- Amazon.co.jp ・本 (291ページ)
- / ISBN・EAN: 9784326199174
作品紹介・あらすじ
過去・現在・未来/「私たち」は絶対的なのか、相対的なのか。「時間と相対主義」の思索の先で立ち上がってくる運命論。
感想・レビュー・書評
-
東2法経図・6F開架:112A/I64j//K
詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
時間論と相対主義から運命論へとつながる哲学的考察。
とても複雑でむずかしい議論だけど身近な例えでわかりやすく説明されていて読みやすい。
理解しにくかったり興味が出たら、相対主義については『相対主義の極北』、時間論については『時間は実在するか』、といった前著を参照できる。どちらもおすすめ。 -
『相対主義の極北』と『時間は実在するか』によって日本哲学界に独自の地位を確立した入不二の、前二作の続編ともいうべき哲学書である。前二作を未読の読者も問題なく読むことができるし、むしろ本書の方がハードルは低く読みやすいかも知れない。
というのも前二作がその集中力において傑出した「長編(書き下ろし)」であったのに対し、本書はそれぞれの章がある程度独立した「短編集(既発表論文集)」の構成になっているからである。最初の五章に時間論が、次の三章に相対主義が割り当てられ、最終章で運命論が語られている。
全ての論文が完成度が高く読み応えがあるが、何といっても注目すべきは最終章の運命論であろう。人間は自由か否かという問題は哲学における永遠の課題であり、これまでは意志論や因果律の観点から論じられるケースがほとんどであったが、入不二はそこへ独自の時間論を適用し、過去や未来とは関係のない「それ以外にありようのない現在」という観点から、全く独創的な形而上学的運命論を提出する。
2008年度の青山学院学術褒賞を受賞した本書は、入不二哲学の新たなる展開を予感させる好著である。相対主義やマクタガートといった哲学用語が持つ難解そうなイメージからか、その分かりやすさとは裏腹に一般読者には不当に馴染みの薄かった入不二の哲学が、運命論という分かりやすいキーワードの導入によって、一人でも多くの読者に読まれるようになることを願ってやまない。 -
語り得ぬものを語ろうとする手つきがスリリングな一冊。分析の言葉で脱構築を語るとこうなるのかな。