銀座Hanako物語――バブルを駆けた雑誌の2000日

著者 :
  • 紀伊國屋書店
3.47
  • (1)
  • (6)
  • (10)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 91
感想 : 12
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784314011143

作品紹介・あらすじ

1988年6月,日本初の女性を対象とするリージョナルマガジン『Hanako』が誕生した。読者を首都圏在住の27歳女性に位置づけたこの週刊誌の編集スタッフはほとんどが年若い女性たち,86年には均等法が施行され,世はバブルの好景気にわいていた。ブランドバッグにスイーツ…幾多のブームを生んだ雑誌の創刊期を当時の編集長がいきいきと描いた貴重な時代証言。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 「雑誌が時代を作る」というのは、もはやほとんど望むべくもない。
    ただし過去にはそういう雑誌がいくつか存在していて、『Hanako』は間違いなくその1つであっただろう。
    1988年創刊、高級ブランドやレストランの特集を中心にバブルの盛り上がりに一役も二役も買ったであろうこの雑誌の、創刊時の編集長が当時を振り返る一冊である。
    自分が入社して某誌編集部に所属してから先輩にさんざん聞かされた「バブル期の雑誌の作り方」が、ここには詰まっている。とにかく、お金の使い方が今から考えれば尋常じゃない! そして、編集部内もブランドの広報も(途中から「プレス」に呼び名が変わっていくのもHanakoの功績だろう)、女性が元気すぎる! 88年~93年ごろの東京がいきいきと綴られている、資料集のようでもある。

    最後に、僕の18歳の誕生日(90・4・12)に発売された号の「いかにもHanako」な特集見出しを引用しておく。
    『イタリアンデザートの新しい女王、ティラミスの緊急大情報――いま、都会的な女性は、おいしいティラミスを食べさせる店すべてを知らなければならない』

  • ふむ

  • 積読本をかたづけようシリーズ。

    1988年6月に創刊された『HANAKO』。キャッチコピーは「キャリアとケッコンだけじゃ、いや。」
    バブル時代とともにブランドブームを牽引した5年間を創刊編集長の椎根和が語る。

    本書が発売されたのは2014年なんですが、意図的にやっていると思われるチャラい悪文が非常に読みにくく、何度か挫折してやっと今回読了しました。

    『HANAKO』がいちばん売れていたであろう1988年〜1992年頃は、まだ学生でたいしてお金も稼いでいなかったので、売れているのは知っていたけどあまり手にとることはなかったです。(どちらかというと『anan』派。)

    東京首都圏限定販売のリージョナルマガジンだったことも今回初めて知りました。

    当時のマガジンハウス人気はほんとにすごくて、雑誌編集デスクが「最近の子はみんなマガジンハウスみたいな文章を書く」と嘆いていたのを覚えています。
    (『HANAKO』創刊から3年後にはマガジンハウスの初任給は33万円だった。)

    『HANAKO』に掲載した銀座三越のパンの焼き上がり時間がまちがっていて、まちがった時間にお客さんが行列してしまうので、『HANAKO』の影響力を知った三越がパン工場に焼き上がり時間を変更させたとか、女性編集者が贅沢になって海外取材の7割はビジネスクラスを使用したとか、今では信じられないような話がポンポン出てきます。

    (銀座から神楽坂までのタクシーがつかまらず40分待ちという話も出てくるんですけど、40分待つなら電車じゃダメなのか?)

    副編集長・柿内扶二子は向田邦子担当で、1981年に彼女の訃報を聞くとマンションに駆けつけ部屋からマスコミに見られてはいけないものをかたづけたというエピソードもおもしろい。

    その柿内が「この子、お柿に似てるから何か書かせてやって」と連れてきたライターがのちの豊崎由美だとか、「マネー・ゲーム」のタイトルで連載を書いていたのが当時は普通の主婦だった荻原博子だとか、ライターも編集者もブランドのプレスも変人のツワモノ揃い。

