- Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
- / ISBN・EAN: 9784326154166
作品紹介・あらすじ
二一世紀の世界は暴力に満ちている。はたしてこれは、「文明の衝突」なのか?西洋とイスラムは対立するしかないのか?ひとは宗教や文明にもとづいたアイデンティティしか持てないのか?本書では世界史、哲学、経済学などの豊富な知見をもとに、現代世界を読み解く新たな枠組みを提示する。アイデンティティは与えられたものではなく、理性によって「選択できる」のだ。
感想・レビュー・書評
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印英にルーツを持つ経済学者、哲学者の著者が「アイデンティティとは、一人の個人が一つのアイデンティティを他の属性よりも優先して宿命的に「発見」して持つのではなく、複数のアイデンティティを理性によって「選択」することができるものだ」といったことを繰り返し説く本。単一的なアイデンティティ(特に宗教的な共同体への帰属)の植え付けが暴力を伴う対立にいかに簡単に利用されやすいか、文学や政治形態、数学・科学といった東西の「文化」「文明」の、決して対立的ではない複合的に結びついた関係性も持ち出しながら「西洋と非西洋」を脱力させる。
選択された複合的なアイデンティティとは、著者によれば「私はアジア人であるのと同時に、インド国民でもあり、バングラデシュの祖先を持つベンガル人でもあり、アメリカもしくはイギリスの居住者でもあり、経済学者でもあれば、哲学もかじっているし、物書きで、サンスクリット研究者で、世俗主義と民主主義の熱心な信奉者であり、男であり、フェミニストでもあり、異性愛者だが同性愛者の権利は擁護しており、非宗教的な生活を送っているがヒンドゥーの家系出身で、バラモンではなく、来世は信じていない(質問された場合に備えて言えば、「前世」も信じていない)。これは私が同時に属しているさまざまなカテゴリーのほんの一部にすぎず、状況しだいで私を動かし、引き込む帰属カテゴリーは、もちろんこれ以外にもたくさんある(P39)」といったもの。
インドは「ヒンドゥー文明」だというよくされがちな分類は、世界最大規模のイスラム教徒がいるという点を考慮していない大雑把な言い方だし、イスラムが排他的だというのも、他の宗教を認めたアクバル大帝と認めなかった他の皇帝の例を出してどちらでもあり得ると言う。現代で「西洋」の専売特許のように認識されている「民主主義」も、「自分たちの村はどんな立場の誰もが集まって発言をし、それを長老が聞いた」というネルソン・マンデラの言や聖徳太子の十七条の憲法がマグナ・カルタよりも600年も前だということで西洋だけのものではないと述べる。当然、ヨーロッパの自然科学の功績はイスラムやインドの数学がなければあり得ない。西洋・非西洋という「対立」を前提とした見方が間違っているのだと。
著者は特に、イギリスへの移民の共同体のためにイスラム教の学校を作るべきというような、「宗教」を第一意・第一義の帰属共同体とすることに異議を唱える。この根底には「イギリスを代表する食べ物はカレー」とイギリス人が言うといったように、移民がもたらした「文化」がすでにイギリスの文化となっている現状で、宗教だけが唯一のアイデンティティではないということがある。
セン先生の言わんとすることはとても普遍性のあることではないかと思った。
日本列島のことを考える。
例えば、部落や在日コリアンの子どもたちは宿命的なアイデンティティ以外の選択肢と出会う機会がない(少ない)のではないか。あるいは、文化的・経済的な境界線とずれた地方自治体アイデンティティや政治党派的アイデンティティによる囲い込み(「市民」と非「市民」の発言の重みの違いとか、フェミニストや「文化知識人」なら反原発、反戦、反企業で当然、とか…)。
開発の達成度は所得水準ではなく、自由の達成度によって評価されれるべき、それによって人間が潜在能力(ケイパビリティ)を発揮できるし、それが発揮できないのが「貧困」だというセン先生の考えとともに、「魚の目」の肥やしになった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
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いやーもう、分析が細かすぎて、びっくりした。
オレは、ここまで細部までしっかりと読めていなかった。
サササッって、目を通しただけだっ...いやーもう、分析が細かすぎて、びっくりした。
オレは、ここまで細部までしっかりと読めていなかった。
サササッって、目を通しただけだった。
オレが特に注目したのは
・文明の衝突論への批判
の、ハンチントン批判だけで。
というのも、ハンチントンの歴史観は、なんだかイカガワしいなあって漠然と思っていたのを、セイが、インド人の立場から明確に批判してくれてて、あ、やっぱ、そーだったのか、って納得したから。
「インドにはヒンドゥー教徒だけでなく、1億4500万人以上のイスラム教徒(ムスリム)がいる。彼らを抜きにして、現代のインド文明(特に美術、文学、映画、料理など)は語れない。加えて、ムスリムだけでなく、シク教徒、ジャイナ教徒も同様に大きな存在感を示している。また四世紀からキリスト教の大きなコミュニティもある。こうしたヒンドゥー教徒以外の多様性を無視したハチントンの分類はお粗末と言わざるを得ない。こうした雑な分類は政治的な火種を作り続けるものになる。実際、ハチントンは、ヒンドゥー原理主義運動の多くの指導者によく引用されている。」
それ以外の部分は、あまりよく理解できてなかった。
