生誕の災厄

  • 紀伊國屋書店出版部 (1988年10月1日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (288ページ) / ISBN・EAN: 9784314001472

みんなの感想まとめ

生きることの意味やその存在自体に疑問を投げかける深いテーマが描かれています。著者は、自己の考えを整理することを放棄し、絶望に満ちたアフォリズムを通じて、生まれてくることがいかに災厄であるかを鋭く表現し...

感想・レビュー・書評

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  • 半年以上かけてちびちび読んできました。この韜晦っぷり。新訳にも手を出したいところ。

  • 20世紀最大の絶望先生、シオラン。彼が抱えた虚無の深さに比べれば、ニーチェが覗き込んだ深淵なんて井戸の底ぐらいにしか過ぎない。思想家でありながら自らの考えを纏めることを放棄し、辛辣さの金太郎飴の如く絶望に満ちたアフォリズムを書き連ねた男。日々自殺について考えながらも、84年間の天寿を全うした者が残した言葉の断片は「この世に生を受けたこと自体がそもそもの災厄だ」と突き放していながらも、何故かそこに不思議と優しさを感じてしまう。大丈夫、例え世界に見放されたって、シオランの言葉は決して君を見捨てたりはしない。

  • 生きることとは何らかの事象に執着することであり、その執着は周りにまわって他者へ、世界へ悪影響を及ぼすものであるからにして、そもそも生まれてくることは災いである。という主張をしたニヒリスト、シオランのアフォリズム集。いわゆる反出生主義の本で、非常に強い言葉を使い生誕に対する否定がつらつらと綴られており中々に強烈。あまりに強い言葉なので中学生くらいの頃読んでいたら悪い影響受けてたかもなあと少し恐ろしくなる。生まれてきたことを当然のように肯定し、素晴らしいことだとする価値観に真っ向から立ち向かうその姿勢には見るべき点があると思うし、単純に文章がかっこいいのでスラスラ読めちゃうのだけど、シオラン自身が反出生主義の呪縛に囚われているように見えて、言葉を尽くせば尽くすほど、強い言葉を使えば使うほど、何かいたたまれないような、傷ついた者の叫びを聞いているような気がしてしまい痛かった。

  • 疲れ果てたニーチェ、という印象。
    それ故に肩がこらないし、勇気も湧いてこない。
    ただドロリとした生に絶望しているシオランが、ときおり思い出したように美しい警句を吐く。
    「あらゆる思想は、損なわれた感情から生れる。」

  • シルヴィー・ジョドーの『シオラン あるいは最後の人間』 (叢書・ウニベルシタス 593)という本がある。シオランの著書からの引用が網羅され、熱気を帯びた緻密なシオラン論が展開されている。私の頭のレベルでは、ジョドーの本を読み通すことがとても難しいが、いつの日にか読むために大切に保管しておきたいと思う。

    それがどうしたというのか?ここで私が伝えたいことは、ジョドーの本に収録されているシオランとジョドーによる 『対談』の末尾で、シオランが『生誕の災厄』『苦渋の三段論法』『時間への失墜』の三冊に愛着があること、そして「以上の三冊の本で、たぶん充分だったでしよう。ためらわず繰り返しますが、私は書き過ぎました」と語っていること。
    シオランは、「『生誕の災厄』のどの言葉も、私とは切っても切れないものです。この本はどの頁からでも読める。ただし、全部は読む必要はない」と語っている。もちろん、読む人の勝手である。
    私は『生誕の災厄』を、ジョドーの本と同様、いつの日にか読むために大切に保管したいと思う。

    【参考】

    ●『対談』(シオラン/ジョドー)の末尾の部分
    <ジョドー:特に愛着をおもちの本はありますか。
    シオラン:もちろん、『生誕の災厄』です。この本のどの言葉も、私とは切っても切れないものです。この本はどの頁からでも読める。ただし、全部は読む必要はない。
    私はまた、『苦渋の三段論法』にも愛着をもっています。理由は単純で、みんながこの本をくさしたから。この本を書いて、私は評判を落としたといわれました。この本が出たとき、正しい判断をしたのはジャック・ロスタンだけでしたね。「この本は理解されないだろう」といっていましたから。
    でも、私がことのほか愛着をもっているのは、『時間への失墜』の最後の7頁です。これは私が書いたもっとも真剣なものです。7頁を書くのにえらく苦労しましたが、概して理解されませんでした。この本は、私からすればもっとも個人的なもので、私にとって最大の関心事を書いたものなのに、さっぱり話題にされなかった。実際、時間からの失墜にまさる重大な劇があるあるでしようか。残念ながら、この私の思想の本質的側面に気づいた読者はいなかった。
    以上の三冊の本で、たぶん充分だったでしよう。ためらわず繰り返しますが、私は書き過ぎました。
    ジョドー:それがあなたの最後の言葉ですか。
    シオラン:そうです。  >

    ●シルヴィー・ジョドーのプロフィール
    1951年生まれのフランスの女流文筆家。20代後半から30代のはじめにかけて、おもに雑誌『オラクル』に拠って文学活動を行なってきたが、やがて関心を文学から、神秘思想を含む広義の宗教、とくに仏教に移す。30代の半ばにシオランと出会い、「精神の歩みの上で一段階」を画する決定的な影響を受ける。現在の主要な関心の対象はトランスパーソナル心理学であるという。『シオラン あるいは最後の人間』(1990)と同時に、シオランとの対談を収めた小冊子『対談』が刊行されている。

  • 3.93/356
    『生誕こそ、死にまさる真の災厄である。
    ただひとつの、本物の不運は、この世に生まれ出ることだ。──「暗黒のエッセイスト」が放つ、独特のユーモアと強烈な皮肉に満ちたアフォリズムに、読者は一瞬にして呑みこまれる。
    静かに読み継がれてきた、「異端の思想家」シオランの〈奇書〉を新装版で刊行。

