愛するということ 新訳版

  • 紀伊國屋書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784314005586

感想・レビュー・書評

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  • この本、ある人に勧められて2ヶ月前に入手しました。
    が、2ヶ月かかって読みました。
    すごくすごくいい本ですね。ズーンときました。
    始めの方は親子、兄弟、異性、自己愛、神への愛など、いろいろな愛の形などが理論的にかかれていて、わかるような、わからないような感じで、中断しまくりました。
    でも、中盤を過ぎてからフムフムとどんどん面白くなりました。

    人を愛するって大変。
    リベラルに相手に興味をもって接する鍛錬が必要だと思いました。
    最後の方で、「愛」の話が「信念」に変わってゆきます。しかも根拠のない信念から、理にかなった信念とはという話になってくる。
    この本に書いてあることは、一生反芻していかないといけないんでしょうね。
    理解できることも、理解しきれないこともあり、また後で読むと理解度が違ってくる気がします。

    以下、抜粋&要約。私のノートです。
    ネタバレします。でも、結局意味は、この本を読まないとわからないと思います。
    『愛の習練には、
    ①規律
    ②集中
    ③忍耐
    ④技術の習練に最高の関心を抱く
    しかし、重要なのは外から押し付けられた規則か何かのように習練を積むのではなく、規律が自分自身の表現となり、楽しいと感じられ、ある種の行動に少しずつ慣れてゆき、ついにはそれをやめると物足りなく感じられるようになること』

    『現代では集中力を身につけるのは難しい。集中力の習得においていちばん重要なステップは、一人でじっとしていられるようになることだ。・・・集中するとは、いまここで、全身で現在を生きることである。・・・』

    『人を愛するためには、ある程度ナルシシズムから抜け出ていることが必要』

    『人は無意識の上では愛されないことを恐れているが、ほんとうは、無意識のなかで、愛することを恐れているのである。』

    『公平の倫理は、黄金律の倫理とよく混同される。「人にしてもらいたいと思うことは人にもしなさい」という黄金律は、「人となにかを交換するときは、公平であれ」という意味だとも解釈できる。だが、黄金律はもともと、「汝自身を愛するように、何時の隣人を愛せ」という聖書の言葉をもっと一般的にしたものである。・・・公平の倫理とは、責任も一体感もおぼえず、自分は隣人とは遠く離れており、隔絶していると感じることであって、隣人の権利を尊重することではあるが、隣人を愛することではない。・・・公平と愛のちがいを知らなければならない。』

  • ふわふわした気持ちの良い言葉が並ぶ愛の指南書のようなタイトルだが、フロムが書いているわけなので、れっきとした心理学の本だ。売れすぎにも思うけど、今売れる理由も分かる。昔の僕が読んでいたら、また違った感想だっただろうか。
    悪について、と対局を為すのかもしれない。悪は破滅的なネクロフィリアの傾向にあり、愛は生産的なバイオフィリアだ。その愛にはどのようなものがあるのか。愛することは技術であり、それを学ばねばならない。自分自身も親兄弟、恋人、家族、友人、そして人類を、生産的に愛さなければならない。
    この本が書かれた当時の西洋社会へのメッセージも面白い(今の時代にも当てはまる)。人間の心の成長として考えると、キリスト教西洋社会がどれだけ未熟な段階にあるかという批判。対して東洋の宗教の方が高次元にあるという。もちろん、今の日本も東洋社会が、愛のある社会だとは思わないけれど。
    この本を読んだおかげで、、愛という言葉を使うことが、今までよりも恥ずかしくなくなった気がする。まあ普段は決して言わないけど。

  • ふるーい本だけど、良かったです。
    個人的には、私は、最近久しぶりに授乳するようになって、女は結婚すると、せっせとご飯を作り、子どもを産むと、今度は自分がご飯になるんだなーと思っていたところだったので、「与えることが愛」という文脈の中で、母は授乳することで自分を与える、と書かれていたところに激しくうなずいた。
    あと、真実は逆説的なことが多い、というのも、いつか自分で文章に書いてみたいと思っていたけれど、ちっともまとまらないところだったけど、本にも同じことが書かれていて、私の発見はちっとも目新しくないことが分かったり・・・。
    最後の章、愛の修練では、愛するためには、今に集中すること、何もしないで一人でいられるようになること(本当の自立)など書いてあって、なるほどなーと思った。

