愛するということ 新訳版

  • 紀伊國屋書店
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レビュー : 443
  • Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784314005586

作品紹介・あらすじ

人間砂漠といわれる現代にあり、こそが、われわれに最も貴重なオアシスだとして、その理論と実践の習得をすすめた本書は、フロムの代表作として、世界的ベストセラーの一つである。

感想・レビュー・書評

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  • 充実した内容、一文一文の密度が濃ゆい。
    一読でどれだけ理解、消化できたか?
    お堅い部分もあるが、問いと解がテンポよく綴られるので読める。
    訳語の選択も良いのだと思う。

    1956年に出版の本で、1900年生まれのドイツ人、しかも男性、もはや人間であるということ以外ほぼ共通点のないと思われる人の語る愛についての分析(否定や陥っていると指摘され図星になる点も含めて)が、ストンと落ちてくるから不思議。普段、友達と恋愛話はしても、「愛とは何か」なんて語らないから、なんで誰にも話したこともないのにこのおじさんに分かるの、共感できるのという感じ。(おじさんという親近感を持たせるほど、訳語が読みやすい) もちろん、共感できない部分もある。

    資本主義社会での愛のあり方にまで、言及は及ぶが、今読んでも殆ど時代錯誤感がない。本にはコンピュータ、SNSはおろかテレビもでてこないのに。

    ハイライトが止まらない。今までこんなにハイライトした本はないかもしれない。

    愛は意志の行為だ。誰かを愛するというのは単なる激しい感情ではない。それは決意であり、決断であり、約束である。

    生産性の重要性。

    私のウニヒピリとあなたのウニヒピリの関係だと思う
    愛するとは能動的な行動=与えるということ

    2020.6.6

  • 「愛は人を好きだったら、運がよければ愛に出会えるものではなく、自分から生産するもの」、「誰かを愛して、誰かを愛せないなら、誰をも愛してない」

    現代社会、資本主義の構造が、愛ということを含む人々の精神状態の傾向を作っている解説は納得でした。
    愛の修練の箇所では、自分に集中することなど、ヴィパッサナーと同じことが書かれていたのには驚きました。やはりそれが愛を生む前提の土台なのか‥2500年前に既に人が知っていたこと‥
    改めて感動したと同時に、周りを見わたしても成熟した愛を生む喜びを感じられる幸福な人は少ないことに気づき、今の現実に気づかされました。

    ・たいていの人は愛を「愛する」ではなく「愛される」という問題として捉えている。
    ・能動的な感情を行使するときには、人は自由であり、自分の感情の主人であるが、受動的な感情を行使するときには、人は駆り立てられ、自分では気づいていない動機の僕である。
    ・愛は行動であり、自由でなければ実践できず、強制の結果としてはけっして実践されえない。
    ・愛は何よりも与えることであり、もらうことではない。
    ・貧困は人を卑屈にするが、それは貧困生活がつらいからではなく、与える喜びが奪われるからである。
    ・与えるということは、他人をも与える者にするということである。
    ・愛するためには、性格が生産的な段階に達していなけれならない。依存心、ナルシズム的な全能感、他人を利用しようとかため込む欲求を既に克服し、自分の人間的な力を信じ、自分の力に頼ろうという勇気を獲得している。これらの性質が欠けると、自分自身を与えるのが怖く、したがって愛する勇気もない。
    ・愛とは、愛する者の生命と成長を積極的に気にかけることである。
    ・自分が相手に関して抱いていたゆがんだイメージを克服し、相手を、そして自分自身を客観的に知る必要がある。
    ・愛は人間の実存にたいする答え。
    ・助けが必要だからといって、その人が無力で相手方に力があるというわけではない。
    ・自分の役に立たない者を愛するときにはじめて、愛は開花する。
    ・母性愛の真価が問われるのは、幼児にたいする愛においてではなく、成長をとげた子どもに対する愛においてである。
    ・ナルシズム傾向のつよい母親、支配的な母親、所有欲のつよい母親が、愛情深い母親でいられるのは、子どもが小さいうちだけである。
    ・人を愛することのできない女性は、子どもが小さいあいだだけは優しい母親になれるが、本当に愛情深い母親にはなれない。
    ・自分の全人生を相手の人生に賭けようという決断の行為であるべきだ。
    ・1人の人間を愛することは人間そのものを愛することでもある。自分の家族は愛するが他人にはめをむけなといったことを、ウィリアム・ジェイムズは分業と呼んだが、これは根本的に愛することができないことのしるしである。
    ・もしある人が生産的に愛することができるとしたら、その人はその人自身をも愛している。もし他人しか愛せないとしたその人はまったく愛することができないのである。
    ・利己的な人は自分を愛しすぎるのではな愛さなすぎるのである。自分自身を愛しすぎているかのように見えるが実際には真の自己を愛せず、ごまかそうとしているのである。

