。それを受けて安麻呂は、古い音声を漢字に移すのに苦労しながら、古事記三巻として和銅五年正月に奏上した。
    上巻は国の始まりから、神々の時代。大国主が治めていた地上を天上界の神の天照大御神に譲り、現代にも続く天皇家の血筋が作られた。
    中巻は、初代神武天皇から十五代応神天皇の時代で、神々と人間とが融合している。
    下巻は、十六代仁徳天皇から三十三代推古天皇の時代で、終盤になると現代の教科書にも乗っている歴史上の人物であり、神性は消えて人間の時代となっている。

    池澤夏樹版の現代語訳としては、
    古事記での言葉のリズムや言葉遊びを大事にして、現代語や現代用語に読みくだすもの。本文の下に訳注を載せて、当時の風習や名前の意味などを解説している。ところどころで池澤さんの楽しいツッコミもあり(笑)
    現在使われている言葉の語源や地名のいわれにも触れられて、日本語の語源はここにあったのかなどとも思わせられる。
    人名に関しては、出てきた最初は漢字表記(天照大御神/アマテラス・オホミカミ)、次には漢字と読み仮名、そしてカタカナ表記(アマテラス)へと変えている。
    古事記においての名前というのは、当初は交互で伝わったのを漢字に変えたもの、またはその人物の役割により跡付けて名前が付けられたもの(美女と言われているから「髪長比売かみながひめ」という名前になった、とか)なので、それぞれの名前を表記と訳注で解説されている。

    しかし神からの血筋紹介でもあるこの古事記において、多くの人名が何ページにも渡って列挙されているが、現代読者としてはほぼ飛ばし読み。そのため名付けによる地位や役職のルールもよくわからずでした、ゴメンナサイ(^_^;)

    「物語」としては、神から人間に受け継がれた血筋の説明、勢力争い、色恋沙汰などがかなりスピーディな展開で語られる。
    性交して便所に入って嫉妬して反乱を起こして、神とその血筋の者たちとはいえ、彼らの行動は実に人間らしい。以下「物語」としていくつかの箇所を記載。

    【夫婦】
    ❐イザナギとイザナミ(上巻)
    出会ったときは「俺には余ったところがあるんだ」「私には足りないところがあるの。では合わせましょう」などと初々しくあけっぴろげに性愛を語った伊邪那岐命(イザナギ。性行為に誘うの意味)、伊邪那美命(イザナミ)だったのが、やがて妻イザナミが死ぬと黄泉の国でのやり取りのあと「あなたの国の人間を一日1500人死なせてやるわ!」などと壮絶な夫婦戦争に(-_-;)。

    ❐オオクニヌシと妻たち(上巻)
    後に大国主となり地上を治めるオオムナヂのカミには多くの妻たちがいた。
    建速須佐之男命(タケ・ハヤ・スサノヲのミコト)の娘の須勢理毘売(スゼリビメ)は、積極的に夫を選び、オオクニヌシの正妻になった。他の妻たちはスゼリヒメに遠慮して過ごさなければいけなかった。しかし大国主はそのスゼリビメ一人のところに留まったわけではなく他にも妻たちのところへ行き多くの子を成した。スゼリヒメと大国主は歌を贈り合い、大国主はスゼリビメの元に留まることになった。

    ❐八十年待たされた女?!
    二十一代雄略天皇は、ある美女を見て迎えに来ると約束した。美女はそのまま八十年待ったが迎えは来ずについに自ら宮廷に上がった。約束をすっかり忘れていた天皇は「おまえはどこ老女だ?」といって追い返そうとしたが、約束を思い出し、でも今更妻にはしたくないのでお金をもたせて帰したらしい。
    訳注によると実際は十年くらいだろうって。でもこの時代だったら20歳後半でもう老女扱いだろうし、しかし天皇自ら口約束されたら別の結婚なんてできないし、こういう女性は多かっただろうなあ。

    ❐性表現
    やたらにホト(女性器)という言葉が多いんだ。そして排泄行為や生理の血のこととかもそれなりに描かれている。古代人間において、それらは当たり前のことで実におおらか。

