源氏物語 上 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集04)

著者 :
  • 河出書房新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (704ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309728742

感想・レビュー・書評

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  • あなたは「源氏物語」を知っているでしょうか?そして、そんな物語を読んだことはあるでしょうか?

    世界最古の小説とも言われ、世界の20数か国語に翻訳されてもいる小説、それが「源氏物語」です。とはいえ、”源氏物語=小説”という図式にはどこか違和感を感じないではありません。そこにはどうしても、古典・古文の授業風景が重なり見えてくるからです。私も「源氏物語」はもちろん知っています。しかし、その知識は作者が紫式部で、平安時代に書かれたもので、光源氏という人物が登場するらしい、ほぼその程度にとどまります。読書&レビューの日々を送っているとはいえ、私には読書の対象として「源氏物語」を捉えたことはこれまで一度もありませんでした。それが、2021年秋にブクログのプロフィールを修正して、”国内のすべての女性作家さんの小説を読み終えてブクログ卒業宣言をする”、と書いてしまったことで雲行きが怪しくなります。女性作家さんということは、清少納言、菅原高標女、そして紫式部が書いた作品も読むのか?と自問する日々がそこに生まれたからです。そんな中で、「源氏物語」ってそもそもどんな物語なのだろう、と調べ始めた結果、そこには予想外に興味深い世界が広がっていることに気付きました。しかし、一方で古典・古文の復習のようなことは絶対にしたくない、そんな思いも去来しましたが、調べてみると「源氏物語」にはきちんと現代語訳というものが存在し、多数の翻訳本が出版されていることを知りました。

    そんな中、角田光代さんが訳された翻訳本が存在することを知った私。角田さんというと、私が既に21冊を読了している大好きな作家さんでもあります。そんな翻訳本の中には角田さんのこんな言葉が記されていました。『長編小説として「源氏物語」を読もうとすると、なんとなく受験勉強臭がしてくる。でもきっと、長編小説というとらえかたでなければ浮かび上がってこないものがある』というその語り。『物語世界を駆け抜けるみたいに読んだほうが、つかまえやすいものもきっとある』、そのために『読みやすさをまず優先した』と続ける角田さん。そんな言葉を読んで私の心はついに固まりました。

    「源氏物語」を読もう!

    この作品は角田さんが五年以上もの歳月をかけて取り組まれた平安絵巻の物語。『光をまとって生まれた皇子』が平安の世を駆けていくのを見る物語。そしてそれは、一千年という時を経て紫式部が今を生きる私たちに、人の世を生きるということの意味を問いかける物語です。

    では、そんな天下の「源氏物語」の最初の第一帖(≒第一巻≒第一編)〈桐壺〉をいつもの さてさて流でご紹介しましょう。き、緊張するなあ…。

    『いつの帝(みかど)の御時だったでしょうか』という、その昔に『帝に深く愛されている女がい』ました。『帝の深い寵愛を受けたこの女は、高い家柄の出身ではなく』、『女御より劣る更衣』にも関わらず『桐壺(きりつぼ)』という部屋を与えられています。このことを『帝に仕える女御たちは』、『帝の愛を独り占めしている』として、桐壺のことを『目ざわりな者と妬み、蔑』みます。そうして『ほかの女たちの恨みと憎しみを一身に受け』た『桐壺は病気がちとなり、実家に下がって臥せることも多くな』ります。『そんな桐壺をあわれに思』った帝は『周囲の非難』を『意に介さず』『ますます執心し』ました。そんな中『帝と桐壺のあいだにかわいらしい皇子(みこ)が誕生し』ます。『この世のものとは思えないほどのうつくしさ』というその皇子。『帝は別格の配慮を持って、母なる「御息所(みやすどころ)」としてそれに似つかわしい待遇を』桐壺に施しますが、『最初の子を産んだ弘徽殿女御(こきでんのにょうご)は』『この若宮が東宮(皇太子)とされてしまうのではないかと』『不安を覚え』ます。『病弱で、後ろ盾もな』く、『帝に愛されれば愛されるだけ』『気苦労が増えていく』桐壺。帝のいる『清涼殿に向かう』と『通り道に汚物が撒き散らされる』など嫌がらせも絶えない桐壺。そんな桐壺を『不憫に思った帝は、清涼殿に近い』『後涼殿』を与えますがこれが『晴らしようもない恨み』を他の更衣に与えてしまいます。時は流れ、三歳になり『袴着の儀を行う』若宮。そんな若宮は『顔立ちも性質も、抜きん出てすばらし』く、『だれも憎めないの』みならず『ただ呆然と目をみはるばかり』の存在になっていました。一方で『ふたたび病にかかってしま』い、『急激に衰弱し』た桐壺は『若宮を宮中に置い』て『実家に』下がることになります。『意識も朦朧』、『今にも息絶えそうな』桐壺に『途方に暮れる』帝。桐壺が実家へと下がった後、『眠ることもでき』ない帝は使者を遣わせますが桐壺は『すでに息絶えてい』ました。使者から『それを聞いて』取り乱した帝は『部屋に閉じこもってしま』います。そんな中、『何が起きたのかまるでわから』ない様子の若宮を見て『人々の悲しみは掻き立て』られました。『悲しみに暮れ、今では朝の政務を怠ることもある』ようになった帝は『清涼殿での正式な昼食』に『見向きもしな』くなり『仕える者は、男も女もみな、「本当に困ったことです」とため息』をもらします。そして『月日は流れ、いよいよ若宮が参内することにな』りました。『成長したその姿は、今までにも増して気高く、いよいよこの世のものとは思えないうつくしさ』を感じさせる若宮。しかし、『後ろ盾』のいない若宮の将来を危惧する帝は立太子を隠します。そんな帝は『高麗人が来日した折に、よく当たる人相見』に若宮のことをひそかに占わせます。そして『皇族を離れさせて臣下とし、朝廷の補佐役に任ずるのが若宮の将来にはいちばん安心』という結論を得た帝は、『若宮を臣下に降し、源氏という姓を与えることに決め』ました。一方で『桐壺を忘れることはできな』い帝は『顔立ちも姿も、不思議なくらい亡き桐壺にうりふたつ』という『先帝の第四皇女である藤壺』に情を移し、源氏も『たったひとりのすばらしい人』と藤壺を慕うようになっていきます。そんな源氏は『輝くようなうつくしさはたとえようもなく、いかにも愛らしい』という姿に育ち、『やがて人々は』そんな源氏のことを『光君(ひかるきみ)』と呼ぶようになりました。そして、『元服の儀』を終え成人となった源氏。『光源氏』とも称されることになる光君の華やかな平安絵巻の物語が描かれていきます。

    さて、角田さんが訳された「源氏物語」の第一帖〈桐壺〉をかなり大胆に切り取ってみましたがいかがでしょうか?書いている本人が言うのもなんですが、主人公・光源氏という人物の誕生の経緯がなるほど、と現代の私たちの感覚でも理解できるような気がしてきます。もちろん、色んな登場人物を削って削ってなので「源氏物語」を愛されていらっしゃる方には単なる冒涜にすぎないとお怒りになられている、もしくは呆れ果てている方もいらっしゃるかとは思います。しかし、私のような読書歴二年の人間にはこの大作はこんな感覚で理解していかないと、そのあまりの頂の高さに目が眩むのも現実です。その一方で、「源氏物語」なんて読まない、もしくは読めないとおっしゃる方には、なんだそんな感じの物語なのか、と思っていただければ私としてはとても本望です。そう、このレビューの目的はいつもの さてさての考え方と同じです。一人でも多くの方に、この作品を”読みたい”に登録していただくこと、そう願ってこの大作に挑んでいく次第です。そのため、レビューの書き方もいつもの さてさて流で書いていきたいと思います。