    ★愛の修練、前提条件
    ・1人で何もせずいられること
    ・集中力(いまここで現在を生きること)
    ・目的を達成できないのではないかと思うが、何事にも潮時があるので、忍耐力をもつ
    ・自分自身に対して「どうしてそう思うんだろう?」と敏感に気づく
    ・自分は○○できるから、あの人だってできるはずだというナルシズムの克服
    ・子どものことを従順だとか、親としてうれしいとか、親の自慢だと感じ、子どもが実際に感じていることに気づかないなど客観性を失わない。
    ・人間や物事をありのままに見て、その客観的なイメージを自分の欲望と恐怖によってつくりあげたイメージと客観的に区別する能力
    ・客観的に考える能力、それが理性。理性の基盤となる感情面の姿勢が謙虚さである。
    ・権威への服従に基づいた信仰のことではなく、自分自身の思考や感情の経験に基づいた確信という「信じること」。
    ・自分の愛は信頼に値するものであり他人のなかに愛を生むことができる、と信じることである。
    ・他人を信じることのもう一つの意味は、他人の可能性を信じることである。
    ・教育とは、子どもがその可能性を実現していくのを助けることである。真逆の洗脳は、大人が正しいと思うことをこに吹き込み、正しくないと思われることを根絶すれば、子どもは正しく成長するだろうという思い込みに基づいている。
    ・他人を信じることを突き詰めて行けば、人類を信じることになる。人間には可能性があるので、適当な条件さえあたえられれば‥。
    ・権力を信じることは信念とは正反対。現在すでにある力を信じることは、まだ実現されてない可能性の発達を信じないことであり、現在目に見えるものだけにもとづいて未来を予想することだ。しか人間の可能性と人間の成長を見落としている。
    ・信念を持つには、苦痛や失望をも受け入れる覚悟の勇気がいる。安全と安定こそが人生の第一条件だという人は信念を持つことはできない。他人と距離をおき、自分の所有物にしがみつくことによって安全をはかろうという人は愛する、愛される勇気がない。
    ・ある他人にたいしてある評価をくだし、たとえそれがみんなの意見とちがっていても、また、なにか不意の出来事によってその評価が否定されそうになっても、その評価を守り通すには、信念と勇気が必要だ。あるいは、みんなに受け入れられなくても、自分の確信に固執するには、やはり信念と勇気が必要だ。また、困難に直面したり、壁にぶちあたったり、悲しい目にあったりして自分に課された試練として受け止め、それを克服すればもっと強くなれる、と考えるには、やはり信念と勇気が必要である。
    ・自分がどんなところで信頼を失うか、どんなときにずるく立ち回るかを調べ、それをどんな口実によって正当化しているか詳しく調べる。そうすれ信念にそむくごとに自分が弱くなっていき、弱くなったためにまた信念にそむくといった悪循環に気づく。
    ・人は意識のうえでは愛されないことを恐れているが本当は、無意識のなかで、愛することを恐れているのである。
    ・愛するということは、なんの保証もないのに行動を起こすことであり、こちらが愛せばきっと相手の心にも愛が生まれるだろうという希望に、全面的に自分をゆだねることである。
    ・愛以外の面で能動的・生産的でなければ、愛においても能動的・生産的になれない。

  • ブクログさんのプレゼント企画でいただいた本で、応募した時はまさか当選するとは思わなかったのでとてもうれしかったです。前から気になっていた本だったので、ちょうどいいタイミングで巡り合うことができて感謝してます!
    そして実際に読んでみると、期待通りの内容でこれはいつまでも本棚にしまっておきたいな、と思った。しまっておきたい、というよりはまたいつか手に取りたい、読み返したいという内容だった。きっとこれは読むタイミングが違うと感じ取るものや学ぶものも変わるんだな、と思った。

