きつねとぶどう (大人になっても忘れたくないいもとようこ名作絵本)
- 金の星社 (2005年10月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (31ページ)
- / ISBN・EAN: 9784323038902
感想・レビュー・書評
-
とても悲しい話だ。母ぎつねと子ぎつねの物語、という点を見れば他にもいくつか体裁の近いきつねの絵本があるけれど、時間の経ち方によって一層悲しみはつのる。子を守りたかった母ぎつね。母を探しつづけた子ぎつね。お互いが再び会うことはもう二度と叶わない。
しかし最後、奇跡は起きる。ぶどうの木の下で子ぎつねは、「自分がどれだけ愛されていたのか」を知る。
それで十分なのだ。わずかでもそれを感じ取ることが出来たのなら、それで十分なのだろう。
「ありがとう」という言葉は母に届くことは無い。しかし自らがそう言えたとき、時間は再び動き出す。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
〝山の中のキツネの巣で、キツネの仔が泣いていました...「お腹がすいた」「待っておいで、いまお母さんが美味しいものを採ってきてあげる」...仔キツネは泣くのをやめて、おとなしく待っていました。一時間.二時間..三時間待ちました...それでもお母さんは帰ってきませんでした〟・・・児童文学者<坪田譲治サン>の〝母と子〟の情愛物語を、<いもとようこサン>の優しさが包み込まれた温かい絵とのコラボで紡がれた、涙をさそう名作絵本です。〝お母さん、ありがとうございました〟
-
お腹を空かせた子狐のために母狐が食べ物を探しに出ます。
待っても待っても母狐は帰ってきません。
母狐は山をいくつも越えたぶどう畑にぶどうを取りにきていたのです
ぶどうを持って帰る途中、子狐がどうしているのか心配でなりません
近くまで来たとき,子狐の声が聞こえ安心した途端疲れがどっと出てしまいました。
ぶどうもとても重く感じます。
そこへ猟犬の声がしました
子狐の声が聞こえたら,子狐が捕まってしまいます
母狐は大きな声で逃げるように伝えます。
その後何年もして子狐だった狐は昔住んでいた辺りにやってきました
そこには大きなぶどうがなった木がありました
そのぶどうを食べた狐は・・・
読み聞かせ時間は4分位です。 -
いもとようこさんの絵で読むことのできる名作童話シリーズ。きつねとぶどうの話は知らなかったのですが、親子の愛情がとても切なく描かれています。子供もストーリーを理解できたのか、とても悲しそうでした。絵とストーリーが、とてもよく合っていて、とても記憶に残る絵本でした。
-
人間が幸せなのかもね。
-
山の中のきつねのすで、きつねの子がおなかをすかせてないています。
「おいしいものをとってきてあげる」とでかけていったおかあさんきつねは、何時間たっても帰ってきません。
それから、長い月日がたち…。
坪田譲治さんの作品を初めて読んだかもしれません。
イソップにも同じタイトルの話がありますが、全然違うお話です。
最近実家に長く帰っていたころもあり、父母についてよく考えます。
扉のいもとようこさんの文章ですでにほろりと泣かされ、それから読むこの作品は、いもとようこさんの優しい絵柄とも相まって、じんわりと心の奥に沁みこんでゆきます。
いもとさんの描く、きつねのしなやかさ、ぶどうのみずみずしさ、もの悲しく淡い色調の妙が、作品に一層の味わいを与えていると感じました。
同じきつねの母子のお話として新美南吉の『手袋を買いに』がありますが、あちらが緊張から一転、割合ほのぼのとした読後感であるのに対し、こちらは、どうしようもない生の厳しさを突き付けられ、けれどそこに間違いなく存在する無限の愛を感じさせてくれます。
じんわりとした物悲しさの中に、だれか、自分をそういうふうに愛してくれた人を思い描きたくなるような、普遍の愛を描いたお話です。
『手袋を買いに』の作者である新美南吉は、実の母を幼くして亡くし、母親の愛情に飢えていた人であったと記憶しています。本人が渇望した、母の愛を描いた作品も少なくありません。
一方坪田譲治氏は、巻末のご子息である坪田理基男氏の文章によると、早くに父を亡くし、母親によって育てられ、母を慕う気持ちが強く、多くの作品に母子を描いたそうです。
一見逆の境遇である二人ですが、母親という存在が、愛し焦がれるものであったことに変わりはなく、一人の人間にとっての母親の存在の大きさを思わずにはいられません。
いもとようこさん版の『きつねとぶどう』を読まれる際は、扉のいもとさんの文章も、巻末のご子息の文章もとても素敵ですので、どうか作品と合わせてお読みになってください。
いもとさんの、「どうして、どうして、いろんなこと、わからなかったのだろうと、
悔やまれてしかたありません。」という文章に、思わず涙がこみ上げます。
私は、幸いにもまだ両親が存命ですので、これから返してゆけたらと思うのです。
また坪田理基男氏の文章からは、本文中の「おかあさんをさがして、山のなかを歩いているうちにこぎつねは大きくなりました。」という短い文章に、「母ぎつねを愛し慕い、探し求める子ぎつねの気持ちと、痛ましい姿」が託されているという指摘に、物語の思わぬ急展開に驚いているうちに軽くスルーしてしまっていた大事なところに気づかせてくれました。
あまり古い童話に親しくはないのですが、とても心に響くお話だと感じました。 -
4-2 2023/1/26
**********
3-1 2011/11/02
**********
1-1 2007/02/07
**********
「秋」に。 -
今月の読み聞かせ、涙声になりそう
-
2011/9/16
-
[江戸川区図書館]
いもとようこさんの名作絵本から、まだ知らないかもしれない有名なお話を選んで借りようとしたが、基本的に私自身題名を読んでピンとくるのは西洋童話ばかり(笑)と、せいぜいが"宮沢賢治"の名を冠したものだけ。その中でいくつか日本の童話と思われる話の中の一つが本書。
読んでみると、少し悲しい狐の母子の話。きっと原作ではもっと心が痛む、寂しい雰囲気に仕上がっているのでは、と思わせる内容だったが、この本ではいもとさんの挿絵があるために、どちらかと言うと、母への感謝、母との想い出を感じ取るような話へと仕上がっていた。
お話(ストーリー)を知るという意味ではこのままでもいいけれど、個人的には原作も読んでみたいな。また、著者の坪田譲治は、「小川未明」に感銘を受けたとあったが、ちょうど今回同時期に読んだ「トレモスのパン屋」は「第一回小川未明文学賞優秀賞受賞作」。いい機会だから、小川未明に関する本も少し調べて読んでみよう。