超心理学――封印された超常現象の科学

著者 :
  • 紀伊國屋書店
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感想 : 17
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  • Amazon.co.jp ・本 (388ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784314010986

作品紹介・あらすじ

超心理学の研究内容や成果を解説するとともに、それらが学問として受けいれられない背景を明らかにし、科学のあるべき姿を問う。テレパシー、透視、念力などの解明を目指す学問の第一人者による、渾身の書き下ろし。

感想・レビュー・書評

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  • NHKの幻解!超常現象ファイルって番組を見てて、読んでみたくなった。

    テレパシー、透視、予知などを真面目に研究する難しさ。「そんなもんオカルトでしょ?神秘主義でしょ?科学じゃない」って見方がある以上、実験にはとんでもない厳密さが求められる。でも、人間の、それも心の部分がからむものであるゆえ、どんなに条件を厳しくしても、「誰が」「どんな思いで」実験するかによって、結果が変わってしまう。となると、そんなデータは信用できないとなってしまうスパイラル。よって、本流の科学からは黙殺される構造だと。

    文中で「なるほど」と思ったのは、あらゆることに心を開き、驚き面白がれる感性を持ちつつも、徹底的に疑って厳しい証拠を求める姿勢も持つ、両方が大事だよ、ということ。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「両方が大事だよ、ということ。 」
      まだまだ判らないコトが一杯だなぁって言う謙虚さとね。。。
      「両方が大事だよ、ということ。 」
      まだまだ判らないコトが一杯だなぁって言う謙虚さとね。。。
      2014/05/29
  • とかく、キワモノとして扱われることの多い超能力や、霊魂仮説について、厳密に科学的研究しているということが報告されている。実際には、統計学的に有意とされるあらわれもあるようだが、なかなか科学として一般に認知されるまでには、まだまだ遠き道のりのようである。

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/58395

  • 超能力というとどうしてもマンガや映画のような派手な能力をイメージするが超心理学で扱われる実験内容はとにかく地味である。

    しかし厳密な方法による実験だからこそテレパシーや透視、予知などの現象に信憑性が生まれる。

    とはいえこの本を読んでも超能力はあるか?ないか?という結論は出てこない。

    むしろ答えが出ないところに超心理学の科学としての役割があるのだろう。

    真面目に学問している人たちにとってはなかなか報われない分野だと思うがぜひ研究を続けてもらいたいです。

  • 念力やテレパシー、透視などの「超心理現象」をさまざまな角度から解説している。第6章「マスメディアの光と影」は、科学とメディアに関するリテラシー論として大いに役立つ。著者は超心理学研究がライフワークとだけあって、熱量・情報量ともに充実。巻末の読書ガイドが超心理学業界事情を覗いているようで、意外と楽しめた。

  • 「超心理学」というジャンルがあるのも知らなかったが、内容も幅広く、俗にいう「超能力」などに対する精緻な研究や実証実験があることも知らなかった。
    さらに驚くべきことに、もはや公平で科学的な実験で、すでに何らかの力があることは証明されてると聞いてびっくり。確かに量子科学の先端では、観察者効果とかもあるし、色々な世界がリンクしているのかもしれない。

    何よりもこの本では、そういった様々な現象を否定も肯定もせず、あくまでも科学的に検証していく事が重要というスタンスが貫かれており、肯定派や賛成派の様々な考え方や立ち位置、過去からの流れなども詳しく載せてあって色々参考になった。

    面白いのがトーマス・ギロビッチ!などが否定派(確かに著作で超常現象を否定していた)としてやり玉にあがるだけでなく、アメリカにはサイコップという超能力の懐疑論者が集まったグループがあることで、アイザック・アシモフ、カール・セイガン、リチャード・ドーキンス、ダニエル・デネット等のそうそうたるメンバー。
    それだけで否定論や懐疑論が幅を利かせるのがよくわかる。

  • 普通に自然科学を理解していけば超常現象に迫れます。
    超心理において立てる仮説には最高の知恵が必要なはず。
    未知の現象を科学するためには多角的な実験が必要なはず。

  • こういう分野があるんだというのと、
    この分野の研究者がいかに虐げられ、
    いかにつまらない要因を排除するための厳密な実験デザインを行ってきたかというのを知った。
    資料が豊富に提示されているのも嬉しい。

    とはいえ自分の目で確かめない限りは鵜呑みに出来ない。そういう見解もあるらしい、程度に。
    あと「超心理学」っていうのが胡散臭く思えるからもっと違う名前付けたほうがいいんじゃないかなあ。

    この本で挙げられている超心理学の研究が、現象が存在することを報告するものばかりで、メカニズムに踏み込んだものがほとんどないのはなんでだろう

  • 広く一般読者を想定して書かれたものなのだろうが、何しろ読みづらい。後半にカール・セーガンの文章を引用しているが、その差が歴然としている。また、あまりにも著者へ安直な電話が多いので、HPにこういうFAQを載せたとかの報告が多い。自称能力者に対しては、結構な課題を出して、できるようになったら連絡して来いという。研究室の実験では偶然平均をわずかに上回るだけでも成果があったとされるのにもかかわらず。超心理学がいかに科学的かと力説する一方で、監修したドラマでは、見映えを考慮して実験で使う目の覆いをはぶいたりもする。

    科学の先端は、常に不確定なグレーの状態に挑んでいるものだが、超心理学以外の科学ではもっと少ない実験で想定している前提の見直しを行っていると思う。しかし、ESPの存在確認や能力者探索のための研究に終始している印象。

    ESPの発現に社会的状況が深く関わっていることを示すヒツジ・ヤギ効果を調べた実験も、いわば存在確認で、どのようにしてESPの知覚が得られるのかの解明はない。この分野では同じ実験者が再実験しても同じ結果が再現されないことが多くあるとか、能力者が実験に関与するだけで、スコアが高くなるとかなかなか難しい。

    集合無意識が乱数発生器に偏りを生じさせるところは、昔からよく言われる『張り詰めた空気』という言葉を思い出した。 また、視野検査に使われる機械はうまく工夫すると予感実験に応用可能かも。 下降効果も、超心理現象恐れた人類が実験を失敗に導くとか、実用情報の加味などで説明してるが、単純に新鮮さが失われただけでは?