    愛は技術である。この本は「愛されるための」本ではなく、「愛する」ための本である。そして愛することはただ「落ちる」ことではなく、能動的なプロセスであることが繰り返し強調されている。昨今「愛されるための秘訣」や「愛され女子」だったり、ひたすら自分がどのように振る舞い、行動をすれば愛されるか、というハウツー本や記事はいっぱい見かけるけれど、愛するための方法を説く本はなかなかないのではないか?と最初に思った。そして読み進めていくうちに、愛することは一朝一夕で何かに取り組めばいいものではないということがよくわかる。何かを、誰かを愛するということは自分の今まで育ってきた環境によってもその行動や感情が左右されるし、そういう意味では誰しも歪んでいて正しい愛はないのだろう。けれど愛するためには信念が必要である、ということはストンと腑に落ちた。そうそう、これだ。これだよ。と四章を読んでる最中に妙に納得してしまった。

    「自分自身にたいする信念は、他人にたいして約束ができるための必須条件である。(…)愛に関していえば、重要なのは自分自身の愛にたいする信念である。つまり、自分の愛は信頼に値するものであり、他人のなかに愛を育むことができる、と「信じる」ことである。」

    私は、愛することは信じることであると思う。愛は金銭の取引の時のような淡泊な心持ちで挑むのではなく、信頼や信念という不確かなものだからこそ難しい。そして誰かを愛するためには、自分のことを信じて、言葉を変えると愛するとができなければいけない。自分を愛する、すなわち自己愛はよくナルシズムだと言われて悪い印象を持たれがちだが(特に日本では)、でもやはり健康的な精神を保つためには自分を適度に愛することが必要なんだと思う。自分より他人を愛することが美徳と言われる世の中であっても、まず自分を信じることができなければその相手に対する愛情も嘘なのではないか?この文章を読んだときにずっと心の中にあった引っ掛かりが取れたような気がした。

    長くなってしまった…この本は決して長くもなければ難しいということもない。200ページという短さでこんなにも濃い内容が詰まっているからこそ、気軽な気持ちで手に取ってもらいたい。これは誰にでも当てはまる内容だし、きっと唸るポイントがどこかに潜んでいると思う。
    そして最後にもう一度、この素晴らしい本を送ってくださったことに感謝します。

  • 原題は『The Art Of Loving』
    愛とは、特定の人間にたいする関係ではない。愛の一つの「対象」にたいしてではなく、世界全体にたいして人がどう関わるかを決定する態度、性格の方向性の事である。
    エーリッヒ・フロムの代表作で、言わずと知れたロングセラー。手元の単行本で2018年で第38刷。勿論恋愛の指南書のような軽い内容ではありません。
    「自分自身の人生・幸福・成長・自由を肯定することは、自分の愛する能力、すなわち気づかい・尊重・責任・理解(知)に根差している。」⇔利己主義(ナルシシズム)からの脱却。
    「集中力を身につけるためには、くだらない会話、つまり純粋な会話ではない会話を出来るだけ避けることが大事だ。…」
    「くだらない会話を避けることに劣らず重要なのが、悪い仲間を避けるということである。私のいう悪い仲間とは、単に悪意ある破壊的な人たちだけではない。そういう仲間は毒をもっていて、こちらを憂鬱な気分にするから、もちろん彼らを避けるべきだが、それだけでなく、ゾンビのような人、つまりは肉体は生きているが魂は死んでいるような人も避けるべきだ。また、くだらないことばかり考え、くだらないことばかり話すような人間も避けたほうがいい。…」
    自分が避けられないように気を付けなければなるまい。

    本書内で語られる宗教感は日本人のワタクシには縁遠さを感じざるを得ない部分が多々あるも、人間の内面を痛いほど考察しており、深層心理学のコーナーに置いてあってもおかしくない内容。
    煩悩の塊である自分を大いに反省を促させられる(笑)

  • 愛や恋愛に関して、180度、私の概念を変えてくれたフロムの著書に感謝。
    主体的に生きること、自分の生命を与えることがどれだけ素晴らしいことか。

  • 誰もがその言葉を知っていて、誰かに求め続けている「愛」。その愛をこれほどまでに理論的に説明し、技術として語るという内容に衝撃を受けた。今まで疑問に思っていた点たちを線で結んで形を与えてくれたような一冊。読まなかったら愛について誤解したままだったかもしれない。自己愛、異性愛、親子愛、兄弟愛、神への愛と、その違いが丁寧に説明されていて本当に勉強になった。