    【出産】
    ❐イザナミ(上巻)
    火の神を生んだために女性器が焼けただれて死んでしまった…勘弁してくれ(;´Д`)

    ❐コノハナサクヤヒメ(上巻)
    アマテラスの孫で地上に使わされた番能瓊瓊杵尊(ホノニニギのミコト)は妻の木花開耶姫(このはなのさくやびめ)が、結婚後すぐ妊娠したため疑いを持った。コノハナサクヤヒメは自分の子供が神の子であることの証明として火を放った産屋で出産したのでした。…あっちこっちに妻を取り子孫を増やしていってるのに子供ができたらできたで疑ってるのか、面倒臭いなあ。

    ❐海のものと地上の人間
    ヤマサチヒコが海の底の国にいたときに、海の神の娘である豊玉毘売命(トヨタマビメのミコト)と結婚した。トヨタマビメは鮫の化身であり、出産するときに鮫の本体を見られたため恥しがりヤマサチヒコのもとに子供を残し住居を分かつことに。しかしこの鮫の子が後の神武天皇。神も人も動物も境がなかったのだろうかと思う古代血脈物語。

    【兄弟・兄妹】
    ❐ウミサチヒコとヤマサチヒコ(上巻)
    コノハナサクヤヒメが命がけで生んだ三人の兄弟だが、その後兄の海佐知毘古(ウミサチビコ)は、弟の山佐知毘古(ヤマサチビコ)と壮絶な兄弟喧嘩の末、弟の部下になることになる。
    さて。古事記でも名高い美女の木花咲耶姫だが、姉とは別れ夫には浮気を疑われ息子たちは争い、権力者の美人妻も大変ね。

    ❐サホビコとサホヒメ(中巻)
    十二代景行天皇の后、沙本毘売命(サホビメのミコト)は、同母兄の沙本毘古王(サホビコのミコト)に「夫と兄とどちらが愛しいか」と聞かれてつい「兄のほうが愛しい」と答えてしまう。その結果サホビコが起こした景行天皇への反乱に加わる。景行天皇はサホビメを取り返そうとし、サホビメも夫の天皇を愛しく思うが、同じ母を持つ兄との絆は自分の命も超えていた。サホビメは景行天皇に、自分が死んだあとの息子の育て方、次の妻を指示して兄とともに亡くなる。
    サホビメの行動はどっちつかずな気もするが、どっちも裏切れずに自分が死ぬしかなかったのだろうか。

    ❐恋愛倫理について
    木梨之軽王(キナシ・ノ・カルのミコ)は、同母の妹の軽大郎女(カルホのオオイツラメ)と恋において糾弾される。異母妹や、自分の母ではない父の妻を娶ることは許されたが、同じ母から生まれた相手と結ばれることは人倫に外れることだった。彼らは共に死ぬ。
    古事記に記載されるにあたって「人倫が無い」ということで、行動により後で付けられた名前。

    ❐皇子→動物番→天皇
    意祁王(オ・ケのミコ)と袁祁王(ヲ・ケのミコ)の兄弟は、父が殺されたあと逃れて動物番をしながら生きていた。その後血筋が認められて都に復帰、まずは弟が二十三代、兄が二十四代の天皇になる。この兄弟は人生山あり谷あり大逆転ぶりも面白いが、互いに譲り合い助け合い力を合わせて困難や戦いを乗り越えている。

    【勢力争い、反乱】
    古事記においては去った者たちへの記述が多い。
    ❐大国主から天照大神への国譲り(上巻)
    大神様アマテラスだが、弟スサノオが暴れたら岩戸に隠れたり、地上の主を誰にするか悩んだり、案外神様っぽくない。しかし古事記の上巻終盤あたりからは天皇家の血筋になるのだが、上巻では国を譲る側のオオクニヌシたちの話にもページを割いている。

    ❐ヤマトタケルの物語(中巻)
    主流の血筋から去ったものの中でも倭建命(ヤマトタケルのミコト)に関しては古事記で唯一生まれてから死ぬまで、その心情に至るまで記載されている。
    ヤマトタケルは、十二代景行天皇の息子で、生まれたときの名前は小碓命(ヲウスのミコト)。父に、兄の大碓命(オホウスのミコト)を諌めよと言われて殺したことから、父に疎まれ(そりゃあいきなり殺しちゃったら警戒されるだろう…)、国中の反乱者たちの成敗に向かわせられる。父は自分の死を望んでいるのだろうかと嘆きつつも従うしかなかった。ヤマトタケルが死んだらその魂は白鳥となって飛んでいった。