    1992年度の『HANAKO』の広告売上は日本の全雑誌中2位の50億円。(1位は『anan』で65億円。)週に140本の広告が入り、1ページの広告価格が100万円なので、毎週、偽100万円札を140枚印刷している気分だったと椎根は語っている。
    (別のページでも「偽金づくりをやっているような仕事」と言っている。)

    新雑誌創刊時と編集長交代時に社内権力やらが絡むのは出版社あるあるという感じ。

    シャネル、エルメス、ティファニー、まだデパートに店舗をもっているだけだった海外ブランドやティラミスなどのスイーツ、当時の流行は『HANAKO』が生んだというより編集部の「クレージーな女の子たち」に時代を先取りして読む力があったように感じます。(当時のマスコミや広告会社に流行を生む力があったのは事実ですけどね。)

    以下、引用。

    「創刊数年後、『女性自身』は読者参加型のある企画を発表した。それまで侮蔑的なニュアンスが強い「BG(ビジネスガール)」と称されていた働く女性の略称に代わる言葉を公募し、「OL(オフィスレディ)」と呼ぶようにしたのだ。そのキャンペーンは見事に成功し、今でもマスメディアは、OLという言葉を使っている。椎根は大新聞やほかの雑誌がたちまちOLという横文字を使いはじめたのを、手品を見せられているような気持ちでながめ、世間が深く考えもしないで使っている言葉は、ある人のたくらみですぐ変えられるのだということを学んだ。」

    「東京二十三区の持ち家に住むオヤジたちはビールを片手に、この家と土地を売れば、ビバリーヒルズの大スターの家が買えるんだよ、と自分の娘に自慢した。それが真実であったところが、バブル時代の恐いところである。」

    「『HANAKO』が人気雑誌になったあと、これまでの雑誌名とひと味違う誌名は、堀内(誠一)の長女の名から採ったのだと噂された。遺された堀内の二人の娘は、花子と紅子といった。」

    「わたしだったら、皇太子と結婚しても、外務省に勤務し続ける、東宮御所から自転車で霞が関まで通勤する」

    「ほかの女性誌ー男性誌も含めてだがーが絶対やりそうもない企画を、思いつきだけで無理やりやるのが、『HANAKO』の流儀で、それは編集者にとってひそかな勲章のようなものだった。」

    「イタリアンデザートの新しい女王、ティラミスの緊急大情報ーいま、都会的な女性は、おいしいティラミスを食べさせる店すべてを知らなければならない」
    93号(90.4.12)

    「いまから予約しないと、聖夜にひもじい思いをする ‘90 クリスマス・ディナー予約&テーブル指数徹底情報ー青山・原宿の店139軒」
    118号(90.10.18)

    「この1冊でボーイフレンドが3人増える! ラクしてキレイになる場所136軒大情報」
    157号(91.8.1)

    「パリ、NY、ミラノ、そして東京で爆発 いまや〈クレーム・ブリュレ〉は世界のNo1デザート まず、発音をお勉強してから、オーダーしてください」
    162号(91.9.12)

    「新しい彼とひそかに行きたいお店ばかり 自由が丘50軒大情報」
    166号(91.10.10)


  • ノンフィクション
    雑誌

  • 青鞜の平塚らいてうの宣言「元始、女性は太陽であった」に負けないくらい時代を変えたのがHanakoのキャッチコピー「キャリアとケッコンだけじゃ、いや」だと思ってきました。80年代の終わりから90年代にかけて東京リージョナルの女性の消費の欲望の蓋を開け、酒と薔薇の日々ならぬバッグとスイーツの日々(バブル)をもたらし、さらにはブランド旗艦店が立ち並んでいる今に至る銀座のランドスケープを変えた雑誌を舞台に自分の欲望に徹底的に忠実な女神たちが仕事しまくる(そして買いまくり食べまくる)物語。「働き方改革」なんてことが大テーマになるなんて想像もしてなかった時代があって、消費そのものがクリエイティブと無邪気に信じることができた時代があって、それは東京と地方を徹底的に分断させる時代であって、そして日本は国内総需要がうんともすんとも動かない国になったのでありました。「わがまま」が否定じゃなくて肯定のニュアンスを持ち始めたあの頃の感じ、思い出すなあ…

