好色一代男/雨月物語/通言総籬/春色梅児誉美 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集11)

  • 河出書房新社
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感想 : 20
  • Amazon.co.jp ・本 (576ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309728810

感想・レビュー・書評

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  • いまにも溶けてしまいそうな暑さが続いていますが、そんなときには、ひやっ~とする怪異談ですね(^^♪ といっても、ただの怪談ではありません。ホラー恐怖物でもないし、スプラッタ状態でもありません。まじめに冷やしてくれるのに、よよ~と泣かせてくれる、なんとも静かで温かく「あはれ」な読み物なんです。

    江戸時代、徳川吉宗の時世に活躍した上田秋成(1734~1809)。彼いわく、雨あがり、おぼろに月がかすむ晩春の夜に描いたという『雨月物語』には、美しくもまがまがしい月、しっとりした雨の情景がでてきます。
    わずか9編の短編集ながら、どれもこれも珠玉のできばえ。わくわくはらはら肝を冷やす面白さで、なかでも私が好きなのは、「白峰(しらみね)」「菊花の約(きっかのちぎり)」そして「青頭巾」。

    ***
    『白峯』は、修行僧西行の奇怪な体験からはじまります。保元の乱で敗れて配流になった天皇/崇徳院(すとくいん)の墓参をした西行は、そこで懐かしい崇徳院(亡霊)と対面します。和歌や言葉を交わすうちに、なにやら剣呑な雰囲気に……そうこうしているうちに、激しい論争がはじまります。どちらも一歩も譲りません。

    「(崇徳院)……出家して仏道に溺れ、目がくらみ、自身の解脱(げだつ)という私欲を満たそうとするのはお前のほうで、この世の道理を仏道のいう因果によって丸め込み、堯や舜(ぎょう/しゅん:中国神話の名君、儒教家の羨望の的)のような聖人の教えと、仏法とを取り混ぜて朕(われ)に説教しようというのか」と声をあらげて迫った。
     これを聞いた西行は、恐れ気もなく膝を進めて、
    「あなた様のお言葉は、人の道を説くふりをしているだけで、俗世の私欲を一歩も離れておりません……」

    やれやれ……すさまじい応酬に開いた口がふさがらない。恨みつらみの崇徳院もどうかと思いますが、それを理路整然とさとす孔子然とした西行にもムッとする苛立たしさ……どんどん読み進めていくと、エンディングもこれまた冷える。

    『菊花の約』は、義兄弟の契りを交わした下級武士の左門と宗右衛門の人情譚。冒頭から薄霧でふわりと巻いた綿菓子のような雰囲気なので、ガサツな私の言葉で壊すのはやめておきます。読んでみてください、ちょっと泣かせます。

    『青頭巾』は、行脚中の禅僧が旅先で遭遇した人食い鬼の騒ぎからはじまります。村人に仔細を尋ねると、男児に迷い、鬼となってしまった僧侶がいるといいます。その話を確かめようと、うら寂しい山寺へむかう禅僧……(あぁ~~行かなきゃいいのに……でも行かないと話は始まらんし…)。

    9つの短編のどれもが確かに怪異談です。が、いや~吐息がもれそう。そこには彼岸も此岸もありません。死者や生者の境もありません。人間とはなんぞや?? 読めば読むほど唸ってしまう痛快さ。
    仏教の説法臭ささや、儒教かぶれもありますが、じつはそれさえも、『白峰』でみたように、崇徳院の痛烈でシニカルなセリフにして嘲笑する作者秋成の奇怪な声が行間から聞えてきます。人間を題材にして文学で思いきり遊んでいます。いいですね~こういう遊びは、楽しくて真剣でなくちゃぁ~いけません。まったく白黒つけられない、人間のいかんともしがたい性(さが)や業のすさまじさ、はたまた一見すると美談の「菊花の約」さえも、どこかがおかしい。「美徳」が醸す不穏さ、言葉にしがたい気味悪さ、ひやゃ~~巧いですね!