    ということで、そんな上巻は、第一帖〈桐壺〉から第二十一帖〈少女〉までの二十一の帖から構成された連作短編の形式をとっています。そんな二十一の短編(帖)を三つの視点から見ていきたいと思います。まず一つ目は視点です。小説を読む時に読者が意識するのは、誰の視点で書かれたものかという点です。最初から最後まで一人の主人公の視点に固執するもの、短編ごとに視点の主が変わっていくものなど、その視点の位置によって読者が物語から受ける印象も異なります。そしてこの「源氏物語」では、そんな視点の主は主人公である光源氏でも、他の登場人物でもない第三者の視点で展開します。第二帖〈箒木〉の冒頭でそんな物語の視点を見てみたいと思います。『光源氏、というその名前だけは華々しいけれど、その名にも似ず、輝かしい行いばかりではなかったそうです』という文体からこの物語が光源氏視点でないことがまずわかります。それに続くのが『これからお話しするような色恋沙汰まで後々の世まで伝わり…本人が秘密にしていた話も、こうして語り伝えた人の、なんと性質の悪いこと…』という一文は、いや、伝えているのはこの物語を書いているあなたでしょう、とツッコミを入れたくなります。また、第三帖〈空蝉〉の中の一場面。光源氏が泊まった寝室の引き戸を開けて夕顔と共に庭を眺めるというシーンが『光君の住む広大な邸ではこんなに近くで聞いたことのないこおろぎが、まるで耳のすぐそばでやかましく鳴いているのが光君には珍しくて味わい深い』という風に描かれます。そしてその後こんな一文が差し込まれます。『女への愛の深さゆえ、なんでもかんでも味わい深くなってしまうのでしょうね』。えっ?あんた誰?といきなり登場する視点の人物にツッコミを入れたくもなります。そう、ここに顔を出す視点の人物が作者=紫式部です。私は女性作家さんの作品ばかり500冊近くを読んできましたがこんな第三者=作者の視点、かつ作者のコメント入り!という文体の作品に接したことはなく、とても興味深いものをそこに感じました。

    二つ目は本文の途中に山のように登場する和歌です。五七五七七の31文字を基本単位として歌われる短歌がこの上巻の二十一の帖には、なんと337首も登場します。読書に縁のなかった私は和歌となるともう完全に古典・古文の授業を思い出してしまって今まで一才の興味を持ってきませんでしたが、この作品を読んでなるほど、と頷かされるものがありました。それは元々短歌というものが、一定の決められた文字数の中でその場面の情景と、登場人物の心象を凝縮して存在するものという点に関連します。単発で短歌および訳を読んでも、その場面がイメージできないと今ひとつピンとこない思います。しかし、この作品では、そもそも本文で物語が展開する中に、その時の登場人物の心の内を相手に伝えるために短歌が詠まれます。こうなるとその短歌を無視しての読書は成り立ちません。また、本文中で触れられない登場人物の心象が短歌を通じて浮かび上がってくる効果も見事に発揮され、特に男女の語らいの場面ではその威力に圧倒されます。例えば第十三帖〈明石〉で入道の娘が住んでいる岡辺の家へと光源氏が赴いたシーン。なかなか気を許そうとしない入道の娘に対して光源氏はこんな歌を詠みます。

    『むつごとを語りあはせむ人もがな憂き世の夢もなかば覚むやと(睦言を語り合える相手がほしいのです。このつらい世の悲しい夢も、半分は覚めるかと思いまして)』

    それに対して入道の娘は、

    『明けぬ夜にやがてまどへる心にはいづれを夢とわきて語らむ(明けることのない夜の闇の中をさまよう私には、どちらを夢と分けてお話しできましょう)』

    こんな風に返します。気が動転する娘に対して無理強いをするでもなく大人に接していく光源氏という二人は結局『契りを交わし』ます。音楽をつければミュージカルのワンシーンにもなりそうなこのシーンに象徴されるように、この作品における和歌はその存在をもって男と女の心と心が呼応し合う様を演出し、物語をより奥深いものにしていきます。そしてまた、本文だけだとベタッとした印象を与えるところに上手くリズム感を作って、一本調子の物語でない変化のある読み味をつけて長文の物語をより魅力あるものにしているようにも思いました。

    そして、三つ目は”訳”です。ここまで『』で引用してきている本文は和歌の原文を除き全て角田光代さんの訳からの引用になります。私はこの作品の原文を読んだことはありません。もしかすると、中学・高校の古典・古文の授業で接したことはあったのかもしれませんが、古典・古文大嫌いだった身には一切の記憶はありません。そんな私にとって「源氏物語」を読むということは、どなたかが現代語に訳されたものを読むということと必然的にイコールになります。”女性作家さんの小説を読む”とプロフィールに謳っている私としてはその訳者も女性に絞られ、実のところ昨秋頃から誰の訳で読むかを随分と思い悩んできました。そんな私が角田さんの訳に決めたのは、小説を20冊以上読んできたことでの親和性と、〈あとがき〉でも触れられている『読みやすさをまず優先した』というその姿勢でした。せっかくですので、訳によって物語がどんな風に違って見えるのかを第一帖〈桐壺〉の中から『桐壺更衣が帝の愛を独り占めしている』と『ほかの女たちの恨みと憎しみを一身に受ける』ことになった状況について触れたシーンの一文で比較したいと思います。

    ・原文: いとまばゆき、人の御おぼえなり。唐土にも、かかる事ことの起りにこそ、世も乱れあしかりけれ

    → 与謝野晶子訳: 唐の国でもこの種類の寵姫、楊家の女の出現によって乱が醸されたなどと陰ではいわれる

    → 瀬戸内寂聴訳: 唐土でも、こういう後宮のことから天下が乱れ、禍々しい事件が起こったものだ

    → 中井和子訳: ほんまに、みてられへんようなご寵愛ぶりやなあ、きっとこないなことがもとで乱が起こり、困ったことになったんやがなぁ

    → 角田光代訳: 唐土でもこんなことから世の中が乱れ、たいへんな事態になったと言い合っている

    四人の女性作家さんの訳の相当箇所を並べてみましたがいかがでしょうか。与謝野さんの『寵姫、楊家の女の出現』は、原文でその後に続く『楊貴妃の例も引き出で』を一文にまとめているのでそれを差し引いていただく必要がありますが、訳者によって同じ内容にも関わらず受ける印象が随分と異なってくるのがよくわかります。特に冒頭の『いとまばゆき』をどう訳すかは古典・古文の試験にも出てきそうですが、『たいへんな事態』という角田さんの訳が私には一番しっくりきます。一方で”京ことば”に訳された中井和子さんの訳もこれはこれで面白そうです。いずれにしても訳に正解はないので、これから読まれる方はまずは誰の訳で読むか?に、それなりに時間をとられるのが、読み始めて後悔しない読書の第一歩かと思います。また、同じ文章がこれだけ変化すると考えると”読み比べ”という考え方も面白そうです。クラシック音楽は、同じベートーヴェンの交響曲第九番でも誰の演奏で聴くかで全く異なる顔を見せます。それは指揮者の楽譜の解釈に左右されるわけですが、古文の訳は指揮者が訳者となり、同じような楽しみがそこには待っているとも言えます。読書にもなんとも奥深い世界がまだまだありそう、この作品と出会ってそんな風にも感じました。

