中上健次 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集23)

著者 :
  • 河出書房新社
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感想 : 14
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  • Amazon.co.jp ・本 (496ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309728933

作品紹介・あらすじ

鳳仙花半蔵の鳥ラプラタ綺譚不死勝浦鬼の話*古座紀伊大島*  *  *  *  *  *  *  *  *  *辺境は実は世界の中心である。熊野を舞台に、欲望・悲しみ・憤り、すなわち人間の本然を書いた作品群を再構成し、彼の小宇宙を現出する。――池澤夏樹【ぼくがこれを選んだ理由】わずか一世代前、人はこんなにも奔放に生きていた。恋情も憎悪も今よりずっと強烈に作用した。今の貧血の時代に中上健次は危ないかもしれないが、だからこそ彼が読まれるべきなのだ。彼の世界への入口として、奔放な女であり強い母であるフサの物語を供する。(池澤)望まれぬ子として生を享けた美しき少女フサは、十五の春に運命の地へと旅立つ――三部作『岬』『枯木灘』『地の果て 至上の時』の前史となる、過酷な運命を力強く奔放に生きた母の物語「鳳仙花」。若死にの宿業を背負う中本一統の荒くれ者達を、路地唯一の産婆オリュウノオバが幻惑的に語る『千年の愉楽』より「半蔵の鳥」「ラプラタ綺譚」。他、虚実のあわいを描いた怪奇譚『熊野集』と、神話の源である故郷を活写したルポ『紀州』より五編を収録。作中登場人物系図他、充実の参考資料付。参考資料・年譜=市川真人解説=池澤夏樹月報=東浩紀・星野智幸帯写真=蜷川実花

感想・レビュー・書評

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  • 中上健次の初体験。この全集がなければ、一生読まなかっただろうと思う。そもそも、私は私小説は嫌いだ。中上健次はその類だろうと思っていた。

    読み始めてしばらくして、巻末参考資料の「作中登場人物系図」を見た。もう一度読む。忽ちに私は何故この巻が全集「古事記」の次に配置されたかを了解した。

    池澤夏樹の解説を待つまでもなく、これは太古から営々と繰り返してきた日本民族の血累の「ものがたり」そのものだったのである。

    当たり前のように、6人も8人も一生のうちに子どもを産む母親たち。異母兄弟が当たり前のようにいる子どもたち。「鳳仙花」は中上健次サーガの主人公秋幸の、母親フサの半生である。しかし、この平凡ともいえる女性の両親、2人の夫と1人の男(秋幸の父親)の系図も、おそらく膨大な物語を内包しているのは、「鳳仙花」の語りを読む中で自然と伝わるものがあるのだ。喜怒哀楽、愛情、嫉妬、成長、不屈、暴力、不幸さまざまな人間の営みがそこにある。

    まるでスサノオの娘とオオクニヌシが出会うかのように。まるでヤマトタケルと景行天皇との分かり合えない対立のように。

    ここでも「滅びゆく者」にフサは大きな愛情を注ぐ。好きだった異父兄の吉弘の記憶は、最後までフサから離れない。吉弘の面影を持った最初の夫の勝一郎はあっけなく若死にする。やがて「千年の愉楽」において、勝一郎の一族の若死の系譜が産婆のオリュウノオバによって語られてゆく。「失われるからこそ彼らは美しい。これは運命との取引なのだ」(池澤夏樹解説)

    あとで年譜を見て気づくのは、勝一郎一族と比べれば若干長命だったが、46歳という現代では十分若死といえる歳で、しかも時代と格闘しながら中上健次は腎臓ガンで亡くなっている。

    中上健次を通じて、太古の人間の感情が見えてくる。とっても興味深い体験だった。

    2015年6月10日読了

  • 全集で難しいのは数多ある代表作の中から何を選ぶかということだろう。中上といえばよく引き合いに出されるのがアメリカ南部にある架空の地ヨクナパトーファ郡に起きた多くの人々と出来事を描いたウィリアム・フォークナーのヨクナパトーファ・サーガだが、中上がそのサーガの舞台としたのは、架空の場所ではなく彼の郷里である紀州、新宮のとりわけ路地と呼ばれる集落であった。その路地生まれの秋幸を主人公とした『岬』『枯木灘』『地の果て 至上の時』の三部作を池澤はあえて避け、秋幸の母フサを主人公に据えた『鳳仙花』を選んでいる。これが好い。

