責任と正義: リベラリズムの居場所

著者 :
  • 勁草書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (434ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784326601608

作品紹介・あらすじ

なぜ"他者"を尊重しなくてはならないのか-責任の論理と正義の倫理。ポスト・モダン時代の「可能なるリベラリズム」のために。

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  • 『責任と正義――リベラリズムの居場所』
    著者:北田暁大

    【書誌情報+内容紹介】
    正義の黄金律「等しきものは等しく」に価値を見出すリベラリズムを、社会的・政治(哲)学的に再検討し、可能性と限界を測定する。

    ジャンル 社会
    ISBN 978-4-326-60160-8
    出版年月 2003年10月
    判型・頁数 A5判・468頁
    定価 本体4,900円+税

    主体の従属化、マイノリティの排除などを内包するリベラリズムとその中心概念(「自由」、「平等」、「権利」)は社会学的にいかがわしさが確証されつつある。しかし、リベラリズムへの懐疑が常識化するなかで見失われかねない問題がいまだ残されている。その《「社会的なるもの」の肥大と相俟った「政治的なるもの」の盲点化》という問題のなかで、政治(学)的な諸言語を豊穣化していくこと、つまりポスト・リベラリズム時代に可能なリベラリズムを探求することが重要なのだ。
    http://www.keisoshobo.co.jp/book/b26149.html


    【目次】
    なぜ今、リベラリズムなのか――まえがきにかえて 

      第一部 責任の社会理論 responsibility socialized 

    第一章 コミュニケーションのなかの責任と道徳
     一 問題としての「コミュニケーション的行為の理論」ハーバーマス理論の再検討
      [1] 発語内行為の構造
      [2] 発語内行為はいかにして成立するのか
     二 行為の同一性と責任 構成主義の行為理論
      [1] コミュニケーションと行為
      [2] 共同の論理と協働の論理 

    第二章 構成主義的責任論とその限界
     一 行為の責任・再考 構成主義的に「責任」を考える
      [1] 構成主義テーゼから「強い」責任理論へ
      [2] 「強い」責任理論の存在証明
     二 ラディカルな責任のスタイル ポストモダン政治学との対話
      [1] 耳を傾ける責任 異議申し立て=行為記述の第一義性
      [2] 聞かないことの責任 沈黙の政治学
     三 転回 強い責任理論は規範理論たりうるのか
      [1] 責任のインフレ問題
      [2] 「よりよき物象化」論は規範理論たりうるか

      第二部 社会的なるものへの懐疑 skepticism on the social 

    第三章 Why be social? 私たちはなぜ責任をとる「べき」なのか?
     一 事実/価値の二元論は失効したのか
      [1] 事実の価値非拘束性
      [2] 事実/価値の問題系と存在/当為の問題系の差分
     二 存在/当為の「脱構築」を拒むもの
      [1] サールの論証の<当たり前さ>について
      [2] 規範の他者/制度の他者
     三 社会(科)学は倫理を語りうるか
      [1] 社会(科)学とヒューム問題
      [2] 社会学的思考の《原罪》 他者の問いの隠蔽

    第四章 How to be(come) social? ささやかなリベラルたちの生 
     一 ギュゲスの指輪は存在しない?
      [1] アイロニスト/理性主義者/自然主義者
      [2] アイロニカルな説得の不可能性
     二 《制度の他者》から《規範の他者》へ
      [1] 問いの伝達不可能性 解答され続けるが伝達されることのない問い
      [2] 《制度の他者》から《規範の他者》へ フリーライダーへのて頽落
     三 《規範の他者》から《リベラル》へ
      [1] 長期的視点の導入
      [2] 対象性の承認 《権利》の生成

      第三部 リベラリズムとその外部 liberalism and its others

    第五章 《リベラル》たちの社会と《自由主義》のあいだ 
     一 《リベラル》たちのプロフィール 《自由主義者》との種差
      [1] ルール準拠的態度
      [2] 理由の共同体
     二 「自由主義」の条件 《リベラル》が《自由主義者》となるためには何が必要か
      [1] 自由原理と正当化原理
      [2] 正当化原理にコミットすることの奇特さ
     三 「自由主義」を担保する《暴力》
      [1] 正当化原理の正当化 その1 ロールズ―原初の暴力
      [2] 正当化原理の正当化 その2 ノージック―事実上の独占
     四 「自由主義」国家の不可能性? 