  • 50年くらい前に書かれた本だが、精神分析学者の著者が愛と言うことについて、書いている。
    あくまで、愛であり恋ではない。また愛も一般に言われる異性愛だけでなく、兄弟愛、親子愛、人類愛にまで話は及ぶ。
    またここでいう愛の特質柄、キリスト教との結び付きが強く、途中かなり宗教チックな話になるのがしんどかった。

    たださすが精神分析学者といったところで、現代の人間性や社会の問題は鋭く分析されている。

    なるほどねーとおもった考え
    私達は愛されるためには必死に考えるが、愛するための技術には無頓着で、勝手になんとかなるだろうと思っているが、それも技術の一つであり学ぶ事ができる(結局その技術の内容は煙がかかってるようによくわからんまま終わりますが)

    孤立するということは人間が根底から恐れる恐怖である


    愛するためには人格が発達していなければならない
    その要素 配慮、責任、尊重、知

    人を愛するとはナルシシズムから抜けること。自分、周りを客観的にみること。被害者ぶらないこと。

    映画とかで描かれる愛は偶像崇拝的なものである。
    相手のなかに自分を探すのではなくて、確固たる自己を持つこと

    技術の修練には規律、集中、忍耐、最高の関心が必要

    自分に対して敏感になる

    昔は傑出した精神的特質を備えた人が評価された。今はみんなから見られる立場にいる人。

    客観的に考える力、それは理性である。理性の基盤は感情面の姿勢の謙虚さである。

    根拠のない(他人本意的な)信念でなく、理にかなった(自ら考え、判断した)信念を持つ。自分自身を信じている者が他人に対しても誠実になれる。

    愛される、そして愛するには勇気が必要だ。あるじぶんが最重要と思う価値に対して、全てをかけて踏み込む事だからだ。

  • 原題は「The Art Of Loving」直訳して「愛することの技術」というもの。訳者も言っているが、そういわれてもいまいちピンとこない。しかし読んでみて気づいたのは、自分の愛に対する甘えだった。愛は無条件であり皆が平等に受けて当たり前だとは思っていなかったか。しかしそうではない。本当に誰かを愛そうと思ったら、忍耐強く習練を積み、まず自分を愛することが大切なのだ。根底に流れるのは「汝を愛するように、汝の隣人を愛せ」というキリスト教の根本的な教え。その言葉の真意をずっと説明している本とも言える。

  • 読む前に思ってたより良かった。無意識に実践してることも多いが、改めて分析されると、うーんなるほど。読む人の年齢とか性別とか、哲学の知識の有無とか既婚か未婚かとか、置かれてる状況によっていろいろな読み方ができるでしょう。また、ここで言われている「愛する」ことができない人たち(発達障害やパーソナリティ障害の人など)は何が苦手なのか、ということも、著者の主張を裏返せばわかってきます。個人的には、一人の人を愛することを通じて人類全体を愛する、という箇所が響いた。あ、それでいいんだよね、やっぱ。

  • 愛は能動的に与えるもの。
    市場原理に基づき、お買い得品と感じた対象に出会った時、恋に落ちたと錯覚するけれど、それは愛ではない。
    愛は技術。
    修練が必要。でも現代では、エネルギーを費やす対象として捉えられてない。

    人間の最も強い欲求は、孤立を克服すること。人間的成熟度によって克服の仕方は異なる。
    祝祭的興奮状態
    同調に基づく合一
    想像的活動
    『人間同士の一体化、すなわち愛』

    逆説的哲学
    神は否定の否定
    思考は無知

    自分をしっかりともち
    他者を尊重できて初めて
    生産的な愛を営むことができる。

  • 愛するということはどういうことか。宗教や社会といった広い観点からの深い考察が得られる一冊。折に触れて読み返したい。

  • 「愛は技術だ」
    愛の理論、愛する対象による愛の種類、愛の技術の習練…人を愛するというのはどういうことか、考えさせられる本。

    愛は能動的な活動であり、受動的な感情ではない。そのなかに「落ちる」ものではなく、「みずから踏み込む」ものである。愛の能動的な性格を、わかりやすい言い方で表現すれば、愛は何よりも与えることであり、もらうことではない、と言うことができよう。(p42)

