社会はなぜ左と右にわかれるのか――対立を超えるための道徳心理学

制作 : 高橋 洋 
  • 紀伊國屋書店
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レビュー : 34
  • Amazon.co.jp ・本 (616ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784314011174

作品紹介・あらすじ

理性に訴えるリベラルは、感情に訴える保守には勝てない――気鋭の社会心理学者が、従来の理性一辺倒の道徳観を否定し、感情のもつ力強さに着目した新たな道徳心理学を提唱する。豊富な具体例と、進化心理学や生物学、哲学、社会学などの幅広い知見を応用した説得力のある理論で道徳を多角的に分析し、明快に解説した全米ベストセラー。

感想・レビュー・書評

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  • リベラルと保守は陰と陽の関係にある。両者とも健全な政治に必要な要素。リベラルはケアの専門家で、既存の社会システムの歪みによる犠牲者を見分け、状況の改善を求める。一方、自由を神聖視するリバタリアンと特定の制度や伝統を神聖視する保守主義者はリベラルの改革運動に対し、釣り合いを取る役割を果たしている。道徳は人々を結びつけると同時に盲目にする。従って異なる道徳を持つ人と出会ったら、即断せず、共通点を見つけ、信頼関係を築けるまでは道徳の話を持ち出さない。持ち出す時は相手に対する称賛の気持ちを忘れないように。

  • 地政学・戦略学博士の奥山真司さんがおすすめしていたので読んでみた。人間は理性的であるべきだしそういった人物によって統治されるべき、という哲学者の言葉に疑問を感じていたので(で、そんな超人はどこにいるの?)なぜ哲学者や合理主義者がそんな事を主張するのか納得はしないが理解の手がかりになった。リベラリストにとっては耳の痛い話が多いと思う。注釈が死ぬ程多いので少し読みづらい。日本、米国、欧州では保守とリベラルの定義が少しづつ違うのでそれを理解していないと混乱するかも

  • 原題は「正義の心」副題は左右ではなく政治と宗教。
    左右に分かれる理由ではなく、分断されてしまう理由を考察している。
    内容はそれなりに興味深いが文章がおそろしく読みにくい。


    政治や道徳の話になると、牽強付会にもほどがあるこじつけを堂々と語る人がいる。
    自分と違う立場の人のトンデモろんりを見ると、よくここまで破綻した主張ができるなと思う。
    でもあっちからは私がこう見えるんだろうとも思う。
    多様な価値観を認めたいのに、それを否定する人を見ると、道徳的な差異を許せなかったり脅威を感じたりもする。
    なぜそうなってしまうのか、道徳を巡る心理的メカニズムを説明する部分は面白い。

    これはリベラルが保守を理解するための本。
    その逆ではない。リベラルなつもりだった著者が自分の実感にもとづいて書いた本だから。
    ゆえに、双方向の橋渡しをするには力不足かな。
    保守がこれを読んでも「これだからリベラル(笑)は」にしかならないと思う。

    リベラルの「道徳」は精製されているから、他の「道徳」の雑味を理解できない。ってのはなるほど。
    論理に忠実であろうとすると潔癖かつ排他的になりやすいかも。


    後ろに行くにつれて著者の主張が目立ってくる。
    特に宗教と政治は著者の「道徳」に引きずられている。
    「道徳は人を結びつけるが盲目にもする」という本だから、著者自身の無自覚な偏りが目についてしまう。
    元リベラルを自称するにもかかわらず、保守もリベラルも「彼ら」としてしか語らない、ひとごと全開な姿勢が気に入らない。


    読みたい内容ではあるけれど読むのに時間がかかった。
    文化もしくは価値観の違いにつまづき、不適切な比喩と論理の飛躍に疑問を感じる。そのうえ訳が悪文。
    いろんな意味で読みにくい。

    先行研究の引用も半端だから、対照群はどうなのかとか因果は本当にそっちかとか、納得できない部分が多い。
    この調査に私が答えたら、私の意図とは真逆の解釈をされてしまうだろうと思うところがいくつもあった。

    リベラルは/哲学者はこう主張するが云々というフレーズがよく出てくるが、誰の主張なのか書かれていない部分が多い。こんなに注だらけの本なのに。
    こういうのも、仮想敵を肥大させるパターンじゃないのかなあ。

    書き方がわかりにくすぎる。
    この本を読むと「疑念がわくのは信じたくないがゆえのバイアス」だろうかと考えてしまうけれど、私はこの内容を信じたい派だ。
    内容以外のところで頭を使わなければいけないので疲れる。

    性的「嗜好」という訳語はいまどきどうなの。


    リベラルが保守を知ろうとする本なら
    『社会運動の戸惑い』http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/4326653779のほうがしっくりくる。