    1956年の本だとは思えないみずみずしい内容。愛というと人間の内面というイメージが強いけど、社会構造が大きく関わっているという話も興味深かった。社会構造と愛についての関係性は今も変わらず溝を深めているように感じるね。

    あとは、ぼくの印象に残った言葉を引用しておきたい。これからも人生において幾度となく読み返していきたい本になった。

    「まず第一に、たいていの人は愛の問題を、愛するという問題、愛する能力の問題としてではなく、愛されるという問題として捉えている。つまり、人びとにとって重要なのは、どうすれば愛されるか、どうすれば愛される人間になれるか、ということなのだ。」

    「愛は能動的な活動であり、受動的な感情ではない。そのなかに『落ちる』ものではなく、『みずから踏みこむ』ものである。」

    「いちばん広く浸透している誤解は、与えるとは、何かを『あきらめる』こと、剥ぎ取られること、犠牲にすること、という思いこみである。」

    「愛の能動的性質を示しているのは、与えるという要素だけではない。あらゆる形の愛に共通して、かならずいくつかの基本的な要素が見られるという事実にも、愛の能動的性質があらわれている。その要素とは、配慮、責任、尊重、知である。」

    「配慮と気づかいには、愛のもう一つの側面も含まれている。責任である。今日では責任というと、たいていは義務、つまり外側から押しつけられるものと見なされている。しかしほんとうの意味での責任は、完全に自発的な行為である。責任とは、他の人間が、表に出すにせよ出さないにせよ、何かを求めてきたときの、私の対応である。『責任がある』ということは、他人の要求に応じられる、応じる用意がある、という意味である。」

    「未成熟の愛は『あなたが必要だから、あなたを愛する』と言い、成熟した愛は『あなたを愛しているから、あなたが必要だ』と言う。」

    「ナルシシズムの反対の極にあるのが客観性である。これは、人間や事物をありのままに見て、その客観的なイメージを、自分の欲望と恐怖によってつくりあげたイメージと区別する能力である。」

    「そして、愛の技術を身につけたければ、あらゆる場面で客観的であるよう心がけなければならない。また、どういうときに自分が客観的でないかについて敏感でなければならない。」

  • 「愛」って何だろう?「無限」ってどういう事?
    2013年はそんな本からスタート。
    「愛される方法」や惚れさせるテクニックより、
    「どうしたら人を愛し続けられるか」の方が難しい。愛するって、信じるによく似ていて、好きって、悔しいに近いってぼんやり思う。

  • 愛は技術。ついつい自分は自分が優しいと勘違いして他者を思いやる努力を怠ってしまう。
    感謝や尊敬の気持ちは意識して相手に伝えようと思う

  • 1956年に書かれたとは思えないくらい、現代にも通用する愛を巡る状況。人は市場原理に支配されたことで、愛することが難しくなってしまった。

    愛することは技術である。
    愛とは「恋に落ちる」ような一時の燃え上がるような感情ではない。愛とは与えるものであり、人として合一になることである。
    人を愛せない人は、自身のことを愛していない。

    愛するために必要なことは、客観性と信じること。客観性とはつまりナルシシズムからの脱却であり、ありのままを見つめること。
    信じるとは可能性を信じることであり、自分自身を信じなければ他者も信じることはできない。

    愛する技術を習得するためには、規律と忍耐と集中が必要。自分1人でもいられるように、自分を律し、今を生きることに集中すること。

    内容的に、キリスト教色が強かったり、ジェンダー観が受け入れがたいところもありますが、そういうところは書いてあることを表面的には捉えるのではなく、一番言いたい核心は何なのかという視点で読むことが必要。

    *以下、メモ
    最近この手の本を読むと思い出すのが、嫌われる勇気で言及されていた、アドラー博士の言う「共同体感覚」である。別のところでは「共通の人間性」と表現されていたこともあった。
    表面的には様々な違いはあれど、人の求めるところは根本では共通であり、それを体感することで他者と一体になる感覚が得られる。私自身、それを体感した覚えがある。
    本著と繋がることとしては、人は誰しも愛し愛されたいと思っているということ。これが共通の人間性であり、これを体感すると人というものが皆同じものを志向する共同体であると感じられるようになる…のではないだろうか。

