やわらかな遺伝子

  • 紀伊国屋書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (410ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784314009614

作品紹介・あらすじ

ヒトゲノムの解読から、人は3万個の遺伝子からできていることがわかった。これでどうして人が「設計」できるのだろうか?愛、知能、性格、行動をめぐる人と動物のゲノム解析の新事実から、遺伝子が何をしているかがわかってきた。遺伝子は身体や脳を作る命令は出すが、すぐに経験によって作ったものを改造していたのだ。「生まれか育ちか」の二項対立の図式は誤っていた。「遺伝対環境」の時代は終りを告げたのだ。20世紀の遺伝決定論と環境決定論の悪夢(ナチズムと社会主義)を断ち切り、ゲノム時代の新しい人間観を樹立する。

感想・レビュー・書評

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  • ヒトをヒトとして決定づけるものは何か?遺伝子なのか、環境なのか。100年以上に渡って繰り広げられた「生まれか育ちか」論争。生まれを支持する側は遺伝子のみが、育ちの側は環境のみが決定権を持つと主張してきた。しかし著者は、2項対立の構図は誤りだと指摘。人間の本性を知るには、双方が補いながら、補強し合いながらヒトを形作っていくとする「生まれは育ちを通して」という立場から見る必要があるとする。

    「遺伝子は、育ち(環境)からヒントをもらうようにできている。事実を理解するには、こだわりを捨てて心を開かなければならない。遺伝子が人形使いとして行動の糸を引いていると見なすのではなく、遺伝子が人形として行動に操られている世界に入っていかなければならないのだ。そこでは、本能は学習に対立するものではなく、環境の影響はときに遺伝子の影響以上に不可逆で、生まれは育ちに合わせてデザインされている。こうした嘘のようなフレーズが、今科学で初めて実証されようとしている。ここで私は、ゲノムの奥深くに潜む意外な話を語り、ヒトの脳が『育ち』に合わせて作られているさまを明らかにしようと思う。言いたいのはこういうことだ。ゲノムの秘密が明かされるほど、遺伝子が経験の影響を受けやすく見えてくるのである」

    このような著者の立場から、「生まれか育ちか」論争に影響を与えた12人の研究者の業績などを整理していく。笑うなどといった人間の普遍的特徴を明らかにしたダーウィン、「才能は血筋だ」と訴えたフランシス・ゴールトン、ヒトはほかの動物よりも多くの本能を持ち「本能を理性と対置するのは誤りだ」としたウィリアム・ジェームズ、不本意ながらもメンデルの遺伝の法則を公にする役割を担ったヒューゴー・ド・フリース、犬の唾液分泌の実験で条件反射を発見したパヴロフ、条件付けにより人格を自由自在に変えられるとしたジョン・ブローダス・ワトソン、精神病を特徴づけるのは個人の経験や経過だとしたクレペリンとフロイト、「人間の行動をもたらす原因は、個人の外部にある」と社会的現象の重要性を指摘したエミール・デュルケーム、イヌイットの生態調査などを通して「文化が人間の本性を形成している」としたフランツ・ボアツ、発達に段階があることを見出し「知能の発達に必要な心的構造は遺伝的に決定されるが、脳の発達のためには経験や社会的相互作用によるフィードバックが必要」と述べたジャン・ピアジェ、ガンのひなの行動から「刷り込み」という概念を打ち出したローレンツ。

    未開の分野で重要な発見や概念の創出に貢献した、上記偉人らの功績をたたえる一方、それぞれの誤りを指摘。「ダーウィンやジェームスやゴールトンの唱えた性格の生得性を認め、ド・フリースが主張した遺伝の粒子性を認め、クレペリンやフロイトやローレンツのいう、幼少時の経験が精神の形成に対して果たす役割を認め、ピアジェが見出した発達段階の重要性を認め、パヴロフとワトソンが指摘した、大人の精神を作り変える学習の力を認め、ボアズとデュルケームが訴えた文化と社会の自律的な力を認めることもできたのではないか。これらすべてが同時に正しいこともありうる、と彼らは言えたかもしれない。学習は、学習する生得的な能力なしには生じ得ない。生得性は、経験なしには発現され得ない。ひとつの考えが正しいからといって、ほかの考えの誤りを明らかにしているわけではないのだ」といい、本書の中で紹介した実験は、「遺伝子がいわば感受性のかたまりで、生物に融通性を与える手段であり、まさしく経験のしもべであることを間違いなく示している。『生まれか育ちか』の時代は終わった。『生まれは育ちを通して』の時代よ、万歳!」と結ぶ。

    時間や経験によって、発現やその抑制を繰り返す複雑な遺伝子のシステム。いつ、どこでどんな経験を与えると、どんなヒトが完成するのか ―。その答えが導きだせないからこそ、ヒト(や他の動植物)の神秘性は増し、多種多様な1人1人の人格をかけがえのないものとして受け止められるのだろう。同時に、人間そっくりロボットが完成する日はまだまだ先だな、と安心もする。

    • yumiitさん
      難しそうやけどおもろそうやね。これ読んでみるわ!
      難しそうやけどおもろそうやね。これ読んでみるわ!
      2010/06/03
    • 色めがねさん
      >yumit