    ❐高行くや(中巻)
    十六代仁徳天皇は幼名を大雀命(オホ・サザキのミコト)といった。その弟、速総別王(ハヤブサ・ワケのミコト)は、兄が思いを寄せる腹違いの妹の女鳥王(メドリのミコ)を妻とする。メドリのミコは夫に「あなたはヒバリより高く行くハヤブサでしょう」と歌い反乱を囁く。結局その反乱は失敗に終わり、彼らは共に死んだ。
    この「高行くや」の挑発的な歌の部分が高校の教科書に載っていた。

    ❐古事記版ハムレット?
    二十代安康天皇は、親族の大日下王(オオクサカのミコ)を殺し、その妻を奪った。ある時自分の父が叔父に殺されたことを知った7歳の目弱王(マヨワのミコ)は、天皇の首を斬り、配下の都夫良意富美(ツブラ・オホミ)の館に逃げ込む。安康天皇の息子の軍に包囲されたツブラオホミは、自分を頼みにしてこに家に逃げ込んだ王子を見捨てるわけには行かないと、マヨワ王子と共に死ぬのだった。格好いいが格好良すぎる、どこか創作を感じるのだが、この去った者を格好良く哀愁漂うように書くのが古事記なのだろう。

    • 淳水堂さん
      mariさんコメントありがとうございます!
      コノハナサクヤヒメは人生通しで考えると結構大変そうだなと改めて思いまして(笑)
      ニニギにしろ...
      mariさんコメントありがとうございます!
      コノハナサクヤヒメは人生通しで考えると結構大変そうだなと改めて思いまして(笑)
      ニニギにしろ他の男性にしろ、「一夫多妻で子孫はどんどん増やそう」というのと、「とりあえず気に入った女には声だけでもかけとく。一人の女のところには短期間しかいないけど認知は慎重にしたい」を両立させるのって大変そうだな〜なんて(笑)
      2020/01/09
    • 淳水堂さん
      mariさん
      古事記の中でも自由意思で夫を選んだスゼリビメでさえ、「私は女だからあなただけを待つしかありません」てオオクニヌシに歌いかけね...
      mariさん
      古事記の中でも自由意思で夫を選んだスゼリビメでさえ、「私は女だからあなただけを待つしかありません」てオオクニヌシに歌いかけねばならないくらいですからね。
      スサノオの「娘を幸せにしてくれ〜」みたいな台詞は素直で良いなあと思います。
      2020/01/09
  • めっちゃフリーダムで欲望にダイレクトやな、古代人。
    …というのが、読後の第一の感想。
    とりあえず、国認定の「正史」というお堅いイメージが、いい意味で崩れました。

    712年、奈良の都の時代に成立した、日本最古の歴史書で、三巻構成となっています。
    天照大御神や、イザナギ・イザナミが特によく知られる、神世の時代を記した上巻。
    初代の神武天皇から第十五代の応神天皇の御代までを記した中巻。
    十六代の仁徳天皇から三十三代の推古天皇の御代までを記した下巻。

    大喧嘩したり、争ったり、はたまた恋する神さまたちが自由なのはもちろんのこと。人間たちも負けてはいない。

    帝位をめぐって、絶えず兄弟間で殺しあう皇族たち。
    そうして殺された父の仇を討つべく天皇である伯父を暗殺する7歳男児と、邸に逃げ込んできた彼を匿い、討伐軍と戦い、謀反人として自害する老家臣。
    苛烈すぎる気性が災いし、遠ざける口実として、父である天皇の命で日本各地の異民族の平定に赴かされ、父との不仲を嘆きながら異郷で没するヤマトタケル。
    天皇の子を孕んだ后でありながら、帝位への野心を持つ同母兄との近親相姦をきっかけに、謀反を起こし、兄に殉じて死を選ぶ美女サホビメ。
    …等々。