この書評読んで、よく分かっていなかったことが、よく分かった。
「エリクソン考案の「アイデンティティ」が意味する概念と大きく異なり、H.タジフェル・J.C.ターナー考案の「社会的アイデンティティ」が意味する概念と一致する。混乱を避けるため、以下の文では「社会的アイデンティティ」という表記で統一する。」
すごいイロイロ知ってる人なんだなーってビビるよ。
オレなんか、エリクソン考案の「アイデンティティ」が意味する概念、も知らなければ
H.タジフェル・J.C.ターナー考案の「社会的アイデンティティ」が意味する概念についても、なんにも知らなかったもんね。
この本って、こうやって、読まれるべきものだったかーって感心した。2022/10/01 -
lacuaさん
コメントありがとうございます。コメントなんて初めて貰ったので、驚きながらも喜んでいます。恐縮ですが、何かしらの役にたったよう...lacuaさん
コメントありがとうございます。コメントなんて初めて貰ったので、驚きながらも喜んでいます。恐縮ですが、何かしらの役にたったようで何よりです。2022/10/04
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自由主義的平和論。ぼくにとっては当たり前の考え。これが世界中に広がれば。みんな読んでほしい。
単一のアイデンティティという幻想を掻き立てることで、暴力を煽る。
多文化主義の本質は混ざり合い。分離して保全しようとするのは複数単一文化主義と見なさなければならない。
ポストモダニズム文脈で安易に「西洋-反西洋」と分類したり、それを前提とした「脱西洋」という言葉を使ったりするのも考えものだと思った。
p.157に「1906年から1911年までに、日本の市町村の予算の実に43%が教育に費されていた」とある。
その直前、木戸孝允の教育思想「決して今日の人、米欧諸州の人と異なることなし。ただ学不学にあるのみ」の引用は公文俊平先生の共著論文。 -
今回紹介する本は、ノーベル経済学賞を受賞した学者さんが書かれた本です。
アイデンティティと言うと、民族紛争や宗教対立とか、何かと国際政治というイメージで、難しい、縁がないイメージがあると思います。
実際、この本では国際社会の中で起こる様々な対立をどのように解消するかということがテーマです。でも、この本で用いられる、「アイデンティティは理性で選択できる」ということは、私達の日常、人生の中で活かせることだと思いました。
そういうわけで今回は、「物事を様々な視点で見るために」をテーマに、この本を紹介したいと思います。
そもそも、アイデンティティとはなんでしょうか。
私達は、様々な面を持っています。会社員としての自分、サークルの一員としての自分、日本国民としての自分、友人(恋人)としての自分、家族としての自分、人間としての自分――。自分をどの面で見るか。この自己認識のことを、この本では「アイデンティティ」としています。
何かものを言ったり、行動したり、考えたりする時は、必ず、何かしらのアイデンティティの下にそれをしています。アイデンティティは、自らに価値観や行動の指針、「ものの見方」を与えるものだからです。「私はこの人の母親なのだから、叱らないと」であったり、「私はこの会社の社長なのだから、辛いがこう決断しよう」であったり。アイデンティティは、日常生活において身近に感じることができます。
様々な面、アイデンティティを持っているということは、物事を多角的に見ることができるということ。これは、とても良いことです。物事を色んな立場から見つめるとことで、良い面、悪い面、自分の人生に行かせる所が見えてきます。人と衝突した時も、見方を変えれば和解、共生の道が見えてきます。1つのアイデンティティだけで物を見るのではなく、その時々に合わせたアイデンティティを通して物を考える。「アイデンティティを理性で選択する」状態とはこのことだと思います。
この状態を維持するのは、簡単に思えますが意外とそうでも無かったり。身の回りで、会社で、よくケンカする人たちがいたとして、「あの人たち、目的は同じなんだからもう少しうまく折り合えないのかなぁ」と思うこと、ありませんか?
このとき、人は単一のアイデンティティでしか物事を考えられなくなっています。つまり、「相手を憎む自分」にアイデンティティをもっているわけです。この延長線上に、民族紛争や宗教対立があると思います。
別に、喧嘩の場面に限られません。私達は、日々たくさんの情報の奔流にさらされている中で、耳触りのいいスローガンに載せられたり、過激な言葉に載せられて特定の価値観を知らず知らずに刷り込まれたり、押しつけられたり、思いこまされたりしています。そして、いつの間にか相手が望んでいる価値観(もっといけばアイデンティティ)で物を見るようになっていることがあります。
対処法としては、「アイデンティティを選ぶ理性」を鍛える他ないと思います。具体的2つあげれば、外からの情報を元に物を判断する時は、人から与えられた答えに乗るのではなく自分で考えて結論を出す。それと、日ごろから異なる価値観に触れ、自分を客観視する努力をする。なんか、どっかで言ったようなフレーズだなぁと思ったら、これって、感性・知性を鍛えるプロセスと変わらないですね。
人間関係は、人を豊かにもしますが、自分を食い物にする人間関係があることも確かです。自分にとって良い人間関係を築くためにも、この本は一度読んでほしいです。
まとめます。今回シェアしたかったことをもう一度。
・私達は、複数のアイデンティティを持ち、その時々にあったアイデンティティをもとに物を捉えることができる。
・その状態を維持するために、「アイデンティティを選ぶ理性」を鍛える。
【お勧めしたい人】
・人間関係を広げようと思っている人
・最近誰かと対立している人