- 本 ・本 (248ページ)
- / ISBN・EAN: 9784313720060
感想・レビュー・書評
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太宰治との出会いから心中までの一年余りの日記。
これを読むと、最初から太宰と共に死ぬつもりであったことがわかる。太宰が死ねば自分も死ぬと。しかし、年が明けて太宰の容態が悪化すると懸命に介護するなど、決して死に急いでいたわけではないようだ。あくまで、愛するに太宰に添い遂げると。
太宰も富栄をを信頼していたと見え、同じ頃、やはり太宰の愛人であり、「斜陽」のモデルであった太田静子の手紙の整理をさせたりしている。富栄も静子を「斜陽の人」と呼びながら相当意識していたはずであるが、嫉妬にかられて燃やしたりしてしまわなかったのは、冷静であったということだろう。
なお、「斜陽」6章冒頭の「戦闘、開始。」の一文はこの日記冒頭からの引用である。つまり太宰の「斜陽」は同時期の二人の愛人の日記を元に作られていたことになる。他人の日記や手紙をどんどんパクって作品に仕上げてしまう太宰にはホント感心してしまうわ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
23歳にしては大人びてるし文才も感じるものの、所詮は不倫女の日記なので内容的にはどうしようもない。たまたま相手が太宰であるから貴重な史料ではあるのだが。とはいえ、当時の息遣いのようなものは感じられるし、太宰ゆかりの地は殆ど訪ねてはいるので臨場感もあった。
山崎富栄は太宰を道連れにして心中したとして、ファンの一部からは悪女扱いされることもあるが、この日記を読むと太宰の「病苦」による自殺に付き合ったと考える方が妥当であるのかもしれないと思った。 -
愛されている事を確かめ深め刻み込みたい、哀しい寂しい心から太宰と共に入水した山崎富栄の残したノートと遺書。敬愛から太宰が仕掛けた恋愛に変わるのが早い。そして死の伝染も。ノートでは太宰の呼び名が先生から修治さん、あなた、良人、修ちゃんと変わっていき姉の様な気持ちで接しているのがわかる。甘い言葉と死ぬという言葉と「僕を守って」と囁いている太宰の姿。出逢って4ヶ月目にはもう共に死ぬ約束が出来ている。逢ったら死ぬとまで言う子をなした「斜陽の人」に対する嫉妬。赤裸々に認められた文章から太宰への一途な愛を感じた。
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(2009.09.27読了)
この本は、太宰治と入水自殺した山崎富栄のノートです。太宰と出会った、1947年3月27日から自殺した1948年6月13日まで綴ったノートが収められています。
著者 山崎富栄(やまざき・とみえ)
1919年9月24日、東京生まれ
1937年、錦秋高等実業女学校卒業
父設立のお茶の水美容学校の後継者を望まれていた
1944年12月9日、奥名修一と結婚
1944年12月13日、夫・修一、三井物産マニラ支店へ単身赴任、現地召集され行方不明
1946年秋、ミタカ美容院勤務
1947年3月27日、太宰治と知り合う(このときは奥名富栄だった)
7月7日、奥名修一戦死の公報が入った
10月25日、山崎家への復籍の手続きを行い山崎富栄に戻った
11月初旬、美容院勤務を正式に辞めて、太宰の看護と秘書の仕事に専念することになった
1948年6月13日、太宰治とともに玉川上水にて入水自殺 -
2009.7.20読了。
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