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Amazon.co.jp ・本 (212ページ) / ISBN・EAN: 9784326652198
感想・レビュー・書評
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「疑似科学と科学の哲学」の巻末に参考文献として挙げられていた本。進化論は生物学の理論(仮説)だから、反論はあって当然だが、その根拠として一宗教の経典でしかない聖書を挙げる感覚が理解できない。科学に道徳的な意味を求めるのは筋違いだと思う。キリスト教道徳の権威の回復のためには、科学の威光が必要ということだろうか。
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アメリカにおける宗教対科学の話で
国家と宗教の分離原則と民族文化の多様性の尊重から
公立学校の授業に宗教の持ち込みを禁止している
にも関わらず創造論運動が必要に教育会に働き掛けているという
法律の矛盾を突きながら「創造科学」という形で
大学や大学院の自然科学に参入しようと企て
南部からカリフォルニヤに渡って大きなウネリを起しているらしい
「創造対進化」つまり「創造主信仰論対ダーウィンの進化論」の
バトルがこの現代に蘇っているということなのだ
創造主信仰論者の立場は
「初めに神は天地を創造された。地は混沌であって・・」という
聖書のくだりからして矛盾していないだろうか
絶対神が最初からミスを犯したというのも納得できない
同じこととして
人間社会が大自然を人工的に混沌に巻き込んでいる事実を
どう説明できるのだろうか
更に神はモーゼに民の不信心を嘆いているのもおかしな話だと思う
又イエスの説く博愛と他に対する尊重を信仰しているはずの人々が
縄張りを張って宗教戦争を起こしたり意思を持った行為に対して
殺人に至るほどに干渉したり越権行為をすることの矛盾を感じる
それはともかくとして今の状況では
創造主説も種の起源説もモハヤ論ずるにあたいせず
歴史的な存在でしかないだろう
進化論はすでに強い者勝ちという狭い視点から
「棲み分け論」に始まり
共生進化論という広い視野へと進化しているし
相対性論理からすればこの時空間に一成る絶対神など
あり得ないという見解が今の所主流だろう -
アメリカではキリスト教のファンダメンタリスト(原理主義者)らを中心に聖書の創造論を事実であると信じている人が一定数いる。創造論と対立する進化論を一部受け入れる人々もいるが、進化論を完全に否定する人々もいて、その内実は多様である。
彼らは教育においても進化論ではなく創造論を教えるように何度も運動を起こし、進化論者と対立している。「スコープス訴訟(モンキー裁判)」などで、創造論者たちの意見は否定され、公立学校の生物学教育において創造論を教えることは禁止されている。
しかし、創造論者はあの手この手で教育における創造論を認めさせるべく運動を起こしており、本書は1980年代のカリフォルニア州での事例を中心に、その内実を明らかにしながら、現代アメリカにおいても根強い進化論と創造論の対立を描いている。
筆者は文学が専門。筆致はややジャーナリスティックだが、割合進化論にも創造論にも公平な叙述をしている印象。
日本においては進化論の真実性は当たり前の事実のようになっているが、宗教と言うフィルターを通した時に、その事実は違った見方ができることに気付くだろう。その上で、宗教と教育の問題について考えさせられる。
日本にも疑似科学の問題があり、それを念頭に置きながら考えることも可能だが、むしろ「新しい歴史教科書をつくる会」などの歴史修正主義をどう見るのかという問題にも通じるだろう。
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