    追記
    『一冊で知るキリスト教』http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/441531550Xを読んだらちょっとわかった気がする。
    自由を拒むようにみえる保守(カトリック)は、広い道徳(聖人信仰など)を包摂しているのに対し、論理(聖書)を重んじるリベラル(プロテスタント)はひとつの価値観(三位一体)を絶対視する。
    この本で描かれる「リベラルの狭い道徳」は、「プロテスタントの一神教」と考えたほうが私には納得できる。
    私の考えるリベラルは著者の描くリベラルよりも多神教的だから、書いてある感覚がしっくりこなかったみたいだ。

  • 哲学
    社会

  • 集団行動の中でも、集団同士に分断が起きるのはなぜか興味があって手に取った。
    が、興味が変わったのでパラパラとめくって終わり。

    心には象(直感)と象使い(理性)があり、直感に反する論駁は反発を受けると言うのは感覚的にもわかるなと思った。

    個人の中のイデオロギーが形成されていく過程はもうちょっと勉強したい。

  • 読了できず

  • 書名の通り政治思想が中心のテーマだが、内容は認知心理学に始まり、協力・社会集団の進化、宗教にも及ぶ。正直に言って前半は退屈だったが、後半はがぜん興味深く読んだ。

    社会保守主義者が志向するエミール・デュルケーム流の社会観は、基本単位は個人より家族で、秩序、上下関係、伝統が重視される。それに対して、リベラルが擁護するジョン・スチュアート・ミル流の個人主義的な社会観は、多数者を統一体に結びつけることは困難であると考える。

    すべての動物の脳に備わっているスイッチのようなものであるモジュールの概念を用いて、社会生活において道徳の基盤となる普遍的な認知モジュールを特定した。

    6つの道徳基盤
    ケア/危害
    公正/欺瞞
    忠誠/背信
    権威/転覆
    神聖/堕落
    自由/抑圧

    YourMorals.orgの道徳基盤質問票によって13万人以上を対象にしたデータによると、ケアと公正はリベラルの方が保守主義者より高く、忠誠、権威、神聖は低い。リベラルはケアと公正を他の基盤よりはるかに重視し、保守主義者は5つの基盤をほぼ等しく扱う。リベラルは、貧者に対する思いやりと、政治的な平等の追及を重視する。

    公正さについては、左派は平等ととらえるが、右派は各人の貢献度に応じた比例配分として考える。自由についても、リベラルは弱者の権利に強い関心を抱き、政府による保護を期待するが、保守主義者は政府などの強者から干渉されない権利としてとらえる。

    雑食動物は、新たな食料源を見つけることができる点で優位性を持つが、安全性に注意を払って探さなければならない(雑食動物のジレンマ:ポール・ロジンの造語)。リベラルはネオフィリア(新奇好み)の度合いが高いが、保守主義者はネオフォビア(新奇恐怖)の度合いが高く、境界や伝統の順守に大きな関心を持つ。脅威や恐怖に対する脳の反応は、神経伝達物質のグルタミン酸とセロトニンの機能に関わり、新たな経験や感覚を求める意欲はドーパミンとの関係が高い。どちらも遺伝子の違いに起因し、子どもの頃から老年に至るまであまり変わらない。

    人間は、近隣の個体同士の闘争を通して心が形成されたという意味でチンパンジーであり、集団間の情け容赦ない闘争を通じて心が形成されたという意味でミツバチでもある。私たちは、社会生活というゲームの長い系譜をたどり、集団を形成する能力を行使して協力し、他集団を出し抜いてきた人類の末裔である。無条件に集団に従うわけではなく、条件が満たされた時に集団のために働くモードに心を切り替えられるようになった。デュルケームは、共同体における日常の中で個人を仲間と結びつける感情と、社会同士の関係で発現し、自己を社会全体に結びつける感情の2つの社会感情を備えていると結論付けている。ミツバチスイッチは、足並みを揃えた行進、音楽、合唱、説教の聴講、政治集会への参加、瞑想などによってオンになる。集団における協力関係を促す仕組みとして、オキシトシン分泌システムが進化したことが考えられ、ミラーニューロンももうひとつの候補になっている。

    宗教の信念と実践の役割は、最終的には共同体の形成にあるとみなす研究者も多い。動物は、あるものを見損なう偽陰性より、模様の中に人の顔を見出すような、ないものをあると誤認する偽陽性の誤作動を起こす傾向がある。正確さよりも、生存の可能性を高くするように調節されている。自然現象や幸運、不幸を他の行為者によって引き起こされたとみなすことによって、超自然の行為者が誕生し、神殿が築かれた。民族神話に登場する妖精や悪魔などは、行為者の存在を見出そうとする様々な観念の中から、長い時間をかけて改良され選び抜かれてきたもの(デネット)。宗教は、より結束力と協調性の高い集団を形成するに至った一連の文化的革新によって生まれたもので、主に集団間の競争によって拍車がかけられた。神の効用は、道徳協同体の構築にあり、農耕が始まって集団が大規模になると、神々ははるかに道徳主義的になった(Attran and Henrich, 2010)。宗教が集団の結束を強め、ただ乗りの問題を解決し、他集団との生存競争に勝利するために役立つという証拠は数多く見つかっている。