    神の子孫である天皇ですら例外でなく、自分たちの欲望や野心に忠実に、愛したり、至高の地位のために争い、殺し合い、仇に復讐し、義に殉じ…勝者は栄え、対して敗者は死んだ人々の姿が率直に描かれた、たくさんのエピソードがつまっていて、そこに美化はなく、かなり興味深く読めました。

    とはいえ、あまりの登場人物の多さと慣れない名前の羅列に、本当を言うと、内容の半分も理解できてなかった気もします。(血筋・系統がものすごく重要だったからなんだろうけど、たくさんいる妻やそれぞれに生まれた子供の名前を逐一列挙されても、頭に入らない…。)

    たくさんのエピソードがつまっているというのは、裏を返せば、「寄せ集め」というのと同じことで、ものすごく、荒削りで混沌としたつくりをしているのだけど、それこそ、「日本の黎明期」を象徴する作品だと言えるかもしれません。

    訳者解説で、池澤夏樹さんが、古事記を「素材が多すぎて、口調が早すぎる未整理の宝の山」と称しているのは、言い得て妙。
    読んでみると、わからないなりに、なんだか「未開の魅力」があるということだけは、伝わりました。

    時間をおいて、古典の知識を深めた上で、もう一度再読したいですね。

  • この春から池澤夏樹個人編集日本文学全集を順次読んで行こうと思う。改めて「教養」を身につけたいと思ったからである。

    第一回の配本は、愉しみにしていた池澤夏樹訳の古事記。お父さん(福永武彦)の訳は一個の独立した新しい小説のようだった。池澤訳は、それとはまた雰囲気が違う。1番の特徴は「注」があることだ。しかも楽しい。学者のそれではなく(もちろん、学術的な厳密さも担保してあるはず)、朗読の聴き手、読み手としてのそれなのだ。例えばこう。

    (黄泉の国のイザナミの言葉)「私を見ないでください」の解説にこう書く
    「と言われて見てしまうのは物語のお約束である。禁忌と違反。」

    または「ネズミ」について
    「語源は「根に棲むもの」。地下の動物とみなされていたから。だから後には「おむすびころりん」のような話が生まれた。」


    なぜ「注」を入れたのか。池澤夏樹によれば、物語の面白さを優先させれば学術的な説明が削ぎ落とされてしまう、しかし古事記の面白さは朗読した時のリズムが重要(長い長い名前の羅列もそう思えば重要に思える)、よって小説家の訳なのに「注」が入ったというわけだ。

    例えば1番最初につぎつぎと生まれる神々の名前は、かなり「言葉あそび」があるらしい。また、抽象的な意味も持たせている。それを説明せずに朗読して聞かせることが意味があったのだろう。

    ともかく池澤訳で一気に読ませる国定公文書の「歴史」は、豊穣な想像力と世界的な知識と有名な歌歌の表現力に満ちている。

    また、池澤夏樹に指摘されて初めて気がついたことの一つに、その後の日本人の思想に決定的な影響を与えた、「敗者に寄り添う思想」が色濃く見えるのは、驚きだった。

    1番の象徴的な人物はいうまでもなくヤマトタケルである。池澤夏樹は「ここに来て文体が一変する。稚拙な神話的表現と権力の配分に関わる系譜ばかりだった(←古事記後半の11代垂仁天皇までの文章を指す)のが、この話の殺害場面の生き生きとした描写力はほとんど映画だ」(202p)と評価する。「ヲウスからヤマトヲグナへ、そしてヤマトタケルへ、名が変わるごとに成長の一段階を上がる。そもそも生涯を誕生から死まで語られる者は「古事記」にはヤマトタケルしかいない」(204p)

    「『古事記』には負けた側への同情の色が濃い。おおよそこの国の君主は古代以来ずっと政敵への報復に消極的で、反逆者当人は殺しても一族を根絶やしにすることはしなかった。そのうちに具体的な権力への執着を捨てて、摂関政治のあとは神事と和歌などの文化の伝承だけを任務として悠然と暮らすようになる。これはまこと賢い判断であって、こんなのんきな王権は他に例を見ない。その萌芽を『古事記』に読み取ることができる」(393p)

