- Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
- / ISBN・EAN: 9784314001472
感想・レビュー・書評
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20世紀最大の絶望先生、シオラン。彼が抱えた虚無の深さに比べれば、ニーチェが覗き込んだ深淵なんて井戸の底ぐらいにしか過ぎない。思想家でありながら自らの考えを纏めることを放棄し、辛辣さの金太郎飴の如く絶望に満ちたアフォリズムを書き連ねた男。日々自殺について考えながらも、84年間の天寿を全うした者が残した言葉の断片は「この世に生を受けたこと自体がそもそもの災厄だ」と突き放していながらも、何故かそこに不思議と優しさを感じてしまう。大丈夫、例え世界に見放されたって、シオランの言葉は決して君を見捨てたりはしない。
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疲れ果てたニーチェ、という印象。
それ故に肩がこらないし、勇気も湧いてこない。
ただドロリとした生に絶望しているシオランが、ときおり思い出したように美しい警句を吐く。
「あらゆる思想は、損なわれた感情から生れる。」 -
3.93/356
『生誕こそ、死にまさる真の災厄である。
ただひとつの、本物の不運は、この世に生まれ出ることだ。──「暗黒のエッセイスト」が放つ、独特のユーモアと強烈な皮肉に満ちたアフォリズムに、読者は一瞬にして呑みこまれる。
静かに読み継がれてきた、「異端の思想家」シオランの〈奇書〉を新装版で刊行。
あまりにも完全な地獄は、楽園と同じように不毛である。
あらゆる思想は、損なわれた感情から生まれる。
一冊の本は、延期された自殺だ。』
(「紀伊国屋書店」サイトより)
原書名:『De l'inconvénient d'être né』(英語版『The Trouble with Being Born』)
著者:E.M.シオラン (Emil Mihai Cioran)
訳者:出口 裕弘
出版社 : 紀伊國屋書店
単行本 : 286ページ -
2021Jan.16th
反出生主義という言葉をたまたま見つけて、それについて調べてゆく中でシオランを知った。記憶をたどると、自分は遅くとも10代の中頃くらいからその思想を持っている。この本はタイトルの通り、生まれたことの不都合について書かれた本である。読む人によってはネガティブ、あるいは虚無主義的に見えるかもしれないが、自分にとってこの本はよいものとして作用した。最初の文を読んだ瞬間に読むことをやめられなくなってしまって、休むことなくすべて読んでしまった。陰鬱なテキストを読みながら、どんどん活力を増してゆく自分が愉快で仕方がなかった。散文調で書かれており、本の分厚さとは裏腹にすいすい読むことができた。反出生主義は少なくとも親に主張するべきではないと思うし、他者の共感を簡単に得られるとも思わない。ただ、この本があるだけで救われたような気持ちになった。唯一共感できなかったのは言語についての主張。母語以外の言語を使うことに対して否定的な作家は珍しいと感じた。ルーマニア語とフランス語の間での葛藤があったのかもしれない。この本はこれからも何度も読むと思う。 -
自殺を考えている人は読んだ方がいい。まあ生きる方法も死ぬ方法も書いてあるわけじゃないけど、どこかしら安堵する箇所があるはずだ。それで万力の圧力が緩むみたいなことがあるはずだ。
そうなんだよな、もう生産も闘争もしたくねえのよ。それでどうすりゃいいのかは分からないけど、人類の愚鈍は仕方のないことなのだし、とりあえず横になろうか。と思える。だから何だかは分からない。それが良いかとかは知らない。
シオラン文庫になってほしいんだけどな。なんでこんなにマイナー扱いなのか。 -
死よりもこの世に生まれてきたことこそが真の災厄と短文で説いていく図書。どのページから読んでも特に問題なく、悲観的な気分になっているときは、たぶん好みの文章を見つけることができると思う。
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そもそも生まれたことこそが災厄の源泉。この思想はショーペンハウアーの世界と同じである。彼も生まれたことが悲劇の始まりだと考えた。ショーペンハウアーはさらに、まず生まれないことこそが唯一の解決策。もし生まれた場合はなるべく早く死ぬことが解決策になると考えた。
両者は前提条件こそ同じだが、その先は違う。シオランは生まれないにこしたことはないが、生まれないという事実も受け入れ難い事実だと考え、最後の最後で肯定派にまわる。
紛争がやまない国での銃撃戦の最中にシオランが読まれているという事実もまた頷ける。 -
ルーマニア出身の思想家シオランのアフォリズム集。
仏教から色濃く影響を受けた悲観主義が彼の思想の原点となっている。
タイトルにもあるように生まれたことが全ての元凶であるという考え方。
そして生きることとは一切が苦である、と仏陀よろしくシオランは説いている。
結構突っ込みどころはあるんだよね。
論理的に体系化された哲学書ではなく、あくまでもアフォリズムだから。
だけどそんな突っ込みでさえもこのシオランは「だからどうした」という開き直りができるくらい闇が深い。
だって反論すら意味をなさないほど人生なんてどうでもいいことだって彼は言っているわけだから。
これを読むと「ダメで良いんだ」「働かなくても別に良いや」ってなると思う。
だってどうせ死んじゃうんだもん。
そんなにマジになってどうするの、って話。
アフォリズムっていうのは基本的に毒性が強いものが多いのだけど、この人のは今まで最強かもしれない。
なので真剣にのめり込むのではなく、斜め読みくらいがちょうどいいと思う。
毎日が充実してどうしようもない人が読んでも何にも感じるところはないと思うけどね。 -
私には、読み込んでいるとはとても言えないし、一気に読んでしまうような本でもないのだけれど。これは、アフォリズム? 詩? 哲学?分類はどうでもいい。ただし「反哲学」とか「アンチ・クリスティアニティ」とするのは違うかな、と。訳者あとがきに、「私は、何はともあれ、シオランにじかに日本語で語らせる、という心づもりで翻訳の作業をした。どのページでもいい、気ままに本を開いて、胸にこたえる一行があったら、そこから読みはじめていただきたい。」とあるけれど、まさにそのような読み方しかできないし、どこを開いても必ずひきこまれる。特に、静かな深夜には。
著者プロフィール
E.M.シオランの作品





