愛するということ 新訳版

  • 紀伊國屋書店
4.13
  • (527)
  • (412)
  • (264)
  • (35)
  • (12)
本棚登録 : 5831
感想 : 504
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784314005586

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 20年ほど前、大学の一般教養"国際関係論"の先生が、初回講義の冒頭でなぜかこの本について言及していました。
    その記憶がずーーーーっと残っていて、気になっていたけれど一度も実際には手に取ったことがなかった本。まさか最愛の人を通じてこの作品と出会うことになるとは。

    この世界をよくするヒントや示唆や知恵が散りばめられている素晴らしい本。

    愛という、人類の非常に本質的な性質?について、深く味わいながら学びながら読むことができる良書です。

    全人類におすすめしたい。
    特にマネジメントに関わる方にはぜひ読んでもらいたいなと感じました。

  • 大学生時代に親友とBOOKOFFでお揃いで買った。
    お互いに読み進めて感想を言い合った。
    思い出の一冊。

    その友達とはもう絶縁状態。

  • なんという名著。人類の必読書だと誇張抜きで思う。最初、Kindle読み上げで読んでいたものの、1文1文の濃度と重みが深く、じっくりと読みたくなり、Kindle読み上げで2回読了した後に、最終的に普通に目で読み直し、たくさんメモをとりながら熟読した。ここまで真剣に1冊を真剣に読み込んだのも久しぶりである。それぐらい時間をかけて読む価値のある1冊。

    ▼そもそも、愛について学ぼうとしない(学ぶ必要がない)と思うのは?
    1、愛の問題を、愛する能力ではなく、愛される能力だ、と言う問題として人々が捉えているから。
    2.愛の問題を、対象の問題であって、能力の問題ではないと言う思い込みがあるから
    3.愛は落ちるものだと思っているから
    ・では、その克服方法は?
    愛の意味を学ぶ。①技術であると知る。②習得するために理論に精通し、修練に励み、習得することを究極の関心事とする。
    ・人間の最も恐れている事は、孤立することであり、
    人間の最もつよい欲望は、自分以外の人間と融合したいと言うものである。その方法として、愛することが挙げられる。

    ▼愛とはそもそも何だろうか?
    ・愛すると言う事は、それは決意であり、決断であり、約束である。それは単なる激しい感情(感情は突然生まれ、また消えていく)ではなく技術であり、能動的な意志である。
    ・愛は「落ちる」ものではなく、「自ら踏み込むもの」
    ・愛するとはすなわち与えることである
    物質の世界ではなく、ひときわ人間的な領域においての(与える)と言う意味である。自分の中に気づいているものを与える。自分の喜び、興味、理解、知識、ユーモア、悲しみ
    ・未熟な愛は、「愛されるから愛する」
    成熟した愛は、「愛するから愛される」
    未熟な愛は、「あなたが必要だから、愛している」
    成熟した愛は、「愛しているから、あなたが必要」
    ・では、与えられる人とは?
    自分の中にある人間的な力を信じていて、自分の力を目標の達成のために頼ろうとすることができる。これらが欠けていると、与える=怖いこととなる。愛する勇気が出ない。


    ▼愛するとは?
    自分自身のまま、自分の全体性を失わず、2人が1人になり、しかも、2人であり続ける。
    愛とは、尊重することが重要。
    「私のため」ではなく、「その人自身のため」に、人間のありのままの姿を見て、その人が唯一無二の存在であることを知る能力。そして、その人がその人らしくその人のために、その人のやり方で、上成長発展していくことに、気遣う。自分のために相手をコントロールしたり、支配したり、所有することが愛ではない
    ・そして、愛すると言う事は自分自身が自立して自由でないとこう思うことはできない。愛は自由の子(L’amour est l’enfant de la liberté)
    ・尊重するためには?
    その人を知る必要がある。
    それはすなわち、相手の立場に立ってその人を見る=初めてその人を本当の意味で知ることができる。

    ▼利己主義と自己愛
    ・全く異なるもの
    利己主義の人は、自分自身にしか関心がなく、何でも自分のものにしたがり、与えることには喜びを感じず、もらうことにしか喜びを感じない。利己的な人は外界を自分がそこから何を得られるか、と言う観点からの見る他人の要求に対する関心も他人の尊厳や個性に対する尊敬の念も持たない。利己的な人には自分しか見えない。自分の役に立つかどうかと言う点から全てを判断する。そういう人は根本的に人を愛することができない。
    ・一方、自己愛とは、自分のことも含めて他者を愛することができる能動的な能力である。

    ▼愛と性的障害の関係
    最も頻繁に見られる性的障害、すなわち女性の不感症や男性の心理的不能の研究から明らかなように、性的障害の原因は、正しいセックスのテクニックを知らないことではなく、愛することをできなくなるような感情的抵抗にある。性的障害のそこには、異性に対する恐怖や憎悪があり、そのために完全に没頭する、自発的に行動する、直接的な肉体接触の際にセックスパートナーを信頼するといったことができないのだ。性的に抑圧されている人が、恐怖や憎悪から解放され、それによって人を愛せるようになれば、性的な問題は解決する。そうでない限りセックスのテクニックをいくら覚えたところで、何の役にも立たない。

    ▼投射のメカニズム
    自分自身の問題を避け、その代わりに「愛する」人の欠点や弱点に関心を注ぐと言う態度も、神経症的な愛の1つの形である。この場合、どんな些細な欠点もめざとく見つけ、他人を非難し、矯正することに忙しく、自分の欠点には全く気づかずに平然としている。