    もし天皇の(現代まで繋がる)権力執着放棄が「賢い判断」なのだとしたら、それは決して古事記の時代に発明されたものではないだろう。私はそれを倭国統一時以来の伝統的な思考と見る。

    古事記の個々のエピソードからは面白かったものは無数にあるが、それをひとつひとつ書くことは今はできない。また、機会があれば書きたいと思う。

    2015年5月2日読了

  • この本、どこかで読んだことがある。そんな気がした。内容ではない。見かけのほうだ。読みやすい大き目の活字で組まれた本文の下に、小さなポイントの太字ゴチック体の見出しに続いて明朝体で脚注が付されている。丸谷才一他訳による集英社版『ユリシーズ』のレイアウトそっくりではないか。まさか敬愛する丸谷の訳本に、自分の訳本を重ねたわけでもあるまいが、偶然とは考え難い相似である。考えすぎかもしれないが、古代の神々と英雄の冒険を語る『オデュッセイア』に擬した自作を『ユリシーズ』と名付けたジョイスにあやかるつもりか。たしかに、この「古事記」、日本文学の古典というよりもモダニズム文学の文体のほうに余程似ている。行替えやら一字下げやら括弧・カタカナを駆使した表記のおかげで、風通しのよいテクストとなった。

    以前に訳者の父である福永武彦が書いた「古事記物語」(岩波少年文庫)を読んだことがあるが、子ども向けということもあって、幾百にも及ぶ神名・人名は主要なものを除いて省略されていた。今回の新訳で驚かされるのは、漢字とカタカナによる神名・人名表記の羅列だ。神のヒエラルキーをそのまま地に下ろして、地方の豪族の祖先を組み込むことで、反乱を繰り返す地方豪族を武力ではなく言葉の力によって懐柔し、従属させる意図があってのことだろう。乱れてしまっていた帝紀・旧事を正すという原著が持つ意味からもこの羅列は必須であった。ほとんど読み飛ばされるだろう箇所に、興味を持たせるためか、出身地方にあたる現在の地名が詳細な脚注に記されているのもうれしい。

    こんなことでもなければ一生読まずにすませただろう「古事記」の中身だが、ヤマトタケルやオホクニヌシの話は誰もがよく知っている。神名・人名の羅列による系図の部分を除いたら、あとは神々や英雄の冒険、悲恋、裏切り、復讐の炎渦巻く物語の世界である。現代語訳のせいもあって、スピーディーな展開は驚くほど。あれよあれよという間に話は進んでいく。そのあっけなさを救うのが、所々に配された歌謡である。天皇らしく国見の歌もあれば、女に誘いかける歌もある。宴会の歌もあれば、名のりの歌もあって、元の歌を示した後に続けて現代語に訳した歌、そして脚注に詳しい解説が記されている。歌のリズムは原文、意味は訳、説明は脚注で分かる工夫。

    神代の話は線が太くおおらかで力強い。糞尿譚やら、何かで女陰(ホト)を突く話やらが登場する話がやたら多いのには驚きもし呆れもするが、それが古代日本に生きた人々の心性というものなのだろう。温水洗浄式便座が愛されるには理由があったのだ。歴代天皇が登場するようになると、話はぐっと人間的になる。床下で遊んでいて自分の父を殺したのが天皇であったことを知り、復讐を果たす王子の話など、シェイクスピアの悲劇にでも出てきそうだ。実の兄妹どうしの悲恋や、負け戦を承知の上で筋を通して天皇に反旗を翻した臣の話等々、敗者に肩入れした記述が多いのは意外であった。読んでみるまでは歴代天皇の事跡を誇らしげに語ったものが多いのだろうと勝手に思い込んでいたのだが。代々に亘る血腥い闘争や姦計、裏切りに至るまであからさまな筆致で記している。