    うーん、書いててよくわからなくなってきた。また読み返したい。

  • 心の奥底から愛を求めているくせにすべての物が愛よりも重要だと考えている。

     「愛は随分昔にどこかに置いてきた」そんなことをボンヤリと頭に浮かべながら、静まり返ったカフェの中でこの1冊を僕は手に取って読み始めた。ハッとさせられるような文章、深く共感するような文章に引きこまれて僕は魅了された。最初は読むのが恥ずかしいと思ったタイトルだったが、すぐにこの本に夢中になった。夢中になりすぎて、気がつけば渋谷に向かう通勤電車の中でさえ読み始めた。周りにいたサラリーマンやOLがこっちをみて、“愛するということ”というタイトルを見てクスクスと笑った。でもそんな周囲の目線はもはやどうでもよかった。僕は内容に全神経を尖らせ、集中した。
     「愛は何よりも与えることであり、もらうことではない」、この言葉が本書で一番自分の胸に突き刺さった。上手く表現できているかわからないが、“僕”という人生の過去を振り返ってみると、恋人との恋愛において、今までずっとGive(与えること)ではなくTake(貰うこと)ばかり考えて接してきた(ように思う)。そしてそのような僕の横柄で傲慢な態度は、いつも上手く行かずに失敗ばかりしてきた。例えば、遠距離恋愛をした彼女。大学2年生の半ばから3年生の始めまで付き合った同志社大学に通う彼女は特にそうだった。遠距離恋愛だったので2人で会って過ごす時間は少ない。夜行バスにのって僕が大阪の梅田に行き、彼女が神奈川まで来る、みたいな恋愛の仕方だった。詳細は省くがこの恋愛は破綻した。僕が与えられなかった、いや、正確に言うと与え続けられなかったからだと思っている。もうひとつは、「愛とは、愛する者の生命の成長を積極的に気にかけることである」という本書に書いてあることが、2人の距離が離れていたために実現できなかったからだ。直接顔を合わせられるのは多くても月に1回程度。普段の近況報告はメールかスカイプ。
     また、彼女は同志社大学で有名な学生団体の代表をやっていたり、僕の方も何かと忙しかったりして、お互いに連絡する機会が徐々に少なくなっていた。普段の別のことが忙しくて顔も合わせなければ、当然お互いに対関心が薄れていく。お互いが強い関心を持ち続けられないと“愛”という目に見えない“何か”は続かないという当然の事を、僕はこの本を読んだ時に思い出した。
     「愛という技術を習得することが自分にとって最大の関心ごとにならなければならない」ということに対してもとても納得した。「成功、名誉、富、権力、これらの目標を達成する術を学ぶために殆どのエネルギーが費やされ、愛の技術を学ぶエネルギーが残っていない」と本書にあったが、全くその通りだと思う。僕は、自分のスキルアップのためならとてもエネルギーを注ぐ(例えば、英語に関しては毎日25分のフィリピン人とのオンライン英会話に月に5,000円払う)。しかし、「他のどんなことよりも恋愛にNo.1プライオリティを置いているか?」と問われれば、間違いなく「No!」と答えるだろう。僕も含めて、恋人がいない人は、“恋人欲しいな”と心の底では思っている。だが一方で、実際に心のどこかで、「まあ、恋人がいなくても別に困らないからな」と思っている人が多い気がする。
     自分自身に対する関心を超越して、相手の立場になって初めてその人をみることができたときに愛は成立しうるんだと思う。“愛”とは、“愛する者の生命の成長を積極的に気にかけることである”、こんな考え方をもって次に愛する人と一緒に時間を共有したい、そんなサラサラと砂が落ちるような感情を抱いた一冊だった。次に愛する人、いや恋する人に出会うのがちょっぴりと楽しみになる素晴らしい一冊に出会うことができて、課題図書で指定してくださった井下先生に感謝。

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著者プロフィール

【著者】 エーリッヒ・フロム (Erich Fromm 1900~1980年)
精神分析に社会的視点をもたらし、いわゆる「新フロイト派」の代表的存在とされた。真に人間的な生活を可能にする社会的条件とは何かを終生にわたって追求したヒューマニストとしても知られる。著書に『自由からの逃走』『破壊』『悪について』『ワイマールからヒトラーへ』『反抗と自由』ほか多数。

「2020年 『愛するということ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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