      うん、めちゃ詳しい。生物学の基本への説明がもう少しほしい、と思ったけれど『”やわらかな”遺伝子』というタイトルはピッタリ、だ...
      >yumit

      うん、めちゃ詳しい。生物学の基本への説明がもう少しほしい、と思ったけれど『”やわらかな”遺伝子』というタイトルはピッタリ、だと思わされる。
      2010/06/04
  • ”チンパンジーの睾丸の大きさはそれだけ見ても統計的な意味はないが,ゴリラの睾丸と比べると意味が出てくる.これこそ比較解剖学の真髄である”
    →データと着眼点の重要性を示す一言
    ヒトのオスの睾丸の大きさはゴリラより大きくチンパンジーより小さい→不貞なオスがある程度いることを示している?


    ”生まれか育ちか論争”は不毛

    同じ類人猿でもチンパンジーとゴリラは食生活も社会システムも生殖における戦略も違う

  • 生まれか、育ちか?この本は育ちを通して生まれを。遺伝子は生命の青写真ではない。約四万の遺伝子は柔軟に環境に適応して変わっていく。もう二項対立ではない。育ち(環境)を通して生まれが変化していくのだ。文章が、翻訳のためか、すっと頭に入ってこないところが多かった。ちょっと残念。

  • ★科学道100 / 未来のはじまり
    【所在・貸出状況を見る】
    http://sistlb.sist.ac.jp/mylimedio/search/search.do?target=local&mode=comp&materialid=10400765

  • 原題は、”nature via nurture"で、「育ちを通じた生まれ」というもの。英語の慣用表現"nature vs nurture"(生まれか、育ちか)をもじったもの。

    この原題タイトルがまさにすべてをいい現しているな。ここまで本の内容をタイトルに圧縮できている本は、ドーキンスの「利己的な遺伝子」くらいじゃないだろうか。

    つまり、これまで「生まれか、育ちか」という視点で、遺伝子決定論的な立場と環境決定論的な立場が、さまざまな観点から議論を繰り広げてきたのだが、この問い立てがあまり意味のないもので、遺伝的なものも、環境的なもの、つまり家庭、教育、文化などなども当然影響があるので、そのうちの一つだけが決定するというようなものではないのだ。どれも影響している。

    というと当たり前のようだが、ここからが、著者の冴えている所で、どれも大切なのだが、遺伝子はなんだか人を制約するものというふうにとらえられ勝ちだが、そうではなく、人がいろいろなことをすることを可能にするためのものなのだ。

    なので、遺伝的な性質は、その人が置かれた環境のなかで、発揮されたり、発揮されなかったりするようなものなのだ。

    つまり、生まれは、育ちを通じて、発現するものであり、両者は相互的なプロセスなのだ、ということ。

    といっても、彼が批判しているのは、線形的な決定論で、すべての結果には原因がある式の思考である。遺伝的な要素も環境的な要素もそれぞれがかなり決定的なところがあるのだが、複数の要因がからむので、決定論的であっても、そんなに単純ではない。つまり、非線形的な決定論、という複雑系的な結論に到達する。

    という世界の中で、決定論も自由意志も、これまた、どっちか?と問いを立てること自体、これまた無意味ということになる。

    一見、当たり前のことを言っているようで、私たちがハマり勝ちな思考のクセを心地よく揺さぶってくれる本であった。

  • 氏か育ちかの問題に取り組んでいる本。生まれは育ちを通して(Nature via nurture)という言葉が印象的かつ、その言葉の理解を促すようにわかりやすく書かれている。
    ナニナニの遺伝子があるという俗説を否定しながら、それでも遺伝子が私たちを形作っているのですと言い切る根拠を与えてくれる。

    決定論者な皆様へ、世の中はもうすこし、やわらかい。

  • 人間を決めるのは、生まれか育ちか。この論争は今や、遺伝子か環境か と読み変えられて続いている。
    9月1日の読売の夕刊で紹介されていた。

  • 生まれか育ちかといった長年の論争に関する発見の歴史を通して、遺伝子発現のメカニズムについて語る。本能、意識、知識、経験、成長、才能といった個の源泉について、様々な角度から行われてきた実験を通して本質に迫る。

    本筋からはずれるけど「言語は手話が先行して発達し、わりと近い過去に言葉を使った会話へ移行する能力を手に入れた」とする説が興味深く思えた。

  • 原題"Nature via Nurture"に言いたいことは尽きている感じ。
    「生まれ」は変えられないが「育ち」は変えられる、のような単純な見方を否定する、そんな本です。
    個人的には、例えば、胎児環境のような「育ち」側に属するような問題が、果たして変えられるだろうか?という例えが印象に残った。

  • やわらかな遺伝子

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著者プロフィール

マット・リドレー(Matt Ridley):1958年、英国ニューカッスル生まれ。オックスフォード大学で動物学を専攻。『エコノミスト』誌で科学記者となる。著書に、『赤の女王』『繁栄』『進化は万能である』(いずれも早川書房)などがある。

「2024年 『徳の起源 他人をおもいやる遺伝子』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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