    ジョン・スチュアート・ミルは、「健全な政治を行うためには、秩序や安定性を標榜する政党と、進歩や改革を説く政党の両方が必要だ」と述べている(自由論)。ラッセルは、「紀元前600年から現在に至るまで、哲学者は、社会的な絆を強化したいと考えるものと、緩めたいと考えるものの二派に分かれてきた」と述べている(西洋哲学史)。

    <考察>
    リベラルはネオフィリアの度合いが高く、保守主義者はネオフォビアの度合いが高いとの記述で連想したのは、アリの行動だ。見つかった餌に向けて多くのアリが隊列をなしている時にも、それに従わないアリが一定程度いることが知られている。そんなアリが存在するのは、次に運ぶ餌を探すためと考えられている。現実派と未来派と言うこともできるだろうが、どちらも社会に必要であり、互いに依存している。日本では集団行動を良しとする傾向が強いが、独自路線を進む者は新しいものを社会に提供する役割を担っているのだ。

    公平や自由の捉え方については、ネットワーク理論の議論を考慮することが必要と思う。一般に、大きいものはより大きくなりやすいことから、完全に自由な環境においては貢献度と結果は比例しなくなる。累進課税による再配分のような社会のシステムは、貢献度と結果を比例に近づけるための妥協策として許容されるだろうし、また、貧困による犯罪を防止するためにも、社会全体へのメリットはあるだろう。

    デュルケーム流の社会観は、家族のあり方を社会全体に拡大してあてはめようとする点で、トッドの家族社会学の見方と類似しており、興味深い。ただし、ミルの主張によれば、家族のあり方をそのまま社会に適用することが好ましいことなのかについては議論がありそうだ。

  • 「幸せ仮説」が、すごく面白かったジョナサン・ハイトの2冊目。(多分。。。少なくとも翻訳は2冊目)

    前回は、幸福系の話題だったので、いわゆるポジティブ心理学的な人かな、と思ったのだが、道徳心理学がメインのよう。あと、進化心理学みたいなところにいて、ポジティブ心理学とは関係あるものの、やや関心の向きは違いそうですね。

    本書は、そういうハイトの専門領域である「道徳」に関するところで、かつ政治的な意見がどうして対立して、そこをなかなか乗り越えることができないのか、心理学的な構造を解明する。

    そんなに難しい内容ではないし、面白いのではあるが、なかなか読み進まず、読んでは止めを繰り返して、1年以上、読了にはかかってしまったかな?

    なので、正確な内容はあまり頭に入っていないのだが、リベラルな多元主義的な人が、保守的な人が大切にしている価値を理解していない、という構図はとてもよくわかったし、自分的にも痛いところだなと思った。

    先日読んだ、ウィルバーの「万物の理論」でしつこく書いてあった多元論の問題性と繋がって、納得の度合いがたかまっった。

  • リベラル、左派的な見解かなぜ日本人に嫌われるのか知りたくて読んだ。道徳心理学で一定程度分析できるけど、これだけでは足りないように思う。アメリカの大衆についての研究だからかもしれないが、日本の左派には独特のエリート主義、大衆蔑視、客観性の欠如があると思う。参考にはなったが、すごく役に立ったわけではない。
    他方で、人間の政治的な選択か直感の先行するものであることなど、今後の自分の活動に有効な分析も多かった。
    これを生かして、自分なりのやり方を見つけたい。

  • 内容は豊かで結構分厚いのにサクサクと読めてしまい、しかも感銘を受けてしまった。書き方も上手い。内容は次のようにまとめられると思う。

    ・道徳的な判断は思考ではなく直観に基づく。思考は後からそれを合理化するのに長けており、自分は合理化しているだけだということにしばしば気がつかない。
    ・直観は、自己反省よりも、他者からの説得や共感によって変わりうる。
    ・危害の軽減・公正の追求・抑圧からの自由だけが道徳的判断に関わるのではなく、ほかにも権威・忠誠・神聖などの感覚が道徳的判断に関わってくる。それは先天的なもの(もちろん育ちにも影響を受けるが、どう育つかにも関わるような)である。
    ・前者三つは個人として人間を理解し集団を派生的なものと見なすことで重要さが導かれるが、逆に、集団の必要性から考えるならば、権威・忠誠・神聖などの感覚にも合理性を見出すことができる。
    ・われわれは両方をバランス良く取捨選択しなければならない。

    まさに自分が個人主義的な考え方に染まりきっていたので、それ以外の考え方の合理性をエビデンスに基づいて説明されることには、目を開かれる思いであった。
    あと、どうでもいいのだが、ヒュームとかデュルケームとかの人文知の引き方が、リベラルな人たちの直観を逆撫でしないようになっているのも上手かった。

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