    そんなこの「源氏物語」の上巻は『輝くようなうつくしさはたとえようもなく』と言われる光源氏の誕生から三十五歳までの生き様を描いていきます。歴史上の実在人物である藤原道長をモデルにしたとも言われるその人物像は、読めば読むほどに強烈です。一つ例を挙げましょう。第八帖〈花宴〉の中で『桜の宴』が催され『夜がすっかり更けて、行事は終わった』という後のシーン。『あたりはひっそりと静まり』という中、『そのまま帰る気にはどうしてもなれな』い光源氏は、『清涼殿の宿直人ももう寝ているだろう』、『もしかしてちょっとした隙があるのではないか』と考えます。『女房の部屋が並んでいる細殿に立ち寄』り、『戸口が開いている』のを見つけた光源氏は『朧月夜に似るものぞなき』と口ずさみながらやってきた女の袖をいきなり掴みます。『あら、嫌だ、どなた』と怯える女に、『こわがることはありませんよ』と言いながら『抱き下ろし、扉を閉めてし』めてしまう光源氏。『がたがたと震え、「ここに人が」と声を上げ』る女に『私は何をしてもだれにも咎められませんから、人を呼んでもなんにもなりません』と言いのける光源氏。「源氏物語」とはどのような作品なのかと思って読み進める読者の前に迫るのは、現代の世であれば逮捕間違いなしの好き放題、やりたい放題な生き方をする光源氏の姿でした。”恋愛物語”の原点がここにあるともいえるのかもしれませんが、どんなに時代が変わっても男と女は好き合う生き物であって、そこにはどんな男女の組み合わせでもドラマが何かしら生まれ、同じ形のものは一つとしてない、ということを改めて感じました。しかし、この上巻では、光源氏のやりたい放題な人生がただただ列挙されているわけではありません。そこには、

    ①『光をまとっ』た皇子の誕生、桐壺帝の庇護下でやりたい放題の光源氏

    ②桐壺帝の崩御と、敵勢力ゆかりの朱雀帝の登場で、反対勢力により追い落とされる光源氏

    ③朱雀帝から攘夷を受けた冷泉帝の元で復権し、上りつめていく光源氏

    という大きな潮流の中でそれぞれの時代を一つの確立されたキャラクター・光源氏として駆け抜けていく、そんな一人の男の物語が描かれていました。そんな魅惑的な男に振り回される数多の女たち。そんな女たちの個性もさまざまです。『落ち着いた分別のある女君として、格別に信頼している』妻であるにも関わらず、どこか煙たがって遠ざける葵の上、『自分の理想通りに教育してみようと』幼い頃から身近において育て、大きくなってくると『そろそろ男女の契りを結んでも問題はないのではないか』という相手として見る紫の上、そして『ほかのことなど考えるゆとりもなく日が過ぎていく』と思いを募らす相手でもあり、そもそもは桐壺帝の妻で自分の母であるはずの藤壺、と描かれる女性の関係性も現代ドラマであってもドロドロの極みであり、それぞれが強い個性を放って読者を決して飽きさせません。平安絵巻の世にこのような強烈な個性の人物のモデルとなる人物が実在したのかどうかは分かりません。しかし、当時の人たちもここに描かれていく数多の登場人物たちの虜になったことは間違いありません。そう、私たちは一千年も前のこの国に暮らし、生きていた人たちと同じ物語を読んでハラハラドキドキ、一喜一憂しているのです。逆に言えば一千年も前の時代にその当時の人々が高く評価し、その後一千年もの長きに渡って読み継がれてきた、そんな物語をここに手にしているのです。そんな風に改めて考えると、なんとも感慨深い思いがよぎるとともに実際に読んでみて、なるほど、これは面白い、と古典・古文の授業から物語が飛び出して趣味の読書の世界に物語がやってきたのを実感しました。

    『作者の意図をはるかに超えて、勝手に力を蓄え、時代とともにその力を失うばかりかどんどんひとりでに蓄え続けていく、化けもののような物語』。訳者の角田さんがそんな風に語るこの物語には、二十一の連作短編の中をまさしく駆けていく光源氏の生き様が描かれていました。豪華な装丁と圧倒的な物量になかなか手を取るのを躊躇もしたこの作品。結局、三日間合計約10時間強で読み終えた物語の上巻には、平安の世にこの同じ国を生きた人々の暮らしが、恋愛が、そして人生が描かれていました。そしてそこにあったのは、いつの世も変わらぬ男と女の物語、愛し、愛され、そして愛し合うという今の私たちと何も変わらない”恋愛物語”でもありました。一千年の時の流れは幾ら角田さんの名訳をもってしてもある種の割り切りが必要な部分もあります。しかし、世界の20数か国語にも翻訳され世界的にも知られるこの作品を読まないのは日本人としてももったいないことだとも思います。世界最古の長編小説の傑作を、長編小説の名手でもある角田さんが『読みやすさをまず優先』に訳したこの作品。多くの方に是非この作品を手にしていただきたい、そう感じた日本文学の傑作だと思いました。


    では、中巻へと読み進めていきたいと思います!

    • さてさてさん
      アテナイエさん
      読書を始めて二年ちょっとなので、人生で初めて、一冊の本を読むのに三日もかかってしまったというのが実際です。なのでストレスが...
      アテナイエさん
      読書を始めて二年ちょっとなので、人生で初めて、一冊の本を読むのに三日もかかってしまったというのが実際です。なのでストレスがたまりませんでした。まあ、これを一つの経験に一冊を複数日に分けて読むことも覚えないなと思った次第です。苦読をしても仕方ないですしね。
      色んな意味で良い経験ができている「源氏物語」の読書です。少し先になりますが、また続きのレビューをさせていただきます。
      ありがとうございました!
      2022/02/27
    • 淳水堂さん
      さてさてさんこんにちは
      私も『源氏物語』参加します!
      しかもなぜか複数訳を同時進行することに(^_^;) まずは大変わかりやすく読みやすく状...
      さてさてさんこんにちは
      私も『源氏物語』参加します!
      しかもなぜか複数訳を同時進行することに(^_^;) まずは大変わかりやすく読みやすく状況を理解しやすい角田光代版で流れを掴み⇒谷崎潤一郎のあまり丁寧すぎない訳で日本語の文体や物語全体の流れに乗り⇒まるで御伽話のようなアーサー・ウェイリー版(英訳をさらに日本語訳)を読むという流れです。

      そこで、さてさてさんが比べられている部分で、男性二人の翻訳も追加させてください。

      ・原文: いとまばゆき、人の御おぼえなり。唐土にも、かかる事ことの起りにこそ、世も乱れあしかりけれ

      ・谷崎潤一郎版
      まことに見る眼も眩い御寵愛なのです。世間でも追々苦々しく思い、気に病みだして、唐土(もろこし)でもこういうことから世が乱れ、不吉な事件が起こったものですなどと取り沙汰をし…

      ・ウェイリー版
      海の向こうの国での政変や暴動もはじまりは、こんなことからだったなどとひそひそと囁きあうのでした。

      さてさてさんが書かれている中では中井和子訳が良いですねえ。でも流石にこれ以上は読み増やせない(^_^;)


      >えっ?あんた誰?といきなり登場する視点の人物に
      >第三者=作者の視点、かつ作者のコメント入り
      昔の小説だとたまに出会いますが、わりと好きです。読者と作者が同じ目線な気がして。
      一番笑えたのが久生十蘭の新聞連載小説『魔都』で、作者も思いもかけないような展開になってしまったようで「ああ、作者は〇〇に(登場人物名)このような苦難を与えるつもりはなかったのに」とかいう記載。これで新聞連載OKだったおおらかさ(笑)
      歴史小説でも「著者は実際に〇〇合戦場後に行ってみたが…」「著者は戦時中に命をかけても良いと思える上官がいた。戦国時代も命をかけて良いという武将には部下たちはついて行く。彼はそんな人物だったのだろう」みたいな著者目線がはいるものもあります。
      著者のコメントが入ると、書く人・書かれる人・読む人が同じ面にいるようでなんか良いですよね。
      海外小説でもみかけますが、多分小説という形が今ほど整っていなかったというか、もっと自由だったのかなと思いました。
      2023/12/22
    • さてさてさん
      淳水堂さん、こんにちは!