    あまりにも完全な地獄は、楽園と同じように不毛である。
    あらゆる思想は、損なわれた感情から生まれる。
    一冊の本は、延期された自殺だ。』
    (「紀伊国屋書店」サイトより)


    原書名:『De l'inconvénient d'être né』(英語版『The Trouble with Being Born』)
    著者:E.M.シオラン (Emil Mihai Cioran)
    訳者:出口 裕弘
    出版社 ‏: ‎紀伊國屋書店
    単行本 ‏: ‎286ページ

  • 2021Jan.16th
    反出生主義という言葉をたまたま見つけて、それについて調べてゆく中でシオランを知った。記憶をたどると、自分は遅くとも10代の中頃くらいからその思想を持っている。この本はタイトルの通り、生まれたことの不都合について書かれた本である。読む人によってはネガティブ、あるいは虚無主義的に見えるかもしれないが、自分にとってこの本はよいものとして作用した。最初の文を読んだ瞬間に読むことをやめられなくなってしまって、休むことなくすべて読んでしまった。陰鬱なテキストを読みながら、どんどん活力を増してゆく自分が愉快で仕方がなかった。散文調で書かれており、本の分厚さとは裏腹にすいすい読むことができた。反出生主義は少なくとも親に主張するべきではないと思うし、他者の共感を簡単に得られるとも思わない。ただ、この本があるだけで救われたような気持ちになった。唯一共感できなかったのは言語についての主張。母語以外の言語を使うことに対して否定的な作家は珍しいと感じた。ルーマニア語とフランス語の間での葛藤があったのかもしれない。この本はこれからも何度も読むと思う。

  • 自殺を考えている人は読んだ方がいい。まあ生きる方法も死ぬ方法も書いてあるわけじゃないけど、どこかしら安堵する箇所があるはずだ。それで万力の圧力が緩むみたいなことがあるはずだ。

    そうなんだよな、もう生産も闘争もしたくねえのよ。それでどうすりゃいいのかは分からないけど、人類の愚鈍は仕方のないことなのだし、とりあえず横になろうか。と思える。だから何だかは分からない。それが良いかとかは知らない。

    シオラン文庫になってほしいんだけどな。なんでこんなにマイナー扱いなのか。

  • 死よりもこの世に生まれてきたことこそが真の災厄と短文で説いていく図書。どのページから読んでも特に問題なく、悲観的な気分になっているときは、たぶん好みの文章を見つけることができると思う。

  • 私にはシオランは鬼門。
    手に取ると、最後まで殆ど暴力的にページを繰らされてしまう。。。

  • そもそも生まれたことこそが災厄の源泉。この思想はショーペンハウアーの世界と同じである。彼も生まれたことが悲劇の始まりだと考えた。ショーペンハウアーはさらに、まず生まれないことこそが唯一の解決策。もし生まれた場合はなるべく早く死ぬことが解決策になると考えた。
    両者は前提条件こそ同じだが、その先は違う。シオランは生まれないにこしたことはないが、生まれないという事実も受け入れ難い事実だと考え、最後の最後で肯定派にまわる。
    紛争がやまない国での銃撃戦の最中にシオランが読まれているという事実もまた頷ける。

  • ルーマニア出身の思想家シオランのアフォリズム集。
    仏教から色濃く影響を受けた悲観主義が彼の思想の原点となっている。
    タイトルにもあるように生まれたことが全ての元凶であるという考え方。
    そして生きることとは一切が苦である、と仏陀よろしくシオランは説いている。
    結構突っ込みどころはあるんだよね。
    論理的に体系化された哲学書ではなく、あくまでもアフォリズムだから。
    だけどそんな突っ込みでさえもこのシオランは「だからどうした」という開き直りができるくらい闇が深い。
    だって反論すら意味をなさないほど人生なんてどうでもいいことだって彼は言っているわけだから。
    これを読むと「ダメで良いんだ」「働かなくても別に良いや」ってなると思う。
    だってどうせ死んじゃうんだもん。
    そんなにマジになってどうするの、って話。
    アフォリズムっていうのは基本的に毒性が強いものが多いのだけど、この人のは今まで最強かもしれない。
    なので真剣にのめり込むのではなく、斜め読みくらいがちょうどいいと思う。
    毎日が充実してどうしようもない人が読んでも何にも感じるところはないと思うけどね。

  • 私には、読み込んでいるとはとても言えないし、一気に読んでしまうような本でもないのだけれど。これは、アフォリズム? 詩? 哲学?分類はどうでもいい。ただし「反哲学」とか「アンチ・クリスティアニティ」とするのは違うかな、と。訳者あとがきに、「私は、何はともあれ、シオランにじかに日本語で語らせる、という心づもりで翻訳の作業をした。どのページでもいい、気ままに本を開いて、胸にこたえる一行があったら、そこから読みはじめていただきたい。」とあるけれど、まさにそのような読み方しかできないし、どこを開いても必ずひきこまれる。特に、静かな深夜には。

  • 装丁が最悪。

  • ずしりと重い言葉に脳がみしりとする。

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著者プロフィール

【訳者】出口裕弘(でぐち・ゆうこう 1928~2015)
フランス文学者、小説家、元一橋大学教授。『坂口安吾――百歳の異端児』により伊藤整文学賞、蓮如賞を受賞。著書に『ロートレアモンのパリ』『澁澤龍彥の手紙』、訳書にユイスマンス『大伽藍』、バタイユ『内的体験』、シオラン『告白と呪詛』『歴史とユートピア』ほか多数。

「2021年 『生誕の災厄 〈新装版〉』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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