    善や悪をとりあえず脇においた、味わい深くシブい大人の怪談が楽しめます。円城訳もとても読みやすい。

    余談ながら、村上春樹の『騎士団長殺し』。冒頭から霧のように漂う面妖さは、まるで『雨月物語』から立ちのぼってくるまがまがしさにくるまれたようです。そこへ「蛇性の婬」や「青頭巾」あたりの「あはれ」を綯い交ぜたようなシブさ、とても興味深く読みましたよ♪

    ***
    「寂しさに秋成が書(ふみ)読みさして庭に出でたり白菊の花」――北原白秋

  • 冬期休暇のため長くて分厚い本が読める!と、気になっていた日本文学全集シリーズ。
    現代語訳のため相当読みやすく、休み前半で読めた。

    【井原西鶴「好色一代男」 新訳:島田雅彦】
    光源氏、在原業平の流を汲む色好みの世之介さん、幼少のころから60歳までに遊びに遊んだ女3,742人と男725人、使ったお金は現在価格で500億近く。
    そんな世之介さんの一代記(まさに一代限り。何も続かない、何も残らない)を
    7歳から60歳までを1年ごとに54章で書いたもの。

    昔増村保造監督、市川雷蔵主演の映画を見ました。
    映画での世之介役の市川雷蔵は実に自由で前向きで明くて良かった!
    光源氏や在原業平はいじいじグダグダしていて喝入れたくなったが(学生時代の授業での感想/ちゃんと読んでないから分からんが(笑))、この世之介さんなら一瞬の恋に燃えても楽しそう!と思えるような人物像でした。

    そんな世之介さんを期待して、かなりワクワクしながら読み始めたのですが…

    井原西鶴の原作もそうなのか新訳でそうしたのか、サクサクサクサク進み過ぎて世之介さんの心情も触れられず。
    大店の遊び人と遊女を両親として生まれた世之介さんは、まだ母と添い寝の頃から従姉や女中さん近所のおかみさんたちに色っぽいことを言ってきた。
    青年になって自然と遊女や人妻を相手にし、あまりにも度が外れた遊びっぷりに両親から勘当される。
    それならばそれで…と、日本全国その日暮らしながらも色事っぷりは増すばかり、坊主修行をするもののすぐ色事に走り、、たまにどこぞの家に婿のように入ったり、たまに子ができても女も子も捨て、旅の尼さんにも坊さんにも手をだして…と、まあこの時代は金も家もなくても遊び倒せたんですね。

    映画では勘当されてからは「ここぞ!」とばかりに自由への道を邁進するんだが…、原作では父が亡くなった後母により勘当は解かれて、(現代価格に換算し)500億の遺産を「好きなだけ遊びつくしなさい」と渡される。
    そこで吉原、島原、下関など日本全国遊び歩き、名のある遊女と言う遊女は全員身請け、吉原一の花魁を正妻に迎えるが相変わらずの遊びっぷり。
    結局60歳になって遊び友達と共に、女たちの腰布で帆を作った船に乗り海へと漕ぎ出しそれっきり。
    それなりのいい男で金と時間はあり余り、遊ぶ以外にやることはないとなったらさすがの世之介さんも生きるのがキツくなったんだろうか。

    市川雷蔵の映画の世之介さんでいいセリフがいくつかあったので覚えてる範囲で記載。
    「(心中計ったが女だけ死んで)わたしもすぐに後を追うぞ!…でも先に三途の川を渡ったかな~今から後を追っても追いつけないかもしれないな~、よし!死ぬのは辞めた!」
    ⇒この前向きさ(笑)。きっと先に死んだ女性も許してくれるよ。

    (映画のラストは役人に追われて逃げるための船出)「この船の帆は今まで出会ったおなごたちのものや!おなごたちの加護がついている、さあ、女護島へ出発や~!」
    ⇒散々遊び散らしていますが、一人ひとりに本気で誰からも恨まれてない!という自信があるんですね。
    現代日本の道徳に同調している私でも「酷い男と酷い人生で添い遂げるより、一瞬でも世之介さんと遊べた方が幸せでは」と思った(笑)

    「おなごは鬼と罵れば鬼にもなる、仏と拝めば仏にもなる。それなら仏と拝んだ方がいいではないか、ありがたやありがたや~~~」
    ⇒これは人間に対する心持の理想ではないか。座右の銘にしたいくらいだが…私が全く実行できていないorz

    【上田秋成「雨月物語」新訳:円城塔】
    人の執着、無念により、死んだ後にも祟り神、鬼に変化して恨み言を語る。
    僧に出会って成仏できるか、恨みの相手を取り殺してどこかへ消えるか…

    最初に読んだのは高校生くらい??(もちろん現代語訳)だったと思うのですが、日本の古典としてかなりお気に入りだった。
    さらに当時流行った桃尻語訳シリーズかなにかで「作者の上田秋成は、わがままで嫉妬深くて困った男」みたいに紹介されていて、それがさらに雨月物語を興味深く感じていた。
    雨月物語では性の直接的描写はないので、高校生当時はそのまま読んでいましたが、
    その後大人になってからは「戦場ど真ん中の村に妻を残し都に登る男」なんて、妻が無事なはずなかろう、わかって捨ててるだろうと思うし(実際に溝口健二監督が映画化したものでは、妻は敵兵たちに…、という場面がある)、
    「少年に執着する僧」「義兄弟の契りを結び命懸けで約束を果たす男たち」ってやっぱりそういうことじゃないか!と思うし、
    文章の裏から浮かぶような性描写があるんですね。