      複数訳の同時進行というのはすごいですね!「源氏物語」にどっぷりと浸れそうです!私は、今回初めて「源氏物語」を...
      淳水堂さん、こんにちは!

      複数訳の同時進行というのはすごいですね!「源氏物語」にどっぷりと浸れそうです!私は、今回初めて「源氏物語」を読んでみて訳によって全然受ける印象が違うと感じました。私は角田光代さんの訳しか読んでいませんが挙げていただいた通り同じ箇所を複数の人の訳で比較した印象です。ウェイリーさんという名前にあれ?と思って中巻のレビューを読み返してみました。そうです。わたし、中巻のレビューでは海外の翻訳を比較したのでした。そこで淳水堂さんが日本語訳で挙げられた上記の原文を載せていました。

      Arthur Waley(大英博物館館員・1925): From this sad spectacle the senior nobles and privy gentlemen could only avert their eyes. Such things had led to disorder and ruin even in China.

      残念ながら知らない単語を辞書引きしないと厳しい私(汗)ですが、それでもどことなく言わんとすることがわかります。これを読んで、もしかしたら英語訳で読むのもありなのかなあと少し思いました。主語が必須の英語の方が意味がとりやすいというか。まあ、読み終わるのに三年ほどかかりそうではありますが…。

      脱線してすみません。私は訳まで女性しかアウトなので谷崎さんの訳をいただきありがとうございました。なるほど、やはり格調高いというか、文学になっている気がしました。谷崎さんについては、三浦しをんさんの作品繋がりで「細雪」を実は読みたいのです。それにしても訳というのも奥が深いですね。原文を読ませる古典の授業が存在する意味を感じます。

      また、後段に書いていただいた著者目線、これも改めて面白いなあと。淳水堂さんにお書きいただいた”書く人・書かれる人・読む人が同じ面にいるようでなんか良い”、この考え方面白いです。おっしゃる通りです。とてもうまい表現だと思いました。なるほど。
      現代作家さんでも著者登場を時々見かけますが、この原案は「源氏物語」なのですね。やはり、歴史の重みはとんでもなく重いと改めて思いました。ありがとうございます!
      2023/12/22
  • 大河ドラマを機会に角田光代訳を読んでみます。
    私の源氏物語知識は、高校の授業と、漫画『あさきゆめみし』、田辺聖子の『私本源氏物語』を読んだだけで、全体を読むのはこれが初めてです。
    私は軍略物が好きだったので、高校で源氏物語を習ったときには王朝文学ファンの友人相手に「なんだこの男は!(`Д´#)ノ」とボロボロに貶しておりました。あの節は全体を見ず、また友人が好きなものを貶し、大変恥ずかしいことをいたし失礼しました m(__)m  (←まだ付き合い続いてるので本人にも詫びた)

    今回完訳を読むために心がけておこうと思ったこと。
     ・現代とは、感覚も宗教感も違う!!登場人物にイライラしてもこのころの価値観だと思って客観的な気持ちでいよう。
     ・登場人物の年齢は現在感覚でプラス10歳くらいで考えよう。

    本書は、まえがきは瀬戸内寂聴と大和和紀が、源氏物語を訳する重さと覚悟を語っています。そんな文学を今読めることを味わいながら読んでいこうと思いました。
    本書は、翻訳だけでなく編集上もわかりやすくされています。各章題には一行程度の解説と、その章で出てくる人物の系図が載っています。
    『源氏物語』登場人物の本名は書かれていません。「光君」も光り輝く様からの渾名だし、男性は役職(中将)、女性たちは部屋の名前(桐壺・藤壺)や登場する巻の題名(夕顔、花散里)や役職(内侍、女御)で書かれます。『源氏物語』原文でも、個人名ではなくて「女御/君」などと書かれていますが、当時の人はそれでもちゃんと誰のことを言っているかわかったんですね。現代読者が認識している「夕顔」「葵」などの名前は、その女性が出てくる巻の名前を便宜的に当てはめたものです。
    和歌は原文と現代語訳、そして用語も現代読者が分かる言葉で説明されます。
    本文は「である調」で書かれますが、ところどころ著者の紫式部の声らしきものは「ですます調」で書かれますが、これは原文でも紫式部の独り言みたいなのが差し込まれているんでしょうか、ちょっと親近感。

    【巻ごとの出来事】
    『桐壺』
     桐壺帝と、桐壺更衣の間に主人公光君が誕生する。桐壺更衣の死後、藤壺女御が入内する。光君にとって藤壺女御は、母であり理想の女性。

    『帚木』
     光君と貴族のお坊っちゃま達が女遊びについてあれこれ言う。いわゆる「雨夜の品定め」。
     ここで語られる女性像は、
     「身分が高くて表面的に気取った女、学がある女って可愛げないよね」
     「でも身分が低い女じゃ本気にはならないよね」
     「中くらいの身分の女と言っても、上だったのが零落したのと、下だったのが身分上げた のがいるよね。たまに鄙びた家に零落した質の良い女がいるのがいいんだよね」
     「相手が従順すぎてもつまらないけど、あんまり連れない態度とられるのもウザいよね、こっちはかわいがってやろうって気持ちがあるのにさ」
     「嫉妬って女の欠点だよね。ちゃんと通ってんだから堂々としてればいいのに」
     「男は政治とかで大変じゃん。外では話せないことを聞いてほしいのに、まったくかまってくれない女のところじゃ気が静まらないよね」
     「すっかり気を許してかいがいしい女もちょっと気安すぎらんだよね。髪の毛を耳にかけて家のことをやっちゃってさ」
     「結局理想の女って、最初から育て上げるのがいいんじゃないの」
    などなど。
     いやーー、勝手なこと言いまくってますが、現代でも同じこと言っている人いますよね!?(子供がいる母親が髪を耳にかけただけではしたない扱いか…)

     …閑話休題。
     そしてここで出てきた女性たちは、この後光君の前に出てくる。
     「鄙びた家にいい女がいたらグッと来るよね」と話していたことへ、まず「いい女」の夕顔を出し、次に「身体付きも芸も顔もイマイチな女」な末摘花が出てくるパロディみたいだ。

    『空蝉』
     光君は、伊予介の妻(空蝉)の部屋に忍び込み関係する。
     空蝉の葛藤。

    『夕顔』
     垣根に夕顔が咲くような物儚げな家を見つけた光君は、その中にいる女性に興味を持ち、惟光(乳母の息子)を通して彼女のもとに通う。二人はお互いに素性を知らない。だが彼女は光君と廃屋での忍び合いの最中に突然死する。