    そう、してくれるからしてあげる、じゃない。好きっていってくれるなら好きっていうのは、違う。受動的だったり、打算的だったりするのは、愛じゃない。
    自分が相手を好きって気持ち、能動的な気持ちが愛だ。

    愛は異性に向けるものだけじゃない。
    兄弟愛、母性愛、自己愛、神への愛…。
    (大体、こういう類いの西洋の本は宗教的なことも書かれていて、例に漏れず神について書かれている)
    ちゃんと、愛、したい。能動的に、愛したいな。

  • 愛することは誰にでもできることではなく、修練を積んで身につける技術だと説いている。それと、1人を愛するということは、他の人を愛することにも繋がると書いてあったな。よかったけど、あまり覚えていない。

  • 「愛は技術」であるという主張を元に、人を愛するということはどういうことなのかという理論、愛することが出来るようになるまでの修練について書かれた本です。これを読むと、人を愛することがいかに難しいことであるかを痛感します。特に、愛を身につける修練の項目では、「自分や他人を信じる」「勇気を持つ」「客観性を育みナルシズムから脱却する」というように、ありきたりで口に出すのは簡単だけれども、身に付けるのは大変難しいことばかりだと感じました。人生の節目節目で、何度も繰り返し読みたい本です。

  • 「生きることが技術であるのとまったく同じように、愛が技術であることを知るべきである」というフロムの言葉に考えさせられました。
    愛とは単なる内面的な「想い」にとどまらない。

    「もし、ある婦人が花を愛していると口ではいっても、その花に水をやるのを忘れているのを見たとするならば、われわれは彼女が花を愛しているということを信じないであろう。
    愛とは愛するものの生命と成長に積極的に関係することなのである。」

    愛とは、行為を伴って、そしてまた、愛するものは自立していなければならないということを学びました。

  • 1956年に初版が出版されたということだが、現代においても色あせない名著である。
    まず「愛するということ」を「技術」であるといっているその意図は、それが自然発生的な概念ではなく、自発的行為であるという趣旨の強調だと感じる。そしてそれは東洋哲学的な思考に基づいた一種の悟りであるように思える。
    このような哲学は、前野隆司氏の「思考脳力のつくり方」に見られる利他の概念、「システム思想」にも見て取れるし、経験からしか得られないという点にも類似を見ることができる。
    また、4章以降の実践における論述においては、ナルシシズムを通して物事を見ている、また信念と勇気をもって行為を行うという内容は、スティーブンコヴィーの「7つの習慣」におけるパラダイムなどと類似点をみることができる。
    つまり、人間としての幸福を追求する中で表現は違えど、同じ真理を求めているものと考えることができ、半世紀も前にすでにそれだけの形式知のようなものが構成されており、今なお形を変えて論じられているということを認識するにいたった。
    個人的には、それを「愛する」と呼んだフロムの提案が好きである。

  • 現代における愛は、交換原則に則ったもので資本主義的であり、「私がこれだけ与えましたから、貴方も対価に値するようなモノを、同じだけ授けてくださいね」という、市場的価値観の支配下にあるという。それは愛の本来の姿ではなく、つまり現代の愛は崩壊の危機にあると警鐘を鳴らしている。愛することは「技術」であり、それは大工仕事と同じで、修練が必要である。そこでは「規律(それは自らが自らに課し、苦痛ではなく、少しずつでも快感を味わえるものでなくてはならない)」と、「集中力」と、「忍耐」を必要とする。それらを修練の礎として、「与えること」を出発点にして、能動的に他者に関わらなくてはならない。それが愛することの原則で、兄弟愛、親子愛、異性愛のすべてにおいて、生産的な関わり合いこそが、本当の愛を創り上げる。

    つまり、愛することの本質を理解し、自分が資本論に陥りそうになっているとき、注意深く心の変調を確認して、自己欺瞞から解放され、他者に対して「勇気」を持って関わって行くことが肝要である。

    というようなメッセージを受け取りましたが、勇気を持って他者に関与していくことは難しい。

    また、ここでいう「兄弟愛」とは、聖書の「汝の隣人を愛せ」という「人類愛」を指しており、ただ関心のある特定の1人を愛するだけでは、本来の愛の姿にはたどり着けない、とも説いている。