    円城塔の作品を読んだことはないのですが、現代語訳版では、怪奇も変化も特別なことではなくごく自然にさらっと記載されています。
    もう少し情念を感じさせる文章でも良かったかなあと思う。

    【山東京伝「通言総籬(つうしんそうまがき)」新訳:いとうせいこう】
    話の筋としては、吉原で遊びに興じて生きたいと思うお坊ちゃまの”えん次郎”が、自宅で準備をして吉原の遊女に会いに行くまで、ということですが、
    タイコモチの”北里喜乃介(きたりきのすけ)”や、医者坊主の身なりはしているが実はヤブ医者のタイコモチ”わる井しあん”たちとの軽口やり取りを通して、吉原の名物紹介というガイドブック的側面、そして作者山東京伝の作品宣伝という側面を持っているらしい。
    訳者のいとうせいこうは、本文も軽口の応酬を書きつつ訳注を付けまくり楽しく訳している感じです。
    なにしろ訳注では「山東先生、この場面筆が乗ってます!」「現代だと○○みたいなもの」な訳者ノリノリ(笑)

    この読み物自体全く知らず…
    ガイドブックっぽいが、蔦屋重三郎がバックについての本当に宣伝本ということらしい。
    まあそういう本のスタイルを確立させて行った過程というような読み物、と言うようなものだろうか。


    【為永春水「春色梅児誉美」新訳:島本理生】
    吉原でそこそこ名の通じる店の唐琴屋に関わる人たちの人間恋愛模様。
    番頭に追い出された元若旦那丹次郎、丹次郎の愛人の芸者米八、丹次郎の婚約者お長、花魁此花、此花の御贔屓藤兵衛、髪結いの小梅のお由…達の間で繰り広げられる恋愛騒動。

    「春色…」は全く知らず、島田さんも初めて読んだ(そもそもこの名前、男性?女性?と思いながら読んだが、女性っぽいな)
    現代っぽい感覚で訳されていて、米八の口調など「○○じゃん」「さんきゅ」などと思いっきり現代風。
    話しの進み方も、章ごとに登場人物の一人称で語られていて、江戸時代にこんな書かれ方したのか??と思ったら現代語訳に際しての改変らしい、洒落た感じがでてた。

    しかし行動や口調が思いっきり現代恋愛ものであり、
    人の営みは何百年たっても変わらない、江戸時代も今の私たちも同じだと解釈するものなのか、
    現代語訳に当たって特に現代の人に感性を合わせた訳し方にしたのか。

    私は現代恋愛ものは読みたくないので、途中で「江戸時代の文学を読むつもりが、思いっきり現代ものではないか!!」とちょっと焦ったわ。

    色々拗れるのでラストは悲恋か?心中しちゃうか?とこれまた焦ったが大団円だった。
    しかも「○○は実は上流武家の隠し子!」とかのビックリ情報明かされまくり(笑)
    江戸文学ではこういう「実は○○!」というのが流行っていたらしい。

  • 名所旧跡というものがある。人の口に上るので、自分では特に行ってみたいと思っていなくても、一度くらいは行っておいたほうがよいのではと思ってしまう、そんなようなところだ。古典というのもそれに似たところがあるのかもしれない。学校の歴史の授業で名前だけは聞いていても、『雨月物語』はともかく、色恋や女郎買いを主題とした『好色一代男』や『春色梅児誉美』などは、文章の一部すら目にしたことがない。ましてや山東京伝の名前は知っていても廓通いのガイドブックである『通言総籬』などは作品名さえ教科書や参考書には出てこない。しかし、出てこないから、大事ではないということではない。

    「色好み」というのは、日本の文化・伝統というものを考えたとき、まず最初に指を折るべきところ。何しろ『古事記』の国生みからして、その話から始まるのだし、世界に名立たる『源氏物語』は全篇「色好み」の主題で貫かれている。というわけで、十七世紀から十九世紀にかけての日本文学を代表する作品として選ばれているのは、浮世草子、読本、洒落本、人情本というまあ、今でいうエンターテインメントばっかし。面白くないはずがない。そうはいっても、怖いもの見たさで現代語訳を読んでみた『雨月物語』を別として、あとの三作は原文はおろか訳文すら目を通したことがない、という体たらく。

