悪について

  • 紀伊國屋書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (209ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784314000284

感想・レビュー・書評

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  • 不正とは、人間が自己の目的のためではなく、他人の目的を達するために利用されるような社会的状況を指す。

    生に対する愛は、品位ある生活の基本的な物質条件が脅かされないという意味での「保障(security)」と、誰一人として他人の目的を果たす手段とはなりえないという意味の「正義」、そして人はそれぞれ積極的に社会の責任ある一員となる可能性を持つという意味の「自由(freedom)」とが存在する社会でもっとも発達するのである。

    悪とは畢竟、「衰退の症候群=ネクロフィリア」を志向するものである。その反対が「生長の症候群=バイオフィリア」である。

    ネクロとは、死を愛し、独立を恐れ、自分サイドの欲求のみが真実であると頑なにしがみつく人間の志向性を言う。
    バイオすなわち生は変化、進歩発展、成長を本質とする。ネクロな志向性は、そのことごとく逆を行く。つまり、変化を嫌い、進歩発展を憎み、成長を憎む。生あるものすべてを破壊しつくしてしまいたい、という欲求に根差す。

    ネクロは3大要素に分かれるが、最終的には同じ地点にたどり着く。その3大要素とは、アナル(ネクロフィリア→アナル的性格)、ナル(ナルシシズム)、甘え(近親相姦共生→母固着)である。それぞれは単独でも二つ合わさった場合もよくあるが、トリプルで行っちゃうヤバさマックスのケースももちろんある。その代表例がヒットラーで、フロムは繰り返しこのヒットラーの例を持ち出している。

    悪とは真逆のバイオフィリアもまた、3つの道に分かれる。それはバイオフィリア、隣人愛や自然、そして独立自由人である。こちらは完成へ向けた人の飽くなき前進を志向するものとなろう。
    それに対してネクロは、人の退行への道であり、その行き着く究極の先が「悪」である。

    まとめると

    ネクロの反対がバイオ
    ナルの反対が愛
    甘えの反対が独立自由人

    といえる。

  • 『愛するということ』を読んで、とても感動しました。
    その姉妹編ということで紀伊国屋書店の選書で見つけた
    ので手に取りました。
    和訳の分かりにくさが前面にでてきて、なかなか
    入り込むことが難しい感じがしますが。
    なかなか面白く読みました。
    1965年の訳ということで、せめてもう一度新たに
    新訳を出してほしいと思います。
    フロイトやスピノザという少しコアな思想をベースに
    論じられているところもあるのですが。
    悪とは、
    死を愛すること。ナルチシズム。近親相姦的きずな
    の3つの強度と方向性によって悪が決まってくる。
    また、自由と決定論、2者択一論の考え方。その本質
    などとても面白いテーマが満載です。
    生を愛すること。他者を認識して他者を愛すること
    悪を認識すること。悪を認識した時点で善を愛そう
    とすることで、自由を得れること。
    とてもいいと思います。

  • 心理学的に悪を成す人間にはどのような性質があるのかが語られた本。悪の定義という倫理学ではない。
    フロムは、まず人間は狼か羊かという性善説と性悪説の話を導入にして、人間の有害な状態として、死を愛好すること(生命への根強い無関心)、悪性のナルチシズム、共生的・近親相姦的固着の三つをあげる。そしてこれらをもとにヒトラーを悪として語る。ヒトラーによって巻き起こった狂気を読み解いてくれたことで、この本は明確に現代にも通じる、普遍的な本になったのではないだろうか。今も、おそらく未来にも通じるテキストだと思う。何回も読み返していきたい。

  • 心理学的な要素が多く、語り口調が堅いので読みづらい

  • 原題を直訳すると『人間の心―その善悪に対する才能』。ニーチェが『善悪の彼岸』で主観による判断を最上のものとしたのに対し、フロムは客観による判断を重要視し、その障害物となるナルシズム的感情を退行的なものとして批判する。ナルシズムは葛藤を生み出さない。フロムに言わせれば、人間の本質とは善とか悪で言い表せるものではく、本質的に矛盾を、葛藤を生み出さずにはいられない存在なのだ。そして盲目的になることで葛藤を解決する悪というのはどうしようもなく人間的な行為であり、それが不思議と正義に似ているのは気のせいだろうか。

  • 悪とは生への反逆。非人間になる行為

  • ネクロフィリアの考え方が興味深かった

  • 途中までは退行型の欲望を持つことが悪みたいな感じで読んでいるだけで気が滅入る描写が続く。中盤、それでもヒューマニズムを信じるところは研究の結果というより信念のように思えた。最後は人に自由がなければ、悪い行為を行った場合に裁くことはできないと、刑法の問題にみたいになっていた。著者は人間の将来を希望を持っているみたいだけど、どうしてそのような結論になるのかは良くわからなかった。自由であるための努力を怠ってはならないという点は、少なくとも実践しようと思えた。

  •  ネクロフィラスなオリエンテーション、バイオフィラスなオリエンテーションの二極が、人間のなかには混在している。それがどちらかに偏ることによって、破壊的な人間か、生産的な人間かということが大体の意味に於いて決定される。

     腐乱した屍体を恍惚とした表情を浮かべながらみつめていたヒトラーなど、死を愛好する者の中には独裁的なひとが多い。それはサディズムがつまり、ほかを自分の支配下に置き、自分が絶対的な存在であると信じ込ませることに愉悦を抱く嗜好であって、それは至ってネクロフィラスな考え方であるから。性欲が生を創造しうるように、力は死を創造しうる、とあるように、力を誇示することは死を愛好することに直接繋がっている。
     サディズムやマゾヒズムは性的倒錯という捉え方でなく、生存に於いて広域な意味を持つ。

     血は死を、精液は生命を齎すという点に於いて、このふたつはネクロフィラスなひと、バイオフィラスなひと、両者にとって同様の程度の重要性を持っている。殺すということは人間のもっとも原初的な行為であって、それは退行を示している。

     生活のなかで、例えばテレビ、例えば新聞、例えば映画や小説のなかなどあらゆる娯楽に於いて死はよろこばれる。それはひとびとのなかに必ずしも死というものに興奮や恍惚、魅惑を感ずる野性的で退行的な部分があるからで、戦争がどの時代でも絶えず、核爆弾が放棄されないのもまた、すべては根絶されるべきだという思考、或いはそれを興味深く感ずる部分をひとびとが持ち合わせているから。

     どうすれば生を愛好する人間がうまれるかについて、フロムは、自由、保障、正義の三つを挙げている。幼児期に自由であること、脅威のないことがバイオフィリアな人間に依る、と述べている。

  • (1986.03.26読了)(拝借)
    【目次】
    はしがき
    一 人間―狼か羊か
    二 「激情」の種々の形態
    三 死を愛することと生を愛すること
    四 個人のナルシズムと社会のナルシズム
    五 近親相姦的きずな
    六 自由、決定論、二者択一論
    あとがき

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著者プロフィール

ドイツの社会心理学者、精神分析家。1900年、フランクフルト生まれ。ユダヤ教正教派の両親のもとに育ち、ハイデルベルク大学で社会学、心理学、哲学を学ぶ。ナチスが政権を掌握した後、スイス・ジュネーブに移り、1934年にはアメリカへ移住。1941年に発表した代表作『自由からの逃走』は、いまや社会学の古典として長く読まれ続けている。その後も『愛するということ』(1956年)、『悪について』(1964年)などを次々と刊行する。1980年、80歳の誕生日を目前にスイス・ムラルトの自宅で死去。

「2022年 『今を生きる思想 エーリッヒ・フロム 孤独を恐れず自由に生きる』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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