    自分にはまだまだ高いハードルだと思いました。

    語られていることは、真実だと思いましたが、星を一個減らしたのは自分の心の弱さゆえ。

    名著だと思いました。

  • 愛することは技術である。ぼくはこの論旨に全面的に同意する。
    同時に、愛することは単に対象の問題であるという一般的に広く受け入れられてるこの誤解(本書でも指摘されている)をいちはやく脱却するために、身の周りの大切な人には一読してもらいたい。そう思える本だ。

    技術であるからには当然、習練によっておさめることができる。
    フロムはこの習練に不可欠な要素、「規律」「集中」「忍耐」「技術の習得に最高の関心を抱くこと」を上げている。

    フロムは現代社会では「規律」を守ることよりも「集中」するほうが困難だと指摘する。そのうえで「一人でいられること」こそ、より「集中」することであり愛することには欠かせないという。
    冒頭の文章を振り返る。
    「人間のもっとも強い欲求とは、孤立を克服し、孤独の牢獄を抜け出したいという欲求である。」

    なんという逆説。孤独から逃れたいと思い、人を「愛したい」という想いが生れる。しかし人を愛するためには「一人でいられる」ことが絶対条件である。や、わかっちゃいるんだ。わかっちゃ。

    「行動「能動」「創造的行為」「与える」

  • 愛は能動的な活動であり、受動的な感情ではない。そのなかに「落ちる」ものではなく、「みずから踏みこむ」ものである。

    本当に愛情深い女性、すなわち取るよりも与えることにより大きな幸せを感じ、自分の存在にしっかり根をおろしている女性だけが、子どもが離れてゆく段階になっても愛情深い母親でいられるのである。

  • 「愛とは信念の行為であり、わずかな信念しかもっていない人は、わずかしか愛することができない」という言葉に痺れる。個人的にあまり愛という言葉は好きになれなくてどちらかというと肯定感というほうがしっくりくる。フロムのこの本に書かれている愛も世間一般の愛というイメージよりは、本質は深く肯定するための技能といったことかもしれない。原題は「Art of Loving」。自分の浅い理解としてはこの本の主旨は愛する(≒深く肯定する)ためには性格が生産的な段階に達している必要があり、それは「与えられるから与える」のではなく能動的に与えることによって実践されるものであり、「与えることによってすなわち与えられる」というもの。このあたりはレヴィ=ストロースか誰かの本で読んだ少数民族の価値観であったりビル・モリソンの言葉ともリンクする。もともとはもう少し心理学的な内容を期待して読み始めた(幼児期の自己肯定感の形成に興味があった)のだが、かなり観念的な内容だったかも…。ただ、基本的に拾い読みだったものの、拾えた範囲ではフロムも資本主義の市場原理とフロムが唱える愛の相反性について言及していたりして、このあたりは頭の整理に役立った気がする。

  • 日本人の宗教感覚からするとなじみの薄い章もあるが、特に第四章はゆっくり読む価値がある。ありふれた愛という概念の中にも、何か発見できるだろう。

  • 精神分析家のエーリッヒ・フロム著。ファシズムを心理学的に分析した「自由からの逃走」の著者である。「愛」につて兄弟愛、母性愛、異性愛、自己愛、神への愛まで理論を展開。
    「異性愛は排他的であるが、相手を通して人類全体を愛する。一人の人間としか融合できないという意味で排他的であるが、兄弟愛を排除することはない」
    愛は能動的であり、一人を愛せるならば他の大勢を愛せ、他の大勢を愛せるならば一人を愛することができる。博愛的な理論であるが、真理でもあろう。

    「異性愛は独特のものであるという見解も正しいし、意志の行為であるという見解も正しい、正確にいえば、どちらも正しくない。ゆえに、うまくいかなければ簡単に解消できるという考え方も、けっして解消してはならないという考え方も間違っている。」
    う~む、難しい。果たして、人生の終わりには理解することができるようになるのだろうか。

  • ドイツの学者エーリッヒ・フロムによって1956年に発表された著書。名著です。
    一言でまとめると、愛するとは技術(知識と努力)である、ということ。
    現代の「愛」というのは、運がよければ愛すべき人に出会える、という対象の選び方として解釈されているが、それは違うと。
    つまり、愛する対象よりも能力が重要だと。
    そして、愛するというのは激しい感情ではなく、決意であり、決断であり、約束だと。
    そのためには・・・
    本書を読んでみてください。