    第六章 可能なるリベラリズムのために リベラリズムとその外部
     一 リベラリズムのプロフィール 薄いがゆえに濃い
      [1] リベラリズムのプロフィール その1 その「薄さ」をめぐって
      [2] リベラリズムのプロフィール その2 その「濃さ」をめぐって
     二 リベラリズムは外部とどのような関係を持つのか
      [1] 非《リベラル》たちとの関係 《自由主義者》のルールの適用可能性
      [2] (補論)贈与を受けるべき他者とは誰か 権利・合理性・尊厳
      [3] 非自由主義的《リベラル》との関係 「テロリズム」への倫理学?

      第四部 「社会的なるもの」の回帰 the return of the social

    第七章 正義の居場所 社会の自由主義
     一 システム論によるリベラリズムの最定位 コミュニケーションとしての正義
       [1] 二つの「社会」概念
       [2] 《正義》とはどのようなコミュニケーションなのか
     二 正義の居場所 
       [1] 《正義》の居場所 その1 適度な複雑性としての《正義》 
       [2] 《正義》の居場所 その2 足場なき寄食体としての《正義》 

    注 
    現実(主義)から遠く離れて――あとがきにかえて

  • 「社会的なるもの」の肥大/「政治的なるもの」の盲点化 p.vi

    社会における「社会的なるもの」を相対化する言説が、社会理論(社会の意味論)における「社会的なるもの」の肥大=社会学帝国主義を帰結するという逆理。p.ix

    伝統的な政治学や法学が「アルキメデスの点」として自明視してきた政治(学)的概念―「自由」「平等」「正義」など―を、具体的な「社会的」文脈に再配置し、その社会的・政治的効果を正確に測定していくこと。政治(哲)学・法(哲)学が対象としてきた事柄を、「政治(学)な」概念によってではなく、「社会(学)的な」概念によって分節化していくという知的エートスは、もはや法(学)や政治(学)を語る上で欠かすことのできない基本的な素養とみなされるようになっている。p.ix

    「いかなる国家が望ましいか」「自由/平等の基礎づけ」「正義概念の再検討」「正しい再配分はどのようなものでありうるか」といった政治(学)的問いは、「国家/自由/平等/正義は、いかにして語られ、どのような社会的・政治的帰結を生み出したのか」といった社会(学)的な問いに置き換えられなければならない。p.x

    井上達夫のいう「正義の基底性」p.xix

    「やんちゃなリベラリズム」と「しみじみとした社会学帝国主義」のあいだで思考することの快楽(と苦痛)を、多くの読者と共有することができたなら、著者としてこれ以上の幸せはない。p.xx

    ところで、右に記したような見取り図はあまりに抽象的すぎて本書が何を問題としているのかわかりにくいという読者もいることだろう。たしかにこの見取り図は、全文を書き終えた私が事後的・遡及的に捏造した物語のようなものであり、(こう言ってはなんだが)私以外にはその意義を見いだすことが難しいものかもしれない。<中略>ここに「まえがきにかえて」として述べたことは、全体を読み通した後にでも(そういう奇特な読者がいたとして、の話だが)思い起こしていただければ幸いである。p.xxi


    道徳とはまさしく「目的の王国」の住人たち(のみ)が振る舞いをみせる舞台にほかならない。p28

    ルーマン《協働の合理性》:閉じられているがゆえに開かれている、ハーバーマス《共同の合理性》:閉じられているb範囲で開かれている p30

    大庭健の「システム倫理学」は、「ポストモダン政治学」同様、「強い」責任を主題化しながら、そこから帰結する責任のインフレを処理しきれていないのである。p70

    【「強い」責任理論の規範性にかんする疑念】p81
    ①「強い」責任理論は、それ自体として道徳的行為・態度選択の指針を与える規範理論たりうるのだろうか?それは実は、責任帰属にかんするコミュニケーション論的・語用論的事実を説明したものにすぎないのではないだろうか?
    ②「責任は応答する人間関係において構築される」という社会的事実の認識(関係性テーゼ)から、「他者/人間関係を尊重せよ」という当為命題を導出することができるのか