    『若紫』
     光君は、藤壺女御の姪にあたる10歳くらいの姫君(紫の姫君)を目にして「大好きな藤壺女御にそっくり!一緒に暮らして理想の女性に育てたい!」と思う。
     藤壺女御は、光君と逢瀬を持って妊娠する。
     藤壺と会えなくなった光君は、紫の姫君を半ば強引に連れ去る。

    『末摘花』
     どこかにいい女はいないかなと探す光君は、零落した姫を見つけて半ば強引に関係を持つ。姫は極度の恥ずかしがり、歌も下手、琴の腕もうまくはない。せめて顔をみてみようとこっそり見たら赤くて長い鼻の持ち主だった。光君は「うーん困ったな、でも後ろ盾のない姫なんだから面倒は最後までみないとなあ」と思う。

    『紅葉賀』
     藤壺女御が若君を産み、位も皇后に上がる。若君は光君にそっくりだった。
     光君は、藤壺を恋しがりながら、紫の姫君を理想に育て、他の女性達のもとに通う。正妻の葵の上とは距離感がある。

    『花宴』
     光君が朧月夜を連れ込む。

    『葵』
     前巻から2年後。桐壷帝は譲位し、朱雀帝(母君は弘微殿女御)が即位している。東宮には藤壺の若君(父親は光君)が就いた。
     光君の通う女性の六条御息所と、正妻の葵の上の間でいざこざが起こる。
     葵の上が若君を出産する。光君も「いままで堅苦しい間柄だったが、こんな素晴らしい女性を妻にして自分は何が不満だったのだろう」と妻への愛情を感じるのだった。
     しかし葵の上は物の怪や生霊に苦しめられ亡くなってしまう。両親である左大臣と母宮の嘆きが語られる。
     光君も大人しく喪に服していたかと思ったら、ますます美しくなった紫の姫君を妻にする。…これを葵の上の死と同じ巻でやるのかーーー。

    『賢木』
     桐壺院が崩御する。院として実権を持っていた桐壺院が亡くなったことによる代替わりが書かれる。頭の中将と葵の上の父である左大臣家は外れ、弘微殿大后の実家である右大臣家が中心となる。
     藤壺は、光君への恋慕に苦しみ出家する。
     光君は朧月夜との密会現場と恋文を右大臣に抑えられてしまった!右大臣はこの手紙を使って光君を懲らしめてやろうと考える。

    『花散里』
     光君は、亡き桐壺院の女御の一人だった麗景殿女御を訪ねる。その妹姫の花散里のもとにも久しぶりに通う。

    『須磨』
     朝廷主流権力から外れた光君は都を離れて須磨に向かう。別れを嘆く紫の女君に自分の荘園や領地の権利を預ける。
     光君と交流することは危険な情勢になっていたが、頭の中将は光君を訪る。
     須磨の入道は、娘の明石の姫君が光君の妻になること望む。
     嵐の中、光君は夢で海の王からの参内催促の声を聞く。(死に呼ばれた感じ)

    『明石』
     光君は、都を恋しがり我が身を嘆きながらも明石の君の元に通う。都では朱雀帝や、その祖父の右大臣が病になる。朱雀帝は、罪のない光君を須磨に追いやっていることへの神罰かと、光君を都に呼び戻す。
     妊娠している明石の君との涙の別れ。
     都に帰ってきた光君と、朱雀帝、東宮(光君と藤壺の秘めた子)、女性たちは再会を喜び合う。

    『澪標』
     朱雀帝が譲位する。新たな帝には冷泉帝(光君と藤壺の秘めた子)が就く。光君は内大臣になる。不遇だった左大臣家(葵の上の実家)も返り咲く。
     須磨では明石の君が姫君を産んだ。
     光君は二条の屋敷を改築し、面倒を見なければいけない女性たち、紫の君、明石母娘、花散里、五節の君…たちを迎える準備をする。
     六条御息所が亡くなった。朱雀帝はその娘の斎宮姫を気に入っていて側に召したいと思っている。しかし六条御息所から後を頼まれた(ただしあんたは手を出すな!という一言付きで)光君は、藤壺の力を得て朱雀帝へ入内させようとする。

    『蓬生』
     光君に忘れられていた末摘花は困窮を極めていた。それでも自分からは頼りも出さずにただただ光君からの頼りを待つ。
     光君はたまたま常陸宮の屋敷前を通りかかり、すっかり忘れていた末摘花のことを思い出す。二条の光君の屋敷の近くに邸を造って住まわせた。…「新築中の二条のお屋敷の中」には招く気にはならなかったのね 。

    『関屋』
     光君から逃げ回った空蝉は、夫の任期が終わり都に帰ることになった。光君と再会するが、それ以上進むことはない。やがて夫が亡くなり、前妻の子供たちから冷たくされ、今更光君の世話にもなれずに出家する。

    『絵合』
     六条御息所の姫である前斎宮が冷泉帝に入内する。冷泉帝にはすでに頭中将の姫である弘微殿女御が入内している。頭中将と光君は、それぞれの姫にすばらしい絵を送り帝を呼ぼうとする。そこで藤壺中宮による「二人の后の絵比べ合戦」が行われることになった。

    『松風』
     二条院の東の院に花散里を呼び寄せる。
     明石の御方も再三呼ぶが「自分のような身分のものが側に行ってはご迷惑をかけてしまう。娘も光君の姫だといっても私のようなものから産まれたならいじめられるかもしれない」と遠慮の塊。せめて明石の姫君だけでも引き取ろうと話を進める。

    『薄雲』
     光君は、明石の姫君を二条の院に引き取る。姫君も紫の上を母のように慕う。
     この年は重要人物の死が相次いだ。桐壺院の弟の式部卿宮、葵の上の父である太政大臣、そして藤壺中宮。嘆く光君。
     そして冷泉帝は、自分が藤壺中宮と、光君との隠された子供だと知ってしまう。父を臣下にする罪悪感を持つ冷泉帝は、光君に帝位を譲ろうかとさえ考える。

    『朝顔』
     昔心を寄せた朝顔の姫君が屋敷に戻ったと知った光君は、関係再開しようと張り切る。

    『少女(おとめ)』
     光君は、息子の夕霧を大学寮で学ばせる。低い身分からのスタートに不満を持ちながらも真面目に勉学に励む夕霧くん。
     紫の上の異母妹も冷泉帝に入内した。
     その冷泉帝に正式な后を決める時期になった。頭中将の姫「弘徽殿女御」か、光君が親代わりの「斎宮(梅壺)女御」か、「王女御」か?の駆け引きが行われるなか、后に決まったのは「梅壺女御」だった。
     光君の若君(夕霧)と、頭中将の姫(雲居雁)は幼い恋を育んでいたが、引き離される。夕霧は、五節の舞姫(惟光の娘)を見初める。
     光君の新しい屋敷ができあがった。東南は光君と紫の上の春の町、西南は梅壺中宮の退下用に秋の町、東北は花散里の夏の町、西北は明石の御方の冬の町。それぞれの住まいの風情が書かれる。


    ●感想など
    <男女のこととか恋愛とか>
     帝の寵愛はそのまま日本の政治に繋がる。だから身分の低い桐壺更衣は「更衣なのに愛されるとはルール違反だし、帝が行事や遊戯のたびに側にいたくて呼び寄せるので、軽々しい女という扱いを受けた」となってしまう。朝廷の恋愛は個人的感情だけで動いてはいけないんですね。
     光君は左大臣家の葵の上を妻にし、左大臣家に部屋がある通い婚となる。婿入り制度は、妻の実家や妻の資産で夫の出世の手助けをするので資産のない男性にはとても助かるんだが、光君も個人資産を持ってるので、左大臣家にはあまり寄り付かず朝廷の部屋で楽しく過ごてるのかな。