    わざわざ日本文学全集で中上健次を読んでみようと考える人は、中上健次について不案内なはず。のっけから路地だの秋幸だの龍造だのといわれても、その輪郭がつかめないだろう。そういう意味で『鳳仙花』は、その世界を概観するためにはいちばんふさわしい。これを読んで面白いと思ったら三部作を読んでどっぷりと紀州サーガにのめりこめばいいし、そうでなくとも『鳳仙花』一篇はそれだけで充分読み応えのある傑作である。

    主人公のフサは兄三人姉三人の下にできた父親のちがう妹で六つちがいの兄吉広を慕っていた。昭和六年三月。十五歳になったばかりのフサは吉広の口利きで親許の古座を離れ新宮にある佐倉という材木商の家へ女中奉公に出る。佐倉の家は大逆事件で幸徳秋水らに連座した「毒とる」と呼ばれた医師の弟筋にあたる。貧しい肉体労働者や門徒に頼りにされていたが、事件以来、天子様に弓引いたと周囲から掌を返したような扱いを受けた過去を持つその佐倉が何を考えてか人足らを大量に抱えこんでいる。この家を包む不穏な空気がフサの目や耳を通して伝わってくる。フサの成長を描く小説ではあるが、地霊が潜む新宮の地は奥が深いのだ。

    紀州は木の国である。平地というものがなく山が直接海に落ち込んでいる。海沿いの町を結ぶ道はなく船便に頼るしかない。山から切り出した木は木道に油を引いた上を材木を束ねた木馬(きんま)を曳き、筏に組んで川に流す。危険な仕事だから男たちは勇み、あらぶる。山から降りれば女が欲しくなる。廓に通うだけでなく、手近な女に声をかけ浜で事に及ぶ。男も女も性に関しては奔放だ。フサにもすぐに男が言い寄る。吉広に似た勝一郎は路地の男だった。所帯を持ち、次々と子どもが生まれ、フサは行商をして子どもを育てるが、時局は厳しさを増すばかり。

    貧しい暮らしの中で若くして多くの子を生んだ女が背負わなくてはならない人並みでない苦労が描かれるのだが、ひとつも湿っぽくならない。解説で池澤が古事記に喩えているが、自分の男を美しいと思い、生(性)を謳歌し、次々と子を産むフサは子を孕むごとに美しくなり、まるで神話の神のようだ。日本の神話だけではない。陽光溢れる紀州の海はエーゲ海や地中海を思わせ、フサの生む子もまた美形で知力や胆力に恵まれている。背中に彫り物を入れたイバラの龍こと浜村龍造さえいかつい大男であることやその正体が闇に包まれていること、次々と女に手を出しては子ども孕ませることなど、どこかの神を思わせる。

    戦前から戦中戦後、朝鮮戦争の不穏な時代を背景に、古くから熊野信仰で知られる新宮に残る御燈祭や御舟漕ぎといった季節の神事を絡ませ、様々に入り組んだ差別的な環境の中で、差別を受ける側に視点を据えながら、卑屈にならず、逃げず、投げやりにならない主人公の半生を描く。その生き方は猛々しいまでに圧倒的に強く美しい。時にくず折れてしまいそうになるとき、小さいながらも子どもたちのなかに芽生えつつあるフサのものでもある向日性や小さな生をいとおしむ優しさが溢れ出て母親を支えるのが美しくも愛しい。

    ほとんどロマンスといっていい物語性の強さにもかかわらず、これが日本文学の中でも指折りの傑作小説といえるのは、ほぼ家族史といってもいい「私小説」的な枠組みを用いながら、私小説に見られる自堕落なまでの主観的な事実へのもたれかかりに甘えることなく、周囲の人々への聞き取り、神話、民俗学、歴史から学んだことを溶かし込んで、果敢に小説的な試みに挑んでいることにある。作者の勉強ぶりもさることながら、その恵まれた感性や資質、特に海鳴りや山の音についての度重なる言及から、作者の音に対する感覚の鋭さは注目に値する。それが功を奏しているのか、語り口の好さはまさに音楽といってもいい。いつまでもその独特のリズムに乗っていたいと思わせるものがある。

    他にオリュウノオバが語る中本の一統の男たちの物語、「半蔵の鳥」「ラプラタ稀譚」。今昔物語その他日本の古典に想を得た幻想譚「不死」「勝浦」「鬼の話」。ルポルタージュ風のエッセイ「古座」「紀伊大島」を所収。いずれもこの不世出の作家の才能をあますことなく伝える佳品ばかり。幻想文学好きには「不死」を含む三篇だけでも読まれることをお勧めする。中上健次は如何にそれが有名であったとしても、紀州サーガにとどまる作家ではなかったことが思い知らされる。

