- Amazon.co.jp ・本 (544ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309728902
作品紹介・あらすじ
批評という文学形式において近代日本が生んだ最も価値ある大作二つ。その傍らに巧緻な翻訳と機略の小説、洒脱のエッセーを配する。──池澤夏樹
【ぼくがこれを選んだ理由】
評論は既成の作品の評価に終わるものではなく、一つの時代の文学を読み通すことによって次の時代の文学を用意する営為である。吉田健一は十八世紀までのヨーロッパ文学に戻ることで二十一世紀への日本文学の道を開いた。彼のおかげでぼくたちは小林秀雄から逃れることができた。(池澤夏樹)
「ある本が読めるか、読めないかを決めるのに一番確かな方法は、その本が繰り返して読めるかどうか験(ルビ:ため)して見ることである」──本を読み、文学に親しむ喜びを様々な視点から語りつくす長篇評論「文学の楽しみ」、ヨーロッパという文明が十八世紀に完成し、人間の自由を重んじるその精神が再生したのが十九世紀末だとする記念碑的著作「ヨオロッパの世紀末」の他、酒を愛する男が灘の技師と出会って体験する不思議な一夜を描く小説「酒宴」、若くして別れた母への思いを綴った「母について」、市井の旨(ルビ:うま)い店と料理をめぐるエッセー「食い倒れの都、大阪」など傑作19篇を厳選。
解説=池澤夏樹
解題=島内裕子
月報=松浦寿輝・柴崎友香
帯装画=林哲夫
感想・レビュー・書評
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あるとき朔太郎を読んでいて、文学とはまず第一に批評である、と書かれていて驚いたことがある。それまで文学といえば真っ先に思い浮かべるのは小説だったから、なぜ批評がその上に位置するのだ、と疑問に思ったものだ。当時、批評とは「他人の書いたものをあれこれ論じて価値を定めるその時々のジャッジ」のことだと思っていたからだ。しかし、それは文芸時評(review)というもので、批評(criticism)ではない、と解説を読んではじめて腑に落ちた。それでは批評とは何か。池澤によれば「批評は文学の原理を明らかにし、文学を導くもの」だそうだ。なるほど、それならよく分かる。朔太郎のいう批評とは、(criticism)のことだったのだ。
当時すぐにそう思えなかったのは、こちらが未熟だったことは勿論だが、そう言われて思いつく批評(criticism)らしきものを読んだことがなかったからでもある。じゃあどんなものがそれにあたるのかといえば、この本の巻頭に置かれた「文学の楽しみ」を読めばいい。これこそ、文学の原理を明らかにし、文学を(本来そうであるべき方向に)導いてくれる文章というもので文学といえば何故小説を思い浮かべてしまったのか、そのわけが説き明かされるだけでなく吉田健一特有の思考の流れを丹念に追いつづける悠揚迫らない息の長い文章が、丸谷才一が言うところの女が着物に帯を合わせるように絶妙に配された絢爛たる引用と綯い交ぜになって読むものを文字通り「文学の楽しみ」に導いてくれる。
日本で文学といえば小説、それも自然主義の小説や私小説が主流となり、詩や批評が中心の位置に来なかったのか、なぜ世界を苦しいものと見たり、文学の中に思想その他何か別のものを求めたがるようになったのか、それを一口で言うのは簡単だが、レシピを読んでも料理の味が分からないのと同じで、早急に答えを求めるのでなく、古今東西の文学に深く親しみ、その詩をフランス語や英語の原文で諳んじることを日常とした文士の語りに耳を傾けるのが最もよいのではないか。文章には独特のリズムというか調子があって、一度その調子に乗ることができれば苦もなく長時間の講義を聴きつづけることができる。ときにはその辛辣なヒューモアに思わず噴きだし、次々と繰り出される名詩に酔い、意気軒昂たる啖呵に胸のすくのを覚える。
「文学の楽しみ」と並べるように置かれた「ヨオロッパの世紀末」も日本の近代文学成立とヨオロッパの19世紀とのかかわりの深さについて鮮やかに説き明かしてくれる。吉田によれば、ヨオロッパは18世紀にその絶頂を迎え、英国ヴィクトリア朝が代表する19世紀は偽りの世紀である。ボオドレエルやワイルドが代表する世紀末芸術が興ったことにより、ヨオロッパは再び息を吹き返す。こういう考え方や見方を身につけた文学者はその当時の日本には皆無であった。つまり、何も知らない日本の文壇を相手にギリシアにはじまりユダヤ教(キリスト教)を経由して生まれたヨオロッパというものを説くと同時に表層的な理解によって輸入した文学なるものの本来の根源を指摘したものである。
吉田健一ひとりで一巻としたところに池澤夏樹編の日本文学全集がいかに画期的な試みであるかが明らかになっている。これは池澤本人も書いているが、丸谷才一、吉田健一を指標としてこの文学全集は編まれている。旧来の小説偏重の文学全集とは批評重視という点で一線を画しているというわけだ。重量級の批評二篇に続いては、自身の翻訳書について触れた「『ファニー・ヒル』訳者あとがき」と「ブライズヘッド再訪」(小説そのものではない)が控えている。初めての読者はここから読み始めることを編者はすすめている。肩の力が抜けて気楽に読めるからだろう。