    正月はもちろん、何かあるたびに伊勢神宮を参拝する宮家や政府高官の姿が報道されるのは、皇祖神とされる天照大御神をまつっているのが、伊勢神宮(内宮)であるからだが、意外なことに「古事記」には皇統でない出雲にまつわる話が多く採録されている。また、韓(から)との関係も古くから続くこともしっかり書かれている。戦前の教育に対する反省の上に立ち、戦後は教育の現場から神話が排除されてきた。「古事記」についても、日本史の中で触れられるにとどまり、真剣に中身まで読む機会がなかった。今回、世界文学全集に続いて、日本文学全集が企画され、その第一巻として「古事記」新訳が編者の手によってなされることになり、読むことを得た。訳だけでなく、組版やレイアウトなども読みやすいかたちになっていて、以後一般読者にとっては、これがスタンダードになるのではないかと思う。幅広い読者を得られるようになれば何よりだ。何かときな臭い時代である。だからこそ、誰もが自分の国の成り立ちや、そこに暮らしてきた人々のあり方に、誰かの目を借りることなく、自分の目で真っ直ぐに向き合うことが必要とされている。その意味でも時宜を得た出版であるといえよう。

  • 第1回配本 第1巻 11月14日刊行開始
    【新訳】原文の力を活かしたスケールの大きい池澤古事記の誕生!(帯装画:鴻池朋子 月報:内田樹、京極夏彦)

    世界の創成と神々の誕生から国の形ができあがるまでを描く最初の日本文学。神話と歌謡と系図からなる錯綜のテクストを今の我々が読める形に。日本最古の文学作品を作家・池澤夏樹が新訳する。原文の力のある文体を生かしたストレートで斬新な訳が特徴。読みやすさを追求し、工夫を凝らした組みと詳細な脚注を付け、画期的な池澤古事記の誕生!

  • おなじみの神さまたちの話がずいぶんあっさりまとまっていて意外だった。ひとつひとつの話がもっと長いのかと思っていた。翻案した絵本や何かに接してきたから、いろいろ余分なイメージが自分の中にたまっていたような気がする。

    古事記はとてもおもしろいというわけではないんだけど、人間は自分のルーツをたどりたいものなんだなと実感した。

  • 日本人に生まれたのだからと思って手に取った、我々日本人のルーツ。
    初めての古事記。

    脚注をこまこま読んでたせいか最初はなかなか内容が頭に入ってこず苦戦し、間があいてそれまで読んだ内容を忘れてしまったのをきっかけにざーっと読み返したら、流れが生まれて面白くなった。
    やっぱり、神話の世界を描いた上巻が個人的にはおもしろい。ぶっとんだことが淡々と書いてあって。
    中巻では神話の世界と地続きで歴史上の人物が出てくるので、歴代天皇たちまで神話の世界の実在しない人かのような気持ちに…。
    下巻はTHE権力争い、という感じ。
    下知識の足りない私にとって、時代背景や奥行きを知る手助けを大いにしてくれた脚注も、なんとも興味深く、ありがたい存在。(先に書いたように、まとめて読むやり方が私には合っていた)
    他のを読んでいないので比べようがないのですが、とっつきやすく、大変読みやすい現代語訳なのではないかと思います。
    わかりやすく書かれていることで、古代の話と思えないくらいの不思議な親近感。
    登場人物たちの人間臭さよ。
    あと、名前が雑な人とか性的描写とかがあからさまだったり、展開が早かったりして笑える。

    敗者の物語がこうして残っているのはすごいことだなと思う。
    最後の解説がまた、なんともよいです。
    プレスト。

  • 池澤夏樹氏の「古事記」です。
    本当は積読リストに、人気作家三浦しをんさんのお父様である国文学者の三浦佑之氏の「口語訳古事記」が先にあったのですが、パラパラめくったら躊躇してしまい、池澤版を先に読んでしまいました・・・(本書の解題を書いていてびっくり)

    これまでも何冊か超訳的なものや紀記合わせた解説本を読んできたこともあり、意外とすんなり世界に入ることは出来ました。
    とはいえ、きっちり最初から最後まで古事記だけを訳されたものを読むのは初めてだったので、新たな発見があり楽しめました!