  • 第2回配本 第23巻 2015年1月14日発売開始!
    池澤夏樹=個人編集 日本文学全集、第2回配本は『中上健次』です。
    編者の池澤夏樹さんは、中上健次を選定した理由をこのように述べています。

    「わずか一世代前、人はこんなにも奔放に生きていた。恋情も憎悪も今よりずっと強烈に作用した。今の貧血の時代に中上健次は危ないかもしれないが、だからこそ彼が読まれるべきなのだ。」

    中上健次作品はそのほとんどが熊野を舞台にひとつの血族と共同体を描く「紀州サーガ」と呼ばれるものたちです。
    土着的で独特な世界観は読むものを物語内に強烈に引き込む力があります。
    その中から、美しい長編「鳳仙花」、『千年の愉楽』より「半蔵の鳥」「ラプラタ綺譚」、『熊野集』より「不死」「勝浦」「鬼の話」、他にルポルタージュの『紀州』より「古座」「紀伊大島」を収録しました。

    また、参考資料として中上作品に登場する人物の家系図を市川真人さんが作成してくれました。
    「紀州サーガ」は同じ血族の数世代に渡って物語が展開される壮大なもの。
    池澤さんは本書の解説でその構造と濃密さを「先日現代語訳を終えた『古事記』によく似ていることに驚いた。」と書いています。
    その込み入った関係が、この家系図のおかげでとてもわかりやすかったです!
    これまで中上作品を読んだことがない人、なんとなく敬遠してた人にこそぜひ読んでほしい、中上入門本です。

  • 231104*読了
    一番ボリュームのあった「鳳仙花」がとてもよかった。女性主人公の物語が好きな傾向にある。
    フサという女性の15歳からの20年近くを描いた物語。古座・新宮という土地柄と時代柄、10代で出稼ぎに行ったり女郎になったりするのが当たり前、子どもをたくさん産むことが普通、という考え・生き方が、現代を生きる自分には苦しく感じてしまった。
    その時その場所に生まれ育っていたら、そもそも考え方がそう染まるのだし、当たり前にフサのように生きていくのかもしれないけれど、今の自分がもしフサであれば…と置き換えてしまうと、到底フサのようには生きていけない。
    あと、当時は子どもが子どもの面倒を見るのが当たり前、幼い子どもが外に遊びに行ってもいつか帰ってくるだろうとほったらかしが普通、というのも、今に置き換えるとひやひやして仕方がない。
    そんな1930年から50年代の和歌山を感じながら、夢中で読んだ。

    中上健次さん自体が故郷の和歌山、それも限定された地域を舞台に秋幸と龍造の親子とその周りの人たちを描き続けていて、解説に書いてあったフォークナーの小説(前に読んだ世界文学全集「アブサロム・アブサロム!」もそう)群のように一大サーガを作り上げていると知って、他の小説にも興味が湧いている。
    女主人公自体が珍しいということで、「鳳仙花」から中上健次さんに触れられたのは個人的によかったと思う。

    他の収録作も舞台が和歌山であることに変わりはなく、かつ、性が当たり前にある。
    性の欲望に対して力強い人たちがそこにいる。
    これも中上健次さんらしさと言えるのかもしれない。

  • 「鳳仙花」
    「半蔵の鳥」★★★
    「ラプラタ綺譚」★★
    「不死」
    「勝浦」
    「鬼の話」
    「古座」
    「紀伊大島」

  • 女子栄養大学図書館OPAC▼ https://opac.eiyo.ac.jp/detail?bbid=2000055889

  • 血と地には抗えない。

  • ↓貸出状況確認はこちら↓
    https://opac2.lib.nara-wu.ac.jp/webopac/BB00249796

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著者プロフィール

(なかがみ・けんじ)1946~1992年。小説家。『岬』で芥川賞。『枯木灘』(毎日出版文化賞)、『鳳仙花』、『千年の愉楽』、『地の果て 至上の時』、『日輪の翼』、『奇蹟』、『讃歌』、『異族』など。全集十五巻、発言集成六巻、全発言二巻、エッセイ撰集二巻がある。

「2022年 『現代小説の方法 増補改訂版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

中上健次の作品

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