ナッジ!?: 自由でおせっかいなリバタリアン・パターナリズム

制作 : 那須 耕介  橋本 努 
  • 勁草書房
2.86
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感想 : 22
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  • Amazon.co.jp ・本 (264ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784326550845

作品紹介・あらすじ

それは「支援」なのか「操作」なのか? 強制にも説得にも頼らない社会改革の新技術とその思想を、気鋭の論者たちが問いただす!

「個人の自由な選択」を妨げることなく、愚行には歯止めを、賢明な行動には支援を? 肥満の解消、婚活のサポート、個人情報の保護、民主政の活性化……。世界の袋小路を切り抜ける仕掛けを示すスマートな戦略の宝庫、いま注目の「ナッジ」と「リバタリアン・パターナリズム」の光と影を、過去・現在・未来にわたって解き明かす。

感想・レビュー・書評

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  • 行動経済学そのものの紹介というよりは、法哲学全体の中でのサンスティーンの提唱するリバタリアン・パターナリズムの位置づけを解説していて、当方もキチンと理解できたか自信は正直ないのですが、少しは見方が広がったように思います。
    個人の自由な選択を重視する立場と個人に委ねると本人のためにならないと考える立場の両者をいいとこ取りした結果、前者からは「無意識のうちに選択肢を設定されているのは自律を侵害されているのでは」後者からは「効果が弱すぎて目的を達成できないのでは」と、結局両者から批判されるのは仕方ないのかもしれません。おそらくはすべてではなくナッジの特性を活かせる事例を選んで活用されていくのでしょうけど、それでも誰がどう設定するのかという恣意性の問題は残るわけで、結局のところ、当方のモヤモヤはあまり解決されないままなのでした。

  • 「このようになナッジは我々の気づかないうちに隠れて行われ、我々を操る危険があるとの批判もある。」

  • 線路への転落防止ため椅子の向きを垂直に変更
    コンビニで売上アップのためにおにぎりの配置変更

    深く考えない自分のシステム よく考える自分のシステム

    ☆本書中で紹介した事例→わかりづらい・面白い例紹介なし

    肥満対策 婚活ナッジ 選挙制度 大学の学食でお皿の並び変更

    オランダスキポール空港 トイレ小便器にハエのステッカー☆Amsterdam Airport Schiphol ヒースロー、シャルルドゴール空港に次ぐ欧州3位の規模
    ☆多くの書籍で紹介しているがいいアイディアならばなぜ普及しない?

  • 行動経済学から派生して有名になった「ナッジ」の理論的な成り立ちや今後の課題について説明された書。理論的な部分も多く、難解で理解しにくい部分も多かったが、個人的には「リバタリアン」と「パターナリズム」の意味が少し理解が深まったかなという印象。

  • ナッジを提唱するサンスティーンの主張について、法学者、政治学者がこねくり回す内容。

    何人かの章では、ナッジが何を目指している取り組みがや、課題提起になるほどと思うところもあるが

    -結局何が言いたいの?
    -その議論になんの意味があるの?
    など、意味不明な章も多い。

    論者同士や、サンスティーンとまず議論してくれ、と言いたい。

    ナッジについて知りたい人は、この本ではなく原典の

    『実践行動経済学(英語題名 nudge)』
    リチャード・セイラー、キャス・サンスティーン

    を読んだほうが良い。(と思う。私もこれから読むから。)

  • 面白かった。
    評価が割れているのはビジネス書と思って手に取った方が多いため?

    ナッジを提唱したアメリカの法学者キャス・サンスティーンの著作の概要説明と、その批判・応答がまとめられている本。
    「ナッジ」とは何か、どのような思想を背景に登場してきたのかを知りたい方にはおすすめの本です。


    ○用語の整理
    ・個人の選択の自由を尊重しつつ当人の福利の改善を目指す「リバタリアン・パターナリズム」p79
    ・個人の選択の環境を構成する「選択アーキテクチャ」p79
    ・「アーキテクチャ」…選択肢の提示の仕方
    ・選択アーキテクチャのなかでも、特定の選択肢を排除したり、インセンティブを大きく変えたりせずに当人の利益になるように個人の選択に影響を与えるもの=「ナッジ」p79
    ・個人への危害防止や個人の利益を問題にする自由の制約が「パターナリズム」(p207)

  • 図書館で。
    ナッジ いかなる選択肢も禁止することなく、人々の経済的インセンティブを大きく変更することなく、人々の行動を予測可能な仕方で変更するあらゆる側面の選択アーキテクチャ

    > 選択アーキテクチャってのが新鮮。緩やかに促すって感じかなあ。

    アーキテクチャ、設計、自律、ソーシャルバタフライ、ハエのステッカー

    表紙の軽い雰囲気とは違い各章とも大学教授が,書いているので難しい感じでつい読み飛ばす・眺める^_^
    著書の書いた、はじめにとおわりにはちょっと読んだ。

  • ナッジ・・・行動経済学で人の反射的、習慣的な自動システムに働きかけより→望ましい政策誘導

    個人の選択は環境次第で変化する

  • Nudgeとは、人にある種の行動や選択を促すこと。それも大げさなインセンティブを伴わずにあくまで行為者本人の自発性を邪魔しない様にして。
    例えば、男性用トイレの"コバエ"マークだったり、最近では行列にそれとなく引かれた停止線だったりのこと。ボーナスやキャンペーン(正のインセンティブ)を打つ訳でもなければ、罰則で禁じたりする(負のインセンティブ)訳でもなく、行動や選択が行為者自身に託されているというところがポイント。

    人の行動を変えるのはとても難しい。説明に説明を重ねて、行動を促して、それを続けて、少しずつ変わって行く。上手くいけば。
    日常生活の中で他人と接点を持つ人はだれもがその難しさにクソ忌々しい思いをさせられているはず、でも、Nudgeがそのストレスを魔法の様に消し去ってくれるかもしれない、非合理的・不条理な選択や行為が改められ、だれもが"正しい"行動を取る様になるかもしれない、それらが積み重なって人間の非合理的な選択によって生じる社会的なコストが軽減されるかもしれない、それも一人一人の自発的な選択によって。

    これは、こんなNudgeがありますよという実証研究やハウツーの話ではない。そうではなく、『それで良いんだっけ?』という話。
    Nudgeは人の自由を本当に侵していないと言えるのかとか、Nudgeによる介入は目的達成の観点から意義があると言えるのかとか。

    トイレで"コバエ"を狙う時、その"コバエ"を狙うことがどうして正しいと言えるのだろうか。それが自分の不利益にならないとどうすれば確信が持てるのだろうか。それが分からずにいるとき、本当に自分は自らの意思で"コバエ"を狙っていると言えるのだろうか。
    あるいは、"コバエ"を狙うことがもし本当に正しいのならば、それがその人にとって本当に大事なことなのであれば、"コバエ"を狙うことは義務であるべきなのではないか。なぜその大事な選択が自分に委ねられているのだろうか。

    そう考えると"コバエ"は奥深い。自分の認知と自由と責任の象徴だったわけだ。

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