    それもそうだ。『平家物語』の書き出しのように人口に膾炙しているわけでなし、『源氏物語』のように、何度も映画化されていて、原作を読まずともある程度のストーリーに通じているといったキャッチーなところが少ないのだから。まあ、世之介という主人公はけっこう有名で市川雷蔵主演の映画でそのキャラクターも知ってはいたが。『源氏物語』五十四帖をパロディにした、こんな愉快な物語だったとは、現代語訳を読むまではとんと知らなかった。

    これは、江戸時代前期の日本各地を舞台にした一種のピカレスクロマンではないか。女だけではなく若衆、つまり男も相手にした好きものの男の一代記。日本が諸外国と比べ、性に対してあけすけなのは知っていたが、これほどまでとは知らなんだ。ところかまわず、相手かまわずことに及び、子どもが生まれたら捨て子にし、どれほど一生懸命に口説いた相手でも、時がたてば別の場所、別の女にいれあげる。この世之介という男、とんでもない男である。その一方で、女にまことを尽くし、どこまでも連れ添おうとする律儀なところもある。価値観というものがそんじょそこらの男とはちがっているのだ。

    長い戦国時代が終わり、徳川の世になったことで天下泰平の時代の空気のようなものがそうさせるのか、「金もいらなきゃ名誉もいらぬ、わたしゃも少し背が欲しい」というギャグがあったが、世之介が欲するのはただただ色事に尽きる。歌枕を訪ねるように女を求め日本各地を漂泊する前半も読ませるが、親の遺産を蕩尽しようとして果たせぬ後半のアナーキーさがニヒリズムさえ漂わせ凄みをみせるのが、「好色丸」と名付けた船で女護ヶ島目指して旅に出る最後の場面だろう。バイトやヘルプという俗語も自然になじむ島田雅彦の現代語訳は読みやすい。各巻七章で八巻のみ五章の構成。短い章立てがテンポよく、飽きさせない。

    中国白話小説を翻案し、日本を舞台にした怪談集の体裁をとる『雨月物語』は、円城塔訳。儒仏道の薀蓄を散りばめた上田秋成の原文を格調を失わない現代文によく移し変えている。「白峰」にはじまる怪異を描いて鬼気迫る迫力を見せるが、軟文学でないという点で他の三作に比べると異色。

    いとうせいこう訳による『通言総籬』は訳者も言うように田中康夫の『なんとなく、クリスタル』を髣髴させる当世カタログ風の出来。通人が当時流行っていた遊郭にあがって太夫を呼んで騒ぐ午後から夜明けまでの一部始終を、当時最先端の風俗をこれでもか、というように次々と繰り出してみせる、山東京伝の才気走った一篇。見開きページの右に本編、左に脚注を配した「なんクリ」ならぬ「ツーまが」。いちいち脚注に当たるのは面倒という向きは、本編だけでも読める程度に噛み砕いてくれているので安心。しかし、脚注で事細かに語られている当時の風俗、流行が何より興味深い。ちらちらと目をさまよわせて読むのも一興。

    島本理生訳の為永春水は、かなり原作を改変しているようだ。といっても話の内容をではない。語りを、三人称ではなく主要な登場人物の一人称の語りにした点である。そうすることで、視点人物の感情が読者と共有され、まだるっこしいような男女間の情愛や、女同士の義理立て、意地の張り合いが、一気に分かりやすくなった。人情本本来の情調とは若干異なるのかもしれないが、時代小説のノリで読めるのはありがたい。多分、原文だったら最後まで読み通す気にならなかったと思う。

    読まないでいてもいっこうに困らない、という点で名所旧跡にも似た四篇だが、まあ、一度読んでみても損はない。それどころか、日本文化が本来持っていた軟らかさ、なまめかしさ、艶っぽさ、仇、粋、といったあれこれが目の前に立ち現れてくるのがなんとも心地よい。極上の酒を、気の利いた肴をあてに口にしているようで、いやあ極楽、極楽。武張った今の世の中が、いかに日本を忘れてしまっているかを思い出させてくれる警世の書というべきか。