  • 『Hanako』!懐かしい!!今は手に取ることもなくなったけれど、かつては本当にお世話になったもんだった。有楽町の飲み屋で、様子が分からなければ若いOLには入りづらそうなお店なんだけどHanakoで紹介されてたからと行ってみたら、お店の人に「最近はあなたのようなお客さんが増えた」と言われたっけ。あと掲載された広告で一番驚いたのはドバイ観光局で、私は仕事がこの辺りと関係があったのでよく聞く地名だったけれど、当時は「ドバイ?それどこ?」って人が多かった。ドバイから帰ってきたら、成田の税関で「ドバイ?まさか観光で行ってたんじゃないでしょうね?」と言われたもんだった(そのまさかの観光だよ!)。そのドバイが観光局?しかもHanakoに?と驚いたんだけど、今や・・・だもんね。いやはや。巻末に主要目次が掲載されているけれど、せっかくだから表紙とか中身とかカラー図版があったら良かったのにな。

  • 後藤佳世子「ニューヨークキャリアシーン」懐かしい
    今でも国連にいるのかな

  • 同時代にハナコを読んでいないため、文化史のような意味合いで面白かったです。編集部はリゲインの24時間戦えますかCMのような毎日です。ちょっと前に三省堂の辞書の本を読んだので、同じ編集の仕事でも、所変われば登場人物のキャラクタが異なりますが、仕事に対する熱し方は同じに思いました。今や広報は雑誌以上に、WEBサイトや口コミの登場回数に影響を受けているように思われ、購入する方法も店頭に加えネット利用の手段が加わりましたが、当時の雑誌掲載の影響力と、百貨店等の対面販売の売り上げはこうも密接に関係しあっていたのかと驚くばかりでした。自分の稼ぎの分は、銀座でお買い物して、良い食事をして、さらに旅行してそこでも買い物して、消費したいよねという空気を濃厚に感じました。

  • 私の青春と共に過ごした雑誌ハナコ。
    バブル期だからできた事と、読者層が時代と共に替わるので、その辺のギャップをどう対応しているか?気になるところだが、それは現編集長の力量で、著者はいい時代の編集長。

    ちょっとウチ(ハナコ)が一番に目をつけた的な自慢が鼻につくか。

    14/05/03-23

  • 「キャリアとケッコンだけじゃ、いや。」このコピーは現代ではどう解釈されるんだろう?バブル時代の単なる自慢話にも取れるし、こんな事書いて大丈夫か?という暴露話も多くてバブル時代を揶揄しているようにも取れる。
    こうして1冊の本で振り返ると、均等法とバブルで女が持ち上げられた異常な時代だっただけというのは、その時代に生きた人にはわかるはずもなく、後になってわかる事であり、その点ではバブル時代の消費文化の歴史の本としても読める。
    著者が自分を3人称で語るという形式にはちょっと違和感があり、最後まで慣れなかった。三島由紀夫がブランド好きだったというのがちょっとイガイ。

全12件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

編集者・作家。一九四二年福島県生まれ。早稲田大学第二商学部卒業後、「婦人生活」編集者に。その後、平凡出版(現マガジンハウス)で「平凡パンチ」「アンアン」の編集に携わり、講談社開発室、「日刊ゲンダイ」創刊編集長を経て、以後、「ポパイ」チーフディレクター、「オリーブ」創刊編集長、「週刊平凡」編集長、「Hanako」「Comic アレ!」「LIKE A POOL」「リラックス」の創刊編集長を歴任。関わった雑誌は十一誌に及ぶ。
著書に『VR的完全版 平凡パンチの三島由紀夫』『POPEYE物語』『オーラな人々』『銀座Hanako物語』『フクシマの王子さま』『希林のコトダマ 樹木希林のコトバと心をみがいた98冊の保存本』、荒井良二との共作絵本に『ウリンボー』がある。

「2023年 『49冊のアンアン』 で使われていた紹介文から引用しています。」

椎根和の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×