夏目漱石:百年後に逢いましょう (KAWADE夢ムック 文藝別冊)
- 河出書房新社 (2016年6月23日発売)


- Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309978895
感想・レビュー・書評
-
夏目漱石没後百年特集で、いろんなジャンルの漱石論や対談および作品論・作品解説が収められている。
中でも注目したのが、水村美苗の漱石論。
彼女は『日本語が亡びるとき』で小林秀雄賞を受賞。この本では英語が世界での共通語化していく流れの中で、日本語の文学作品が世界に受け入れられるかという問題提議をしたが、この時から気になっていた作家(評論家)です。
ここでの漱石論は、谷崎と漱石を比較することから入り、女性ならではの「漱石と恋愛論」について、鋭く切り込んでいる。
前半は「大谷崎」を絶賛。谷崎はある時期から日本語が西洋の言葉と全く違うということを意識し始め、書き言葉としての日本語が持っている可能性をとことん追求するようになった。そこには、一つの大前提があった。それは日本語が「国語」として充分に確立していたということである。それは漱石よりも20年遅れて生まれてきたという偶然があった。
生まれる順番が逆で、先に谷崎が生れていたら、漱石のようなことを追究できた可能性は皆無だったという。
それは谷崎と漱石の資質の差、つまり倫理性だという。
漱石は、人間にとってどうすることが正しいのかを問う、谷崎は、自分は何が好きなのかを問う。砕けた言い方をすれば、実生活において漱石は、多くの人を不快にさせ、気難しい人で、癇癪持ちだし、ノイローゼであり、一方谷崎は不良で変態に近い。
ただ、漱石が、人はどうあるべきかという問いを問うた時、その問いが、普遍的な人のありかたを問うたものであるがゆえ、この先日本人がどうあるべきか―西洋の衝撃を受けた日本人が、この先どうあるべきか、という広がりをもった問いへと行きついた。
そしてその認識は、近代化とは何かという、日本だけには留まらない認識まで繋がっていく。
つまり、漱石は、人はどうあるべきかという問いを問うたがゆえに、近代化に嫌悪感を抱き、さらには、近代化に嫌悪感を抱いたがゆえに、近代化とは何かを思考せざるをえないところまで自分をもってゆき、近代の核にある基本倫理を、正しく理解していった。
前書きが長かったのですが、ここから本論の「漱石と恋愛論」が始まります。
漱石はさまざまなこと―拝金主義、騒々しさ、出世主義―に嫌悪感を抱き、さらに恋愛に対しての嫌悪感等々は、彼が慶応3年生まれの名主階級の男性の教養人であったことと切り離せない。
「虞美人草」を例に、漱石は、女を男と同じ「人間」だという風に考えるのは、自然だとも思っておらず、そういう考え方自体が、彼の生まれた時代というものに歴史的に作られた概念だという。人は女のことなど考えず、哲学やら学問やら天下国家のことを考えるべきであるが、英文学を勉強すると、あちらは恋愛至上主義一辺倒・・・。
漱石の今までの倫理観のまま恋愛を正面から見据えると、それは悪というレッテルを貼らざるを得ない。
かくて「虞美人草」は失敗に終わる。ただこの作品を書くことによって、漱石は「恋愛」という概念の根底にある前提―女も男も同じ人間であるという前提が逆に明確に見えてきたと著者はいう。
・・・ここからいろいろと話は展開していくのですが、最後は、日本の小説家は谷崎を始め、女について盛んに書いたが、「恋愛」については、漱石ほど真剣に思考したことはなかったと。
女性ならではの切り口だと思いますが、逆に男性には見えない切り口だと言えます。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ざっと目を通しただけ。今の自分のニーズ(作品の深読み)には合っていない。関連マンガの紹介は面白い。
-
わかりやすいこと、わかりにくいこと混在の本。
夏目漱石に関しての知識が、それなりにある人向け?
漱石トリビアと、巻末のカレンダーは、なかなか読みごたえあり。 -
漱石あんまり…っていうのは全部「こころ」のせいなんだよなあ。ちゃんと読も。
-
ドラマで漱石見たりして、気になったので借りてみる。
これまで、長いし堅苦しそうだしで、そんな興味なかったのですが、抜粋を読んで面白かったので、頑張ってみるかと思います。しかし吾輩は猫になるは何度か挑戦してもいつもナントカ君に似た泥棒が出てくるあたりで挫折するし…。
那美問題発生!いや、那美さんなんなのか。
トリビアの突っ込みもも面白くて、確かにA4サイズの封筒だよなぁ。赤シャツ弟日記気になります。
この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。