酒と食味随筆でも知られる吉田である。「食い倒れの都、大阪」や「酒談義」などの読んでいるだけで酒が飲みたくなってくる軽めのエッセイや「酒宴」「辰三の場合」などの短篇小説もちゃあんと用意されている。晩年に到ってようやく全開される「金沢」等の本格的な小説世界に導くための心遣いというものであろう。全集中の一巻という縛りのあるなかで、吉田健一という日本には稀な贅沢で幸福な文学者を紹介するという容易ではない仕事をさすがに若い頃吉田健一全集編纂に携わった経験を持つ編者ならではの目配りでやりとげていると思う。「ロンドン訪問紀」のなかでさりげなく触れられているイアン・フレミングとの交遊など読むほどにケンブリッジ帰りの文士のあの顔をくしゃくしゃにした笑顔を思い浮かべ陶然となる。
批評の中にも自身の翻訳によるラフォルグやディラン・トオマスの詩が引用されているが、「君を夏の一日に喩へようか」で始まる「シェイクスピア詩集 十四行詩抄」が原詩つきで末尾に付されているのは嬉しい。先に訳詩集『葡萄酒の色』を愛読していたが、原詩を読みたく思っていた。因みに冒頭部分原詩では“ Shall I compare thee to a summer’s day? ”である。シェイクスピアがぐっと身近に迫ってくるのを感じないだろうか?詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
女子栄養大学図書館OPAC▼ https://opac.eiyo.ac.jp/detail?bbid=2000055893
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文学が生命の表現であることが既に言い古された真実である。しかしそれが忘れられれば、それを繰り返さなければならない。(127p「文学の楽しみ」より)
ダメだった。一通りも読み通すことができなかった。この全集を読み始めて、初めてのことである。吉田健一の文章にひとつも魅力を感じない。決して吉田健一が吉田茂の息子だから嫌いなのではない。人を属性では判断しない。しかし、生活と政治に全く関係なく人生を生きることが、文章に現れていると思えたのは確かであり、そのことに嫌悪感を覚えたのも確かである。
池澤夏樹が解説するように、吉田健一は「『文学の楽しみ』が言っているのは、文学を何かのための道具にするなということに尽きる。文学はそれ自体で完結している」(535p)ということを云っていたのだろう。それはそうだろう。しかし、人は文学だけでは生きられない。イライラする。この文章を読んでいると、耐えられない。
ホントは、この吉田健一を読むことが、池澤夏樹を理解するカギになるのかもしれない。また、この全集は「もっぱら吉田健一と丸谷才一の文学観に依って編んでいる」(542p)というのだから、全集を読んで行くのにも支障を来すかもしれない。しかし、それはその時のことだ。
2018年2月読了未遂 -
長編評論『文学の楽しみ』『ヨオロッパの世紀末』と文芸評論、エッセイ、短編小説、訳詞を収録。吉田健一がどういうものを書いていたのかというのが一目で解る、位置づけとしては『入門編』だろうか。
短編のセレクトがやや無難過ぎるかなぁと思うが、他の収録作は概ね妥当。しかし、折角、『個人編集』と銘打ったのだから、いっそ『時間』か『変化』のどちらかを入れる、という荒技をかましても良かったような気もする(思いっきりとっつきにくくはなるがw)。
いずれにせよ既読のものばかりなので、本書に関しては気楽に再読した。 -
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231009*読了
「文学の楽しみ」「ヨオロッパの世紀末」、吉田健一さんの二大評論が難しすぎて…。なかなか頭に入ってこず。この評論を多くの人が読んだとして、そして理解して何かを思ったとしたら、今を生きる人たちより絶対に昔の人の方が賢いと思うのだけれど。
こんな評論を読もうと思う20代、30代って本当にいないよ?
と、評論には苦戦したのだけれど、吉田健一さんのエッセイ、特にお酒と食べ物の話はおもしろい!
大阪びいきなところも、関西人として嬉しいし、わたしもお酒が好きなので、酒談義に夢中になれた。
短編小説も書かれていたようだけれど、そちらはあまり評価されていないとか。
吉田茂元総理の息子である、だからこその秀才ぶり。
英国で幼少期を過ごしたり、語学に長けていたり。それが数々の翻訳にも生きていて、生粋の優秀な人。サラブレッドなのだなぁ。 -
小説やエッセイであれば、多少難しい内容で、知識が追い付かなくても何とか読めるものだけれど、評論となると知識がないと歯がたたない。本書に収められている二大評論のうち、「文学の楽しみ」のほうは半分くらいは何とかなったという感じだが、「ヨオロッパの世紀末」は歯が立たなかった。欧州の古典というのは全滅に近かった。悔しい。
他に収録されているエッセイはとても味があり、楽しく読めた。 -
恥ずかしながら、この全集で名前を目にするまで、この人のことを全く知りませんでした。普通批評という場合、なるべく明晰な言葉でズバッと書くのが一般的ではないかと思うのですが、この人の場合は非常に文章が読みづらい。長めの論考が二つ収録されているのだけれども、どちらも数日読了するのにかかった上、結局のところ何が言いたかったのかがぼんやりとしか入ってきませんでした…。後半の食レポもなぜこのチョイスなのか…ただ、「辰三の場合」は批評と小説の間という感じで面白かったです。
さらに難解らしい『時間』がうちにあるのだけど、読むのは果たして一体いつになるだろうか… -
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