  • 愛は技術だろうか。それとも1つの快感であり、それを経験するかどうかは運の問題であるか。今日の人々の大半は後者だと考えているが、著者の考えは前者である。

    これは絶対に読むべき本である。

    人生観を大きく変えた一冊。

  • 久しぶりに読みました。

    愛するという技術についての安易な教えを期待してこの本を読む人は、きっと失望するにちがいない。そうした期待とはうらはらに、この本が言わんとするのは、愛というものは、その人の成熟の度合いに関わりなく誰もが簡単に浸かれるような感情ではない、ということである。

  • 「与えるという行為は、自分のもてる力のもっとも高度な表現」であり、もらうよりも喜ばしい。「自分の生命力の表現」だからである。

    ハッと目が覚めたような感じがした。何かがズシリと落ちた。この本に書かれてることはやはり抽象論である。しかしながら、とても考えさせられ、時間をかけてじっくり読み込む価値は大いにある。

    この書籍は、フロム氏が人間の本性、そればかりでなく、社会の構造までを「愛」という一文字で説明することに挑戦した偉大な書物だと思う。50年後も100年後もずっと読み続けられるだろう。こういう本こそ国語の教科書に載せるべきではないかとさえ思ってしまうほどだ。

  • 内容として理解はできたんだけど、いかんせん経験不足で体の奥から湧き上がるような分かるって感覚になれなかった。

    人生の局所局所で読み返したい本。
    一生、本棚に鎮座すると思う。

  • 2度目。
    掴みはとても面白くて、最後の習練もおもしろいです。が、途中がむずかしいです。
    3度目はもっと違う理解が出来るといいです。

    与えられるものがわたしにもあるといいなぁ
    ものではなく、わたしそのものが持っている経験、感情、態度…。また読みたい本です。

  • 20代前半という年柄もあり、
    これからの自分にとっての生きやすさや大切な人をきちんと大切に出来る為の知識や教養を身につけたいと思って手に取った本

    難しくて100%理解しきれたかと言われるとそうではないけど、自分が今持ちうる経験や思考の中で当てはめて納得のいくことは沢山あった

    言われれば本当に、
    なぜ愛するという事は自然発生的で、自分の能力ではなく対象の問題だと思い込んでいたのだろう、、と不思議に思った
    誰かを愛するために、「自分を信じる」

    これから歳を重ねていく中で感じ方がどのように変化していくのか楽しみ、何度でも読み返したい

    他のフロム作の本や社会心理学にも興味を持った

  • 第一章 愛は技術か

    愛は技術である。愛は快感の一種類ではない。

    第二章 愛の理論

    人間の実存(いまここに存在していること)

    人間がそれぞれ孤立した存在であると知りながら、いまだ愛によって結ばれることがない  ここから恥が生まれる。同時に罪と不安もここから生まれる。

    いかに孤立を克服するか、という人間の歴史

    酒、麻薬、女を使っての孤独の克服は負の連鎖を引き起こしている。(太宰治?)

    人は自ら望んで共同体の中へ入っている。仕方なく、受動的に、ということはない。

    集団に同調したいという欲求を自分が持っていることに、気づいてすらいない。(知らず知らずのうちに資本主義社会に生まれ、消費者という部族に属している。さらに自分の欲望であると錯覚している。実際は作られている。)

    みんなとは違う!っていう意識。現状を疑わなかったら生まれないから、それまでは満足していた、ということになるのかな。

    平等……「搾取の廃止、すなわち利用の仕方が残虐であれ「人道的」であれ、人間が人間を利用することの廃絶」

    平等は人間が孤立から逃れるために生まれた?

    アルコール依存症、薬物依存、セックス依存、自殺などは、集団への同調がかならずしもうまくいっていないことのあらわれといえる。

    「仕事も娯楽も型どおり」孤立に対する恐怖を忘れると、自分が人間であること、たった一度だけ生きるチャンスを与られたこと、希望、失望、怒り、悲しみ、愛への憧れがあることを忘れる。

    共棲的結合 受動的な形 服從 マゾ 相手の一部になることで孤独を紛らわす
    能動的な形 支配 サゾ 相手を支配して自己を拡張する。
    マゾとサゾには共通点が多い。

    成熟した愛は「自己の全体性と個性を保ったままでの結合」愛とは「人間の中にある能動的な力」

    現代における活動は自分の外にあるエネルギーに力を注ぐこと(仕事)と、外界の変化に関わりなく、自分に本来備わっている力を用いる(瞑想)二種類がある。

    情熱(受動的)と行動(能動的)