  • 江戸時代に出版された物語が4つ、収められている。
    大雑把に江戸時代とくくっても、「好色一代男」から「春色梅児誉美」まで150年の間があって、江戸という時代の長さに改めて驚かされる。
    どの作品も今回の新訳ではじめて読んだ。予想以上に面白かった。
    『好色一代男』では世之介の無節操ぶり・無茶っぷり・エロっぷりにあきれ果て、これが源氏物語のパロディだとは学がないため巻末の解説で指摘されるまで気づかなかった。世之介に夢中になる遊女とか、見てくれがよくて金を持っていたとしてもこんなあほな男のどこがいいのかと思うけれど、まあ総資産500億円だしな。当時の江戸の「いい男」の基準が不思議過ぎて面白い。
    『雨月物語』では、亡霊や悪霊が迫力たっぷりに登場してきて、この物語の展開は現代でも十分通じる、と物語の基本というものはこの時代からすでにあったのかと唸らされる。
    『通言総籬』はいとうせいこうの弾けた注釈が面白く、現代作家が描いた時代物で当時に思いを馳せて想像するのとはまた違う、当時の流行り、「江戸の粋」の羅列を追うことで江戸時代という文化が垣間見える気持ちになる。
    『春色梅児誉美』では訳者の島本理生が言っている通りずいぶん男に都合がよくて、こんないい加減な生産能力のないダメ男のどこがいいんだと思いつつ、ついつい物語に引き込まれてしまう。「実は誰それの御落胤・・・」という都合のよすぎる流れはもうなんか古い昼ドラのようで、こういうストーリー展開は江戸時代からあったのかとおかしくなる。(巻末で池澤夏樹が「作者が全体の構想などなく」何にも考えずに書いている、と断じているのも笑える)
    いずれの作品も訳者の力がすごく大きいのだろうけれど、それでも、物語自体の持つ力、面白さ、というのは時代を経ても変わらないものがあるんだなとしみじみ思った。
    こんな機会がなければなかなか知ることもなかった作品だけに、出会えたことがありがたい。

  • 江戸期は市民の時代であり、先取りされた近代であった。日本の小説は既にこの時期に完成していたのかもしれない。

  • 江戸時代は、だいたい現代?

    治められた4つの小説は、どれも名前は聞いたことがあるかな、というもの。読んでみるとスイスイ読める。古典文学だとちょっと遠巻きにしていたのがもったいない。

    「好色一代男」これぞエロの大国日本だな、とか思ってしまう。とことん遊んで最後に船出していく世之介を、嫌える人なんていないだろう。源氏物語のパロディと言われて、なるほどと思う。

    「雨月物語」いくつかの話は知っていたが、通読するのは初めて。しっとりと、また少し不思議で、少し怪しい。

    「通言総籬」つうげんそうまがき。これは知らなかったけど、『なんとなく、クリスタル』ならぬ『なんとなく、総籬』といういとうせいこう訳に引っ張られて読んだ。冒頭はもしかしてにほんごであそぼでやってた江戸っ子とはのセリフか。

    「春色梅児誉美」これは昔マンガで読んだことがあるので、なんとなくあらすじは覚えていた。どんどんと事件が起き、新たな事実が明らかになり、最後は大団円でご都合主義とは言っても、ぐいぐいと読んでしまう。軽やかな会話、キャラクターたちの「粋」と「あだ」が爽やか。

  • 雨月物語目的で。
    西條奈加さんの「雨上がり月霞む夜」を先に読んでいたことから、作者や時代の呪縛から解かれた気持ちで読めた。なので、古典とはいえ少し色あせて見えた。
    そんな価値観「昭和かよ」という半ば白けた気分というか。この調子では恋愛小説もただの利権物語にしか見えなくなりそうだ。
    もともと恋愛小説にはあまり惹かれないけど(⑉• •⑉)

  • やはり『雨月物語』が奥が深くて味わい深い。『好色一代男』の遺産500億円なんてものすごい金持ちであり、よく飽きもせず女、男遊びするものだと感心してしまう。光源氏に色で対抗したのも面白い。『春色梅児誉美』はハッピーエンドで楽しく読めた。

  • 古典

  • 好色一代男/雨月物語/通言総籬/春色梅児誉美 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集11)

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著者プロフィール

1961年、東京都生れ。東京外国語大学ロシア語学科卒。
1983年『優しいサヨクのための嬉遊曲』を発表し注目される。1984年『夢遊王国のための音楽』で野間文芸新人賞、1992年『彼岸先生』で泉鏡花文学賞、2006年『退廃姉妹』で伊藤整文学賞、2016年『虚人の星』で毎日出版文化賞、2019年『君が異端だった頃』で読売文学賞を受賞。著書は『天国が降ってくる』『僕は模造人間』『彗星の住人』『美しい魂』『エトロフの恋』『フランシスコ・X』『佳人の奇遇』『徒然王子』『悪貨』『カタストロフ・マニア』『スノードロップ』など多数。

「2021年 『スーパーエンジェル』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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