情報社会の〈哲学〉 グーグル・ビッグデータ・人工知能

  • 勁草書房
3.33
  • (3)
  • (2)
  • (4)
  • (2)
  • (1)
本棚登録 : 111
感想 : 13
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (372ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784326154388

作品紹介・あらすじ

マクルーハンの「これまでの人類史とは、主導的メディアが形作ってきたメディア生態系、メディア・パラダイムの変遷の歴史であった」とする〈メディア〉史観の下、Google、ビッグデータ、SNS、ロボット、AI、ウェアラブル、情報倫理といった具体的で個別的な現象を分析の俎上に載せ、不可視のメディア生態系を暴きだす〈哲学〉。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  •  「情報社会」は諸<メディア>が構成する閉じたシステムである。「情報社会」の底流で蠢いているもの、それは、「インターネット」というメディア技術を軸に自己組織化する<ネットワーク>というメディア・システムである。(p.ii)

     マルクハーンの考えるような「地球村」は現時点で出現していないし、おそらく今後も出現しないはずである。なぜならメディアは一般的に言って、「融合」と同時に「分断」と「差別化」をも果たすからである。電話というメディアは単に人と人とを<つなぐ>技術ではない。それは、「いつでも電話で話せるから」という理由で人と人とを<切り離す>技術である。またある人と<つながる>とは、その人を選別したということであり、したがってそれ以外の人を<排除>したことを意味する。(p.33)

     顰蹙を買うことを承知で敢えて挑発的な比喩を使うならば、ビッグデータとは “ゴミの山”である。より比喩の精度を高めるとするならば、時々刻々生成され増殖し続けるそれは “生ゴミ”である。そして「データマイニング」とは、こうした“生ゴミ”の山の中からレアメタルの如き「価値物」を探り当てようとする “ゴミ漁り”の営みにほかならない。(p.91)

    「情報社会」とは、厳密な二者関係(=対面的相互行為)が成り立たない社会、濃密な “熱い”人間関係(=対幻想)に没頭できない社会である、と言い換えることもできる。(p.137)

     それは情報社会時代の資本主義が、これまで人間の専管的領域として機械化に抗ってきた “最後の砦”たるコミュニケーションまでが、<労働>と化し、しかもそれをロボットが代替することでコミュニケーションが<自動化>と、その結果としての非人称変化の途を驀地(まっしぐら)に突き進んでいることを意味する。(p.206)

     石黒のロボットが人間相互のコミュニケーションのインターフェイスの役割を果たしていたのとは違い、ペッパーはAIと人間とのコミュニケーションのインターフェイスである。この点が石黒のロボットとペッパーの決定的な違いである。(p.216)

     情報社会が指し示す方向は「人間」の相対化、ないしはM・フーコーが言うのとはまた異なった意味での「人間の終焉」である。(中略)もはや、人間のみが “主体性”や<自立=自律>性の特権的所有を誇る理由はどこにもない。そしてそれこそが「ポスト・ヒューマン」の語によって本来指し示されるはずの事態なのである。(p.225)

  • むずすぎた

  • computer

  • 【由来】
    ・お師匠の紹介。しかも、お前向きと言って貸してくれた。

    【期待したもの】

    ※「それは何か」を意識する、つまり、とりあえずの速読用か、テーマに関連していて、何を掴みたいのか、などを明確にする習慣を身につける訓練。

    【要約】


    【ノート】


    【目次】

  • 【電子ブックへのリンク先】
    https://elib.maruzen.co.jp/elib/html/BookDetail/Id/3000034347
    ※学外から利用する場合は、以下のアドレスからご覧ください。(要ログイン)
    https://www.lib.hokudai.ac.jp/remote-access/?url=https://elib.maruzen.co.jp/elib/html/BookDetail/Id/3000034347

  • 日本のSNSが世界標準を取れなかったのは、そのサービスが世界接続性を本質とする社会ではく、閉鎖的な共同体を、しかも特殊日本的な村社会をモデルとしていたから。

  • Google、ビッグデータ、人工知能という現象を素材にしながら、その現象のもたらす表面的な変化ではなく、人間の存在や人間が生活する世界との関わり方の変化を哲学的に論考している。

    特に、そのような状況変化に応じた情報社会の倫理は可能かということを分析し、倫理がそのシステムの内部から与えられるものではなく、新たな情報世界の登場による変化がそのシステムの中に包摂し、又は排除していくものとか関係性の方に、情報社会の倫理が構築されていった方向での結論に辿り着いているように感じた。

    直近で起こっている変化は、情報、特にビッグデータやそれを扱う人工知能の姿のように、データというもの自体が問題なのではなく、絶え間なくデータが生成され、それが処理・分析・意味づけされるプロセス自体が重要であり、またすでに主体性は生成され続けるデータという環境の方にあり、人間の側にはないという認識で捉えるべきであるとの視点は、非常に刺激的であるとともに、新たな視野を開かれた。

    その上で、それらのアウトプットをメディアを介して受け取り、利用し、逆にそれらによって形作られているわれわれ自身に想いを巡らせると、人工知能に雇用を奪われるといったことが問題の本質なのではなく、われわれ自身がこのような情報環境の中で自らの主体性といったものをどう定義づけるのかということを考えなければいけないということを感じた。

  • 『情報社会の<哲学> グーグル・ビッグデータ・人工知能』を読んだ。副題をみて気軽に手に取ると、火傷します。なんだか、院生時代にゴリゴリと文献を漁っていた頃の感覚を思い出しました。たとえば、ハイデガーの「配備=集立」からビッグデータの生成運動を読み解くとどうなるか。何れにしても情報社会を読み解くには、ある専門性に立脚した視角が必要だよな、と改めて思い起こさせてくれた一冊です。

    近い将来「Apple Watch」、「Google Glass」といったウェアラブルが、スマートフォンに替わるネットワーク端末になったとき、ビッグデータは、われわれの「コミュニケーション」と「身体」とを、今以上の深度と精度とで「データ」化(具体的には「視線」「体温」「脈拍」といったかたちで)し、その<生成=運動>に組み込んでいくことが容易に予想される。あらゆる外部的存在を「内部」化し、万物を唯一のネットワークに取り込んでゆく「配備=集立(ゲ・シュテル)」の運動に抗して、敢えてその"外部"に立ち「観察」するという困難な課題が現在の<哲学>に課されている。p109

    <メモ>
    情報社会を読み解くのには、メタな視覚が必要となる。その一つの手段として筆者は「哲学」的用語・思考を用いる。

  • いや、言葉が難しい。
    概念について語る前に、言葉の定義をすることが哲学なんじゃかいか?と思うくらい。

    参考文献が多いので、知識の幅を広げるには良いのかも。
    だからこそ、平易な書きっぷりであれば、もっと興味を持つ人が増えるだろうと思う。

  • 情報を哲学で考えるということであるが、マクルーハン、ルーマンを使いSNSやAIについて記載しているが、話がまとまっていないのは、多くの論文を集めたせいかもしれない。卒論の文献で使うのはむずかしいかもしれない。

全13件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

1961年、香川県生まれ。1991年、東京大学大学院理学系研究科博士課程単位取得退学。1992年、日本放送協会(NHK)に入局。退職後、東京大学大学院学際情報学府博士課程単位取得退学。現在、明治大学情報コミュニケーション学部教授。主な著書に『〈メディア〉の哲学』、『「情報社会」とは何か?』(ともにNTT出版)、『情報社会の〈哲学〉』(勁草書房)、『ヴァーチャル社会の〈哲学〉』(青土社)などがある。

「2023年 『ニュースピークからサイバースピークへ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

大黒岳彦の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×