公共性への冒険―ハンナ・アーレントと“祝祭”の政治学

著者 :
  • 勁草書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784326154074

作品紹介・あらすじ

公共性とは他者との間にその都度顕現する"祝祭"である。ハンナ・アーレントを通じて、リベラル・デモクラシー以前の「政治」の原初性を問い直し、ポストモダン以後に忘却された「公共性」の可能性を追う。

感想・レビュー・書評

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    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/64098

  • 【書評】矢野久美子(読書人2010.03.12)

  • 〇以下引用

    ≪祝祭≫とは、ここではさしあたり「他者との共同性の成立あるいは解体の契機」としておく

    新たな共同性の次元を切り開く「活動」が、日常的に反復されるルーテインワークとしての「振る舞い」とは異なる行為

    「世界」を人間の外部に客観的に観察可能なものとして措定するのではなく、それ自体が人間存在の一部を構成すること、そしてその「世界」の自明性が解体される非日常的契機

    祝祭が、それ自体、歴史の根底および本質である。つまりこの「祝祭」は、日常的ー非本来的な思考様式から自由となって、本来的なものを省察し経験する時間

    ハイデガーに従うならば、「政治的なるもの」の本来生とは、「存在忘却」に陥っている「世人」が、≪ポリス=祝祭≫において、≪歴史的現存在≫としてのー『存在と時間』では本来的な共同存在として規定されていたー「民族」へと覚醒することに他ならない

    ハイデガーは、時間と歴史の端緒にしてそれを到来させる「詩作ー思索」の場を、「ポリス」あるいは「祝祭」として指示している。つまり「ポリス」とは、「現ー存在が歴史的なものとしてあるような、そのような所」であり、その「祝祭はそれ自体、歴史の根底および本質なのである

    歴史的現存在の根源としての‹ポリスー祝祭›を喚起すること

    多くの人間に共有される物語が喪失した
    ➡生きている現実を共有することが出来なくなっている。そしてその「現実」というのは、歴史という運動の現在地であるのだろうか

    その場に居合わせた者が、同じ現象を目の当りにし、同じ経験を共有すること、そしてその者たちの存在が、透明な観察者ではなく、一人一人がその場の当事者であり、現れとしてリアリティの一部をなしていること

    名も知らぬ他者と遭遇することから成立する

    われわれは社会で無数の他者と接しながらも、その言葉、表情に配慮することはほとんどなく、それを透明なものとして素通りしている。いまここにいる私と彼ら/彼女らとのあいだには、何らかの崇高な理念も重大な利害も存在せず、偶然その場に居合わせたに過ぎず、その時点で私も彼ら/彼女らも群衆の一人である。それはなるほど、大衆社会で孤立したわれわれの状況であるかもしれない。

    ➡「社会」というのは、おそらく客体的にはないのだと思う。制度やシステムはあるが、それは「現実」ではない。現実はあくまでも、個人の内部に無意識的に蓄積されている、「生きていること」の記憶や感情であって、それを共有することでしか、共に居座ることの出来る「場」も存在しないのではないか。これは「社会」に限らず「歴史」というものにもあてはまる考えだと思う。「歴史」というも、客体的に存在するものではなく、その上を生きている人間の内部に蓄積された、「ストーリー」から、炙り出され、表出するものなのではないか。

    ハイデガー;現存在の時間的存在様式としての歴史性。かつて現存していた実存の可能性に応答するという反復を本来的な歴史的実存の在り方として規定している。

    ★反復とは、おのれを伝承的に付託する覚悟性の様態であって、現存在はこれによってあからさまに運命として実存するのである。、、、歴史の本質的な重みは、過ぎ去ったものにあるのではなく、今日、およびそれと過ぎ去ったものとの「連関」の中にあるのでもなく、現存在の将来から発現する実存の本来的経歴のうちにある

    ➡歴史への接続。

    現ー存在が歴史的なものとしてあるような、所

    失われたギリシア人の経験を、ドイツ民族の本来的可能性として反復すること

    このポリスは、客観的に計測できるような実体を持たず、普段はどこにも存在しないものの、行動をともにすることで生起する。その都度その都度現われる

    ➡アーレントの言う「政治」というのは、「現実」=「世界」の共有と、それを引き受けて「現実」=「世界」を更新・模索していく存在同士の関わり方をさしていると考えられる。しかし現代では、各人の内部でしか感得できない「現実」を共有する場がなくなってしまったことで、「共通しうる世界」、言い換えれば「皆で共に創りあげていく世界」が見えなくなり、各々は個々の利害ばかりを気にするようになってしまった(=退廃)。また我々が生きている「現実」は、その前の全ての歴史を引き継いである「現在」だということもここに残しておきたい。

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