    まず、もともと古事記は帝紀としての役割があり、多くの氏族の祖先としてたくさんの神を設定し、天皇を中心とする権力のネットワークに有力者を組み込むためにつくられたと言われています。
    通読して、それをすごーく実感しました。
    物語中に「これは吉野の首(おびと)の祖先」とかこれは「膳(かしわで)の臣(おみ)の祖先」などの記載が多々あるところとか、物語が時系列になっていなく、いろいろなエピソードの羅列になっている部分があったりとか、いかにも地方の豪族たちが受け継いだ神話の寄せ集めっぽいんですよね。
    解説に、「古事記全体を貫くのは混乱から秩序へという流れ」という記述があり、まさにそんな印象でした。

    それと、池澤古事記は神の名前を漢字とカタカナに使い分けられて、さらに改行などで読み易くされていました。
    私、(読めないけど)漢字表記が美しくて好きなんです。
    例えば簡単で有名どころで言うと
    月読命ーツクヨミノミコト
    とか素敵な字面と響きだと思いませんか?!
    ヒメなんて、比売とか日売とか毘売とかあるんですよ~
    このあたりはみてるだけで楽しめました。

    また、注釈が時々とてもよくて、例えば高い山に登って、の注釈が、
    「前にもあった「国見」だが、ここには登った山の名も見えた土地の名もない。「聖帝」像のための抽象的な国見なのだ。あるいはもう見ることの予祝の力が信じられなくなった時代の、つまりは呪力ではなく政治の時代の始まりということか。古事記の下巻はこういう世界である。 」
    という具合。いい解説でしょ。

    あとは、文章のリズム感。
    原文のリズム感を意識しているんだろうなーというのも伝わってきました。

    他の解説本でヤマタノオロチのモデルとなった川の解説が印象的でしたが本書にはそれについては一切触れられておらず、やっぱり本によっていろいろあるなあ、とあらためて感じました。
    そのあたりをこだわり始めると別の訳本も読みたくなるんですが、結構脳みそを使って読んだので、しばらくはおやすみします。。

  • 古典が大苦手、日本文学全集の第一巻として池澤訳で上梓されなければ生涯読むことはなかったと思う。日本の起源を崇めるような内容であることへの懸念もあった。ところが読み始めるや否や展開のスピードとダイナミズムに巻き込まれもう止まらない。始めは苦痛だった系譜の羅列も次第に名称の由来の奥行や色目かしさ、言葉遊びのユーモアに魅せられ(池澤氏の脚注の尽力による)、幼い頃から馴染みある説話が繋がるのも新鮮であった。敗者に寄り添う物悲しさ、悲恋とエロティシズムなど小説的要素も強く、こんなに面白い書だったとは…知らなかった。

  • ようやくきちんと読んだ古事記三巻。アマテラスが弟スサノヲの所業を見て、天の岩屋戸に入って中から戸を閉じてしまう話や、八俣のオロチをスサノヲが退治する話、稲羽の白兎と大国主命の話あたりはよく知っているが、あとは代々天皇の伝説的な話が続く。とても読みやすい現代語訳ではあるし、池澤夏樹氏が丁寧につけてくれている注釈を参考にしつつ読めば話についていくことはできるが、如何せん、代々天皇は妻が多く子だくさんで、もちろん伝説と実話の区別は不明だから、名前が列記されているページはかなり読み飛ばしてしまった。
    古代ヤマトを伝える書物として、古事記、日本書紀があるが、解題によれば、日本書紀よりも古事記の方がはるかに自由で大らかな「文学」のようだ。(日本書紀は未読)。確かに古事記はなかなか話がスピーディーに進むし、神様たちは神々しくはなく、続く天皇たちも恋し、喜び、恨み、競い、殺し合う。ギリシア神話を思わせる物語も少なくない。とりあえず「古事記を読めた」という満足感。

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著者プロフィール

1945年生まれ。作家・詩人。88年『スティル・ライフ』で芥川賞、93年『マシアス・ギリの失脚』で谷崎潤一郎賞、2010年「池澤夏樹=個人編集 世界文学全集」で毎日出版文化賞、11年朝日賞、ほか多数受賞。他の著書に『カデナ』『砂浜に坐り込んだ船』『キトラ・ボックス』など。

「2020年 『【一括購入特典つき】池澤夏樹=個人編集 日本文学全集【全30巻】』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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