南方熊楠/柳田國男/折口信夫/宮本常一 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集14)

  • 河出書房新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (544ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309728841

作品紹介・あらすじ

【ぼくがこれを選んだ理由】 民俗学は文学のすぐ隣にある。 南方熊楠の鎮守の森を擁護する論は今のエコロジーにつながっている。 柳田國男と宮本常一の論考を連ねると、正面から描かれた近代日本人の肖像が見えてくる。 折口信夫はもうそのまま文学。読んでいると古代の日本人とすぐにもハグできるような気持になる。(池澤夏樹)<内容紹介> 民衆の紐帯であり自然の宝庫でもある社(やしろ)の破壊に反対する、南方熊楠の画期的論考「神社合祀に関する意見」。伊良湖岬の浜辺で目にした椰子の実から日本人の来し方を想起する、柳田國男「海上の道」。後に中将姫と呼ばれる藤原南家の姫君と、非業の死を遂げた大津皇子の交感を軸に綴られる、折口信夫「死者の書」。近代女性の生き様を活写する「海女たち」「出稼ぎと旅」「女工たち」ほか、宮本常一「生活の記録」。神話、伝承、歴史、生活、自然など、日本のすべてを包摂する厖大な文業から、傑作29篇を精選。解説=池澤夏樹解題=鶴見太郎月報=恩田陸・坂口恭平帯装画=高木紗恵子

感想・レビュー・書評

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  • 「海上の道」柳田国男
    柳田の最後の著書であり、様々な論議を呼んだこの論文を私は初めて読んだ。「日本人の祖先が、南方海上より流れ着いた人々であった」という論旨そのものは、現在では明確に批判・訂正されているので、改めて読むモチベーションがなかなか持てなかったのである。この全集では、まず「文学」として読もうとしている。「科学」と対立する文学という意味で、私も確かに文学であると思う。構造はほとんど随筆だからである。柳田は、青年の頃拾ったヤシの実からこの論を立てている。私は勘違いしていたが、ヤシの実を沖縄の浜辺で拾ったのかと思いきや、伊勢の浜辺で拾ったのである。そこから、様々な思いと民俗事象を述べた後に、中盤で初めて「宝貝」がキーワードであったと学術的な根拠を述べる構造は、もはや文学であろう。文章は美しい。だから、最後まで読めてしまう。思うに、柳田国男を文学者として読み直す作業は、まだ始まっていないのかもしれない。

    「死者の書」折口信夫
    いろいろとわからない語句や展開もあるけど、詰まりながらも、なんとか最後まで読み通した。誤解していたのは、古代の黄泉の国描写が半分くらいあるのかと思いきや、それはほとんどなかったこと。有名な「した、した、した」という擬音が、もっと全編を覆っているのかと思っていた。むしろ、発表当時としては、非常に先進的、もしかしたら現代でもまだここまでの水準に達していないほど考証のしっかりした奈良時代小説になっていた。
    地の文自体が、古代人の目線になっていて、例えば「片破れ月が、上がってきた。それがかえって、あるいている道の辺の凄さを、照し出した」「月が中天来ぬ前に、もう東の空が、ひいわり白んできた」(218p)というような言葉の選び方は、もう誰も到達できぬ高さである。
    しかしこれは民俗学ではない。純粋に小説だろう。

    「土佐源氏」宮本常一
    (「忘れられた日本人」(1960)より)
    池澤夏樹に「小説よりおもしろい」と言わしめる作品である。私もインタビュー記事を書いたことがあるのでわかるが、これだけの内容を聞き出すとすれば、優に4ー5時間を2回は繰り返さなくてはならない。もちろん信頼関係が出来上がってからの話だから、本当は数日かかる。私は、民俗採取の真似事をしたこともあるが、1時間じっくり話を伺って使えるのは一言二言分しかない事ばっかりだった。ところが、記録によれば、宮本常一の村への滞在はたった1日の数時間だったらしい。信じられない密度である。小説よりおもしろいが、これは明らかに民俗採取である。馬喰や盗人宿、こうぞつくり、夜這い、etc。今は無くなっている豊かな民俗がここにある。それから10数年後に書かれた「生活の記録」の中に、単に男女平等と云うことではなく、生き生きとした女の民俗が記録されているのは、そんな「採取」ができるのは、決して偶然ではない。


    「神社合祀に関する意見」南方熊楠
    我大学在住の折、常民文化研究会に所属し、フォークロワフィールドワークの真似事をす。民俗学は科学か、文学か?講師と論議し、不明に終わる。突如その会話思い出しぬ。それより35年。民俗学は常に脳中不可忘。数年前、和歌山南方熊楠記念館を訪ねる。小字で埋め尽くされたノート、紙、凡ゆる標本、博覧強記、南方曼荼羅我を圧倒す。

    この小文、日本エコロジー論嚆矢也と世に云う。無論、我同意。唯、八割かた神社合祀政策反対論拠を(1)敬神思想を薄くし(2)民の融和を妨げ(3)地方の凋落を来たし(4)人情風俗を害し(5)愛郷心と愛国心を減じ(6)治安・民利を損じ、と論じ、輿論に訴え、政治家を説得す。文中、和歌山県並びに全国の合祀神社事案のみならず、水戸光圀、定家、西行、白石、他多くの日本古典を挙げ、モンステキュー、孔子、その他欧米の様々な地方を引合いにす。正に、博物学そのもの也。