    <光君ってどんな人>
     紫式部は「光君、という名前は華々しいけれど、色恋沙汰など軽々しい行いも多かったようです。困ったものです」という。現代読者からしたら「なんて不誠実な男だ、これが当時の風潮だから仕方ないのか」と思っていたんだが、当時の価値観からしても「ちょっと褒められない遊びもしてたよね」って思われていたのか。
     しかしそうは言いながらも「苦しい恋を選ぶ傾向があるが、その時々は本気」「通った女性はちゃんと面倒を見る」と擁護(?)しています。
     そして光君の良いところ「通った女性の面倒はちゃんと見る」は、男性にも通じていた!葵の上とは緊張感のある関係だったけれど、その実家の左大臣一家にも礼節を忘れなかった。

    <呼び名>
     『源氏物語』では、個人名は書かれず役職名や済んでいる場所名で書かれる。頭中将は昇進に伴い「〇〇大将」「〇〇中納言」と呼び名が変わる。朝廷女御でも「弘微殿女御」は、最初は桐壷帝の后、次に出てきたのは冷泉帝の女御(頭中将の姫)。現代読者は訳注やカッコ書きで区別できるけど、当時の人々はこれら全部を誰のことか理解できていたのか。

    <相続のこと>
     この時代、親からの相続権は兄弟姉妹平等にありますよね。婿入りした場合、妻の実家の財力で夫を支える。(男に財力がないとありがたいが、光君のように個人資産があると葵の上の実家のご機嫌取らなくても良かったってことか?)
     光君は紫の姫君を強引に妻にしたが、結婚のしきたりをちゃんと守ったので「正式な妻」として社会的地位を持った。光君が須磨に行くときには、自分の荘園や領地の証文をすべて預けたので、正式な相続人としても認められた。
     須磨に連れて行かなかったのは「罪人の汚名を着せられるかもしれない自分と同行させて苦労させるのではなく、都で生活できるように資産と地位を確立していった」んですね。光君やるじゃないか。
     そして須磨にいても都で困窮している女性たちへは支援の手配をするし、朧月夜の名誉も回復された。…光君の須磨行き、思ったより良い仕事してました(笑)
     しかし子供がいないといっぺんに困窮することもあり…このあたりの相続がよくわからない。花散里、末摘花、空蝉たちの寄る辺なさ。「家の主人が亡くなったので、召使いや女房たちも散り散りにいなくなっていった」という目に見える転落ぶりが書かれる。容赦ない世の中だよなあ。


    <女性の気持ちがわからん -_-;>
     出てくる女性たちが「恥ずかしがり屋」「自分なんか相応しくない」「嘆く」「思い悩む」といったマイナスの感情ばかり。これは書かれているままに読み取って良いのか、すると登場人物のほぼ全員が悩んでしかいないんだが。ちょっとは楽しい気持ちを持ったりしないのか。
     空蝉は「自分は光君には相応しくないけど、完全に切れちゃうのも寂しい」
     朧月夜は「急に誘い込まれてびっくりしたけど、光君だから安心だし(安心なの!?)、騒いだりして恋心の分からない強情な女と思われたら困るし」
     他の女性達も「困ったけどいつまでも断れないし」
     貴族社会の恋愛って断ったら無粋と思われるからやらなきゃいけないの?読んでいてどうも引っかかっているのは、そんな恋愛が楽しそうではないというか、葛藤や苦しみを感じるからだろう。以前読んだ中世騎士小説『ティラン・ロブ・ディラン』では朝廷女官が「ダンスと恋愛は私達の仕事!」と楽しんでいたが、『源氏物語』にはそんな割り切りがないんですよね。苦しみこそ美徳、恋愛には障害があったほうが風情がある、って価値観があり、これが西洋と日本の違いなのかな。
     なお光君は、紫の姫君に「いつも一緒にいると飽きますよ。たまに会うから愛情が増すんですよ」などと「夫が他の女性のところに通うのは当たり前☆」な感覚を育てようとしていた…。

    <宗教とか>
     所々の描写で、妖かしの存在や、葬儀のことなど、この世と違う世界の境目が現代より緩かったことがうかがえる。
     葵の上は出産時に物の怪に取り憑かれるんだが、誰々の霊が見えたとか、六条御息所の姿や声が顕れたりかなり具体的。これに関しては、恨まれる心当たりのある側のやましさから見えてしまうんじゃないかと思っているが。
     葵の上が亡くなると、遺体は三日座敷に安置されて生き返りの祈祷が行われる。
     逢引先で突然死した夕顔を秘密裏に山寺に運んで葬儀を行ってしまう。夕顔を知る人たちは「どこへ行ってしまったのだろう。好色な男に連れ去られたか」と心配するがどうにもならん。現代感覚では「身内にも死んだことを秘密?」と思ってしまうが、この時代は行方位不明や思い通りにならないことはたくさんあって、本人の宿業だと受け入れるしかなかったんだろう。
     そして「宿縁」という事を考えた。女が男を拒めないのは「仏様の結んだ御縁ならば人間の感情で断ち切ることはできない」という考えがあるのだろう。
     光君は須磨行きの影響か、事あるごとに「自分も出家してこの浮世の悩みから開放されたい…」と言うんだが、読者としては「あんたにできるんかーい」と突っ込んでおこう。

    <男女の事>
     ここまで「ヤらねばならん」なのは、性がおおらかとかじゃなくて、なにか別の価値観だったんだろうか。それだけヤりまくってるのにすぐ泣くし嘆いてばっかりだし。もっと楽しくやれないのか。
     真面目な夕霧くんも、初々しい初恋を育んでいた雲居雁(14歳)と引き離されたら、五節の舞姫(惟光の娘)に心を動かして近づこうとする。やっぱり光君の若君というべきか、追える相手はどんどん追わないとだめだったのか。
    ⇒あとがきで「男女の性的結び付きは宗教儀式であり、土地との繋がりでもある」と書かれていて納得しました。今後はそのつもりで読み取ってみます。
     
    <和歌>
     和歌を送りあったり、ちょっとしたやり取りを和歌で交わす。
     恋人に送るとしても和歌は人に見られることが前提だ。そして和歌では憂いとか悩みを歌ったほうがウケるので、あまり明るいことは書かないのかもしれない。
     そこで和歌でやたらに「困った」「涙にくれた」といっていても本当は楽しんでることもあるのかもしれない思ってみる。

    <ところどころコメディ?>
     源内侍が年寄りなのに男に色目を使っているところ、明石の入道、末摘花の記載はコメディっぽい。
     なかでも末摘花の屋敷が寂れて行く描写に心を痛めながら読み進めていったのに「庭には蓬や浅茅が生い茂ってるからって、牧童質が牛馬を放し飼いするようになったんですよ!けしからん話よね!」とか「ビンボーな屋敷にいる姫君だけどまるで木こりが赤い気のみを顔につけたみたいなのよね」いう書き方には笑ってしまった。ところどころ本人困ってるのにコメディっぽく書かれる人がいるんですよね。人並み外れて恥ずかしがりやで、赤い鼻を持ち、趣味もなく、なんか硬くて古臭くて大袈裟な調度品を大切にする変わり者の姫だけど、悪い性質は全く無いので生活が良くなって安心しました。