  • かなり感動した
    愛は技術であり、意思の領分であり、尊重・責任・配慮・知から成る、という定義は、愛を自分の主体的コントロール下におくための第一歩である。
    たしかに普段生活していて、意図的に愛そうとすることはあまりなく、頑張って意図的にやろうとして、無理な壁にぶち当たることもある。
    そのとき、愛は落ちるものでもないし、また主体的にやろうとして不可能なほどの無理難題でもない、手の届く範囲の技術であることを教えてくれる。
    他方で技術であるのだから、その習得には習慣や強い意志がないとできないことも注記する。ピアノの技術の習得と同じである。
    僕は人を愛することがしたかったから、まず自立と自律を目指すことにした。親元を発ち経済的にも精神的にも社会的にもできる範囲で少しずつ独立を目指す。必ずしも人を愛すのに親元からの独立は必要ではないかもしれないが、精神的に誰かに生活そのものを一方的に頼る状態で他の人を支えることはできないと思った。また自分自身にとってベストを考えたとき(つまり自分を知り、配慮し、尊重し、責任を持つ=自分を愛するにあたって)誰かに頼りっぱなしだと満足がいかず他の人に意識を向ける余裕はないと思った。また、誰かから搾取して徳をしようという愛と反対の営みを続けて矛盾を抱えてしまうような気がした。つまり、僕の自立を促し生活を具体的に変えた本だった。

  • 非常に素晴らしい著作だった。
    愛に関する考え方を教えてくれるだけでなく、人間関係のあるべき姿も教えてくれる、とても有用な本だと思う。一見小難しい本に見えて、文章はとても平易で分かりやすい。第二章で神への愛を扱うが、この部分だけは少し難しい内容になっていた。西洋と東洋では髪に対する考え方が根本的に違うということが影響しているのかもしれない。
    書いてある内容は易しいが、やはり実際にそれを行動に移せるかといわれると自信がない。しかし、少なくとも「あるべき姿」としての信念を教えてくれたと言うだけでも、この本を読んだ価値はあったと思う。
    できるだけ若いうちに読んだ方がいいかもしれない。

  • 愛は技術。愛するには習練が必要。著者も言及しているけれど、技術を得るためには理論も習練も大切。読み終わった今の状態は、一通り理論を学んだ段階というところでしょうか。実際は「なるほどね。え、結局私どうすればいいんだっけ!?」という感じ。ナルシシズム、孤独の克服。わかっちゃいるけど。強い意志を持った習練が必要だなと感じます。心に留めておいて時々読み返したい言葉が沢山ありました。そういう考え方もあるのか!そう考えれば嫌じゃないかも、という発見があるのがこうした本のすごくいいところ。フロムさんの本もっと読みたい。

  • 愛することは技術だ、とエーリッヒ・フロムは言う。私たちは愛を自然的なものと捉え、それでいて、ただひとりのことを誠実に愛することだと思っている。しかし彼によれば愛とは技術であり修練が必要であり、またひとりの人間を愛することにより、そのフィルターを通して全体を愛するのだ、と宣言している。これは30年以上前から出版されている今日でも通用する論理だと思う。私はこの本を読むことにより、単なる恋愛指南書とは別で、どんな服装を着て、どんな髪型をして、どんな場所でデートして、と云う問題ではなく、資本主義社会における、社会全体を俯瞰してみたうえでの、愛を掘り下げていく彼の姿勢に感銘を受けた。特に難しい本ではなく誰もが手に取れる本だと思う。ベストセラーになったのも納得がいく。不思議な話、彼が終盤に信念について書かれてあるのを読んで私は勇気を貰った。

  • 自分の誕生日に、自分の名前の由来となる「愛すること」について知るために拝読。いままで信じていたことを、丁寧に紐解いてくれる本だった。またゆっくりと、時間をかけて読みたい。

  • 神への愛だけまだ

  • 「コテコテの機能付き冷房が効いた部屋で、横になりながら一冊の本について考え、使い方によっては孤独を埋めてくれるスマホをイジる」という贅沢な日常の中にいては、時代・言語・生活習慣などが自分と異なる筆者の価値観に、どれだけ寄り添えているのか分からないけれども、「愛」という壮大なテーマに関して、自分の理想像もしくは人々への勧めとして、自身の考え方を世に表明する筆者に、尊敬の念です。
    どうしても愛を求めてしまう自分が嫌で、それを改善しようと努力し思考して導いた理想像を実現するべく、世に本という形で実現を宣言した。一方で、その宣言の中には、世に承認されたいと思う自分がいて、結局「愛されたい」という人間の本質的な部分は変わらないのか、という筆者の自覚もあった。だからこそ題名に、‘art’と付け、できるだけ生来の人間の性質に上書きする形で、愛を求めるよりも相手を愛す努力をすべきだ、というメッセージを示唆したのでは、という気がしました。
    時代が違えど、食べて飲んで寝て笑う同じ人間の気持ちが、はっきり分からないというのは、とても不思議だなと感じます。
    そう考えると、愛するために必要不可欠なのは、「相手を知ること」なのかなと、個人的には解釈しています。

著者プロフィール

ドイツの社会心理学者、精神分析家。1900年、フランクフルト生まれ。ユダヤ教正教派の両親のもとに育ち、ハイデルベルク大学で社会学、心理学、哲学を学ぶ。ナチスが政権を掌握した後、スイス・ジュネーブに移り、1934年にはアメリカへ移住。1941年に発表した代表作『自由からの逃走』は、いまや社会学の古典として長く読まれ続けている。その後も『愛するということ』(1956年)、『悪について』(1964年)などを次々と刊行する。1980年、80歳の誕生日を目前にスイス・ムラルトの自宅で死去。

「2022年 『今を生きる思想 エーリッヒ・フロム 孤独を恐れず自由に生きる』 で使われていた紹介文から引用しています。」

エーリッヒ・フロムの作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×