    質問してきた受講者に著者が、「霊魂なんて持ち出すと科学的でないからダメだ」というくだりを読んで、小林秀雄ならどう考えるだろうなと考えた。

  • 現在の日本における「超心理学」の第一人者というべき
    著者による、その学問分野の概説書であり、
    これまでの「封印された歴史」を解き明かしていく読み物でもある。

    超心理学に関しては、私も全然知識がなく、
    正直いって著者の分類(p.323)についていえば、
    「科学的世界観擁護者」のような立場だと自分を認識していたのだが
    (海外で超心理学に懐疑的な団体の構成員がR.ドーキンスやS.ピンカーと
     いった私に影響を与えた科学者たちであることにも関係するかもしれない)、
    本書を読んでみると、超心理学を誠実に希求する科学者たちが、
    どれほど科学性を重んじて、データの収集や分析を丁寧に行っているかが
    理解できるようになった。
    そういった精緻な分析を経てもなお、現代科学では説明のつかない
    「有意な」現象が存在しうるというのは、
    単純な科学信奉論(ある意味では感情的コミットメントでしかない)を
    良しとせずに、可能性を追求してみることこそが、真に科学的な態度なのでは、
    と感じるようになった。

    もちろん、なぜカードの透視や予知が成り立ちうるかの説明は、
    まったくもって存在しないに等しいのだが(だからこそ超心理学なのだが)、
    かつてトマス・クーンが指摘したように、
    今日に至るまでの現代科学自体が、大胆な仮説による既存パラダイムの否定の
    上に成立してきた、いわば非線形な発達事象であることを忘れてはならないと思う。
    量子力学が確立したことで古典物理学は「古い」ものになったのだし、
    その前には天動説やら燃素やらを既成事実として扱っていた歴史があるのだから。

    超心理学者にも、科学的姿勢を貫けない人もいるし、
    懐疑論者にも、結論ありきの感情論を振り回している人がいる。
    それくらいに、超心理学という分野自体が、専門家たちの心も乱してしまう
    ものなんだなぁ…と思うのである。
    いわんや、マスメディアや一般市民をや。

    p.289から引用されている、故カール・セーガンの懐疑論者としての、
    しかしながら「誠実な科学姿勢」に満ちた言葉を、関係者は皆、心に留める
    必要がありそうに思えてくる。

    本書で優れた指摘の1つはp.194にある
    「超心理現象は人間くさい能力発揮の産物」ということだろう。
    つまり、どんな環境でも発揮できるスーパーパワーのようなものでは
    まるでない、ということが蓄積された知見から見えてきている、ということで、
    これは説得力がある。

    徹底した科学合理論型批判者からすれば「そんな人間くさいなど科学ではない」
    ということになりそうだが、
    そんなことを言い出したら、ほとんどの社会科学のデータはいんちき同然になりそうだし、
    人文科学に至ってはもう、ただの妄想オンパレードということになる。
    (ソーカル事件で巻き起こった批判と何かリンクする感じもする)

    少なくとも超心理学は、極めて自然科学的な誠実さに立脚している以上、
    その筋の批判は的外れな気がする。
    ただし、なぜか能力発揮は、とってもメンタル的な繊細さが要求されるのだ…。

    私が思うのは、
    そもそも人類は宇宙論に結論が出ていない時点で(インフレーション仮説とかも
    結局はまだ仮説のままだし、超ひも理論も理論だし、膜宇宙も理論だし)
    その後の産物である生物の能力についても全部を分かったなどと言い切る根拠は
    どこにあるんだ、っていうかないだろう、っていうこと。

    という意味では、どっちかというと超心理学派ってことになるのだろうね(笑)。

    著者曰く、超心理学は風前のともしびらしいが、ぜひ消えないで続いてほしい。
    超心理学がしっかり研究されることが、結局のところオカルト、変な宗教やインチキ奇跡を
    排除する、ひとつの強力なツール(毒をもって毒を制す?)になると思うから。

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著者プロフィール

1959年東京生まれ。明治大学情報コミュニケーション学部教授。東京工業大学理学部応用物理学科(生物物理学)卒。同大学院物理情報工学専攻、企業の研究所や政府系シンクタンクをへて、1997年に明治大学に赴任。人工知能技術を遺伝子情報処理に応用する研究で博士(工学)を取得。専門は認知科学で、生物学と脳科学と心理学の学際領域研究を長年手がけている。著書に、『生きづらさはどこから来るか』(ちくまプリマ―新書)、『人間とはどういう生物か』(ちくま新書)、『ざんねんな職場図鑑』(技術評論社)、『なぜ疑似科学が社会を動かすのか』(PHP新書)、『だまされ上手が生き残る』(光文社新書)ほか多数。

「2022年 『だからフェイクにだまされる』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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