    <紫式部の周辺を考えた>
     源氏物語って帝や朝廷の人々が読んでいたんですよね。帝の息子が、父帝の更衣と関係持って妊娠させて…って書いて喜ばれたって、朝廷や天皇ってもっとおおらかだったんですね。
     『絵合』の巻では、二人の女御が芸術品を揃えて帝をこっち側に引き込もうするんだが、これってまさに「藤原道長が、娘の彰子の元に帝を呼び寄せるために紫式部に『源氏物語』を書かせた」ってことと同じじゃないか!そして芸術品や歌に詳しい女房たちによる朝廷女房なりの戦いも緊迫がありました。

    <描写>
     須磨の住居の侘しいながらも趣のある様子、光君に死の呼び声が聞こえる情景描写も良い。
     ・恋人に送るとしても和歌は人に見られることが前。そして和歌では憂いとか悩みを歌ったほうがウケるので、和歌でやたらに「困った」「涙にくれた」といっていても本当は楽しんでることもあるのかもしれない思ってみる。

  • 訳者だというのに、「源氏物語を好きだとも嫌いだとも思ったことがなく、この物語自体に思うところも何もなかった。」そんな本音を、あとがきでさらりと告白している、小説家の角田光代さん。

    源氏物語といえば、日本人には少なからずお馴染み、

    「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。」

    そんな一文から始まる、ある一人の男「光君(ひかるきみ)」の一生と、彼を取り巻いた一族たちの約70年を綴った、54帖からなる壮大な物語。

    与謝野晶子や谷崎潤一郎、円地文子など、これまでにも日本の名だたる作家たちが、それぞれの思い入れと強調と個性によって訳し、ある意味では、常に描き直されてきた歴史的大著でもある。

    角田さん、とっても大胆発言です。

    そんな実にクールな立ち位置にいた彼女が訳すにあたって最も優先したのが「読みやすさ」。
    その言葉通り、実に平易かつ端的な現代の言葉で、リライトされています。
    例えば、古文では重要視される敬語や謙譲語等は敢えて無視し、そして反対に、省略されるはずの主語をたくさん挿し入れるなどされています。

    正直に言ってしまえば、これによって、源氏物語が本来持っている、無常観を基調にした情緒や風情、音律的な流麗さ、そして、主要な人物だけでなく端役に至るまで、それぞれの身分や置かれた状況、物語上の役割を勘案して語られる心理描写の絡まり合いが織りなすきめ細やかな美しさ等は、残念ながら零れ落ちてしまっていると思います。

    しかし、それを補うだけの利点がこの角田訳にあるのも確かです。

    まず第一に、ない主語や細かな敬語に頭を働かせて、誰の行為であるかを考えたり、つまづくことがない分、実にすらすら読めること。
    そしてそれ故に、源氏物語の小説としての魅力の土台の一つである、数ヶ月どころか、10年、20年、はたまた50年先にまで及ぶ無数の伏線が張り巡らされていることと、その伏線がきちんと回収されてさらに次の展開へと続く構成力と展開力の見事さが明確にわかる、立体的なつくりとなっている点です。

    これにより、本編ともいえる主軸展開の合間合間に、時間軸を同じくしながら本流に影響を与えない、今で言う「スピンオフ」的な帖が挟まれて、本編では展開の都合上描かれなかった主要人物たちの性格的個性を際立たせる役割を担っていたかと思えば、そのスピンオフ中に、後年本編に大きく影響する伏線的要素が実はしっかり語られていたり…という、源氏物語の長篇小説としての巧妙なつくりが際立っています。

    そして、各帖の初めに毎回挿入される、該当帖における主要な登場人物たちの相関図が、これまた、読者の頭をきちんと整理してくれて、とてもわかりやすい。

    ハードルが上がりがちな古典物語を、「異世界舞台の現代小説」であるかのように、フラットに読めるようにした角田さんの仕事は見事だと思います。

    今回刊行された上巻には、光君が誕生する第1帖の「桐壺」から、彼が権力争いの中で不遇をかこちながらも再起し、35歳で栄華を極めた第21帖の「少女」までが収められています。

    この段階で、既に回収された伏線も、回収されていないものもあります。はたまた、新たに張られたものもあります。

    他の作家さんの訳で源氏物語は読み終えているため、既に全ての展開も結末も知っている立場でも、次を読みたいと思える作品でした。

    • vilureefさん
      こんにちは。

      角田さん、大好きなんです。
      角田さんの小説だったら何はさておきいち早く読みたい性分ですが、この源氏については手にとれず...
      こんにちは。

      角田さん、大好きなんです。
      角田さんの小説だったら何はさておきいち早く読みたい性分ですが、この源氏については手にとれず・・・。

      何しろ厚い(-_-;)
      おまけに角田さんのオリジナルではない。
      源氏物語に時間をかけるのは惜しい、などの理由でまだ読んでいません。

      でもhotaruさんのレビュー読んでたら、ちょっと心が動きました!
      素敵な分かりやすいレビューで読みたくなりました。
      年内にチャレンジできるかな・・・(^_^;)
      2018/02/06
    • hotaruさん
      Vilureefさん、こんにちは。コメントありがとうございます。

      角田さんのファンでいらっしゃるんですね。
      私は恥ずかしながら角田さんの小...
      Vilureefさん、こんにちは。コメントありがとうございます。

      角田さんのファンでいらっしゃるんですね。
      私は恥ずかしながら角田さんの小説それ自体はまだ読んだことがないので(角田さんが担当された「失われた時を求めて」の抄訳だけ読みました)、この訳文に角田さんの小説が持つのと同じ個性や魅力が出ているかはまでは残念ながらわかりません。

      でも、数ある訳文の中でも特に読みやすいのは確かだと思います。

      新たな角田さんワールドを求めて、中・下巻まで刊行されたのちに、勢いで読むといいかもしれないですね。
      2018/02/06
  • コロナで講座を受ける機会がなくなったので、有志で集い源氏物語講座をしています。今、「少女」「花宴」を精読しているので、気になっていた角田版源氏の当該帖を読みました。スッキリしてわかりやすい。紫式部は物言いを曖昧にしたり、含みを持たせたり、省いたりするクセ強よの表現スタイルですが、角田版は微妙なところを断定したり言葉を添えたりしているので、細部まで明解になります。時代のニーズに応える現代語訳ですね。

    • しずくさん
      講師をされてるなんて凄い! 私らも最初は回り持ちでやってましたが、自分の番が近づくと重荷に感じられ、会員の元高校の先生に引き受けて戴きました...
      講師をされてるなんて凄い! 私らも最初は回り持ちでやってましたが、自分の番が近づくと重荷に感じられ、会員の元高校の先生に引き受けて戴きました。随分昔の話です。
      源氏ツァーが実現すると良いですね!
      2021/06/30
    • myjstyleさん
      そうですか、
      持ち回りでも大変でしたでしょう。

      月2回ペースの勉強会は、食事会を兼ねていたり、六種の薫物を薫せたりしてお気楽です。
      ...
      そうですか、
      持ち回りでも大変でしたでしょう。