    (7)史蹟・古伝を滅ぼし(8)学術上貴重の天然記念物を滅却す、と論じるに及んで、例えば次のように記す。

    わが国の神林には、その地固有の天然林を千年数百年来残存せるもの多し。これに加うるに、その地に珍しき諸植物は毎度毎度神に献ずるとて植え加えられたれば、珍草木を存すること多く、偉大の老樹や土地に特有の珍生物は必ず多く神林神池に存するなり。(45p)

    この後、怒涛が如く珍草木珍生物の名前出ず。全ては我は知らず。果たして絶滅せしか。

    守護の要は、金でも政策でも無し。敬神思想であり、民の融和であり、地方であり、人情風俗であり、愛郷心と愛国心であり、治安・民利である。蓋し、民俗学の核心也。民俗学は、日本文学か否か、元より日本文学なり。その謂、日本文学とは日本の文なれば也。

  • 230824*読了
    これもまた文学と言われると、そうなのだろうと思う。
    国学者、民俗学者など、日本のことを深く知り、伝えようとと尽力された人たち。

    一番、名前も知らなかった宮本常一さんの女性史がおもしろかった。今だって、不平等さというか女性であることの大変さを感じることはあるのに、昔なんてもう…。その時代に生まれなくてよかったと思わずにはいられない。
    宮本常一さんは人の話を聴いて、引き出すのがお上手な人なのだと思う。一人ひとりの生涯が浮かび上がってくる。
    南方熊楠さんの「神社合祀に関する意見」は昔、神社の統合があったことも知らなかったし、文章がまずすっと入ってこなくて、大変ではあった。ここまで日本の歴史や国土を大切に思える熱い気持ちはすごいと思う。
    柳田國男さんは名前は知っていたし、折口信夫さんはこの日本文学全集で知った。
    調べて、書くということ。知ったことから想像して書くということ。事実を見たわけでないけれど、こうであろうと決めて、文章にしていく。
    そういったことは今の時代もいろんな学者さんだったりがしているわけなのだけれど、改めてこの時代にここまで調べて、文章にまとめていくことのすごさに関心せずにはいられない。
    折口信夫さんの「死者の書」は不思議だったなぁ。

    文学は小説だけではない。これも文学と繋がっているのだ。人の暮らしと文学は切り離せない。

  • 女子栄養大学図書館OPAC▼ https://opac.eiyo.ac.jp/detail?bbid=2000055892

  • 神仏合祀、民俗学の芽生えから、小説、聞き書きなど多角的な内容。日本民俗学の芽生えや成果を知ることができる

  • 私の好きな池澤夏樹が企画し編集したこの文学全集の中でも、取り上げる対象が南方熊楠、柳田國男、そして宮本常一というこの表紙だけで、購読を決めた。


    宮本常一という人の、日本にかつてあった人々の普通の暮らしを描きとり、描写のみならずそこから俯瞰して、その後の発展との関係を導く巧みさ。

  • 南方熊楠の論文は初めて読んだが、大変ロジカルであり、また先駆的な手法に基づいた内容であると感じた。さすが天才たる所以だと思う。
    「死者の書」は、飛鳥時代を舞台にしながら素晴らしいリアリティ。文学作品として非常に質が高いと思う。
    「土佐源氏」も同様。ノンフィクションとはとても思えない高度な短編小説として読めた。

  • 新着図書コーナー展示は、2週間です。通常の配架場所は、2階開架 請求記号:918//N77//14

  • 柳田國男
    根の国の話、根の国の意味は地底深くの死の世界を表しているのではない、富士の高嶺の根である。出発点とも中心点とも解すべきもの

    亡き人に逢える 常世の国と根の国
    とこよ 富と長寿 上利浦島の子

    とこよ 常夜経く国 闇かき昏す恐ろしい神の国
    死の国 常暗の恐怖の国

  • 日本民族学の大家の4人の作品集
    南方熊楠・柳田國男・折口信夫・宮本常一
    南方熊楠は、『神社合祀に関する意見』
    各地の神社が廃止されていくことに強い危機感を
    もって意見書として書いてあるもの。神社をはじめ
    日本における宗教的施設の役割や重要さ、もしくは
    それが亡くなってしまう場合の民族として失う
    ものを体系だてて整理して書かれてある。
    少し難解ではありますが、とても趣のある内容で
    あると思います。
    柳田國男は民族史や古代からの日本の成り立ちに
    ついての考え方や意見、考察がのべられている。
    『海上の道』『根の国の話』『何をきていたか』
    『酒ののみようの変遷』
    折口信夫は、『死者の書』貴族の生活と仏教感
    日本人がとらえる宗教感や死生観が美しく
    語られているのですが、少し難解。
    『我が子・我が母』『声澄む春』『神 やぶれたまふ』
    は鬼気迫った感じで戦争に対しての憎悪が語られている。
    宮本常一は、対馬や九州。日本各地の漁村・や寒村
    の老人から語られる話をもとに、日本の原風景
    や生活風景を克明に語られている内容。
    私が子どもだったころ、うっすらとそういうこと
    などがあったようなことを覚えていることが
    何点かありましたが、もうなくなってしまった
    日本の原風景・風俗・生活なのであろうと思います。

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著者プロフィール

1867年、紀伊国(現在の和歌山県)に生まれ、1941年に同地にて没する。在野の民俗学者、博物学者、生物学者として知られる。
著書に、『南方閑話』(坂本書店、1926)、『南方随筆』(岡書院、1926)、『続南方随筆』(岡書院、1926)などのほか、全集や選集、書簡集など多くの文業が刊行されている。

「2018年 『熊楠と猫』 で使われていた紹介文から引用しています。」

南方熊楠の作品

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