理性の不安 改装版: カント哲学の生成と構造

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  • 勁草書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (251ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784326150571

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  • やはりこの本は極めて面白い。カントといえば三批判書を筆頭とするような批判哲学だ。だが著者の視点は、こうしたとても理性的・論理的で難解な批判哲学がどうして生まれてきたのかにある。批判前期とも言われる、1750~1760年代のカントの思考を追っていく。ライプニッツ・ヴォルフ学派のドイツ哲学の影響下にいたカントが、ルソーやヒュームの影響を受けつつ思想を変容させていく。そして特に著者が着目するのは『視霊者の夢』という難解な著作だ。著者はこの著作でカントはみずからの思考が崩壊しかかるような事態に陥り、その後の批判哲学はいわばこの事態に対処した結果であると見る。

    「あらためていえば、カント哲学の生成と構造を、1760年代のなかばをその頂点とするアイデンティティ・クライシスとその解消のこころみにおける思考のシステムの変換の歴史という非連続の相においてとらえてみようというのが、本書におけるわたしの一貫したねらいであった。」(p.243)

    1760年代のカントの思考の展開に大きく寄与したとされているのはルソーの存在だ。特にその単純素朴な自然人への着目がカントの眼を開く。カントはルソーの影響のもと、学者としての教室や書斎に閉じこもる思考を出て、世間的生活の場にある一人の人間への視線を手に入れる。それは「学者の傲慢をきれいさっぱりと捨て去った、素手の一市民」(p.22)としての姿である。既存の学問への盲信を廃し、批判的に問いなおす姿勢はここに発している(p.9f, 138-140)。批判前期にカントは自らを通俗哲学者と称していたが、その意味は軽く見られてはならない(p.7f)。カントに生涯続く人間学への関心は、この後始まることになる。それは現実の社会に生きる人間を対象としているものであって、学問の眼とは別の、人間学の眼が要請される(p.57-59)。

    実際、これに先立つ1750年代のカントの自然哲学的著作では、こうした視点がない。むしろ、人間の視点を離れて神の視点に立って宇宙の完全性と秩序を眺めている。こうした自然の完全性に魅せられない人々への軽蔑も見られる。その態度は「学問至上主義的」「知的貴族主義的」な態度と言えるだろう。それがカントのかの「独断のまどろみ」を構成していた(p.175f)。こうした学問の眼だけを持つ、一つ眼の巨人のまどろみを覚ましたのが、1759年当時のカントに対するヒュームとルソーの衝撃だった(p.178f)。

    こうした中に位置づけられるのが『視霊者の夢』というテキストだ。このテキストは幽霊を見たというスエーデンボリ氏の主張に対して、その主張を常識的な観点から明らかにし否定するものだ。だがそれは冷静な学問的立場からして嘲笑うものではない。同時に、霊魂論や心身問題といった伝統的形而上学のテーマを取り上げて、その批判を行う。現実社会に生きる人間への眼差しというルソー的モチーフが中心となっている。しかしカントはここで、単純に非理性的なものに流されていく俗人的なものと、俗世と隔絶しようとする学問的なものの間に引き裂かれている。著者はここに「カントの心の動揺」「カントの素顔」(p.80)を見ており、この『視霊者の夢』というテキストが単なる理論的立場上の問題を抱えているだけでなく、カント自身のアイデンティティ・クライシスを表していると見る。ここにいるのは「超感性的霊的世界と感性的物質的世界という二つの世界のそれぞれの側からする「説明根拠」の間に引き裂かれ、絶対的な序列をもたぬ二重化された「表面」の間に宙づりにされて、自己同一的なアイデンティティをそなえた自我の獲得に苦しむカント」(p.200)である。

    カントは理性を飛び越して情念に定位したルソーを批判する(p.32)。あくまで批判的な哲学にとどまろうとしている。ゆえにここに二義性、自己分裂が生じる。『視霊者の夢』でカントが見せるのは、一方で心霊現象はまともに相手にするまでもない妄想だと考えつつも、他方で何故かそれに惹かれるという姿である(p.146)。そしてそれが常識的な批判と、伝統的形而上学への批判として現れてくる。この時点ではカントはこうした分裂した自らを嘲笑うことによって、何とかバランスを保とうとしていた(p.118-122, 190-192)。

    ここからカントはこうした分裂に対処すべくさまざまなモチーフを検討する。そして感性のアプリオリな形式としての空間と時間、アンチノミーの解決へと導く「1769年の大きな光」へと至る。けれども、『視霊者の夢』における思考の分裂状態は後の批判期のモチーフを明らかに先取りしている。心霊現象の位置づけは可想界を仮構としつつも何とか認めて位置づけようとしている試みと見られる。批判期には可想界は端的な事実として措定される(p.105-114)。思考の分裂状態が生む緊張は、可感界と可想界の混同による二律背反として解決される(p.152)。しかしそれは思考の柔軟性を失って、硬直した概念図式が登場することでもある。そこに「当時の同一社会とさらにはまた近世市民社会の支えとなった形而上学」が強いた制約、「ブルジョア的形而上学の思考の枠」(p.153)を見るかどうかはともかく。

    「「人間理性の限界の学」をも含めた広い意味での人間学は、学的な体系として、ここにひとり歩きをはじめたが、反面、これによって、『視霊者の夢』にみられたようなカントの思考の柔軟さと徹底性とは多少ともそこからこぼれ落ちるという犠牲と不幸を強いられたのではないか。早い話、あの悪名高い批判期の文体がこの不幸の何ほどかを語っているのではないか。」(p.131)

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