      月2回ペースの勉強会は、食事会を兼ねていたり、六種の薫物を薫せたりしてお気楽です。
      講師の視線で源氏を読むのは、新たに見えてくるものもあり新鮮です。
      2021/06/30
    • しずくさん
      わぉっ、6種の薫物を薫せるとは素敵!
      そういうやり方もあったのか。。。現代的な切り込み方で愉しそうですね。
      わぉっ、6種の薫物を薫せるとは素敵!
      そういうやり方もあったのか。。。現代的な切り込み方で愉しそうですね。
      2021/07/01
  • 解説と一部の帖を読了。解説が読めてよかった。
    源氏物語を読んでいて、一点どうしても不快感を覚えるところがあった。それが本書の解説にある、これ→「光君のふるまいが(現代のあからさまな用語で言ってしまえば)強姦に近いことは少なくない。」
    しかし、解説にて「農業を基礎のする国家経営」の中での性愛の社会的位置付けが説明されていたことで、もう少し心穏やかに読むことができるようになった。
    ウェイリー版と一部読み比べてみたら、意味がかなり変わる部分があって驚いた。

    また、付録として源氏物語の現代語訳変遷のまとめと、その訳者の瀬戸内寂聴と大和和紀の寄稿があったのも面白く拝読した。源氏物語の作家を惹きつける魔力に恐れ慄いた。

  • 高校生の時、教科書で「若紫」を読み、これっておもしろいよなと思って古文読解テキストを購入。でも序盤で飽きて挫折。
    大学生の時、実家で母が買っていた瀬戸内寂聴訳を読むも雨夜の品定めあたりで頓挫。
    働き始めた頃ふと購入した文庫の円地文子訳も同様。
    嫁さんが持っている「あさきゆめみし」でさえ明石から先は読めず。

    こんなわけで多分生涯読み通せまいと思っていた「源氏」だが、角田光代の新訳を買おうかどうか逡巡。今回も読めるか分からないし、なにせ本にしては高額で・・・。

    しかし梅田の書店で角田さんのサイン本を見て、えいやと購入しました。彼女のコメント、「読みやすい訳を心掛けた」という言葉を信じました。

    結果は意外なほどすいすい読み進められました。
    尊敬語・謙譲語で身分関係を表すというこの小説の特徴をあえて無視したとのこと。
    角田さんの仕事は本当に素晴らしい。

    今まで読めなかった人もぜひ手にとって欲しいです。
    よく考えれば、上中下巻(既刊はこの上巻のみですが)全部買っても、新幹線の東京・大阪片道に及ばないくらいの額です(本って他のエンターテイメントに比べたらホントに廉価)。

    男だから光君の気持ちも分かると以前は思ってましたが、この小説に描かれている男女はそれぞれがそれぞれの地獄を抱えているように思えます。

    結局、簡単になびく女性には興味がなく、いろいろな理由から返事がなかったり会えなかったりする女性のことばかり考えて悶々としている源氏の姿がずっと描かれている。

    返歌がないと思い悩むのはLINEの既読スルーと変わらず、いつの世も変わらないのだなとも。

    ちょっと落ち着いたと思ったら事件が起こって、エンターテイメントとして完成されている作品のように思います。

    余談ですが、毎日通勤で通ってる道中に紫式部が住んでこの本を執筆していた場所(廬山寺)があることも最近知りました。

  • 2021年読みはじめ。
    初回封入限定の源氏かおり袋付き。
    なんか匂いと一緒に読めるって素敵よねー!

    角田光代が読みやすさを心掛けて書いたとあって、本当にするする読めて、面白い。
    しかし、それでも分厚くてなかなか大変。

    上巻は桐壺〜少女巻まで。
    あらためて読みながら思うのは、光源氏めっちゃ泣くやん!(笑)とにかく恋に落ちては泣き、相手にされずに泣き、秘密に泣き、もちろん大切な人の死には嘆き悲しむ。
    他の人も大概泣くけど、時代で感情表現の在り方ってどう変わるんだろうか。

    分からんなーと思うのは、藤壺や夕顔、紫の上とは結構強引に逢瀬を持っちゃって、最初は光源氏を恨みがましく思う。でも、いつの間にか慕っている描写に変わる。なんでなんだ。
    同じ女でありながら、分からない女心。
    紫の上なんて、幼少期からずっと戯れてきた兄?父?みたいな人が豹変して、最初はショック受けるわけなのに。いつしか正妻ポジで落ち着く。なぜ。

    そして、どんなにつれなくされても、気遣いを忘れず、ワンチャン狙いにいく光源氏。
    確かに見境ない所もあるけど、釣った魚を後生大事に餌をやる所は、なんというかこの時代の人もなかなか大変だよなと思う。

    元々の推しは明石の君だったけど、角田訳は、訳っぽい感じが残っていて、だからこそ温度の上下が少ない葵の上が好き。
    「はっ」て言って笑いそう。いいわ。

    さて。宇治十帖に辿り着くのはいつになるやら。

  • めちゃめちゃさくさく読める。『あさきゆめみし』の次に読むのにおすすめです。ときどき挟まる平安時代のおもしろトピックがちゃんと笑えるって、角田さんの功績ですね。

    しかし21世紀の倫理観で読むと光君のは腹立たしいこと極まりない。浮気性なだけでなくて、決定的な部分で思いやりがない。権力があって顔がよくて人気があれば、こんなに他者に無頓着になれるんだな、という幻滅。そしてそういう人にかかわりあった場合に生じうる女の不幸カタログの壮観なこと! 恐怖に刺激されて(先がどうなるかわかっているのに)どんどん読んでしまう。『源氏物語』が千年間提示し続けるリアリティに、殴られっぱなしになった。

  • 角田光代さんの文化講演会にお邪魔した時に、5年もの歳月をかけて書き上げた『源氏物語』の話を聞いた。
    武器にもなりそうな厚みのある本であると。
    学生時代から、幾度となくチャレンジしては心が折れて挫折していた源氏物語。
    角田さんが書いた源氏物語ならば今回はいけそうな気がする、と思ったが、やはりなかなか進まず、情けない事に上巻だけで1ヶ月かかってしまった。
    中学生の頃夢中で読んだ『あさきゆめみし』がなければ、きっと読み終えることができなかったと思う。
    登場人物が多く、複雑に絡み合うからだ。
    物語の流れがかすかに記憶の中にあり、思い出しながら楽しく、時に苦しみながら読み終えた。
    今回、あとがきを読むことで、源氏物語に対する理解が深まったのも良かった。
    中巻を手に取る元気が今はないが、しばし休憩してからチャレンジしたいと思う。

  • 池澤夏樹個人編集による日本文学全集。04は、54帖から成る世界最古の長篇小説「源氏物語」の「桐壺」から「少女」までを、角田光代による完全新訳で収録する。しおり付き。

    読みやすいけど、なかなか進まない。ようやく読み終えた。

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著者プロフィール

1967年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部文芸科卒業。90年『幸福な遊戯』で「海燕新人文学賞」を受賞し、デビュー。96年『まどろむ夜のUFO』で、「野間文芸新人賞」、2003年『空中庭園』で「婦人公論文芸賞」、05年『対岸の彼女』で「直木賞」、07年『八日目の蝉』で「中央公論文芸賞」、11年『ツリーハウス』で「伊藤整文学賞」、12年『かなたの子』で「泉鏡花文学賞」、『紙の月』で「柴田錬三郎賞」、14年『私のなかの彼女』で「河合隼雄物語賞」、21年『源氏物語』の完全新訳で「読売文学賞」を受賞する。他の著書に、『月と雷』『坂の途中の家』『銀の夜』『タラント』、エッセイ集『世界は終わりそうにない』『月夜の散歩』等がある。

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