    愛は何よりも与えることであり、もらうことではない。

    与えることは自分の持てる力のもっとも高度な表現

    たくさん与える人が豊かな人(クリスマスキャロル)。自分の生命(自分の喜び、興味、理解、知識、ユーモア、悲しみ)という人間的なものを与えることが最重要。
    与えること自体がこの上ない喜び
    与える 貰う ☓ 与える 与える ◯

    愛 その配慮
    愛とは、愛する者の生命と成長を積極的に気にかけることである。(方法の方法論)

    愛 その責任
    愛する人は、自分自身に責任を感じるのと同じように、仲間にも責任を感じる

    愛 その尊重
    尊重とは、他人がその人らしく成長発展していくように気づかうことである。

    愛 その知
    人間の秘密を知りたいという欲求。サドはその方法の一つだが、愛によってのみ完璧に満たすことができる。

    男性的・女性的な性格p61

    「愛するから愛される」「あなたを愛しているから、あなたが必要」

    母の愛……無条件、コントロール不可
    父の愛……条件あり、コントロール可
    「やがて子どもは成熟し、自分自身が自分の母であり父であるような状態に達する」

    神経症は母の愛、父の愛のバランスが崩れることによって生じる。(その他 強迫神経症、抑うつ、ヒステリー)

    愛の種類 友愛 別け隔てなく与える愛
    恋愛 特定の一人、だが、恋愛における愛しかない人は自己の拡張をしているに過ぎない。

  • 結婚後、トラブルが起こってから夫婦関係がうまくいかず、それでも試行錯誤して、いま夫との関係性が良好になった。自分の中でどんな心境の変化があったのか、夫婦とはどうあるべきか、と考えたくて、図書館で借りた本。

    内容は難しくて理解できないことも多かったけど、愛することについて、ハッとさせられることが隋書にあり、もっと深く理解できるように何度も読みたいと思えた。購入して置いておこう。

    夫婦関係が上手くいかなかった時は、とにかく夫からの愛が欲しくて、いつも独りよがりで自己中心的な欲求をしていた。
    ある一件から、夫のことを信じて、受け入れようと、真剣に話を聞いて、自分から愛を与えることができるようになってから、夫婦仲はよくなった。

    この本で愛する技術を知り、やはりこれでよかったんだな、今後、愛する対象が増えていっても、自ら愛する技術を実践していきたいと思えた。

  • ■評価
    ★★★✬☆

    ■感想
    ○フロイト左派と言われるように、フロイトの言ったものに対して否定的なスタンスを取るという印象があった。セックスについての取り扱い等。前半は、反フロイト感がつよい。
    ○それだけフロイトの影響力が高いということなんだろう。
    ○フロムは、愛は難しいものという認識がありそう。でも大切だと。本当に?難しいものなのかな??という疑問も合った。

  • NDC 141
    精神分析の研究者、エーリッヒ・フロムの著、1956年。
    愛をテーマに、人間と現代社会について考察。フロムは、現代人は愛の本質を見誤っており、「愛する」には「技術」が必要だと指摘している。

    「人間砂漠といわれる現代にあり、〈愛〉こそが、われわれに最も貴重なオアシスだとして、その理論と実践の習得をすすめた本書は、フロムの代表作として、世界的ベストセラーの一つである。」

    目次
    第1章 愛は技術か
    第2章 愛の理論(愛、それは人間の実存の問題にたいする答え;親子の愛;愛の対象)
    第3章 愛と現代西洋社会におけるその崩壊
    第4章 愛の習練

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著者プロフィール

ドイツの社会心理学者、精神分析家。1900年、フランクフルト生まれ。ユダヤ教正教派の両親のもとに育ち、ハイデルベルク大学で社会学、心理学、哲学を学ぶ。ナチスが政権を掌握した後、スイス・ジュネーブに移り、1934年にはアメリカへ移住。1941年に発表した代表作『自由からの逃走』は、いまや社会学の古典として長く読まれ続けている。その後も『愛するということ』(1956年)、『悪について』(1964年)などを次々と刊行する。1980年、80歳の誕生日を目前にスイス・ムラルトの自宅で死去。

「2022年 『今を生きる思想 エーリッヒ・フロム 孤独を恐れず自由に生きる』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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