    「ウェーバーの亡霊」:「すべての事実は社会的に構築されている」「中立的な"事実"とはイデオロギー的である」という社会学的公理 p87

    「ヒュームの掟」:存在から当為への演繹を禁じる p93

    制度とは「醒めることを禁じられた夢なのだ」(永井均)p99

    【社会学的思考の《原罪》他者の問いの隠蔽】p111
    社会学的な思考は、様々な形で―「価値被拘束生論」「歴史神学の挿入」「相対化の戦略」―《「である」》⇒《「べし」》の導出を「解決」したのだと自らに言い聞かせてきた。しかしそれは、問題の「解決」などではさらさらなくむしろ「隠蔽」「抑圧」であったこと―このことは関係性=制度の学としての社会学がいわば宿命的に引き受けざるをえない《原罪》として、まずしっかりと自覚しておかなくてはならない。

    「ギュゲースの指輪」p120 ・図

    【自由原理と正当化原理】p205
    自由主義的と形容されるような社会理論が最大公約数的に承認する加害原理は、その実効性(自由)を確保するために避け難く正当化原理による補完を必要とすること、正当化原理なき自由主義理論というものは存在しえないということ。

    <メモ>クジラやイルカを高等哺乳類として認識するならば、精神障害者や痴呆の患者をいかにとらえるのか。p256
    Cf. 「みなし権利」
    Cf. ヌスバウム『正義のフロンティア』

    「関係論」的な生命論 p258

    【尊厳】p260
    《贈与を受けるべき/受けざるべき存在》の差異づけは、《合理性を帰属しうる/しえない》とか《痛みを感じうる/感じない》といった差異=規準にではなく、《尊厳のある/ない》という差異=規準に照応する。ところが、《尊厳のある/ない》という差異は、まさしく根拠なく差異づけられる―つまり、他の属性に還元・翻訳することができない―という点にこそ、その本質的意味が見いだされるようなものであり、個々人による尊厳帰属の理由を不偏的・非人称的な観点から調整することは原理的に不可能なのであった。つまり《リベラル》は、リベラルな権利を贈与する範囲の確定をリベラルな様式に則って決定することができないのである。
    Cf. 村松聡『ヒトはいつ人になるのか』

    《第七章 正義の居場所―社会の自由主義》p293~
    リベラリズムはその規範的・道徳的優位性によってではなく、現代社会における機能的な位置価によって、その「徳性」を担保されるのである。

    【リベラリズムの三段構え】p307
    ①「自由(危害)原理
    ②正当化原理
    ③優先性ルール

    <正義の居場所>
    ①適度な複雑性としての《正義》p315
    ②足場なき奇食体としての《正義》p320
    A. 《道徳》コミュニケーション内的契機としての《正義》
    B. 全生活領域に妥当する原理としての《正義》
    「第一の考え方は」、非システム的な残余領域の存在を前提する分化理論に則り、《正義》を「適度な複雑性」をもたらす構成的・批判的契機として捉え、「第二の考え方」は残余領域の存在を認めない分化理論に立脚することによって、《正義》を「閉じられているがゆえに開かれている」コミュニケーション様式として位置づける。p329
    《正義》的な帰責は、「第一の考え方」では機能システム的帰責と《道徳》的帰責の「あいだ」に位置する媒介として、「第二の考え方」では、システム的帰責・《道徳》的帰責のいずれにも還元されない固有のコミュニケーション様式として位置づけられる。p330

    リベラリズムがコミットする正義は、様々な善の構想の相克をメタレベルにおいて調停・裁定する規準でも、人間の本性への洞察や功利計算から導き出される道徳原理でもない。それは、人々の行為の連接可能性(帰責=観察の円滑な連接)を特有の形式で担保することによって、責任のインフレーション(過剰な帰責可能性)を収束させる一方法論なのであって、その存在意義は―倫理的価値によって根拠づけられるのではなく―他の方法論との対照関係においてのみ規定されうるようなものなのだ。
    だから我々はゆめゆめ《正義》を「社会制度の第一の徳」「他なるものとの出会い(損ね)の契機」などと規範的に意味づけてはならない。

    《現実(主義)から遠く離れて―あとがきにかえて》p389
    「リベラリズムと社会システム理論を架橋する」

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著者プロフィール

東京大学教授

「2022年 『実況中継・社会学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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