保守主義の社会理論―ハイエク・ハート・オースティン

著者 :
  • 勁草書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (199ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784326152049

作品紹介・あらすじ

近代を<超える>といってはならない。合理主義を懐疑し、<語りえぬもの>を思索する。

感想・レビュー・書評

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  • 落合仁司『保守主義の社会理論』 クリプキ以降のウィト解釈の社会理論への適用例(永井均の紹介文)

    落合氏はフランス革命以降の政治、人権思想という革命的志向(個人の理性こそ個々の人間の主権者とみなす。しかし非理性、たとえば無意識などの影響は自由を阻害するものと認めることのできない認識理論が個人的自由主義だ。また共同体によって得られる利益を見逃しがちである。)に対して
     ⇔ それ以前の価値体系を保守主義とよぶ。(この意味で共同体主義のウォルツァーなどと立場が近いと分析できるかもしれない)
    政治人権思想においてはこの対立概念を用いるが他方、経済においてはネオリベラリズム⇔社会主義となるのか。



     機会と快楽の時代に見える。産業技術と消費大衆の支配。2世紀の間に産業技術は蒸気機関と鉄道輸送から電気機械と自動車交通へ、情報処理機器とデータ通信へ、新しい快楽的個人へと変遷。フランス革命→産業革命→民主革命
     =合理主義と個体主義、あるいは産業主義と民主主義
     功利主義やマルクス主義、実証主義的な社会科学(分析法学、新古典派およびケインズ派経済学、機能主義社会学)やマルクス主義的な社会学、産業化(合理化)と民主化(個体化)を推進する言論を展開している。=近代の進歩主義と呼び習わされてきた思想
    3 これへの懐疑が、ウィトゲンシュタインや日常言語学派、現象学、解釈学、構造主義、ポスト構造主義は、その懐疑を発条として展開されている。
     狂気としてのフランス革命の産み落とした合理主義と個体主義に対して、バーク以来の保守主義の伝統がある。近代への懐疑の哲学を守り続けてきた。取りも直さず近代保守主義の伝統に他ならない。ウィトや日常言語の20世紀思想も近代保守主義の伝統の現代的な表現である。本書も、この伝統に掉さして今日的な表現を模索する試みに外ならない。

    8 ウィトゲンシュタインや日常に近い筋:FAハイエク(ウィの又従姉弟、1974年ノーベル賞、技術的合理主義や産業主義を理性の思い上がりとして論駁、無制限な民主主義こそが隷従への隧道であるとして批判。反駁の立脚点として、自生的秩序(行為の累積的な結果として生成&not行為の意識的な対象として制御&not行為の主観的な意図にも還元されえない秩序、)、HLAハート、JLオースティン(『いかにして言語とともに行為するか』日常言語学派の第一人者。実証主義の呪縛から言語を解放すうr。言語は社会的な行為の遂行。事実の記述に帰着しうるものではなく、真偽を検証しえなくとも有意味。慣習的なルール。発話する個体の主観的な糸には帰属し尽くせない。言語行為論。) いずれも英米圏

    12 ウィトゲンシュタインの言語ゲームの概念と家族的に類似している。
      言語ゲームは自らにあらゆる行為を従属させる(人間の行為の遂行は全て言語ゲームの遂行とならざるをえない→行為を拘束する規範的な事態であり、自らの相対を対象としたその正当化をも含むいかなる言及をも許さない→暗黙的な事態)とともに、自らはいかなる根拠をも保持し得ない、いわば慣習的な事態なのである。
     極めて魅力的な題材を提供している。
     本書は、ゲーム論を明示的には取り扱わない。
      ?ウィトのテクスト解釈が錯綜した課題
      ?橋爪大三郎によるハートのルール論と言語ゲーム論との相互関係をめぐる鮮やかな分析がなされている。3者の解釈に当社された、その射影にすぎない。ウィの長い影を、やはり鮮やかに見出すはずである。ウィこそが10世紀思想の諸結果と、保守主義の伝統とを結びつけるあの失われた環に外ならないと思われるから。
     言語ゲームが在処を発見する手がかりとなる。

    15 効率的な経済人であり、また快楽的な大衆人。このような我々の日常を懐疑することは日常の一切を否定することになる?

    手段的合理主義は、近代合理主義と軌を一つにしているかのうようだが、理性のみによって判断しているか、という意味で不徹底な合理主義。

    ハイエク:手段的合理主義を批判、デカルト(明証的な前提から論理的に演繹された知識のみが、確実な知識であるという合理主義的確証主義→意識的に計画され更生された行為のみが、目的達成にとって有効な行為であるとする構成的合理主義と、精神を共有する。)
         この構成的合理主義は実証主義とは対立しない。客観的な事実によって検証可能な知識のみが確実な知識であるとする経験主義的確証主義。構成合理はより過激な懐疑主義
         社会主義・ケインズ的マクロ経済の政策と規制・ミクロ経済政策=社会を一つの組織に再編成しようとする試み
         =組織の目的への貢献度によって評価し、配列しようとする試み


    54 ハイエクの自生的秩序論が言語ゲームと接近。根拠を持ちえず、全体を対象にして言及する可能性を原理的に拒否している。
      しかし思想権の周辺的な領域においてはかなりのずれ:ハイエクは進化論に傾斜。他のルールを持つ社会との競合を通じて淘汰され選択される(ポパー的)

    134 誰も保守主義と名乗っているわけではない。現代の正統な保守主義者はマイケル・オークショットなどの哲学。しかし現代の保守主義者は必ずしも保守主義の哲学であるとは限らない。啓蒙の哲学があたかも正統思想であるかのように流布されている現代においては、保守主義を装って啓蒙を喧伝する。保守主義とは何より啓蒙の批判に外ならない。反啓蒙の哲学。経済哲学、言語哲学、法哲学を含む社会哲学。言語ゲームのうちに新たな表現様式を見出しているのである。
    主旨:新しい保守主義は、社会と人間の個体化と合理化という啓蒙運動の不可能であることを、言語行為論あるいはげーむ論に準拠して主張する。時代の進歩主義に対応する、様々な表現様式に身を託して、合理化と固体化の不可能であることを主張し続けてきた。これの準拠する言語行為論もまた二十世紀の進歩主義に対応する、そのような表現様式にほかならない。

    155 ドイツの解釈学との関連。村上泰亮(『文明としてのイエ社会』は、日本の歴史をウジ社会からイエ社会への転換として通観するもので、同書で尾高賞を受賞。同書は左翼からは、封建社会を肯定するものとして批判された。1980年代には「社会階層と社会移動全国調査(SSM調査)」を参照し、現代日本では教育・文化・経済などといった面で古典的な社会階級・階層が溶解し、「中」意識を持つ広範な社会が登場したとする「新中間大衆」論を主張。『反古典の政治経済学』においては古典派経済学が認めるよりも広い範囲で、政府による産業保護政策は有効な効果を挙げられるとする「開発主義」論を展開)の言葉では「後期のウィトゲンシュタインは、ほとんど現象学への、いわば裏側からの、復帰を果たしているように映るのである」。本書は二十世紀イギリス哲学の帰結に、保守主義の社会哲学を読み込むのだが、解釈学のもたらす社会哲学上の帰結に目を向けない訳にはいかない。









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著者プロフィール

2020年1月現在
同志社大学経済学部教授

「2020年 『構造主義の数理』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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