- Amazon.co.jp ・本 (254ページ)
- / ISBN・EAN: 9784314004596
感想・レビュー・書評
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エーリッヒ・フロムが晩年に故郷のドイツで行ったラジオ講演をまとめた講演集。
他著では文体で記述されるフロムだが、このように口語で筆記されるのは珍しいようで、内容は他著と似ている部分はあるものの新鮮である。
特にラジオパーソナリティーとの対話の試みは面白い。
テーマは以下である。
・私たちの社会の過剰と倦怠
・攻撃の発生源について
・夢は世界の人間の言語である
・非心理学者のための心理学
・生きることの名において
・ヒトラー 何者なのか、この人物への反抗とはどういうことなのか
・預言者の書の今日性
・人間とは何者か
キーワード
・受動的と能動的
・父権政治と母権政治
・ネクロフィリアとバイオフィリア
実際の生活で生きる上での道徳指針や宗教の重要さに思いを馳せる本でした。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
人の行動を表面的な正否によって評価するのではなく、「彼(彼女)の行動を駆動するものは何か」という問いを立てることの重要性を改めて確認できた。
表向きは正しく聞こえることだけを信じると、扇動家の言葉に騙されるかもしれない(騙された=加担した と見做される場合も考えられる)。
本書ではテーマは様々だが、特に印象に残った点を幾つか纏めると
・人を惹きつけるものはたった一つ、生き生きしていること(人を惹きつけるのは生きているものである) P184
・真の対話は意見を変えさせることでも、争いでもなく、交換である。P148
・私たちは人間らしい生の表現と成長という心構え(あることが問題なのであって、持つことや、使用のみ、前進のみという態度とは反対のもの)を必要としている。P149
・真の過剰社会について。P79
他にも多々感銘を受けた記述があり、今後何度も読み返す一冊になると確信した。
2022/12/20 再読了 -
人間は進化を望んでいる
人間に目的を与えるもの、律するものはヒューマニズムであり生命への愛 -
よい過剰、あふれ出し泡立ち流れて倦怠を産むことのない過剰とそうでないものがある。
そうでない過剰は、わたしたちが受動的につまり型にはまった反作用、空虚さや退屈ん追い払うため、外力につきうごかされて消費するもの。後味がわるいもの。
[過剰の良し悪しは、ひとつには私たちの関わり方が左右することになるか。]
古典的哲学のいう能動とは、人間に内在する力を高め、あらわにすること。
自分を表現したり、何か作り出したりするときだけ、人は自分自身である。持つのでなくあること。能動としての愛。
ところが近代は、退屈に能動で抵抗するより、あれこれの消費で紛らわすことばかりになっている。
それは、今日の経済体制が最大生産、最大消費の上になりたっているからで、欲求をあおられるから。
消費とその誘因である欲求をあおる社会は、家父長的権威を維持できない。ひとつに宗教。
その弱ったあとを技術の宗教がうめているが、これは倫理道徳の支えにならない。
ひとの倫理的に生きたいという深い願いに応えるものではない。
人類存亡の危機に面したいま、どけんかせんといかん。とても大変だけど。思考も生活も社会も根本的にかえないといけない。
それには結局ひとりひとりの自問で答えを出すしかない。余計な雑音に耳を貸さず「お前は短い間生きるだけなのだぞ、お前は誰なのか。本当は何を望んでいるのか。」と問い、答を見出そうと努めるべきだ。